少年賢者とアラサーの剣聖お姉さん

いかぽん

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第1話

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「ねぇ、おかあさん。ゆうしゃって、ほんとうにいるのかな?」

「さぁ、どうかしらね。アルトは、勇者様にいてほしい?」

「うん。だってゆうしゃがいなかったら、まおうがでてきたときにたおせないよ。せかいがまおうにしはいされたらたいへんだよ」

「そうね。じゃあきっと、魔王が出てきて世界がピンチになったら、勇者様は現れるんじゃないかしら」

 それは夕刻過ぎの時間。
 とある村の、とある家での母子の会話。

 齢五歳の少年が、勇者の冒険を描いた物語の本を大事そうに抱えながら、食事の支度をする母親に話しかける。
 母親は切った野菜を鍋に入れながら、少年の質問に答える。
 そんななんでもない、ごく普通の家庭の風景。

 だがそんな穏やかな時間は、唐突に打ち破られる。

 ──カン、カン、カン!

 緊急事態を知らせる鐘の音が、村の中央広場の方から聞こえてきた。

「ゴブリンだーっ! ゴブリンが襲ってきたぞーっ! とんでもない数だーっ!」

 続いて、モンスター襲来を知らせる村人の声。
 それを聞いた母親は、すぐさま料理を中断する。

「アルト、ついてきて。本は置いていきなさい」

「う、うん」

 少年は、名残惜しそうに本を食卓の上に置く。
 そんな少年の手を取った母親は、さらに壁掛けのランプをひったくって家を出る。

 家の外に出ると、あたりはもうだいぶ暗くなっていた。
 空にわずかに残った夕焼け色が、今にも濃紺に塗りつぶされようという時刻。

 この村では、モンスターの襲撃を受けたときは、ひとまず中央広場に集まることになっている。

 母親は周囲を見回してから、中央広場へ向かって走ろうとしたのだが──
 その際に、見てしまった。

「うそ……な、なんなの、あのゴブリンの数は……」

 中央広場とは逆の方向、村の入り口方面からなだれ込んでくる小柄な魔物の数は、十や二十ではなかった。
 百をゆうに超えるのではないかという途方もない数。

 これまでにも村がゴブリンに襲われたことはあるが、少年の母親が知る限り、あんなおそろしい数が一度に襲ってきたことはなかった。

 だが彼女は、慌てて気を取り直す。
 魔物の数が多かろうが少なかろうが、逃げなければならないことに変わりはない。

「アルト、広場まで一緒に走れるわね?」

「う、うん、おかあさん」

 少年と母親は、広場に向かって一目散に駆け出した。

 だが母親はともかく、五歳児である少年の足は、さほど速くはない。
 母親は焦るが、抱えて走っても似たようなものであり、どうしようもない。

 そこに背後から、何本もの矢が風を切る音とともに飛んでくる。
 狙いを外した矢は、ぐさり、ぐさりと地面に突き刺さっていく。

 ゴブリンという魔物の中には、稀に弓矢を使う種類がいる。
 それが逃げる母子を狙い、矢を放っていた。

 そして──グサッ!
 飛んできた矢のうちの一本が、ついに母親の片足を貫いた。

 母親は、もんどりうって地面を転がる。

「あ、ぐぅぅっ……!」

 もはや逃げられない。
 少年は足を止め、母親のもとに駆け寄る。

「お、おかあさん! ねぇ、だいじょうぶ!?」

「ア、アルト……あなただけでも、逃げなさい……早く……!」

「そんな……! おかあさんもいっしょじゃないと……!」

「わがままを言わないでよ、こんなときに……アルト……お願いだから、逃げてよ……!」

「いやだ! こ、こうなったら──」

 少年──アルトは周囲を見回し、道端に転がっていた木の棒を手に取る。

 そして母親と襲い来る魔物たちとの間に立って、震える両手で木の棒を構えた。

「おかあさんは、ぼくがまもるんだ!」

「アルト、バカなことはやめなさい! 早く逃げて!」

「いやだ! おかあさんといっしょじゃないと、ぜったいいやだ!」

 しかし母親は、どうにか立ち上がろうとしても、矢の刺さった足の痛みでまた転んでしまう。
 到底逃げられるような怪我ではなかった。

 そうこうしているうちに、ゴブリンたちがついに近くまでやってきた。
 その数は、十、二十、三十──それ以上。

 及び腰で木の棒を構えたアルトの前に、一体のゴブリンがニタニタと下卑た笑いを浮かべながら歩み寄る。

 ゴブリンは、人間の子供を醜悪にしたような姿のモンスターだ。

 背格好は人間の子供と似ているが、目はぎょろりとしており、口は耳まで裂け、鼻や耳は奇妙に尖っている。
 今は夜闇のせいで目立たないが、くすんだ緑色の肌も特徴的だ。

 アルトの前に歩み出たゴブリンは、その手に石のナイフを持っていた。

 そのゴブリンは、口からだらだらと汚らしくよだれを垂らしながら、アルトに向かってゆっくりと歩み寄ってくる。

