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花籠の泥人形

15(エドワードside)

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 視察の一日目に中心都市を見て回り、二日目の今日からは右回りに領地内を見て回るスケジュールを組んでいた。その流れでいくと、ロズリア伯爵が統治する領は今日行けるか、明日になるかの境目だろう。
 ヴィンセントと早く会えることを願いながら、玄関を出る――目の前に、白と赤の、まだら模様の小さな獣が倒れていた。

 純白の雪を汚すような赤に、まるでこれから起こる厄災を予兆しているようで、老執事やメイド長は眉を顰めて使用人たちに片づけるようにと指示を出す。
 悲し気に目尻を下げるベアトリーチェに寄り添うレオナルド。かすかに、獣の腹が上下していることに気が付いたのは、リリディアだった。

「まだ、息があるようですね。あれだけ酷い怪我をしているなら、いっそ……」
「――ま、って」
「殿下?」

 可能性に、目を見開いた。
 赤黒く汚れた白い獣。もともとは美しかっただろう白い毛並みの、まぁるい耳の大柄なネコ科。雪月豹かと思ったが、黒い柄のつき方が違う。

「待ってくれ」
「殿下? どうなさったので?」

 何かに取り憑かれたかのように、ふらりと四肢を投げ出す獣へと近づく。誰もが止めようとするが、ついには獣の横に膝をつき、かすかに、腹部を上下させる白い大柄な獣へと手を伸ばし、小さく呼びかけた。

「――……ルーカス?」

 ふるり、と赤い瞳を持ち上げた獣は、エドワードの姿を視界にとらえると大きく体を震わせて状態を起こした。ぐわり、と口を開き、あわや王子に牙を剥いたかと思われた瞬間。

「ママを助けて……!」

 白い獣が、幼い子供の、もっと言えばエドワード第一王子の幼少期を思わせる姿に変わり、泣きながら支離滅裂に言葉を吐き出した。

 兄の幼少期を鏡映しにしたようだと実弟のレオナルドは驚き、在り得ない子供に公爵は宰相として脳みそを回転させた。
 誰もが言葉を失い、説明を求めてエドワードを見て、息を飲む。口から出かけた言葉も、呼吸すらも飲み込んでしまうほどの怒気がエドワードから立ち上っていたのだ。

「……ルーカス、落ち着いて。いったい、何があったんだ? 私に、話せるね?」

 ぱき、ぱきり、とどこからともなく小さな音が鳴る。

「レオ様、殿下の、足元が」
「兄上の魔力が、可視化されてるんだ。それほど、度し難いことが……?」

 赤色が染みていた白雪を覆うように、エドワードを中心に霜が降り、グンとさらに気温が下がって雪が氷に覆われていく。怒りによって漏れ出た魔力が影響を及ぼしているのだ。
 ヴィンセントがこの場にいたならば、「落ち着いて」とエドワードを宥めただろう。だが、この場には怒りの頂点にいる彼に声をかけれる者などいなかった。

 愛しい、何よりも大切で一等大好きな人のことを任せたはずの白き子供が、返り血とは思えぬ赤で染まり、目の前にいるのがどういうことか。瞬時に答えを導きだしたエドワードは、全身の血が沸き立つ感覚に肌が粟立った。

「ママが、女を復活させるための材料にさせられちゃうんだ……!」
「何を、どういうことだ……?」
「エドワード王子、一度中へ入りましょう。私たちにも、詳しく話をお聞かせ願いたい」
「公爵……」

 厳しい顔つきの公爵が、膝をついたエドワードへと手を差し伸べる。有無を言わさない、の言葉に、血が上っていた頭を冷やす。ここで怒りに身を任せたところで、良い方向に進むとも思えなかった。

 素直に公爵の手を取って起ち上がれるのがエドワードの良いところだった。これがレオナルドであれば、感情的になっていただろう。どれだけ怒りで頭に血が上ろうと、我を忘れるほどの出来事が起ころうとも、エドワードが俯瞰して物事を見ることができるのは、ひとえに次期国王となるべくための教育によるものだった。
 国の頂点に立ち、民を導くために、国王とは常に冷静でなくてはならない。

 穏やかな気質に、物事を俯瞰してみることができるエドワードが唯一、感情を波立たせるのが恋人の存在だった。

 サミュエルは宰相として、ひとりの親として、苦虫を噛み潰す。
 宰相として言うなら、ふたりの関係を止めるべきだ。それでも、王子としてのエドワードと、血縁分家のヴィンセントの幼少期を知っているから、このまま幸せになってほしいとも願ってしまう。
 エドワードはエドワードで何か思案しているようだし、ヴィンセントも覚悟を決めた顔をしていた。
 子供とは、いつの間にか大きく成長してしまうものだ。密かに感傷に浸るが、ゆっくりとしている場合でもない。

