白き檻の落園

兎守 優

文字の大きさ
1 / 3

癒えぬ傷痕

しおりを挟む

 この台をお借りします。視界の端に映ったのは、金属片の光。振り下ろされる切っ先。あの男は、寸刻前と違わぬ涼しげな声で断りを入れ、俺でなければ止められなかったであろう、凶行を流れるように行おうとした。
「なんのつもりだ。部屋が汚れる」
 台の上に己の左手を押しつけ、あろうことかこの男、指でも切り落とそうとしていたのだろうか。
「ここ、指輪の痕が消えなくて」
 肉付きの頼りない、左手の薬指がピンと伸ばされる。
「俺は吸血鬼だ。貴様が不意に出血しようものなら、本能のままに食い殺すぞ」
 脅しを含めた静かな怒声を浴びせても、彼は来たときと変わらぬ、魂の抜けきった冷涼な表情を崩さない。
「あなたは素直でいいですね」
 男が気怠げに、こちらに視線を寄越してきた。阿呆が。吸血鬼の目を見るなど、襲われても仕方のない愚行だ。
「死にたいのか?」
「いいえ。要らないものを捨てたいん、です……」
 術にかかり、力の抜けた体を抱きとめる。
「貴様の要らぬもの、全て俺に寄越せ」
 台の上で男を仰向けにする。彼の上に乗り上げ、左手をさらう。捨てようとした薬指を唇で食む。噛みやすい場所を探り当て、己の牙を突き刺した。
 台の上の獲物が、ビクリと跳ねた。構わず、指から血を啜る。生き血を飲むほどに、男の記憶が流れこんできた。

 男──沢代さわしろグレン。ハーフ。容姿は薄灰色の髪、白銀色の瞳、薄灰褐色の肌を持つ。生まれは本国。親の仕事で幼少期は海外で育つ。
 義務教育は本国で修了済み。海外の大学を卒業後、本国へ戻り、警察学校へ。警察学校を卒業ののち、刑事となり、海外のチームに配属される。
 本国へ転属となり、再び帰国したのは数年前。帰国後、妻子を得る。そして、妻子は数週間前に死亡。沢代さわしろグレンは停職処分中。

 彼の妻子に少々見覚えがあった。定かではないが、数週間前、血液の提供の代わりに、ある親子を殺すよう命じられた。
 その後の処理は興味もなかったが、この男、沢代さわしろは、妻子が死んだことを心中と片付けられ、納得がいかず、勝手に捜査を進め、咎められての停職処分という流れだろう。
 冷えた台の上で目を閉じる、沢代さわしろを見下ろす。こいつの妻子に手をかけ、こいつが求めて止まない犯人がここにいる。俺だ。何も感じなかった。
 沢代さわしろの記憶を辿る限り、依頼者は沢代さわしろが所属する組織、つまり警察だ。彼の妻子の罪状は知らん。だが、人間が合法的に人を殺せるのは死刑のみのはずだ。
 俺が吸血鬼で、ヒトではないから、依頼すれば自分たちの手は汚れないと?
 人間とはこういう愚かしく不合理な生き物で、なぜ他人をおとしめ、脅し、上に立とうとするのか理解できない。俺は殺しで食欲を満たせるが、果たして人間は殺人で腹が膨れるのだろうか。

