魔拳のデイドリーマー

osho

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13巻

13-3

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「ふふっ……聞いていた通り、優秀なのですね。大丈夫ですよ、心配しなくても。エル、ビク」

 その瞬間、空間が揺らぎ……そこに隠れていた何かが姿を見せた。
 それぞれが二十センチメートルかそこらの身長で……背中には薄い羽。
 一人は赤い髪、もう一人は緑色の髪で、二人ともツインテールにしている。
 服装は……軍服でも看守の制服でもない、騎士団の制服だ。
 そんな二人の妖精? は、ふわりと宙を舞ってリンスレット王女の横に並ぶと、リンスレット王女と僕達に一回ずつお辞儀をした。

「驚かせてしまったみたいでごめんなさいね……彼女達は私直属の護衛でして、外部の方を招き入れる時は、彼女達に隠れて警護をしてもらっているのです」

 二人は「自己紹介して」とリンスレット王女に促されて、こちらに向き直る。

「お初にお目にかかります……ミナト・キャドリーユ殿。王女殿下の護衛を務めさせていただいております、エルタージャ・ドミニクと申します」
「同じく、ビクーニャ・ドミニクと申します。よろしくお願いします」

 二人は認識阻害系の魔法で姿を隠し、何か起きたらすぐに飛び出せるようにしていたってわけだ。もっとも、僕はこの部屋に入った当初から、大まかな場所と視線には気付いていたけど。
 まあ、不審な視線ではあったものの、敵意や殺意の類は込められていなかったし、いくら厳重なセキュリティがあるからとはいえ、部屋の中に護衛が一人もいないのもおかしいから、ひょっとしたらリンスレット王女の護衛かなとは思っていた。
 それはそうと……この二人。身体的特徴といい、苗字といい、もしかして……。

「あー……すみません。二人とも自分の姉っす」

 と、頭をかきながら……僕の背後にいたミーシャさんが口を開く。

「こらミーシャ! 王女殿下の御前よ、いつも言っているけど、言葉はきちんとしなさい!」
「あなたもよ……ビクーニャ。申し訳ございません、殿下……騒々しくなってしまい」

 釣り目で気の強そうな赤い髪のビクーニャさんが、ミーシャさんを注意し……そのビクーニャさんを大人しそうなエルタージャさんが注意しつつ、ぺこりとリンスレット王女に謝罪する。

「気にしていないわ。仲良しなのは、いいことだもの。引き続きお願いね、二人とも。それと……何か手伝えることがあったら、ミナト殿を手伝って差し上げてちょうだい」

 エルタージャさんとビクーニャさんは、声をそろえて「はっ!」と返事をしてから、邪魔にならないように二人とも少し離れた。息がピッタリだ。
 さて、じゃあ今度こそってことで、僕はリンスレット王女のベッドの近くまで行き……バインダーを開いて、診察を始める。
 ああ、いらん警戒させちゃうから、アルバは義姉さん達と一緒に待っていて。
 僕の一挙手一投足を護衛の二人が注意深く見ているのを感じるけど、気にしていたらキリがないのでスルーして……ええと、じゃあまずは問診から……。


 時間にして三十分弱くらい……ようやく診察が終了した。
 僕の質問一つ一つに、リンスレット王女は出来る限り詳しく、丁寧に答えてくれたので……割と多くの有用な情報が手に入った。
 簡単に整理すると……『白夜病』が発病したのは、今から二年と八ヶ月ほど前。
 疲れ目のような目のかすみや手足の痺れから始まり、その後徐々に視力が低下していったそうだ。
 以降、味覚などの他の感覚についても、程度に差はあるものの、同様に失われていったとのことだった。
 そして……完全に喪失したのが味覚らしく、発病からわずか四ヶ月で食べることの楽しみを奪われ、その八ヶ月後に視力が奪われ、真っ白な世界に閉じ込められたようだ。
 残るは聴覚、触覚、嗅覚の三つ。そのうち、聴覚と触覚は比較的無事みたいだけど、嗅覚はかなり低下してきているらしい。
 問診の後、研究用のサンプルとして、リンスレット王女の髪の毛と唾液、涙、それに血液を少しずつ採取した。血液に関しては、体を傷つけることになるわけだから、護衛の二人が難色を示したけど、治療のためだからとリンスレット王女が説得してくれた。
 結局、採血の最初から最後までのやり方をエルタージャさんに教えて、やってもらうってことで妥協してもらい、無事完了。これでサンプルは揃った。
 なお、リンスレット王女の傷は、即座にエルタージャさんが治癒魔法で治していました。
 このくらいで今日の診察は終わりでいいかな……と、部屋を後にすることを伝えようとした時、何やら少し躊躇ちゅうちょしながら……王女様がおずおずと話しかけてきた。

