竪琴の乙女

ライヒェル

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五章

壊れゆく想い

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「えっ、なあに?誰?」
「陛下の兄君、ユリアス様、現ウィスラー公爵閣下です。」
そういえば、前国王の第二王妃の息子がユリアスだと聞いていた。私が以前ここに居た時は、外国へ行っていて不在だったから見た事もない。
「どうしたらいいの?」
私も困ってエリサに聞いたが、エリサ自身がパニック気味になって慌てふためいているので、どうやら頼るのは無理そうだ。こういう時、サリーが居たら何をどうすべきか、全部心得ているだろうが、残念ながら彼女はいない。
仕方ないので、逃げる訳にもいかないのなら、挨拶をするしかなという結論に至る。
どう考えても、庶民の私が王室の人間に敬意を示すことが常識なので、回廊の端により、通路を開けて控えた。集団が近づくにつれて、控えめに頭を下げて敬意を示すポーズをとる。
エリサが私の後ろで同じく頭を下げており、ついてきていた衛兵も直立不動で敬礼の姿勢だ。
床を歩く騒々しい足音が近づき、このまま通り過ぎてくれるように、と願っていたけれど、期待に反し、足音が止まる。
自分の目の前で全員が立ち止まったのを目視して、心の中で、大きくため息をした。
これは、面倒なことになった。
後で、サリーになんと言われる事やら。
激しく後悔しつつ身動きせずにいると、頭上から声をかけられる。
「これは……君はセイラだね」
知られているらしいと確信し、気をつけて返事をした。
「ユリアス様。初めてお目にかかります」
余計な事を言わないよう、言葉少なに答えると、快活そうな声が返ってくる。
「そんなにかしこまる必要はない。気を楽に。3年ぶりに戻って来たと、先日カスピアンから聞いていた」
この場合、やはり顔をあげるべきなんだろう。
そう判断し、ゆっくりと顔をあげて、ユリアスを見上げた。
大柄で屈強なカスピアンとは違い、背は同じく高いものの、すらりとした、いわゆるファッションモデルのような人がいた。カスピアンやアンジェ王女とは違い、濃いブロンドの巻き毛に金色に近い茶色の目をした、気品の固まりのような貴公子。落ち着いた様子から、恐らく年の頃は20代後半くらいに見えた。
にっこりと太陽のような微笑みをうかべたユリアス。
「ちょうど良かった。セイラ、ご一緒願おう」
「えっ?」
「さぁ、こちらへ」
片手を取られて面食らっていると、ごく自然にそのまま手を引かれ、ユリアスの隣に立つ。
「あの、どこへ」
軽く背中に手を添えられるようにして、歩くように促される。どうしたらいいか分からず困惑しているうちに、もう一歩足を踏み出してしまった。後ろを振り返ると、目を白黒させてパニックになっているエリサが見えた。
「シーラ公国のヴェルヘン侯爵のお見送りに行くところだったが、同行する妃がいなくて困っていたところだった」
「お妃様がいなくて……?」
「いや、妃はいるのだが、息子が生まれたばかりで実家に帰っている」
「あ、そうだったのですか」
ユリアスには小さい子供がいると知り、急に警戒心が解ける。子供がいる男性は必然的にいい人じゃないかと思ってしまう。
「お名前はなんとおっしゃるんですか」
「妃はロリアンで、息子はテオドールという」
初めて知るカスピアンの兄の家族の名前。
ロリアンはカスピアンの義姉で、テオドールが甥っ子になるわけだ。
「連れがいないから欠席しようかと考えていたところだった。ちょうど、君に会えてよかった」
「いえ……お役に立てるなら、嬉しいです」
「突然こんなことをさせて悪いね。ありがとう」
ユリアスは女性慣れしているのか、とても紳士的というか、この柔らかな物腰やフレンドリーさが、近寄りがたい威圧感を纏うカスピアンとは全く異なる。
王室の人間らしい高貴さを纏っているのに、庶民との垣根を感じさせないような近づきやすい人だ。多分、ユリアスは女性に限らず男性にもてる、いわゆる万人に好かれるタイプだろう。
女性の口説き方なんかも慣れていそうな感じ。
そんなことを考えながらユリアスを見上げると、にっこりとお日様のように微笑む。
このキラキラした微笑みに、つい、こちらも気が緩んで微笑み返してしまう。
それにしても、果たして突然こんな公務に同行していいのか正直不安なところだが、カスピアンの兄ユリアス本人が希望しているわけで、立場的に断るのは無理。
単純にただ黙って横に居ればいいだけのようだし、今更引き返すことも出来ないのだから、このまま付き合うしかない。
それに、当然カスピアンもその場にいるわけだから、久しぶりに彼の姿が見れるかと思うと、急にそわそわしてくる。
落ち着きのなさがバレないよう、出来るだけ無駄な動きや物言いを控えねばと、静かにユリアスのエスコートにまかせて歩く。
私の手を引いて優雅に歩きながら、ユリアスが身を屈めて私の顔を覗き込んだ。
「噂通り、確かに美しい姫君だ」
「えっ」
驚いて絶句していると、ユリアスがウインクする。
「カスピアンを虜にした異国の姫君と聞いて、いつ会えるかと楽しみにしていた。当初、あいつが君を無理矢理王宮に連れ込んだらしいね。怖い思いをさせてしまって、兄としても申し訳なく思っている」
「いえ……」
「あの堅物が夢中になるのうなずける。君は、まるで希少な宝石のように美しい。いつまでもじっと見ていたいくらいだ」
