ささげ名を

兎守 優

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君が死なないための試行錯夢

探しものを捕まえて

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 シノを思いながら、縁側で夕涼みをしていたら、庭先に見覚えのある姿が現れた。
「シノ! ……だよね?」
 何日ぶりだろうか。その声を姿を認めるだけで、シノと会えない日々で枯れた心が一気に満たされる。うれしさがあふれすぎて上擦った声が出てしまい、恥ずかしかった。人差し指を口に当てて、彼は手招いた。
 「そう、僕はシノだけど……」と名前を反すうしたのが、僕の胸にチクリとした痛みを生んだ。僕とは別の名前が彼にあるという事実は、僕たちが永遠に一つになれない証拠に他ならないからだ。
「家の用事、少しだけ、大丈夫そうだから抜けてきたんだ。でも、言うと絶対居ろって言われるから、黙って出てきたから」
「うん……分かった」
「少しだけ、少しだけでも君に触れたいんだ」
 家のことはあまり話してくれなかった。きっと、あまりいい関係ではないのだろう。僕の方もそうだった。こんな時間に僕がどこへ行こうが、もっと言えば消えてしまっても、きっと探されることもないだろう。
「どこに……」
「いつものところ。少しだけだから」
 夏至が過ぎたばかりとはいえ、山の方は市街地よりも早く暗くなってしまう。でも、じめじめと息苦しいところから少しでも離れたかったから、それでもよかった。
 シノと一緒なら、不確かな存在の僕が形を持って息をしてると実感できたし、シノも僕と一緒なら・・・・、絶対に死のうとしないのだ。
 シノといられるうれしさに、夢見心地でふわふわと歩き、気づけばあの山に入っていた。河原沿いにある例の倉庫は、黒い箱みたいに影を被っている。夜になると世界が暗くなるのは、朝に生まれた命が夜に死んでいく、弔いと喪に服するためなんだとシノが言ったことがあった。僕は彼の言葉の意味がよく理解できなかったから、朝の生まれたての輝きを夜が覆って大事に匿うってことなんだと曲解していた。
「ごめん。突っかけてきたサンダル、脱げちゃったから、先に入ってて」
 背中を軽く押されて促されるまま、箱の中へ一歩踏み出し、振り返る。シノは裸足で小石がゴロゴロした河原に立って、こちらをじっと見ていた。目の前の彼はまちがいなくシノであるはずなのに、髪が灰化していて別人に見えて、ゾッと肌が粟立った。
「失敗した。名前を先に聞いておけばよかった」
 なにを言って……。声が出なかった。叫ぼうと、のどをつかんだが、全身がわなないて意味をなさない。
「でも、もう出られない。出たら、僕の物だ」
 僕は後ずさったが、ガタガタいう足はすぐに意味をなさなくなり、尻もちをついてしまった。
「早く僕に教えて。君を呼べないよ」
 這いつくばっていって、とっさに扉を閉めてしまった。シノが僕の名前を知らないはずがない。何度も、何度も。愛おしそうに呼んでくれた。
 じゃあ、あれはなんだ。シノの皮を被った、化け物? そんな伝承、聞いたこともない。なにかが彼を変えてしまったのか? あんな怖いことを言うシノを今まで見たことがなかった。
「ねえ、僕は君を愛してるんだ。愛しい君の名を僕にささげて」
 本当の名前を教えると結婚できるなんて、オカルト話が今になって頭を巡ってきた。それどころか、僕はこの"シノ"と名乗るシノじゃないなにかに、命を取られそうになっているじゃないか。
「おお、ねがい、シノ……こわい、やめて……」
 やっと絞り出せた言葉は、こぼれたそばから、勢いを失っていく。心細くてつらいとき、シノはありったけの温かさで僕を包んでくれた。でも今、ぴたりと閉まった扉の向こうから返ってくるのは、冷たい響きだけだった。
「ぜんぶ終わるよ。ここを出て僕に君の名前を教えてくれれば」
 シノでなければならない。僕の命を渡すとしても、相手は彼でなければならなかった。
「今夜はダムの水位調整があるから、じきに放流が始まって、ここも水浸しになるんだ。今なら間に合う」
 彼がシノだと確かめる術が浮かばなかった。水の匂いが濃くなってくる。嘘か真か。迫るタイムリミットは、僕の心臓を打ち、心拍数を跳ね上げていった。
「分かった。僕は一人で行くね。さよなら」
 その言葉に思わず飛び出してしまった。外は真っ暗闇だった。ここに来てしまったシノは、一人では死んでしまう。いかないで、と声を出そうとした瞬間、背後から白い手に抱きつかれた。
「もう離さない。さあ、僕にその名をささげろ」
 僕が僕なのかも分からない暗黒に包まれた夜。足の裏から伝わるゴツゴツした感覚、河原の小石がザリザリいう音、水の匂い。
 上がった息が思考を奪い、酸素を求めて、肺を激しく上下させ、ふくらませる。のに、背後から胸の辺りをきつく拘束する腕が、呼吸の自由を許さなかった。
「シノ……たす、けて。シノっ」
「僕がシノだよ。だからね、君の名前をくれたら、僕は君を救えるんだ」
「なんで、こんな、こと……」
「君が欲しいんだ。もう触れるだけじゃ、足りない、もっと、奥深くまで、君を」
 もうとっくに僕は君の物なのに。どうしてそんなに飢えているんだろうか。
 彼が死にたがった理由。僕がむほど望んだ叶わない未来と同じ。愛を肌で、もっとそばで生で感じ続けたいのだ。
 実らない思いが毒だけになって体中を巡り、胸がジクジクと痛む感覚を僕は知っている。毒を孕んだ者が辿る結末も。滞留してふくれ上がった猛毒は、この身を破ってあふれ出すのだ。
 …………そうか、シノも。苦しいんだね。
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