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③
しおりを挟む「――聖女なのに、こんなことしていいのかしら」
暗い室内に、静かな声が落ちる。
「神様だって恋をする。愛に狂う。むしろ、狂わなかった神なんていないよ」
神様の恋愛事情なんてドロドロだよ、と笑い話をするヴィクトル。
ベッドの中、ふたりで抱き合い言葉を交わす。ここ最近で一番穏やかな時間だった。
「聖女だから、聖女なのに、ってばっかりだと、マリーが苦しいだろう。聖女のマリーフィアと、ただのマリーは分けないと、どんどん息が詰まってしまうよ」
「分けて、いいのかしら」
「分けるべきだね。それど、ただのマリーを僕にちょうだい?」
暗闇の中でさえ、ヴィクトルの瞳は星が煌々と輝いている。
「わたしをあげたら、ヴィクトルはずっと一緒にいてくれるの?」
迷子みたいな、弱々しい声だ。
普段の、聖女としてのプライドと誇りを胸にシャンと背筋を伸ばしたマリーからは考えられないほど小さく震えた声。
白く細い肩を抱いて「ずぅーっと一緒だよ」と穏やかな声で囁く。まるで呪文のように、呪いのように。
マリーが忘れないように、何度だってヴィクトルは囁く。
マリーは、ヴィクトルがずっと見守ってきた子だ。星の瞬きと共に生まれたヴィクトルが、初めて、愛おしいと思った存在。
愛の加護を受けて生まれたマリーが、息をしているだけでこの世界は光に包まれる。それが聖女というものだ。
――だというのに、ずっとずっと、大切に見守り続けていたのに、愛しい子は悲しみの海に沈み、いたく心を痛め、黒雲に雨を降らせている。
幼馴染としてマリーの側で育ち、マリーに婚約者が出来たときも手を打って喜べた。
この気持ちは恋ではない。なかったはずなのだ。天使でありながら、気持ちを制御することができず手を出してしまった。
世界は、確実に闇へと近づいている。それは終焉の始まりだ。
終焉の世界で、人間どころか蟻一匹も生きることはできない。
――さっさと、こんな世界滅んでしまえばいいのに。そうすれば、ヴィクトルはマリーを天へと連れて行ける。
そうすれば、ヴィクトルとマリーはずっとふたりきりだ。
マリーを殺せば、マリーはヴィクトルだけのものになる。けれどネクロフィリアの気はない。
それに、人間を見守る天使が人間を殺してしまえば堕天使になってしまう。一緒に天には昇れない。聖女として、女神に愛されるマリーは一等高いところまでいけるだろう。けれどヴィクトルはまっさかさま。地の底の底の、一番下まで落ちてしまう。
後見人である聖教会に知らせないのは、頼る先を増やさないため。
聖教会には、子供たちが「先生」と呼ぶ男がいる。彼にマリーが縋ってしまえば、すぐさま聖架隊が学園へとやってくるだろう。聖女とは、世界にとって最も大切な存在なのだ。
世界から聖女を救うにはどうしたらよいだろう。
「……明日、学校に行きたくないわ」
「なら、僕とデートしよっか」
きょと、と瞬いた紫の瞳。
神の創造物である天使よりも、情熱的な愛の女神よりも、一等綺麗で美しい紫の瞳だ。
光に当たると蒼にも紅にも見える瞳がお気に入りだった。
デート、と拙く繰り返したマリーが愛おしくて、頬に口付けをする。
くすぐったそうに、恥ずかしそうにクスクスと鈴を転がして笑うマリーが愛おしかった。
――神様、ごめんなさい。
何に対する懺悔か。呟いたのは、天使か聖女か、どちらだったろう。
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