 傷だらけの子供を抱き上げたエドワードと、その場にいた者が応接室に集まった。暖炉が焚かれて、温かいはずなのにどこかうすら寒い。

「まず、教えてほしいのだが、その子供が言うママとはヴィンセントのことですな?」
「えぇ」
「……悠長なことを言っている場合でないのはわかっております。しかし、これだけは聞いておきたい。殿下とヴィンセントの子供、という認識で間違っていませんか?」
「……そう、なるかな。私の幼少期を知っている者なら、血縁関係を疑う姿だものね。厳密にいえば、血縁関係も何もない子供だ。マリベル様の契約魔であり、私と、ヴィンスの魔力が混ざった子だ」

 一度ではかみ砕けない、短すぎるがわかりやすい情報量にサミュエルは頭を抱えた。

 本音を言うならかみ砕きたくないし、わかりたくないことだった。それとなく、娘のベアトリーチェからふたりが大聖教会に立ち寄ってから来るとは聞いていたが、まさか、この子供が原因とは言わないだろうな。

「閣下も知識としてご存じでしょう。七罪の悪魔を」

 嗚呼、このお方はもったいぶることすらしてくれないのだ。考える隙も与えず、答えを見せつけられる。
 七罪の悪魔だって? そんなモノ、神代の遺物じゃないか。
 封印されて、忘れ去られた存在であるはずの悪魔が復活したという話は大聖教会を通じて、上層部の重鎮のみに通達された情報だった。たった一柱の悪魔の力で国を亡ぼすことができる強大で凶悪なチカラを持ったいにしえの存在。
 情報として、知識として調べはしたものの、まさか本物が目の前に現れるとなればどうしたらいいのかわからなくなる。

「ぼくはバルゼブ=ルーカス!」
「……あぁ、バルゼブというと、暴食を司る悪魔か」
「今はバルゼブではなく、ルーカスと呼んであげて。名前をつけて、呼ぶことで存在として定着をするのだとマリベル様は仰っていました」
光を運ぶものルーカス、か。良い名前を与えましたな」
「ふふ、そうでしょう? だって、私とヴィンスの子供のようなものですから。――さて、それでは、本題に入ろう。ルーカス、ヴィンセントはどうした?」

 幼子の口から語られたのは、とうてい、信じたくない過去の出来事だった。

 領内を荒らしていたアンデッドは、やはりアレクシス・ロズリアが死霊魔術ネクロマンシーで作り出した冒涜的な生き物であり、アレクシスの目的はある日失ってしまった妻の復活だった。

 火葬したはずのロレーヌの死体は、腐敗することなくロズリア邸の地下室で眠っている。そしてヴィンセントは、ロレーヌを生き返らせるための材料とされてしまう。

 ただの人間であれば死者を生き返らせることなどできない。裏で糸を引く誰かがいるのか、それとも協力者がいるのか、あたりをつけて問えば、リリンーーひとりの少女の人生をめちゃくちゃにした色欲の悪魔が、アレクシスに手を貸していた。

「――……嗚呼」
「お父様?」

 理解したくないことばかりで、整えられた前髪をぐしゃりと握る。娘が心配げに不安を滲ませた声をかけてくれるが、とても返事ができそうになかった。

「これで、心置きなくロズリアを家系図から消すことができる」

 ぽつり、と決して小さくない声が暖炉へくべられた。ごうごうと炎が燃える。まるで、ロズリアの行く末を表しているようだった。

「親殺しも、子殺しも大罪だ。死者を冒涜する行為なんてもってのほか。殿下、私はこれからアレクシス・ロズリアの捕縛をするために動きます。――殿下には、ヴィンセント・ロズリアと、ヴィクトル・ロズリアの保護をお願いしたい」
「――ヴィクトル?」
「ヴィンセント君の腹違いの兄ですよ。彼は、ローザクロスに養子として引き取らせてもらう。失うには、稀有な才能の持ち主であるからして。……ヴィンセント君は、」
「誰にもあげないよ。ヴィンスは、私のものなのだから」

 隠そうともしない独占欲に苦笑いして、息を長く吐き出した。躊躇いも、少しの同情も、全て吐き出してしまう。
 サミュエルのとって、アレクシスは可愛い弟のような存在だった。それももう、遠い思い出だ。

「外に用意してある馬車を使いなさい。護衛の騎士と、私の私兵たちを貸し出そう。すぐに、私も向かう。――恥を忍んで、お頼み申しあげます。殿下、どうか、私たちをお救いください」
「――任せて。私はいつだって、ヴィンセントを助ける王子様だからね」

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