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花籠の泥人形

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 ◆ ◆ ◆



「ふむ……まるで孕んだ妊婦だな」

 真っ白な総レースのドレスに身を包んだ聖女・マリベル。子供特有のソプラノは高い天井の謁見の間によく響いた。少女というよりもっと幼い、ビスクドールのような幼女は僕の腰ほどの背丈しかなく、ツンと澄ました顔で僕の胎を見つめていた。
 地面を引きずってしまうほど長い髪を、まるでウェディングドレスのように侍女に持たせ、天上から降ってくる花びらのように目の前までゆったりと歩いてくる。

「お久しぶりです。聖女様」
「うむ。春の祝祭ぶりだな、エドワード。息災であったか?」
「はい。大きな怪我もなく、」
「そういう割には、残穢があるな。フィアナティアから聞いているぞ。七罪が現れたのだろう」

 ス、とエディから視線がズレて、透明な眼差しが僕を射抜く。白銀に煌めく水晶の瞳は、差し込む光を受けて虹色にキラキラと輝いた。
 心の奥まで、思考もなにもかもが見透かされてしまいそうな八面玲瓏として輝く瞳に唾を呑み込み、自然と浅くなる呼吸を落ち着かせる。

「おぬしとは始めましてじゃな。わたしは当代の聖女を務めておるマリベルじゃ。おぬしの名は?」
「ロズリア伯爵の次男、ヴィンセントと、申します……」

 声が震えてしまう。冷や汗が止まらない。きっと、今の僕は傍から見ても酷い顔色をしているに違いない。サァ、と頭から血の気が引いていく感覚がする。
 細胞のひとつひとつが敏感になったみたいで、聖女様がまとす澄み切った清涼な空気が突き刺さって痛かった。まるで全身の毛穴を針で突き刺されているみたい。
 僕よりもずっと幼い見目の、小さく美しい少女が恐ろしくて恐ろしくて仕方なかった。

「……オイ、わたしを狼かなにかと思っておるのか? 別に取って喰いやしないんじゃが」
「ぁ、す、みません……ッ」
「良きかな。お主のその恐怖は、その腹にいるモノの恐怖だ。光と闇、聖と悪、太陽と月――相反し、決して交わることのない存在だ。いうなれば平行線じゃな」

 小さく細い指が僕の腹を指さした。

「オイ、かわい子ぶってないで出てくるのじゃ」
「――ァ?」

 かくん、と、突然体から力が抜けた。
 聖女様は、僕に話しかけているようで別のモノをその瞳に映していた。どこまでも透明で美しい、水晶の瞳に一点の曇りもなく、ぽかんと間抜け面を晒す僕が映っている。嫌悪も、悪意も、好意も――何も感じさせないガラス玉のような瞳だ。

「ヴィンセント!?」

 驚き、駆け寄ってこようとするエディは聖女様に目で制されて足踏みを踏んだ。二の足を文、苦虫を噛むエドワードはこちらへ駆け寄ってくるのを躊躇っているように見えた。それがもどかしくて、悲しくて、辛くて――なんで、抱きしめてくれないの、という憤りに変化した。

 ――ドロリ。

 目から、涙があふれる。

「ぁ、あ……エディっ」

 悲しくて、苦しくて、辛くて、ぼた、ぼた、とあふれる涙を手の甲で拭って、その涙が、黒いことに気が付いた。
 ――まるで、まるで変身したを思わせるドロリとした黒い泥に、怖気が走る。

 ぷつん、と回線が途切れてしまったかのように、全ての音が聞こえなくなる。ぞわり、ぞわり、と全身を這い寄る怖気と寒気に、意識が遠のいていく。
 這い寄るソレは、足先からゆっくりと上ってくる。迫る死の、甘い匂いがひどく懐かしい。母の――お母様のにおいがした。

「馬鹿者」

 ぺちん、と可愛らしい音とはとても思えない衝撃が両頬に叩きつけられる。

「せいじょ、さま」
「お主がしっかりせんでどうする。意識を保ち、手綱を握るのじゃ。形をイメージして、体から追い出すのじゃ」

 パッと目の前が明滅して、幼い美貌に似合わない厳めしい#表所__かお__#の聖女様が目の前に映り込んだ。

 そう言われたって、どうしたらいい。「とにかくやるのじゃ!」と発破をかけてくる聖女様により一層黒い涙が滲んだ。
 強くイメージをする。魔法を、想像するときのように、強く、強く、滞った魔力を循環させて、体内の悪素を追い出すイメージをする。――この半年で、何度も行ったことだった。まさか、今まさに役立つとは思いもしない。

 ぐるり、ぐるり、ぐる、ぐる、ぐる、ぐる。
 魔力によって血液が押し流されて、全身が熱くなる。心臓がバクバクと音を立てて、今にも爆発してしまいそうだ。

「――ッヴィンセント、大丈夫、私がついているよ」

 嗅ぎ慣れた匂いに包まれる。長い腕に抱かれる。冷たい体温に安堵の息がこぼれて、強張っていた肩の力が抜けていく。
 エドワードのにおいだ。僕に安寧と平穏をもたらしてくれる、僕の唯一。