「はぁ……」
本当にこの人はカスピアンと血のつながった兄なんだろうか。
呆然としてユリアスを眺める。
「ラベロアのカスピアンと、エティグスのルシアが競い合った姫君の話は諸外国にも広まっているが、その類い稀な美しさを見れば、なるほどと思えるね」
もはや返答する言葉も皆無で、ただじっと、屈託の無い笑顔のユリアスを眺めた。
お世辞にしても度の過ぎる、歯の浮くようなセリフが次から次へと出てくる。
しかも、既に妃も子供もいる人なのに。
根っからのプレイボーイ気質なのかもしれない。
本人は全くそんなつもりは無さそうだけど、こんな褒め言葉を聞かされたら、人によっては勘違いしてしまうだろう。
お妃のロリアン様も気苦労が絶えなさそうだ。
そういえば、カスピアンからはお世辞のひとつも言われたことは無かった。
あえて覚えているのは、おまえが欲しい、だけ。
しかしそれはそれで強烈すぎて、かなり心臓に悪い一言だった。
いや、多分、変なお世辞よりもっとドキドキしたかもしれない。
突如、あの時のカスピアンの目を思い出し、緊張と動揺が戻ってきて、心なしか顔が熱くなる。
「セイラ、君の年は?」
「25、です」
「25?」
驚いたように目を見開いユリアス。
「私と同じ年とは驚いた。こんなに初々しい姫君だから、アンジェと同じくらいかと思ったが」
「すみません……」
急に自分がやたら年増のように感じて気まずくなり、その時、はたと気がついた。
ユリアスが私と同年ということは、つまり、カスピアンは年下ということになるわけじゃないか。
「あの、カスピアン、陛下のお年は?」
恐る恐る聞いてみる。
「この間23歳になったところだ」
「23歳?」
2歳も年下だったのか!
てっきり、私より1、2歳は絶対に上だと思っていた!
あの貫禄と威圧感で23歳。
しかも、国王に即位している。
つまり、以前、彼はまだ20歳だったのか。しかも、当時は2歳どころか3歳も年下。
私は、自分がカスピアンのことを全然知らないという事実に気がつき、唖然とした。
そうこうしているうちに、巨大な広間へ到着した。
エスコートされるままに、居並ぶ貴族達の列へと進み、広間の中央へと目を向けた。
シーラ公国の一行と思われる団体と、その貴賓である侯爵らしき人が見える。
私が小柄なせいもあり、前に立っている貴族達の合間からしか前方が見えない。だからといって興味丸出しでやたら背伸びをするわけにもいかず、ただ、黙って、時折見え隠れする侯爵のご一行を眺める。
ユリアスにエスコートされている私を、周りの貴族達がちらちらと見ているのに気がついた。
あいつは誰だ、みたいな視線に、心なしか体が固くなる。
突然見知らぬ顔の私が、こんなところにユリアスの連れとして現れたのだから、不審に思われるのも当然といえば当然だ。いや、もしかすると私が存在していたことは以前から知っていて、いきなり戻って来たことを知らずに驚いているのかもしれない。
「肩の力を抜いて。何も気にする事はない」
耳元でユリアスが囁いたので、小さく頷いて、前方を見る事だけに集中する。
こんな気疲れする儀式や行事を毎日のようにこなすのが、王室の務めなのかと、その忍耐力に改めて感服する。
誰かが長々と、形式張った言葉を連ねていたが、ようやくシーラ公国のご一行が出発する時となったらしい。広間の大きな扉が開かれ、兵士達が列をなして通路を警護すべく広がって行く。開いた扉のずっと先に正門が見えた。
「おいで」
ユリアスが小さく声をかけ、私の手を引いた。
私達の後ろを、護衛達が続く。
「我々王族は、中央に並んで見送らなければならない」
周りの貴族が全員広間の端に寄り始め、中央が開く。
ユリアスに連れられるまま、貴族達の後ろを通り中央へと向かう。以前、見かけた事のある、前国王の妃達や、アンジェ王女、彼らのおつきの女官や護衛も中央へと移動しているのが見えた。
彼等の向こうに、一際目立つ大きな後ろ姿が見えて、心臓がドキン、と跳ねた。
金色の冠。
緋色ののマント。
あれは、国王になったカスピアンだ。
ドキドキしながら、ユリアスに連れられ、カスピアンの背後に回った時、私の視線は、カスピアンの隣で止まる。
彼の隣には、すらりと背が高く、明るいブロンドの髪を奇麗に結い上げ、銀色の冠を被っている姫君の後ろ姿があった。たくさんの真珠が鏤められた、滑らかな光沢のある淡いブルーのドレスを纏って、まるで妖精のようだ。その後ろ姿からも輝くような美しさが溢れていた。
カスピアンはその姫君の右手を取ってエスコートしていた。
二人は、交互に、シーラ公国の侯爵に声をかけている。
時折二人が顔を寄せ、親し気に会話をしているのが見えた。
食い入るようにカスピアンの横顔を見る。
穏やかな微笑みを浮かべているその表情に、雷に打たれたようなショックで、思わずユリアスの手をぎゅっと握ってしまう。
その女性は、誰?
心臓に針を突き刺されたような痛みを感じた。
まさか。
瞬時に脳裏に蘇った、重大な現実。
エティグス王国のルシア王子を思い出した。
ルシア王子は、すでに、妃が二人いたにも関わらず、私を新たな妃にしようとしていた。
そうだ。
ここでは、複数の妃を娶るのは至極当たり前のことだ。
現に、カスピアンの父にも、3人のお妃様がいた。
一瞬で全身の血が凍り付いたような気がした。
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