「ミナト殿……お帰りいただく前にもう一つ、お伝えしなければならないことがあります」
「? なんでしょうか?」
「……私の身をむしばむ病について、です」

 何やら、リンスレット王女はさっきまで以上に神妙な様子を見せる。
 その様子に何かを悟ったらしい護衛の二人が、リンスレット王女に話しかけた。

「で、殿下? その……お、お話しになるのですか?」
「さすがにそこまで打ち明けるのは……それに、ミナト殿は部外者の上に、男性ですよ?」
「構いません、ビク、エル。……どの道、分かってしまうことですし、放置しておけるようなことでもありません。それに……お姉様もおっしゃっていましたし……実際にこうして話してみて、私には感じられるのです。ミナト殿は信じるに足るお方だ、と」

 ……なんか、大層な感じで信頼されているけど……一体、これから何を打ち明けられるんだ?
 難色を示していた二人の護衛も、リンスレット王女の決意? に最終的には納得したようで、なぜかリンスレット王女に手を貸して、立たせる。

「ミナト殿……お伝えするのが遅れてしまい、申し訳ございません。実は……私の身を蝕んでいる病は、この『白夜病』だけではないのです」

 その告白に僕のみならず、後ろで控えている義姉さんとナナも驚いていた。病気が『白夜病』だけじゃないって? 聞いてないぞ?
 リンスレット王女は今日一番つらそうな表情を浮かべながら……二人に手伝ってもらい、服を脱ぎ始めた。いきなりのことだったので、僕が止めるより早く脱ぎ終わってしまい……一糸纏わぬ王女の裸体があらわになる。
 僕ら三人は……その体を見て、絶句した。
 寝間着の上からでも見て取れた通りの、色白の肌と女性らしい豊満な体つき……芸術的とすら言える美しさが、そこにあった。
 これだけなら、王女様の裸に思春期真っ盛りのエロガキが見とれていました、で終わるんだが……問題は、その色白の裸体の至るところに……毒々しい赤色の発疹ほっしんらしきものが噴き出ている……コレってまさか……?

