月負いの縁士

兎守 優

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1.夜半のホウリング

8 白銀の月輪

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 黄土色の跳ね髪、吊り目、とび色と紅染べにぞめ色に変化する鋭い瞳の男──成清なるせ葉月はつきが一度覚えたニオイを逃すことはない。警察犬並みに優れた嗅覚を感情と結びつけた先天性の記憶保持能力によって、他者を圧倒する追跡を可能にしていた。
 彼の敏感な鼻は変わったニオイをすぐに嗅ぎ取った。雑多な臭気をかき分け、目的の対象を嗅ぎ当てる。

 土曜に講義がある学生や平日は六限が終わったあとも残る学生のたまり場である、羽純はずみ大学の第二食堂。分厚いガラス戸を引くとゴウゴウと風が押し寄せてくる。風圧で独りでに閉まったドアの内側は静かで、話し声がよく響いていた。

「おい、月見小僧、面貸せ」
「お、やっぱ葉月はづきじゃん」
 鼻をヒクつかせた成清は、覚えのあるニオイに顔をしかめ、相手に鋭い眼光を浴びせた。だが、睨まれた相手は目を逸らすことなく、両ひじで頬杖をついたまま嘲りの目を向けるだけだった。

「どこの家のもんだ、おまえ、いッ!」
 肩を強く叩かれ、彼が払い除けるように振り向くと、ムッとした郁の膨れ面とぶつかった。

〝大学三年生 先輩〟
「そーそー、俺たち先輩なんだー」
 あくどい笑みでからかうけいに、ふっと成清の表情が消えた。威嚇するような態度を急変させ、表情を押し殺し、彼は大人びた口調で脅しをかけた。

「興味本位で首突っこむのはやめておいた方がいいと思いますが」
師走しわす大学って言ったらわかるよねえ?」
 口調を変えた成清に動じる様子もなく、恵はニヤリと笑う。脅すような茶化すような態度にも、成清の冷静さは崩れなかった。

「守衛に通報しますんで」
 その一言で静観を貫いていた佳也よしやがバッと立ち上がり、恵を急かした。
「ほら、さっさと戻るぞ、恵」
「せっかく談義に花を咲かせてたのにぃ!」
 ジタバタ暴れる恵を佳也が引きずるようにして、扉を押し開ける。

「またねー、つきみーん」
 郁は手を振り返した。その隣で彼らの姿が裏門から出て行くまで、とび色の目が睨みを利かせながら追っていた。

「なんだあいつら。潜りなんざ、余裕こきやがって」
〝広く学びたいそうです。あいつじゃなくて、先輩〟

「構内は部外者立ち入り禁止なんだぞ。ったく、この前の件で警備、強化したんじゃなかったのかよ」
 険しい表情のままの成清からは嘆息が絶えない。残念そうに肩を落としている郁に、成清は「それより」と話しかける。

「適当に親に都合つけてこい。連れてくところがある」
 「どこに」とも聞かず、すぐにケータイを出し、郁はメッセージを打ち始めた。

〝友だちと会うので帰りが遅くなります。〟
 送ったメールの文面をずいと見せる。成清は血相を変えて飛び跳ねた。

「小僧、俺は友だちじゃねぇぞ!」
〝都合つけた。親が心配しないように。〟
 舌打ちとともに成清はさっさと踵を返した。

「行くぞ。迷子になんなよ」
 まさかこれから、間隔が長めの駅六つ分も歩くとは郁は思ってもいなかった。

「なあ。いつからだ」
 足が棒のようになり、限界を感じていた郁だったが、数十分ぶりの会話にすぐに反応して、メモを漁り出して備えた。
 かれこれ一時間は歩いているのに、なぜ電車を使わなかったのか。そんな早歩きで長距離を移動して疲れないのか。なぜ自分の居場所がわかったのか。
 聞きたいことは山ほど彼にはあったが、その全てを彼は無言のうちに飲みこんでいた。

「日が落ちたのに話せてねぇじゃんか」
 細い指が夜空に向かってスッと伸びた。しかし成清にはその動作の意図が伝わらなかった。郁は取り出したメモ帳に書き記す。街灯のほのかな明かりに照らされた文字を成清はすぐさま読み上げた。

「『月がないから』。月がない、新月……って、そうか」
 「それじゃ、はるいさんと逆……」とぶつぶつ言う声を聞き取ろうと郁が足を速めるが、再び歩き出してしまった成清との距離は縮まらなかった。

「ま、こんな日は雑魚いのばっかだからなあ」
〝先日の「ヨル」のこと?〟
 跳躍の要領でようやく彼の隣に追いついて、郁はメモを見せることができた。

「『ヨル』って、あぁ、そう呼ばれてんのな、って小僧、どんな芸当だよ」
 歩きながらメモを取ることが当たり前の郁にとってはなんのことである。なにが芸なのかわからないといった様子に、成清の口からまた「しゃーねぇーな」と深いため息がこぼれた。

