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花籠の泥人形
16
しおりを挟む体の芯から冷えていく寒さに目を覚ます。指先が死んでいるかのように冷たかった。
僕は生きているのだろうか。死んでいるのだろうか。死んでいるのかも、しれなかった。
目の前がぼんやりと、膜がかかっているかのように定まらない。ぐらぐらと揺れる頭を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。
薄暗い石の室だ。
白い霜が走り、外と同じか、もしくは雪に包まれた外よりも気温は低い。指先は悴み、赤く痺れて、感覚はほとんどない。
着ていたはずの外套は脱がされており、見渡す限り、防寒具は見当たらなかった。
壁に掛けられた燭台に照らされた石室は、どこかから隙間風が吹き込んでいる。扉はあるが、きっと鍵を掛けられているだろう。
連れてきたのは、父に違いない。こんな、地下牢に閉じ込めてどうするつもりなのか。
「……とにかく、脱出をしないと」
エディや、ルーカスが心配だった。
ベティはきっと大丈夫。レオナルド様もいらっしゃる。何よりも公爵閣下のお膝元で、彼女が害されるわけがない。
だから、目下の不安は殿下とルーカスだ。あの頭のおかしい父が、僕と関係があると気づいているふたりに何もしないわけがない。
ルーカスは、大丈夫だろうか。リリンにしてやられた後の記憶がすっぱりと失われている。
問題は山積みだった。
父とリリンが結託をしているなんて、思いもしなかった。ロスティー嬢との一戦で姿を消したリリンが、まさかここで姿を現すだなんて。
分が悪い。状況も悪い。
寒さに体が震えて、うまく動かすことができない。吐く息は白く濁り、考えるそばから思考も濁り、まとまらない頭の中に苛立ちが積もった。
そばにあった台に手をついて、立ち上がる。
「……台? いや、棺桶……?」
棚か、テーブルかと思ったが、石肌が露出した室内にテーブルだけがあるのも可笑しい。
疑問を抱いたまま、振り返って――
「おかあ、さま……?」
白花の顏は、まるで眠っているように穏やかで、美しい。記憶の中の母が、色褪せることなく、純白の棺桶の中で眠っていた。
「お母様……!? なん、で……どうして……!!」
傷一つ見当たらない、美しい母。
緩やかな白金髪も、深雪のように白い肌も、花色の唇も――死んでいるとは思えないほどに、美しい。人形だと言われたほうが、納得出来る。
母の葬式は、深い雪が降る中で行われた。
冬は嫌いだ。冷たい雪が、大好きな人たちを攫って行ってしまうから。
真っ白な母に相応しい、真っ白な棺桶は色鮮やかな花々で満たされていた。レースやフリルがあしらわれた、少女めいたワンピースに身を包み、胸の上で両手を組んで目を瞑っている。
両手の置かれた胸をじっと見つめた。もしかしたら、本当に眠っているだけなのではないかと、一種の期待だった。
『わたしのかわいいぼうや』
目を閉じれば、砂糖蜜を一粒垂らした、流れ星のように煌めく声が思い出される。ああ、お母様は、どこまでも甘く、砂糖菓子のような人だった。
「は、はは……そんなわけ、ないか。お母様は、あの日、死んだんだもの。生きてるはずがない。なら、なんで……」
棺桶は、ガラスの扉で閉ざされていた。金の蝶番に、金の鍵がされている。
ひたり、とガラス越しに母に触れる。
「おかあさま……どうして、逝ってしまわれたのですか」
自然と涙があふれた。
母を失った、幼き日の記憶が呼び覚まされる。
あふれる涙が止められない。記憶の濁流に、今の『僕』が押し流されてしまう。
「あかあさま、返事をしてよ」
「――嗚呼、可愛そうなヴィニー坊や。たったひとり、愛しい母に置いていかれて寂しいね」
ひゅ、と喉がおかしな音を立てて、息を吸い込んだ。
蝋のように白く、冷たい手のひらが背後から伸ばされ、するりと首筋を撫でる。全身が粟立つ感覚に、手を振り払うよりも早く、抱きすくめられてしまう。
ガチ、と氷魔法で固められたかのように、身体が動かない。ほんの少しの熱さえも、奪われてしまう。
簡単に振り払えるほど優しく、緩やかに抱きしめられているのに。どうしたって、身体は言うことを聞いてくれない。
父の抱擁から得られるものは、安心や安寧、安らぎなどではない。
純粋な恐怖だ。怖気が走り、足元から寒気が、言いようのない恐怖が上ってくる。
「大丈夫、泣かないで、ぼくの可愛くて可愛そうなヴィニー坊や。もうすぐだ。あと少しで、母に――ロレーヌに会うことができる。そうしたら、もう、寂しくない。ぼくも、ヴィニー坊やも、ずぅっと一緒だ」
「な、に……」
言っている、意味を理解できない。
ずっと一緒? 寂しくない?