邪血じゃけつ……疱瘡ほうそう……!?」

 ショックを受けたような声でナナがそう呟いたのが、リンスレット王女に聞こえたらしい。
 裸のまま、直立している王女は……今日初めて、笑みを引っ込め……つらそうに口を真一文字に結んでいた。
『邪血疱瘡』……毒々しい赤色の発疹が体に浮き出て、その部分が熱を持って皮膚が硬くなり、動きづらくなるとともに……発作が起こると焼けるような痛みが襲う病気だ。
 放置しておけば、どんどん皮膚を侵食していくのみならず、その部分の皮膚組織が壊死えししてしまい、切除・切断することになったり、死に至ったりすることもある。
 ただし、それは放置すればの話であり、不治の病ではないし、治療法も見つかっている。
 なので、今すぐに死を覚悟しなければならない、という病ではない。
 今回、リンスレット王女は『白夜病』と『邪血疱瘡』を併発しているわけだけど……本当の問題は病気の『症状』ではないのだ。
 それは……『邪血疱瘡』の感染経路はほぼ百パーセント、親から子への遺伝であり、リンスレット王女の両親はいずれも……この病にかかったことがないということ。
 言い換えれば、『邪血疱瘡』でない親の子が突然発病するというケースはないそうで、『邪血疱瘡』になった場合、ほぼ間違いなくその両親のいずれかが、この病にかかっている。
 つまり、もしも子供が『邪血疱瘡』にもかかわらず、両親のいずれもが発症したことがない場合……その子供は両親の血を引いていないのではないか……という恐ろしい推測が成り立つ。
 それが今……あろうことか、ネスティア王家で起こっているということだ。
 ネスティア国王アーバレオン・ネストラクタスと、今は亡き王妃アンジェリーナ・ネストラクタスのどちらもが、この病にかかってはいなかったそうだ。
 それどころか家系図をさかのぼってみても、王族が『邪血疱瘡』にかかったことはないという……。
 まあ、この病の全てが明らかになっているわけではないから、なんらかの理由で親からの遺伝以外で子供が発病するケースだってあるかもしれない。
 とはいえ、血縁を疑われる懸念があるからこそ……病気のつらさや、患部を見せる際に裸になる恥ずかしさ以上に……リンスレット王女はこの病気について話すことがつらかったのだろう。
 真実がどうなのかはまだ分からないけど……とにかく急遽きゅうきょ、予定を変更。『邪血疱瘡』の薬も作りつつ……発症原因なども研究することになった。
 ひょっとして……第一王女様が、リンスレット王女についてろくに情報公開をしてくれなかった理由って……これか?
 第一王女様との契約には『邪血疱瘡』云々は含まれていない。
 それに、リンスレット王女からも「この病気の治療はこちらで独自に行えますし、あくまで、『白夜病』と『蝕血病』の薬だけに集中してくれていい」と言われた。
 ただし、リンスレット王女が『邪血疱瘡』にもかかっていることを考慮して、薬の副作用や悪い影響が起こらないようにとも念押しされたけど。
 そんな申し出に対して……僕は「出来れば作る」と応じ、その旨をアリスさんとミーシャさんに伝えると……「それでは、こちらで同様にバックアップします」と返ってきた。
 なんだか不思議に思っていたんだけど……第一王女様から事前に「ミナトが対応すると言った時は、他の病の薬の研究と同様のバックアップをしろ。そして、その薬も合わせて三種類全て完成させた時には、さらに報酬を上乗せするつもりだとも伝えるように」と指示があったらしい。
 ……これらのことから察するに、第一王女様、僕が『邪血疱瘡』のことを知れば、ついでとばかりにその治癒も申し出ると読んでいたんだろう。
 さらにその時は、僕の言葉に甘えるように、と伝えていたわけか……。
 相変わらず、ちゃっかりしている。
 まあ、僕はそのあたりは気にしていないし、この一件で第一王女様を悪く思ったりすることもない……呆れて、ため息をつくくらいはするけど。
 それに、話すわけにはいかなかった理由も分かる。そもそも最初に聞いていたとしても、僕は依頼を受けていただろう。
 片方だけ治して、もう片方は放置するってのも後味が悪いしね。
 もちろん、本来の依頼を優先させてもらうし、『邪血疱瘡』に時間がかかるとかそういうことになったら、考え直すかもしれないけれど……。
 自前で薬を用意する準備を進めているみたいだから、いざとなったら放棄しても大丈夫だろう。あまりそうしたくはないけど……さ。
 さて、明日からの仕事を精力的、かつ全力で進めるためにも……。


「ってな感じでさー、また厄介やっかいな任務を引き受けちゃったなーと思って。今、めっちゃ不安な感じなんだよねー……はぁ」
『あんた……マジで毎日寝る前にかけてくるわけ?』

 タブレットのテレビ電話の向こうのエルクのジト目にいやされつつ、本日は終了。



 第四話 今日から看守


 僕がこの大監獄『ラグナドラス』に来た表向きの理由は、『臨時看守の増員のため』だ。
 ただし、本当に看守の仕事をする必要はなく……最低限、看守がこなすような仕事をすればいいという話になっている。
 僕の目的やリンスレット第二王女の存在は……囚人のみならず、監獄の職員にすらトップシークレット。
 看守のフリだけしてれば、なんだかんだでなんとかなるそうだ……いや、すごいなげやりな言い方なのはわかってんだけど、実際にミーシャ副所長に言われたままなんだよ。
 今回の僕と同じく、他の看守とかには秘密で、そういう役割を担っている人も『ラグナドラス』にいるらしいし。
 ただ、適当だろうと形だけだろうと、やる以上は看守の仕事や監獄の仕組み、一日の流れ、囚人への接し方、扱い方ってものを学ぶ必要がある。
 そこで今日一日は、監獄での一日の流れってのを見学しつつ頭に入れるため、朝からアリスさん達と一緒に回っていたんだけど……。