「まぁ、ちと調べればわかることだからいいか」
 街灯が一つまた一つ姿を消していく。加えて今夜は月明かりが乏しい。進むほどに二人は夜道の暗闇に呑まれていった。

「あれは月の光を食らう影――『月喰つきくい』だ」
 あたかも月食のごとく、月を覆い隠してしまう魔物。その怪物は伝承にある『ヨル』と似ているとされ、日が沈んでから出歩く人々を震え上がらせていた。郁はそんな伝承や都市伝説をどこかで聞いたことを思い出していた。

「この間のは満月喰い。月喰いのボスだ」
 成清の話を聞きながら、郁はなんでその話を知ったのかうーんうーんと頭の中でうなっていた。彼が『月喰い』と聞いて今、思い返せるのは先日の満月の夜に、成清が戦っていた姿だった。

〝倒してた。すごい。〟
「残念だが弱体化させただけだ。ロンリーウルフは俺じゃ倒せない」
〝ロンリーウルフ?〟
「ペラペラ喋りすぎた。もうすぐ着くぞ」

 なだらかな丘の上は青白い光に包まれていた。草野を細い月輪の明かりがぼんやり照らしている。
 囲いの中央にヌッと構える建物は大木を思わせる、出で立ちであった。霧が晴れたあとのような冴えた外気が、立ち止まって汗が冷えた体を震え上がらせた。

 心もとなくぷらんぷらん揺れていた門を豪快に開け放ち、庭をズカズカ踏み荒らしながら、成清はどんどん先へ行ってしまう。置いていかれてばかりの郁も小走りで、彼が開けた戸のすき間に滑りこんだ。はずだったが、覆いが垂れており、布に顔をぶつけて、「ヒッ」とのどが鳴った。

「相変わらずカビ臭ぇ。貧弱なくせによくこんな空気環境で生きてられるよなあ」
 カビ臭いと言う成清に倣って、郁もスンスンと鼻を動かす。途端に物寂しさが郁の心に忍びこんで、心臓を揉まれたような苦しい悲しみに彼は包まれた。

「はるいさーん……って、そりゃ出かけてるわけねぇーよなあ。家ん中、ニオイがあんましねぇーけど。新月だからって、はしゃいで階段から落ちてんじゃねぇか」
 夜の冷えた霧で湿ったニオイが鼻腔から郁の肺に侵入していく。鼻の奥からツンと涙を誘ってくる、ものさびしい味に、彼は胸が詰まる思いで痛む箇所を抑えた。
 深い悲しみから逃げて、彼は建物の外へ出た。

 夜空にはすすけた月の輪郭が浮かんでいる。わずかな月光さえもいたずらに、灰色の寒空に漂う雲と同化して流れていってしまいそうに、彼の目には映った。
 その様はまるで命が潰えそうな風前の灯火のようで、彼は自分も消えてしまうと錯覚に陥っていた。

(声が聞こえる)

 かすかなおんさとい耳は拾う。おいでと招くように、拾った音は流れ出した。引き寄せられる足がサリサリ、草を揺らしていく。

「ヒヨリミさんには効果はないと思うのですが、それはちょっかいですか?」
 風が囁くような穏やかな声色。その音色は人の声だった。鼓膜を揺らして呼びかけていた音が、今度こそはっきり郁の耳に届いた。

「階段から落ちましたかって? あの、ツキミさんは私のこと、なんだと思ってます?」
 闇が這う野一面に、淡く発光する草花が咲き誇っていた。陽の沈んだ花畑に、月輪のごとく光る白銀と月光の青さを宿した小さな円が浮いている。

 雲が晴れて薄明かりが人物の姿を暴いた。舞い降りた天人てんにん。天使の降臨。聖母の笑み。あまりの神々しさに魅入っていた郁は、月のない夜に口が利けないことも忘れて、口を開いた。しかし、言葉を発することはできなかった。

「……」
(あなたは……)

 サクリサクリ、踏みしめる先々で、白い花は畏れ多いといった様子で姿を隠していき、道を空けた。沿道には祝福の花が代わりに咲き誇り、花道を歩いてくる麗しい天上人を讃えている。

 淡い光をまとったその人物はハタリと歩みを止める。ゆるりと首を傾げたが、無言のままの郁を見て、柔く微笑んだ。彼に向かって手招き、平たい石の腰掛けを勧めた。

「私の目をじっと見つめていてくださいね」

 郁の胸に当てられた手が鎖骨を辿る。喉元を探って、あごを撫でクイと持ち上げ、唇を近づけていく。白い手が移動するにつれて、郁の肩が荒く上下する。草花がざわめき始めた。

「な、びっくりさせんなよ、うさ公」
 成清の驚く声が建物の中で上がった。すると音もなく近づいてきたなにかが、勢いよくその背中に突進した。

「は、んむっ」
 態勢を崩した相手の唇が郁のそれに重なり、そのままうしろに倒れていく。覆い被さった人物が慌てて立ち上がろうとして、眼下の郁と視線がぶつかった。

「きれい……」
 艶めくシルバーとプラチナブルーの瞳に、熱の冷めない郁はうっとり見入る。見つめられる相手は目を丸くして、じっと見つめ返していた。
 辺りは急にほの暗さに返った。鬼が出たぞとおののいて、舞っていた花々は姿を隠してしまった。
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