「アッ! こら! おぬしは離れていろと!!」
「無理だよ、こんな、苦しそうなヴィンセントをただ黙って見ていろだなんて、マリベル様は酷なことを仰る。私は、生涯をヴィンセントに捧げたんだ。この子が今ここで息絶えるというのなら、私も、一緒に――」
「――だめ、エドワード、おねがい、しなないで、しんじゃやだ……ッ」

 ぼろり、ぽろり、と涙があふれて止まらない。頬を濡らす涙を、エドワードが拭ってくれる。強く、強く、痛いなるくらい、骨が軋むくらい抱きしめられて、このまま一緒になってしまいたかった。
 孕むなら、エドワードの子供が良かった。それは決して望まれないけれど、強く、渇望した。

 死にたくないけど、溶けて混ざって、ひとつになりたい。
 僕の子の感情は、母体回帰のようなものだった。「死の欲動デストルドー」ではなく、「生の本能エロス」ゆえの感情である。エドワードとひとつになれば、「死」という概念はなくなる。僕はエドワードの中で永遠に生き続けられるのだ。
「死」とは必ずしもネガティブなものではない。「新たな旅立ち」や「再生」、「永遠の安らぎ」などを意味することもある。王都からと奥離れた辺境の土地では「死」そのものを「喜び」として信仰する宗教もあるくらいだ。
 ――僕にとっての「死」は、エドワードとの「別れ」であり、エドワードと共になることで「永遠の安らぎ」を得られる、喜びと恐れが綯い交ぜになった感情だった。

 その先に、決して望まれない「子の再生」を願い、想像して、夢に見た。

「出た!! おいっヴィンセント! さっさと名づけるのじゃ!」
「は、ぇ、え?」

 聖女様の甲高い声に目が覚める。

光を運ぶものルーカス、はどうかな?」
「なぁんでエドワードが名づけるのじゃ!!」

 なにが、どうなっているんだ。
 ぱち、ぱち、と瞬きをするたびに服にまだら模様を描いていた黒い雫は濁りが薄れて透明になっていく。それでも涙は止まらなくて、混乱のままエドワードに抱き着いていた僕の背中に、何か、小さい存在がくっつく感触がした。
 不思議なことに、今までの鬱蒼と塞ぎこんでいた気持ちが嘘のように晴れていく。
 きょとん、と目を丸くする僕の耳に届いたのは、ずいぶんと拙く幼い子供の声だった。

「ママぁ」

 母親へと呼びかける子供の声。しんと静まり返った間に、呼び声に応える返事はない。先ほどとは違うイヤな予感に、僕は助けを求めて聖女様を見た。

「呼んでおるぞ。返事をしてやらぬか」
「…………ママ!?」
「じゃあ私がパパかな? お父様も捨てがたいね」

 ふざけているのか冗談なのか、誰も口を挟めない雰囲気の中で暢気吾ことを言うエドワード。確かに、僕がママならエドワードはパパだろう。じゃなくって、今はそんなことを入ってるじゃないんだ。

「…………パパ?」
「わぁ~! ヴィンス! 私たちの子供だよ!」
「ちがうちがうちがう、ちょっと待って、僕、産んだ覚えないですけど」
「今産んだんじゃよ」

 至極冷静な聖女様が恐ろしい。なんだってこんなに冷静なんだ。

「何度かお産の手伝いもしたことがあるからな」

 どや、と無い胸を張る聖女様。
 だから今はそういう話をしているんじゃなくって!

 えぇい、男は度胸! と勢いを決めて振り返った。

「……! ママぁ!」

 にぱぁ、と満面の笑みを浮かべた我が子――ではない。危ない。危うく僕とエドワードの子かと思ってしまうところだった。
 綻びかけた表情かおを引き締めて、へと声をかける。

「君は、誰だ?」
「ぼくは、バルゼブ! ヴァヴィロンの王さまの側近で、賢王と呼ばれた羽虫の王さまだよ!」

 でも、パパがルーカスって名づけてくれたからぼくはルーカスだよ、と笑った悪魔に気が遠のいた。

 きらきらと、光に当たるたび雪の結晶のように煌めく白銀の髪はふわりと肩口で揺れ、毛並みのよい子犬を思わせる。垂れさがった目尻に、口角の上がった唇。あどけなく、幼いかんばせだが花のようにほころんだ笑みはエドワードにそっくりだ。
 唯一、好意と混沌が渦巻いた深紅の瞳だけが相違点であり、着ている服も真っ白いひらひらふわふわの、フィアナティア嬢が用意してくれたルームウェアを模しているのか、並ぶと本当の親子のようにそっくりである。

 思わず天井を仰いだ僕は、羞恥心で死んでしまいそうだ。
 確かに、胎に宿る闇の存在をまるで赤子のように思っていた。聖女様に「孕んだ妊婦」と言われて、より深く「エディの子ならいいのに」と強く願わなかったわけじゃない。むしろ、自分自身に言い聞かせるようにそう思い込んだ。
 ――その結果が、僕の願望が反映された姿だと言われて、恥ずかしくないわけがない。

