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暗闇の騎士
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「そろそろここを離れようと思うんだけど、凛歩ける?」
凛の涙が落ち着きを見せ、徐々に呼吸が整い出しました。そのタイミングを図り、蓮は囁くようにそっと聞きます。ぐずぐずと鼻をすする凛も、心に根を張ろうとしていた“囚人”の幻覚が、ゆるゆると消えていくのを感じました。離れた方がいいと頷きます。
蓮は唇を緩く結んで、汗で張り付く凛の前髪を梳きました。本当だったらもう少し休ませてやりたいのです。
しかし、あまり長居もしていられません。凛の乱れた服を直し、手ぐしで髪を整えてやって、あまり力の入らない凛の手を取りました。
「さっきは練習だったけど、万が一…その時は、必ずNOと答えるんだよ」
「うん…」
念を押す蓮の目は、優しいとか穏やかとか、そんなふうではありませんでした。初めて見たかもしれません。不安と心配、それから…ほんの少しの哀れみの色を混ぜ、強く光を放っています。ただならぬ色の目に、凛は背筋が寒くなりました。
拷問と言えど、蓮は間違いなく手加減をしてくれていたのです。それがもし、あのアリスを鞭で打っていた衛兵だとしたら?快も不快もなく、ただひたすら蜜を搾取していたガスマスクの人達だったとしたら?
きっと蓮のように、凛の様子を見ながら、決して無理のないように…なんてことは絶対にしてくれないでしょう。
「…凛、間違えてもYESなんて答えたらいけないよ」
蓮の心の奥に、不安の色が滲みます。凛は根が素直で、人を疑うことをしません。裏を返せば、さっきのようなマインドコントロールにすぐ飲まれてしまう可能性が高いのです。それをたった今、目の前にしたのです。
「いいね?絶対にYES以外を答えてはいけない。これは提案ではなく、命令だよ」
念には念を。蓮は凛の目を寸分狂いなく見据え、しっかりと発音して言い聞かせました。マインドコントロールを逆手に取ったのです。
「…うん、わかった」
蓮のことを絶対的に信頼している凛です。必ず蓮の言うことを聞かなければならないと、体で覚えてきました。凛も蓮の目をじっと見詰め、しっかり頷いて見せました。
「いいね、約束してね」
「うん」
「僕は凛を愛してるよ」
「うん、あたしも蓮が大好きだよ」
誓いみないなキスを、ハレーションが輝くスポットライトが音もなく照らします。外が少し騒がしくなってきました。
蓮は凛の手を取って、狭い通用口へ向かって歩きだしました。
「…可哀想なところを見せるけど、決して叫んだりしないようにね」
「可哀想…?」
通用口は、ギリギリふたりが通れそうです。壁に背をつけて、蓮が先に歩きだしました。凛のことばに、蓮は喉の奥が締められたような気がしました。
──おとぎ話に出てくる女王さまは、みんな意地悪だったわ
いつか言った凛のことばが、閃光のように蓮の頭を過ぎります。
「凛はお花畑が似合うね」
「…?」
目を伏せた蓮は、少し考え込むような素振りを見せました。蓮の足に倣って動きを止めた凛は、蓮の顔を覗きこみます。しかし光が寸断された狭い通用口では、蓮の顔を正確に窺い知ることはできませんでした。
「れん?」
子猫が親猫を探すような甘ったれた声で蓮を呼びます。蓮はふっと力のない笑みを浮かべました。
「きみの生まれたところはきっと、穏やかで平和で、そう…例えば、妖精やドワーフがいたりして?」
「うふふっ。ドワーフ?」
凛の声が弾み、蓮はそのまま凛の指をきゅっと握りました。
「凛にはそんな世界が似合うよ」
握った指を恭しく持ち上げます。凛ははっと息を飲みました。まるで絵本で見た騎士のようです。女王に忠誠を誓う騎士は、どの絵本でもどのおとぎ話でも、こんなふうに手の甲に唇を押し付けるのです。
