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第2話

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 少年アルトはゴブリンの大氾濫スタンピード事件の後、強くなろうと必死に努力をした。

 剣に見立てた木の棒を毎日毎日何百回も素振りし、体を鍛えるための走り込みや、筋力トレーニングも欠かさず行った。

 だがこの世界では、努力をした者がいつでも望む結果を得られるとは限らない。

 神から与えられると言われる天賦の才能──加護ギフト

 それがなければ、「剣聖」や「勇者」といったような、人の限界を超えるような強さを手に入れることはできない。

 アルトには、剣の才能はなかった。
「剣聖」どころか、その下位である「剣士」の加護すら与えられていなかったのだ。

 しかし、それも当然だ。
 加護を与えられる者など、この世界に生まれる人々の中でも、ごく一握りしかいない。
「剣士」のような下級の加護の持ち主でも、数十人から百人に一人程度、現れるかどうかというエリートである。

 加護の有無、そしてどのような加護を持つかは、十歳になった子供を集めて街の神殿で行われる「加護識別の儀」で判明する。

 例年、近隣の村々から集まった数百人の十歳児の中から、何らかの加護を持つ少年や少女が、数人から十数人ほど発見される。

 だがこれも、何の因果か。
 大氾濫スタンピードがあった五年後、アルトが十歳になった年の加護識別の儀で発見された、たった八人の加護所持者の中には、アルト自身もまた含まれていたのだ。

 しかも、加護所持者として認められたほかの子供たちが「剣士」や「戦士」、「盗賊」などの下級の加護を判明させていく中、アルトに認められたのは「賢者」の加護。
 それは「剣聖」と並ぶと言われる、上級の加護であった。

 アルトに与えられた「賢者」の加護は、魔法使い系の上級加護である。

 少年はその日から剣の訓練をやめ、魔法の修練に励むことになった。

 アルトが住む国では、加護の所持が判明した者には、専門の学校にて無償で教育を受ける権利が与えられる。

 アルトの住む地域からだけではなく、全国から集められた加護持ちのエリートが通い、戦闘技術や魔法などを学ぶ学校だ。

 剣の素質はなかったアルトだが、彼は魔法を学び始めると、驚くべき才能を開花させる。

「賢者」の加護を持つアルトは、「魔術師」の加護を持つ者と比べても数倍の吸収力で魔法を修得していき、その魔力量も十一歳のときにはすでに大人の魔術師の水準を上回っていた。

 だが神童と呼ばれても、アルトは驕って勉強の手を休めたりはしなかった。

 幼少の頃に出会った「剣聖」の少女の力は、こんなものではなかった。
 そう思ったから、入学してからの五年間、アルトはずっと努力をやめなかった。

 そして十五歳になった春に、学校を卒業する。

 その年の卒業者の中でも随一の鬼才と呼ばれたアルトには、国に仕えるエリートである宮廷魔術師をはじめとして様々な道が与えられていたが、少年賢者が選んだのは「冒険者」の道であった。

 冒険者は、危険は大きいが、夢と自由のある仕事だ。

 実力次第では英雄と呼ばれるほどの存在にまでのし上がれる可能性もあるため、腕に自身のある者が野心を抱いて冒険者となるケースも珍しくはない。

 少年賢者は冒険者としての第一歩を踏み出すため、生まれ育った地元にある、街の冒険者ギルドへと向かったのだった。


 ***


 一方その頃。

 あれから十年がたち、今や二十七歳となった「剣聖」イーリスは、冒険者ギルド内に併設されている酒場で、親友の「盗賊」の女性冒険者エレンを相手にくだを巻いていた。

 上物の葡萄酒をくっとあおり、顔を真っ赤にした剣聖イーリスは、うだつの上がらない様子でぐでっとテーブルの上に突っ伏す。

「ねぇ~、エレン~。恋愛とか結婚って、そんなに大事かなぁ。行き遅れって、そんなに悪いこと……?」

「あんたまたその話? 今年に入ってから何度目よ」

「覚えてなぁい……」

「あぁもう、ぐでんぐでんに酔っ払いおってからに。ほらもう、天下の剣聖様がなんてザマよ」

「だぁってぇ……毎年実家に帰るたびに、お母さんに言われるんだもん。『そろそろいい人は見つからないの? せっかく器量はいいのに、あんたこのままだと一生独身よ?』なんて。ねぇエレン~、独り身ってそんなに悪いこと?」

「この話、始まると長いんだよなぁ……」

 盗賊の女性冒険者エレンは、大きくため息をつく。

 彼女は剣聖イーリスの十年来の冒険者仲間であり、イーリスが唯一心を許す親友でもある。

 セミショートのブラウンの髪に、同色の瞳。
 イーリスと比べてしまうとやや地味ながらも、十分に整った容姿だ。

 ボディラインもややスレンダーながら、出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるという理想形。

 胸などを大きく開いた露出度高めの衣装をまとっているが、これは別に男の目を意識したものというばかりでもなく、彼女一流のファッションという側面も強い。

 腰のベルトには、数本の短剣が提げられている。
 冒険に出るときには、これに加えて革鎧と弓矢が装備に追加されるのだが、今は酒場で飲んでいる最中ということもあって軽装だ。

 剣聖の加護を持つイーリスと比べると、下級の加護「盗賊」の保持者であるエレンは実力でははるかに劣るのだが、役割分担と性格の相性の問題で、イーリスとはずっと相棒関係にある。

 逆に言うと、剣聖イーリスが冒険者仲間と呼べる相手は、このエレン以外にはほぼ存在しない。

 こと戦闘というジャンルに入ってしまうと、剣聖イーリスについてこられるレベルの冒険者は滅多におらず、彼女とパーティを組む者は心を折られてしまって、やがてイーリスから遠ざかっていくのが常であった。