 バルゼブ、基ルーカス自身の口からそう告げられて、エディは目を輝かし、僕はきらびやかなステンドグラスの天井を仰いだのだ。

 エディの膝の上に乗って、きゃらきゃらと楽しそうに笑うルーカスは子供のようにしか見えない。この子がリリンやレィビー、リュフェルと同じ存在なのかと思うと、首を傾げてしまう。こんなにも無害そうな子供を、聖女様たちが警戒する意味が分からなかった。

「幼い見目をしていようと、こちらに好意的であろうと、アレは歴とした七罪の悪魔じゃ。決して心を許す出ないぞ。悪魔祓いをするつもりがないのであれば、手綱を握るためにも契約をするべきじゃな」

 契約、と反芻して、脳裏に思い描かれるのは魂の契約だった。もちろん、聖女様は主従や隷属のことを言っているのだろうけど、契約の重ね掛けって、してもよいのだろうか。
 ムンムンと思い悩む僕に、聖女様が「どうした。何を悩む必要があるのじゃ」と声をかけてくださる。幼くとも、人の話を聞く機会が多い聖女様はなんとも思っていない顔で僕から悩み事を聞き出した。
 巧みな話術、なのだろうか。聖女様に尋ねられると、不思議と心が凪いでスルスルと口から悩み事がこぼれていった。

 魂の契約。エドワードとの関係。立場。これから。思いがけず口に出してしまった相談事に、聖女様は頬を引き攣らせている。

わたしは、惚気られているのか……?」
「違います。れっきとした僕の悩み事です」
「……そうかの。ならば、まず契約の重ね掛けじゃが、やめといたほうがよかろう。いや、吾から言い出したことじゃが、まさか魂の契約をしとるとは……最近の若者はアグレッシブじゃの」
「聖女様も、ずいぶんとお若いでしょう」
「ふははっ、なに、これはガワだけじゃ。実年齢ならばそろそろ八十じゃろうか?」

 ギョッとした。見た目通りの方ではないのだろうと思っていたが、まさかそんなに歳を重ねているとは。神秘を目の当たりにした気持ちだ。

 聖女となったその瞬間から、永遠の乙女となり神秘と純潔の象徴として歳を取らなくなるのだとか。だが寿命は寿命として存在し、外側だけが時は止まり、内側は劣化を続けていく。聖女とは、誰しもの憧れであり偶像的存在で、悲しく、孤独な生き物であると、聖女様は――マリベル様は仰られた。
 人の理は外れぬほうが良い。人は人として死ぬべきだ、とあまりにも悲しく呟くものだから、幼い子供にしてやるように、その小さな丸い頭に手のひらを乗せてしまった。
 衝動的に、聖女様の頭を撫でてしまった僕自身に驚き、動きを固めてしまう。まん丸い水晶の瞳を見開いた聖女様は、告いで、年相応の少女のように破顔した。

「ふふ、特別に吾を撫でる権利をやろうぞ」
「え、えぇ……はぁ、それは、とても、光栄ですね」

 王子殿下と接するうちに図太くなった僕は、諦め苦笑をこぼし、そのまま小さな頭を撫で続けた。くふくふと、抑えきれない喜びを露わにする聖女様に居心地が悪い。

「……それで、契約をしないとすれば、どうすれば」
「手綱を握れる者はおったほうが良い。しかし悪魔と契約するとなれば……しかも暴食の悪魔となれば並の魔法使いではなぁ……フィーアは吾の跡継ぎであるし、リコリスとアイリスも……ふむ……」

 眉を顰め、腕を組んだちんまい聖女様はムンムンと悩んで、パッと瞳を閃かせる。

「ルーカスよ! おぬし、吾と契約をするか?」

 幼い少女の、よく通る声が謁見の間に響き渡る。一部始終を見ていた衛士に、彼女の従者に、フィアナティア嬢は目をこぼれ落とさんばかりに見開いて、言葉を失った。

「――うん! いいよ! おねえちゃんと契約してあげる!」

 当代聖女の、膨大な光の魔力は暴食を司る悪魔にとってご馳走のように光り輝いて見えた。深紅の瞳をにんまりと笑みに歪めて、エディの膝から降りると聖女様の目の前へと駆け寄る。
 誰にも、止めることができなかった。

「吾はマリベル」
「ぼくはバルゼブ=ルーカス!」

 聖女様の小さな両手が、ルーカスのまろい頬を包み込む。幼い少年少女の戯れを、微笑ましく見ていることはできない。
 フィアナティア嬢が慌てて、何事かを叫びながら駆け寄ってくるのが見える。

わたしがおぬしの主となり、餌を与えることを約束しよう」

 ぷるりと、瑞々しい少女の唇が、悪魔の唇へと押し当てられて、「ふっ――」と吐息が吹き込まれた。
 次の瞬間、目も開けていられぬほどの光が謁見の間を包み込む。誰もが白の中へと姿を消して、光で目がつぶれてしまう前に背後から伸ばされた腕に僕は抱き寄せられた。

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