暗闇の通用口で交わされた忠誠を、凛は揺れる瞳で、他人事のように見つめていました。
凛の涙が落ち着きを見せ、徐々に呼吸が整い出しました。そのタイミングを図り、蓮は囁くようにそっと聞きます。ぐずぐずと鼻をすする凛も、心に根を張ろうとしていた“囚人”の幻覚が、ゆるゆると消えていくのを感じました。離れた方がいいと頷きます。
蓮は唇を緩く結んで、汗で張り付く凛の前髪を梳きました。本当だったらもう少し休ませてやりたいのです。
しかし、あまり長居もしていられません。凛の乱れた服を直し、手ぐしで髪を整えてやって、あまり力の入らない凛の手を取りました。
「さっきは練習だったけど、万が一…その時は、必ずNOと答えるんだよ」
「うん…」
念を押す蓮の目は、優しいとか穏やかとか、そんなふうではありませんでした。初めて見たかもしれません。不安と心配、それから…ほんの少しの哀れみの色を混ぜ、強く光を放っています。ただならぬ色の目に、凛は背筋が寒くなりました。
拷問と言えど、蓮は間違いなく手加減をしてくれていたのです。それがもし、あのアリスを鞭で打っていた衛兵だとしたら?快も不快もなく、ただひたすら蜜を搾取していたガスマスクの人達だったとしたら?
きっと蓮のように、凛の様子を見ながら、決して無理のないように…なんてことは絶対にしてくれないでしょう。
「…凛、間違えてもYESなんて答えたらいけないよ」
蓮の心の奥に、不安の色が滲みます。凛は根が素直で、人を疑うことをしません。裏を返せば、さっきのようなマインドコントロールにすぐ飲まれてしまう可能性が高いのです。それをたった今、目の前にしたのです。
「いいね?絶対にYES以外を答えてはいけない。これは提案ではなく、命令だよ」
念には念を。蓮は凛の目を寸分狂いなく見据え、しっかりと発音して言い聞かせました。マインドコントロールを逆手に取ったのです。
「…うん、わかった」
蓮のことを絶対的に信頼している凛です。必ず蓮の言うことを聞かなければならないと、体で覚えてきました。凛も蓮の目をじっと見詰め、しっかり頷いて見せました。
「いいね、約束してね」
「うん」
「僕は凛を愛してるよ」
「うん、あたしも蓮が大好きだよ」
誓いみないなキスを、ハレーションが輝くスポットライトが音もなく照らします。外が少し騒がしくなってきました。
蓮は凛の手を取って、狭い通用口へ向かって歩きだしました。
「…可哀想なところを見せるけど、決して叫んだりしないようにね」
「可哀想…?」
通用口は、ギリギリふたりが通れそうです。壁に背をつけて、蓮が先に歩きだしました。凛のことばに、蓮は喉の奥が締められたような気がしました。
──おとぎ話に出てくる女王さまは、みんな意地悪だったわ
いつか言った凛のことばが、閃光のように蓮の頭を過ぎります。
「凛はお花畑が似合うね」
「…?」
目を伏せた蓮は、少し考え込むような素振りを見せました。蓮の足に倣って動きを止めた凛は、蓮の顔を覗きこみます。しかし光が寸断された狭い通用口では、蓮の顔を正確に窺い知ることはできませんでした。
「れん?」
子猫が親猫を探すような甘ったれた声で蓮を呼びます。蓮はふっと力のない笑みを浮かべました。
「きみの生まれたところはきっと、穏やかで平和で、そう…例えば、妖精やドワーフがいたりして?」
「うふふっ。ドワーフ?」
凛の声が弾み、蓮はそのまま凛の指をきゅっと握りました。
「凛にはそんな世界が似合うよ」
握った指を恭しく持ち上げます。凛ははっと息を飲みました。まるで絵本で見た騎士のようです。女王に忠誠を誓う騎士は、どの絵本でもどのおとぎ話でも、こんなふうに手の甲に唇を押し付けるのです。
暗闇の通用口で交わされた忠誠を、凛は揺れる瞳で、他人事のように見つめていました。
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