「──うわぁあああああっ!」

 アルトは叫び声をあげ、木の棒を振り上げて、ゴブリンに攻撃を仕掛ける。

 だがそれは、ゴブリンがひょいと横に動いただけでかわされてしまう。

 しかもその際に、アルトはゴブリンに足を引っかけられ、転ばされてしまった。

 転んで呻く少年。
 そこにゴブリンが歩み寄る。
 
 その小柄な魔物は、にたぁっと笑みを浮かべながら、少年の背中に石のナイフを振り下ろそうとする。

「いやぁああああっ! アルト! アルトぉっ!」

 母親は叫び、身を引きずるようににじり寄って手を伸ばすが、その手が届くことはなく──

 ──しかし。
 ゴブリンが振り上げた石のナイフもまた、振り下ろされることはなかった。

 その前に、剣で胴体を切り裂かれたゴブリンが、どさりと地面に倒れた。

 風のようにその場に現れていたのは、一人の少女。
 少女はゴブリンの血で濡れた剣を、ひゅんと振る。

「キミ、よく頑張ったわね。──あとは私に任せて」

 アルトの前に背を向けて立った少女は、凛とした声でそう言い放つ。

 少年はうつぶせに倒れたまま、顔だけを上げ、唐突に現れた少女の姿を呆然と見つめていた。

 少女の年の頃は、十六か十七といったところか。
 ランプの灯りに照らされた美しい金髪は、ポニーテールにまとめられている。

 冒険者なのだろう。
 剣を手にしており、金属製の胸当てや小手なども身に着けている。

 剣は魔力を帯びた逸品なのか、薄暗い夜闇の中にあって、かすかな燐光を放っていた。

 だが燐光を放っているのは、剣ばかりではない。
 少女自身の全身からもまた、湧き上がるような力の輝きが溢れ出ていた。

 それは「闘気」と呼ばれる、高位の戦士だけが使いこなす力なのだが、このときのアルトはまだ、そのことを知らない。

 ただ、あまりにも美しく頼もしい少女の姿に、アルトは思わずつぶやいていた。

「ゆうしゃ……さま……?」

「ふふっ、『勇者』っていうのは、ちょっと違うかな」

 少女は一度だけ振り向き、軽やかにほほ笑む。

 それと同時に、少女に向かって数体のゴブリンたちが武器を振り上げ、一斉に襲い掛かってきた。
 
 ──ひゅっ。
 少女の姿が、陽炎のようにゆらめき、消え去る。

 一瞬の後には、彼女に襲い掛かった数体のゴブリンすべてが、血を吹き出しながらバタバタと倒れていく。

 いつの間にか数歩先に移動していた少女が、優美に声を紡ぐ。

「私は『剣聖』よ。未熟だけれど、そういう加護ギフトを得た身だから──ゴブリンの大氾濫スタンピードぐらいは、この剣で防いでみせるわ」

 少女はそれだけ言うと、目にもとまらぬ速度で駆け出していく。

 そしてあっという間にゴブリンの群れの本隊に突っ込むと、そこで華麗な剣舞を始めた。

 少女が身をひるがえすたび、数体のゴブリンがまとめて倒されていく。

「『けんせい』のおねえさん……きれい……」

 起き上がったアルトは、剣を片手に踊る少女の姿を、なおも陶酔するように見つめていた。

 ほどなくして少女は、その場にいたすべてのゴブリンを平らげてみせる。
 群れの中には、とりわけ大柄な指揮官クラスも数体いたようだが、そんなものはものともしなかった。

 少女は剣を鞘に収めると、再びアルトのほうへと歩みよってくる。

 そしてぼーっと少女を見つめる少年の頭を、優しくなでてほほ笑んだ。

「悪いモンスターはやっつけたよ。キミが頑張ったから、キミのお母さんも助かった。──でも、あんまり無茶はしちゃダメだぞ」

 そう言ってから、少女はその場を立ち去ろうとする。

 だがそれを、アルトが呼び止めた。

「あ、あの……! おねえさん、ぼく、つよくなるよ! おねえさんみたいにつよくなって、たくさんのひとをまもれるようになる!」

 すると少女はきょとんとした顔になって、次にはにっこりとほほ笑んだ。

「そっか、頑張れ。お姉さんも応援してる」

 とそこに、村の別の方角からもう一つ、別の少女のものらしき声が聞こえてきた。

「ねぇ~、イーリス~! そっちが終わったんなら、油売ってないで早くこっちも助けてよぉ~!」

「はいはい、今行くから。──じゃあね、少年」

 イーリスと呼ばれた少女は、最後にウインクをして、アルトの前から立ち去っていった。



 アルトが後に聞いた話によると、このときのゴブリンの襲撃は、大氾濫スタンピードと呼ばれる地域で数十年に一度ほどしか起こらない大事件であったという。

 それを察知していた近隣の街の冒険者ギルドが、被害を防ぐために力のある冒険者──剣聖イーリスたちを村に送り込んだというのが背景事情であった。

 そのおかげで、村の被害は最小限に抑えられたのだが──

 この事件は、一人の少年の未来をも、大きく決定づけることとなったのである。
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