 現在時刻、十二時三十分。昼すぎ。
『居住区画』の一角、職員用の食堂に向かっているんだけど……すでに僕は疲れ切っていた。
 午前中は丸々、見学とかに費やした。半日で主要なところをほぼ全部押さえて見せてくれたアリスさんの企画力には頭が下がる。
 おかげで午後からは早速、研究にかかれるし。
 まあ……どうして疲れ切っているかといえば、そもそもの問題として、内容がきつかったっていうね?
 朝、囚人達を起床ラッパで叩き起こしてから、部屋の掃除、点呼、食事……と、分刻みのスケジュールで徹底的に管理していく。
 で、その後……ここで再認識したんだけども、『ラグナドラス』はあくまで『監獄』であり、日本にあるような『刑務所』とは違う、ということだ。
 すなわち、囚人に労役を一律に義務づけるのではなく、ただ自由を奪って閉じ込めておくだけって感じなのである。
 ただ、例外もあり……中には、様々な形で『労役』に従事させられている囚人もいるらしい。

「はー……なんか疲れるね、看守って。フリだとしても」
「疲れるってあんた、指示出して監視するだけだったでしょ。どこに疲れる要素があったのよ」

 義姉さんが呆れたように言うけど……ナナは僕の疲労の理由をなんとなくだが、察してくれたらしい。

「いえ、無理もないと思いますよ。ミナトさんが普段やらないっていうか、あんまりやりたくないような作業のオンパレードでしたし」

 それを聞いたアリスさんが、少し不思議そうにナナに問いかける。

「と、言いますと?」
「囚人とはいえ見ず知らずの、しかも女性に対して、高圧的とも言える口調で命令して従わせたり注意したり、自由を奪ったりするわけでしょう? 普段のミナトさんは口調や内容以前に他者に対して命令するってことをしませんから、苦痛に感じるのも仕方がないかと」
「? 『邪香猫』のリーダーはミナト殿だと聞いていますが?」

 アリスさんの疑問には僕から答えることにした。

「それ、名目だけ。実際の僕らってさ、リーダーなんて地位はあってないようなもんじゃない?」

 重要なことは皆で話しあって決めるし、僕が独断で進めたなんてことは、ほぼ、ない。せいぜい、珍しい食材が入った日の献立くらい……いや、それだってシェーンの話を聞いてから僕が決定しているな。
 事務作業や経理なんかは、ほぼナナやエルクに任せちゃっているわけだし。
 場合によっては、事後報告をしてもらうだけだから、僕がリーダーっぽく指示や命令を出す場面なんてほとんどない……なんてことを説明したら、ナナが口を挟んできた。

「それは言いすぎですよ、ミナトさん。私達、ちゃんと何かを処理したり決定したりする時は、ミナトさんに許可をとっていますし。作戦や人事だって、最終的な決定権を持っているのはミナトさんじゃないですか」
「いや、だから……その決定も結局は皆で話しあった結論で……っていうか、人事ってなんのこと?」
「ターニャちゃん達の雇用ですよ。ミナトさんの鶴の一声だったでしょ?」

 ああ、あれね。確かにそうだったかも。

「でもホラ、別に反対意見は出なかったじゃん。前から話題には上がっていたことだったし」
「やれやれ……この子はあいも変わらず、自覚に乏しいこと」

 義姉さんがため息混じりにそう呟く。

「……何やら、大変そうですね」

 アリスさんは僕らのやり取りに笑みを引きつらせていた。

「まあでも、あんたには向いてないっていうか、得意分野じゃないってのはそうかもね。『邪香猫』だって、リーダーが引っ張るんじゃなく、皆一緒に並んで歩いていく感じのチームだし」