 記憶操作を施して帰したが、あろうことか数週間後にまた沢代さわしろはやって来た。
「せっかくなのでここでお昼を食べようと思って」
 完全なピクニック感覚で、俺の洞穴にやって来たこの男。サンドイッチや握り飯を寄越すが、俺が人間の食事を食べられるわけがない。
 俺の腹が求めているのは血液。二週間ごとに送られてくるはずのものが、さらに一週間過ぎた。渇きと飢えで、俺を玩ぶ人間どもを切り裂きたい激情が渦巻いていた。
「僕の血、吸っていいよ」
 生身の人間からの血の供給という提案。理解はできた。ペロリと沢代さわしろは自分の指を舐めて、広げた包みを折りたたみ、台の上に横になる。
 行動の意味が分からない。記憶も操作した。今は術もかけていない。吸血鬼について覚えていない上に、魅了にもかかっていないはずだ。通常の状態である人間が、自ら血を差し出すなど、聞いたことがない。
「何を企んでいる」
 足を組み、誘うように体をくねらせ、彼は答える。
「お前の血を吸わせてやれって言われたから」
 ほおを膨らませ、投げやり気味に放たれた言葉。俺はその答えだけで全てを理解した。俺を利用したい奴らの思惑は、次の花嫁をコイツにしろということだ。
 吸血鬼の本能は、血と花嫁を求めて止まない。見定めた対象と三十日間、性行為を行い、性器や体液を挿入し続け、花嫁とする。さらに吸血鬼が有する、漆黒の荊で花嫁と冥約を結び、永久に我が物とすることができる。
 しかし人間は、花嫁を奪う。吸血鬼に見初められた花嫁が、何らかの理由で性行為を中断せざるを得なくなった場合、日の下にさらされていくほどに、全身が石灰化していき、そして、終いには花化し、硬度のある白い花を咲かせ、絶命する。
 花嫁が咲かせた白い花こそ、吸血鬼にとっての弱点である、人間はそう味を占めた。
 幾度も花嫁を奪われてきた。摂取する血液の量が十分でないため、俺は花嫁を奪い返すことができない。
 また奪われるのに。俺の本能は花嫁を求めて止まない。
 「どこからがいい?」と探っている沢代さわしろの手を退かし、覆いかぶさる。
「今、吸血、したら。抑制が……利かなくなるッ!」
「でも、お腹、空いてるんでしょ?」
 目が眩む。柔肌から匂いたつ、その皮膚の下を流れる生き血に。
「いいよ、何でも。したいこと、して」
 伸ばされた手に、頭が引き寄せられるのと同時に、肩口に噛みつく。ろくに術もかけなかった。夢中で貪り啜った。
 食欲が満たされ、気づけば、互いに裸の状態だった。沢代さわしろの目は閉じられ、涙で目元が濡れている。肩口の噛み痕が痣のように浮いている。力を失った性器の周りに、白い液体が飛び散り、俺の腹にまで跳ねくり返っていた。
 俺の性器はぬらぬらと濡れており、沢代さわしろの肛門の入り口が大きく開いており、いやらしくヒクついて、腸液をこぼしていた。
 本能が満たされる興奮を覚えつつも、冷ややかな感情が下りてくる。
 俺は彼を花嫁にしてしまったのだ。
 朝が近づくニオイがしていた。気が急ぐ。沢代さわしろの身支度をろくに整えてやらぬまま、イスに移動させる。小さく声が上がったが、気にしてなどいられなかった。
 すぐに台のフタをズラし、中に横たわり、再度フタをした。日が落ちるまでこの台──棺の中で眠らなければならなかった。
 どのぐらい時が過ぎたか、棺の向こうからくぐもった声がする。不規則なぼやけた声と、リズミカルに軋む音だ。
 段々と脳内で鮮明さが増していき、その不穏な物音の正体に行きつく。
 吸血鬼の精気は人間には強すぎるのだ。今、沢代さわしろは注がれすぎた精を放つため、自慰にふけっているにちがいなかった。収まるまで何度も。
 閉めきった棺の中にいても、俺の鋭敏な鼻は、精のニオイを嗅ぎとる。生臭さと花の蜜のような甘さを含む濃い精のニオイが、体を疼かせる。
 花嫁にされたばかりの体から放たれる、相手を誘う、たまらない、みずみずしい香り。性行為を重ねるごとに、鼻に粘ばりつくように濃く、増していく、花嫁の色香は吸血鬼にとって極上の蜜だ。
 花嫁の蜜を啜り、花嫁に精気を注ぐ。感覚が狂って枯れている吸血鬼が感じる至福のひととき。
 全身が甘く痺れ、寝つけない。今、棺の外へは出られない。蜜の香りに、陽の匂いが混じる。陽が恍惚のときを踏みにじって邪魔をする。
 欲に火のついた花嫁が、俺の手で舌で、よがっている。小刻みに体を震わせ、甘くきながら、腰を浮かせてのけ反る。
 想像の中でかき抱くぐらい欲望が膨れ上がる。陽の匂いさえしなければ、外に飛び出し、乱れる花嫁を襲っていたかもしれない。
 生殺しの状態で、焦げる臭い、花嫁の乱れる声と音、発するニオイに支配されていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

神父様に捧げるセレナーデ

石月煤子
BL
「ところで、そろそろ厳重に閉じられたその足を開いてくれるか」 「足を開くのですか?」 「股開かないと始められないだろうが」 「そ、そうですね、その通りです」 「魔物狩りの報酬はお前自身、そうだろう?」 「…………」 ■俺様最強旅人×健気美人♂神父■

成長を見守っていた王子様が結婚するので大人になったなとしみじみしていたら結婚相手が自分だった

みたこ
BL
年の離れた友人として接していた王子様となぜか結婚することになったおじさんの話です。

悪役のはずだった二人の十年間

海野璃音
BL
 第三王子の誕生会に呼ばれた主人公。そこで自分が悪役モブであることに気づく。そして、目の前に居る第三王子がラスボス系な悪役である事も。  破滅はいやだと謙虚に生きる主人公とそんな主人公に執着する第三王子の十年間。  ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

処理中です...