 またイーリスの美しい容姿に惹かれて、下心で彼女とパーティを組もうとする冒険者の男も何人かいたが、これはイーリスのほうが毛嫌いした。

 汚物を見るような、あるいは毛虫を見るような目でイーリスから見下されて、あるいは直接的に言葉と態度で拒絶されて、そうした男たちもまた、すぐにイーリスのもとから退散していった。

 そんなわけで、最初のうちはちょくちょく様々な相手とパーティを組んだものの、やがてはこの二人のパーティで安定してしまった。

 パーティに魔法の使い手がいないのが戦う敵によっては少し厄介だったが、それでもたいていのケースではイーリスの技でゴリ押しできるし、大きな問題はまず起こらなかった。

 そして──冒険者を続けること、十年以上。
 剣聖イーリスは、新たな問題に直面していた。

 エレンは大きくため息をつき、ウィンナーを刺したフォークを指先でぴこぴこさせながら、イーリスに向かって言う。

「あたしゃ何度も言ってるけどさぁ、イーリス。お母さんがーとかじゃなくて、あんたはどうしたいのよ、あんたは。その美貌だったら、その気になれば言い寄ってくる男はいくらもいるわけでしょ?」

 エレンはイーリスの容姿を観察しながら、そう指摘する。

 今の剣聖イーリスの容貌は、少女であった頃の可憐さこそ鳴りを潜めたものの、大人の女性として十分すぎるほどに魅力的なものだ。

 女性にしてはやや長身で、モデル体型。
 ポニーテールの金髪は輝くような美しさで、サファイアブルーの瞳も魅惑的だ。

 衣服はどこか清楚さを感じさせる上品なものでありつつも、太ももの絶対領域などにほのかに色気も漂う絶妙さを持つ。

 彼女が腰に提げるのは、魔力を帯びた上等の剣だ。
 冒険に出るときには、これにミスリル製の胸当てや小手などを身につけ、いかにも剣聖らしい格好になる。

 だがそんなイーリスは、子供っぽい表情でぷくーっとふくれっ面になると、気まずそうにして言う。

「……なんかそういう、チャラい男どもは嫌だ。お付き合いするにしても、もっとこう真面目で優しくて、誠実な男の人がいい……」

「まぁた子供みたいなことを言って。まぁえり好みしたいならそれでもいいけどさ。多分あんた、理想が高すぎて一生独り者ってタイプだと思うよ」

「ぬ、ぐっ……! ……ねぇエレン、なんか最近言うことひどくない?」

「いつまでも同じようなことを、うだうだと言ってるからよ。理想のいい男を見つけたいなら、自分から男漁りでも始めることね」

「いやだぁ~! そんな恥ずかしいことしたくない~!」

「あぁもう、剣聖様はわがままだなぁ」

「……そう言うエレンは、今はナイスミドルの騎士のオジサマ狙いなんだっけ?」

「んー、狙いっていうか、もう落としたっていうか? 真面目そうに見える男でも、夜は案外激しいもんよ?」

「ぐっ、いつの間に……! このビッチ! 神殿であんたのために避妊魔法を使う司祭の気持ちにもなりなさいよ」

「意外とねー、この人と一生を共にしようとまで思える人って、いないのよねー」

「……ねぇエレン、あんた人のことが言えるのそれ?」

「にゃははははっ。何ならイーリスと一生を添い遂げてもいいかなとか思ってる」

「なんか私も、いっそそれでいい気もしてきたわ……」

 二人がそんな、アラサー微百合な冒険者トークを繰り広げていたときだった。

 冒険者ギルドの入り口の扉が、きぃと音を立てて開かれ、一人の少年がギルド内に入ってきた。

 魔術師風の杖とローブを身に着けた少年は、ギルド内に踏み込むと、きょろきょろとあたりを見回す。

 その様子を見たイーリスとエレンは、つまみを口にしながらつぶやく。

「見ない顔よね。若いし、冒険者ギルドは初めてなのかしら?」

「それっぽいねー。でもなかなか可愛い顔してるじゃない。おいしそー」

「あんたね……。あんな若い子まで毒牙にかけようっていうのは、さすがに聞き捨てならないんだけど?」

「まあまあ、そう目くじらを立てない。でも真面目そうだし、イーリスもああいう子、結構好きなんじゃない?」

「……まぁね。ああいう感じの真面目そうな子は好きよ。でもね、私みたいなアラサー冒険者とあんな若い子とじゃ、いくらなんでも釣り合わないでしょ」

「ははぁん……? なんだ、イーリスだって食べちゃいたいんじゃない」

「ち、違うっ! エレンみたいな痴女の発想と一緒にするなっ!」

「痴女はさすがにちょっとひどくない? ──って、なんかこっち来るよ」

「えっ」

 ギルドに現れた少年を肴に話をしていると、当の少年がイーリスたちのほうを見て驚いたような顔をして、次には二人のほうに向かって歩み寄ってきた。

 やがて少年は、イーリスの前までやってくると、困惑している剣聖の前でこんなことを言う。

「あ、あの……間違っていたらごめんなさい。ひょっとして、『剣聖』のイーリスさんではないでしょうか?」

「え、ええ……。確かに、私は『剣聖』のイーリスだけど……」

「やっぱり! 俺、昔イーリスさんに助けてもらった、アルトっていいます! イーリスさんに憧れて、イーリスさんみたいなすごい冒険者になりたくて、俺ずっと頑張ってきました! こんなところで出会えるなんて思ってもいませんでした! 感激です!」

「は、はあ……」

 目の前で若い少年からキラキラとした目を向けられて、剣聖イーリス二十七歳は戸惑うことしかできなかった。
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