 あーそうそう、そんな感じ。
 皆が仲良く気兼ねなく。上司と部下っていうより、家族や友達みたいな感じの付き合い方がいい。
 緊張感とか極力なく付き合いたいってのが、僕の理想とする『邪香猫』だ。
 ……監獄なんていう、誰かが誰かを厳しく律するような場所とは真逆なのである。今さらながら、直接の依頼内容と関係ない部分が前途多難だ……。

「ま、まあ……今日以降、看守としての業務はポーズだけですし、そこまで大変だと感じることもないかと思いますよ? それでミナト殿、今日、案内させていただいたことを踏まえて、これからのことなのですが」

 と、ふと思い出したようにアリスさんが、別の話題を提起する。

「? これからって?」
「今日ここまでの内容でミナトさんが関わる可能性のあるところは、ほぼお見せしました。ですので、午後からは研究にとりかかっていただこうかと思っていたのですが……一応、最後に確認を、と思いまして。ミナトさんには、今日学んだことを踏まえて……不真面目そうでもなんでも結構ですので、人の目があるところで『一応、看守に見えるように』していただくことになります」

 何か色々とぶっちゃけた物言いな気がするが、実際、その通りなので仕方ない。
 つまり、人の目の届かないところ……研究用に与えられてるエリアなんかでは、冒険者ミナトとして研究に打ち込んでくれて問題ない。しかし、人の目のあるところでは、あくまで『看守』に見えるようにふるまってくれと。
 例えば、リンスレット王女の診察で移動している最中とかに、なんらかのトラブルを囚人が起こしているのを見つけたら、それを『看守』の仕事として止めなければならない。
 そんな時、最後まで始末はしないまでも、近くにいる他の看守とか、なんならアリスさんとかに引き継ぐ程度でもいいから、それらしいことをしろってことだな。
 それなら、『研究施設』から出なければいいんじゃないかっていう考えも出たけど、それは不可能だろう。
 百歩譲って食事は運んでもらう――わがままみたくなるのでやりたくないが――としても、事務方への報告とか協議とかトイレとか、リンスレット王女の診察とか色々あるからね。
 だから、あんな風に運悪く、囚人同士のトラブルに遭遇してしまった時には、『看守』としての仕事をするのが……あんな風に?
 見ると……向こうの通路で、何人かの囚人が……揉めてる?
 やれやれ……早速かよ。


「……ミナトさん、今回は私が行きましょうか?」

 アリスさんがそう言ってくれたけど、折角なので一緒に行くことにした。
 何事も経験だし、見ているだけより、実際にその場にいる方が学べることも多いだろう。
 そう伝えると、アリスさんはこくりとうなずいて……僕らを先導する形で、つかつかと歩いていく。
 すると、アリスさんが声をかける直前で……一人の女囚が他の女囚を突き飛ばした。
 そして、その突き飛ばされた方は、バランスを崩して倒れそうになる。
 隣にいた他の女囚がそれを支えようとしたが……それよりも先に、ちょうど近くまで来ていたこともあって、僕の体がとっさに動いてしまった。倒れ込む女囚の体を後ろから抱き支える形になり……視界の端でアリスさんが一瞬『あっ』って顔になった。
 すると、その女囚本人も……抱き支えられたことに驚いたのか、きょとんとした表情になった。
 いや、彼女だけじゃなく……突き飛ばした女囚や支えようとした女囚、その他の女囚まで、きょとんとして僕達を見ていた。え、何?
 そんな中で、アリスさんがいち早く――そもそも硬直は一瞬だったけども――再起動し、その場にいた女囚全員を、お仕事モードのちょっと怖い声で一喝した。

「あなた達、何をしているのですか? 囚人同士の揉め事は禁止されていますよ」

 すると、見た感じ最年長っぽい女囚が面倒事を避けるためか、素直に謝った。

「っ……わ、悪いね、看守長さん。ちょっと口喧嘩から熱くなっちゃってさ、気をつけるよ」

 これ以上とがめるようなものでもないと判断したのか、アリスさんが「気をつけなさい、次からは処罰の対象になりますよ」と注意したところで……後ろから、ナナがこそっと話しかけて来た。