――そんなわけ、ないじゃないか。
母は、お母様の命は失われてしまったんだ。あの日、あの夜、第一夫人によって殺された!
沸々と沸き上がるのは、行き場のない怒りだ。
「放して……放してくださいッ……! なんなんだよ、何を、ッお母さまをどうするつもりなんだよ……ッ」
喉から絞り出した声は、悲鳴染みていた。
まるで真綿で首を絞められているみたいに息苦しくて、上擦ってしまう。
エディも、ルーカスもこの場にはいない。頼れるのは自分自身だ。
棺桶に収まった、眠るように死んでいる母と、気がおかしくなってしまった父と、三人ぼっちのこの空間に耐えられない。息が浅くなる。上がる肩と、酸欠と寒さで頭がぼんやりしてくる。
「――ロレーヌを目覚めさせるんだよ」
煮詰めた愛を溶かした声音に、言葉を飲みこむ。
「教えただろう――? 生きた死体の作り方を」
「生きた心臓と、死んだ心臓を、取り、替える……?」
「ほら、わかっているんじゃないか」
くすくすと、妖精と戯れるように、低く艶やかな声を転がして微笑う。
しっとりと、闇に沈んだ声音を耳元で囁かれた。抱きしめられているはずなのに、体は一行に温かくならない。むしろ、体温を奪われていた。
「――ロレーヌの心臓と、ヴィンセントの心臓を取り替えるんだ」
ナイショだよ、と潜められた声。
ゾッとして、衝動的に父を振り払った。全身の血の気が下がって、身体の震えが止まらなかった。
恐ろしい。悍ましい。――怖い。
人でないモノを見る目で、血の繋がった父であろう化け物を見る。
「おや、どうしたんだい? そんな化け物を見るみたいな顔をして」
「な、なん、なに、僕と、おかあさま、の」
「嬉しいだろう? だって、そうしたらずぅっと一緒にいられるじゃないか! 老いることなく、永遠に!!」
白い顔を紅潮させて、熱狂的な宗教信者のように、神に祈りを捧げるように、父は声を大きくする。石の室に声が響き、ぐわりと頭が揺れた。
実の息子の心臓を、死体と入れ替えるだなんて、狂気的なことを口にする父が信じられない。歪な感情を抱かれているとは思っていた。だけど、まさか! 実験動物のように扱われるだなんて!
止まっていた涙が、再びあふれはじめる。
悲しみでも、恐怖でもない。――父への、哀れみだった。
「嗚呼泣かないで、可愛いヴィニー坊や。時は、もうすぐだ。今はまだ時期じゃない。ぼくの魔力は塵芥に等しいからね。明日は、満月だ。魔力が高まる。だから明日だよ」
おかしな父だと思っていたけれど、ここまで、おかしくなっているなんて。
虚ろな薄紫の瞳は、生きているのに死んでいるみたいだ。僕を映しているのに、見ているのは僕じゃない。
お父様は、いつだって、僕を見てくれなかった。僕を通して、お母様を見ていた。
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