竪琴の乙女

ライヒェル

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十一章

初冬のお茶会

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ドレスで見えない足下に気をつけて、ゆっくりと階段を下りていく。彼が時折私を振り返るのを見れば、私の歩行さえ気にかけているのがわかる。
明日の軍事パレード、明後日の婚儀に向けての準備の関係で、王宮内の衛兵、女官や使用人は普段以上に人数が多い。彼等が皆、端に寄ってお辞儀や敬礼をしているのを見ながら、奥宮を出て、複数のサロンや謁見の間がある建物へと向かう。
巨大なラベロア王宮のレイアウトはまだ、大まかにしか記憶出来ていないが、関係する数字だけは覚えている。
王室メンバーと賓客用の寝室が合わせて60室、バスルームは95室、使用人用寝室210室、執事室55部屋、サロンが大小合わせて22室。
とんでもない数字だ。
これとはまた別に、複数の会議室や医務室、厨房も何カ所にもあるし、神殿や厩舎までカウントしたら、更にすごい数になるに違いない。一生かかっても覚えきれない気がする。
婚儀の日から移り住む、国王と王妃の間は、王宮内の一世帯、みたいな間仕切りで完成したと聞いた。当然、改装の監督者であるカスピアンはその全貌を見たらしいけど、私には、当日まで見せないと言われてしまった。早く見たくてうずうずするけれど、その日のお楽しみということで、早く見たい、と言いたいのをぐっと我慢している。