「ミナトさん、そろそろ、その子を放した方が……」
「え、あっ!」

 やべ、そうだった。抱き抱えたまんまだった。
 見ると、その女囚は相変わらずきょとんとした顔のまま……若干、頬に赤みがさしているように見えなくもない。短めの桃色の髪が、不思議とその顔色を際立きわだたせていた。
 ……何か変な空気になっている気がしたので、さっと立たせて手を放す。
 しかし、再び僕に視線が集中する。
 えーと、やっぱり目立っていましたかね、僕?
 これは……囚人相手に優しく対応しすぎたということだろうか?
 結局、その場は解散してさっさと居住エリアへ戻ったけど……やっぱり、アリスさんから注意を受けた。
 アリスさん曰く、看守が舐められるのは厳禁。
 外の世界では普通に優しさ、美徳として受け取られることであっても、監獄ではトラブルの種になることがあるので、注意してほしい……とのことだった。
 結局その日は、そのイレギュラーな出来事を最後にして、看守としてのお仕事は終わった。
 それからは、予定通り研究に時間をついやすことになったんだけど……ナナとアリスさんは、ちょっと用事があるとのことで、セレナ義姉さんと二人で部屋に戻ることにした。
 仕事には関係ないことだから、僕と義姉さんは来なくていいって話だけど……なんだろな?


 ☆☆☆


 ミナトとセレナが自室に戻っていた頃……女子看守長のアリスと、臨時看守のナナは……『懲罰ちょうばつ房』のある一室の前に来ていた。
『懲罰房』……その名の通り、何か、懲罰に値する行いを働いた囚人が入れられ、反省を促される部屋である。しばしば過酷な責め苦が行われることもあり……必要であれば、ミナトの人体実験に使う囚人は、ここから提供されることになっている。
 二人とも表情は真剣そのものであり、周囲にまで緊張感が漂っていた。
 ナナの方は、加えて不安さもにじみ出た表情を浮かべつつ……部屋の鍵を開けようとするアリスに、小声で尋ねた。

「アリス……本当に、ここに?」
「ええ……書類は読んだのでしょう? あれの通りです」

 ガチャリと音を立てて……扉が開く。
 中には……ほとんど何もない、生活感のない空間が広がっていた。
 壁際に簡素なベッドがあり、設置式のトイレが一つと部屋の中央に椅子が一つ。
 そして……一人の女囚が、膝に手を置いて、じっと椅子に座っていた。
 背中の真ん中あたりまである長いこげ茶色の髪に、大きな目が特徴の少女。
 年齢はナナやアリスと同じくらいだろうか。
 部屋が暗く、本人が目を閉じているためにやや分かりづらいが……顔立ちは整っていて、美少女と言えるだろう。
 その顔を目にした瞬間……ナナはこらえきれないように手を口に当て、息を呑む。

「……クロエ……」

 その言葉に、ぴくっと反応した女囚が目を開いた。
 まぶたの奥から、こげ茶色の瞳が現れ……直後、驚愕きょうがくの表情とともに女囚の口が開いた。

「……あ、アリス……ナナ……!」
「……私語はつつしみなさい、六二九番」

 女囚の口から漏れ出た、蚊のなくような声を……アリスはぴしゃりと制した。
 あわてて、女囚は口をつぐみ……しかしこらえきれないように、目の前にいる二人の看守に向けて交互に視線を送っている。
 ……驚愕、不安、悲しみ、悔しさ、喜び、絶望……数多あまたの感情が混在しているのが、不思議と分かる視線だった。
 ナナも……そして、無表情を保っているアリスまでもが、同じような目になっている。
 しばしの沈黙の後、アリスは一歩前に進み、変わらぬ口調で告げる。

「本日正午をもって、懲罰措置を解除する。予定よりも早いが、反抗的な態度がなく、十分な反省が見られたためである……連絡は以上だ。準備にかかりなさい」
「……はい、分かりました」

 俯いたまま返事をする六二九番――クロエと呼ばれた女囚を残して、アリスとナナは部屋を後にする。三人とも……先ほどまでよりも少しだけ、目が赤くなっていた。

「……アリス。クロエは……」
「分かっている。でも……どうにもならないわ、もう決まってしまったことだもの……」

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