回廊から見える中庭に目を向けると、枝ばかりになった木々の向こうに、貴賓館が見えた。
ずっと前、真夜中に山の家を突撃され、この王宮に連れてこられた時の記憶がフラッシュバックする。あの時の自分には、こんな未来は全く想像もできなかったなと思いながら、懐かしい気持ちでその様子を眺めた。
普段はそれほど人の出入りはないのだが、今日は遠目にも、随分と多くの女官や使用人の姿が見えた。
「婚儀に列席する外国からの貴人が、昨晩から到着し始めている」
私の視線を追うように向こうを見たカスピアンの言葉に、なるほどと頷いた。
「軍事パレードに参列する方々もいるの?」
「前もって希望があった国には、立ち見席を設けてある」
カスピアンはそう言うと、私の手をぎゅっと握りしめた。
「あの中に、よからぬことを考えているやつが紛れていないとは言い切れぬのだ。厳重に警備をしているとは言え、おまえも周りの様子に気を配ることを忘れるな」
「ふふっ……はい、わかりました」
私は笑いを零しながら返事をした。婚儀の日が近づくにつれて、安心するどころか彼の心配性は逆に拍車がかかっているようだ。
「もう、明後日だから、そこまで心配しなくてもいいと思うよ」
小声でそう言うと、彼は眉間に深い皺を寄せ、低く静かな声で私を叱責する。
「何を悠長なことを言う。まだ二日もあるのだ」
「あと、たったの二日、だよ」
言い換えると、彼は立ち止まり、じろりと私を見下ろした。
「いや、まだ、あと二日だ。それに、脱走癖のあるおまえが、また何かをしでかさないとも言い切れぬ」
誰かに狙われることを心配しているのかと思えば、私の脱走まで懸念していたのか!
そんなに信用がないんだとショックを受けるが、これまでのことを考えれば、身から出た錆。疑われても当然のことをしたのは、紛れもない事実。
「カスピアン!もう、逃げたりしないから!」
なんとか信じてもらいたいと思い、真剣にそう言うと、カスピアンは私の心の中を読もうとするかのように、じっと私の目を見つめた。
信じてください。
強い思いをこめてその目を見つめ返す。
やがてカスピアンは、ふっと表情を和らげると、私の頬に手を触れた。
「セイラ」
彼は身を屈め、私の耳元に顔を寄せると、周りに聞こえない静かな声で囁く。
「おまえのすべてを我がものにするまでは、やはり、油断はできぬ」
その言葉にカッと頬が熱くなったが、なんとか動揺を隠し彼を見つめ返した。
「本当に、逃げたりはしません。約束します!」
やや声がうわずってしまった私に、彼はくすっと笑いを零すと、私の頬を軽く指でつまんだ。
「二言は決して許さぬぞ」
「二言は、ないです!」
「そうか。ならば、よい」
ようやく朗らかに微笑んだカスピアンは、再度私の手を取り、サロンへと歩き出した。後方と前方で私達から少し距離をとり立ち止まっていた護衛達も、同じく動き出す。
私の手をしっかり握りしめる彼の大きい手は、無骨で頑丈だが、とても温かい。この幸せな気持ちを伝えようと、ぎゅっと握り返すと、彼が私を振り返って微笑んだ。
マナー教育で叩き込まれた微笑みを絶やす事なく、無事、最終目的地である、陽当たりのよいサロンへ到着した。
衛兵が敬礼後、その扉を開く。
まだ、ユリアスとロリアンは到着していなかったが、すでにテーブルはお茶の準備が整っていた。たくさんのお菓子や軽食が並ぶ中、私が焼いた薔薇ケーキは、クリスタルガラスのケーキ台に乗せられ、ガラスドームカバーで覆われていた。
ガラスドームカバーには金の唐草模様が一面に施さているので、中の様子は見えない。
模様の隙間から、薔薇の状態が見れるだろうか。
テーブルのほうへ行こうとしたら、カスピアンが繋いでいた手を引いて、そのまま後ろから私を抱きしめた。
ケーキのことしか頭になかったから、驚いて回りに目をやったが、サロンの扉はもう閉まっていて、他に誰もいなかった。今日の内輪のお茶会は、話の内容が内容だけに、完全に人払いするとのことだったからだろう。
ドキドキしながら身じろぎをして、彼と向き合うと、私も両手を彼の背にまわす。
いつものように彼の心臓の音を聞こうと頭を傾けたら、彼の胸にあった金の金具と、私のティアラがぶつかる金属音がして、慌てて顔をあげた。
片手でティアラに触れて、ずれていないか確認する。
「シルビア様のティアラに傷をつけたら大変!気をつけなきゃ……」
ひやりとしてそう言うと、カスピアンが目を細めて眩しそうに私を見下ろした。瞬きもせずにまっすぐに向けられた視線に、落ち着かない気持ちになる。
「どうしたの?もう悪い事なんて考えてないよ?」
まだ疑われているのかと思い、真面目に訴えると、カスピアンはじっと私の目を見つめる。
「おまえの美しさに目を奪われていただけだ」
「えっ」
真顔でそんなことを言われ、たちまち頬が熱くなる。
「……そんな、まるでユリアスみたいなお世辞を……」
普段、こうした褒め言葉を口にしない人から聞くと、不自然なくらい照れてしまう。
カスピアンはくすりと笑った。
「私が何故、世辞などを言うのだ。事実を述べただけだ」
「そ……そう、ですか」
ますます恥ずかしくなって俯いたが、この際私も、彼に見惚れていたことを告白しようと思いつく。
「さっきね……私も、部屋に迎えに来てくれた貴方にすっかり見とれてしまって、目が離せなかったよ」
そう言って顔を上げて彼を見ると、案の定、目を見開き、言葉を失っている。
実はかなりの照れ屋なので、私よりこういう褒め言葉には弱いのだ。調子に乗って来た私は、にっこり微笑んで彼の頬に手を触れた。
「世界で一番、素敵な王様だなって。誰よりも強くて、とっても格好良くて、すごく優しくて……」
カスピアンの目元が赤らんで、困ったように短く瞬きをした。でも、やはり嫌な気分ではないのか、若干ふて腐れたような顔をしているものの、黙っている。
いつも思っていることを、こうして言葉にして相手に伝えることは大事だ。
照れた様子の彼に、愛しさで胸がいっぱいになった。
「カスピアン。側にいさせてくれて、ありがとう」
いつも心の底から思っていることを口にすると、幸せな気持ちで笑顔が止まらなくなる。
カスピアンは目を細めて微笑むと、私の頬を引き寄せた。私が背伸びをすると、身を屈めた彼がそっと唇を重ねる。彼の腕が背中に回り、強く抱き寄せられると、深まる口づけに目を閉じた。
その途端、サロンの扉のノックとほぼ同時に足音が聞こえ、ハッと目を見開く。
「……待たせた。いや、そうでもなかったか。取り込み中に、悪いね」
笑いを含んだユリアスの声に、またかと仰天する。
慌てて両手でカスピアンの胸を押すと、唇を離したカスピアンが、私の背を抱いたまま、恨めし気にユリアスに目を向けた。
「……おまえのその、心底不愉快な物言いをどうにかしろ!」
苛立ちに顔を歪めながら私を開放したカスピアンを、面白そうに一瞥したユリアス。そしてにっこりと、天使のような笑みをこちらに向けたので、私は挨拶のお辞儀をした。
「やぁ、セイラ。今日も女神と見紛う美しさだね」
私の手を取り口づけを落としたユリアス。もはや定番となっている、挨拶代わりのお世辞に、隣のカスピアンが忌々しそうに舌打ちをするのが聞こえた。
ユリアスの隣で、困ったように苦笑しているロリアンも、私達に向かって奇麗なお辞儀をした。
「陛下、セイラ様。テオドールがなかなか泣き止まなくて、到着が遅れてしまいました。申し訳ありません」
「昨日から風邪気味だという話でしたよね。テオドールの様子はどうですか?」
テオドールが初めての熱を出したと聞いて気掛かりだった。小さい子供の発熱は、やっぱり心配だ。
ロリアンはにっこりと微笑み、大きく頷いた。
「お気遣いありがとうございます。今朝は熱も下がって、水分も十分取れたので、もう大丈夫です。ご心配かけました」
「よかった!最近、本当に冬らしくなってきたから、皆、気をつけないといけないですね」
「そうですよ。特に、セイラ様は、婚儀の日まで、体調を崩されないよう大事になさっていただかないと」
「ありがとうございます」
穏やかに笑いながら、それぞれカウチに腰掛ける。
ユリアスとロリアンがひとつのカウチに座り、テーブルを挟んだ向かいに、私とカスピアンが座った。ユリアスが明日の軍事パレードの立ち見席の手配について話を始めて、話題は、このお茶会の後に闘技場で行われる、最後の演習にうつる。今日は、ユリアスも軍服を着用し闘技場へ行くと聞いて驚いていると、扉がノックされる音がして、私達はすぐに、話を止め、サロンの入り口へ目を向けた。
マーゴットに付き添われたアンジェが、深々とお辞儀をしている姿が目に映る。
私は緊張に息を呑んだ。
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