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凶巫
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洞穴を出た光は、その足で佐々村家へと戻ることにした。
陽はすでに沈み、夏を感じさせる生温い風が頬を撫でる。
どこか心もとない気持ちになるのは、祠の中で見つけたモノのせいだろうか。
佐々村家に到着した光は、台所にいた乃恵に言って塩と半紙を用意してもらった。そして、「しばらくしたら座敷に皆を集めて欲しい」と頼み、自分は一足先に座敷へと向かう。
やがて廊下から足音が聞こえ、座敷牢にいる美守を除いた全員が集合した。
「なんだい? 夕飯時に人を集めて。これで大した話じゃなかったら許さないよ」
相変わらず涼子の口調は厳しい。彼女の信頼は依然として損なわれたまま。いや、彼女に限らず、佐々村の人間は少なからず光に疑念を抱いているはずだ。
だが、光はそんな不信感を一気に払拭するだけの話を用意していた。
「美守ちゃんに掛かっている呪い――その元凶を突きとめました。これから皆さんに、美守ちゃんに起こった異変の真相をお話したいと思います」
そう言った瞬間、全員の顔色が変わる。
「本当か? ならば、美守は元の状態に戻るということか?」
源一郎の問いに、光は「はい」と頷く。
それから、光は乃恵に用意してもらった半紙を机の上に広げ、その四隅に塩を盛る。準備が整ったところで、光は祠の中で見つけてきたモノを半紙の中央に置いた。
「そ、それは何ですか? なんだかすごく不吉な感じがするのですが……」
猛が不安そうに尋ねてきた。彼がそう感じるのも無理はない。
机の上のそれは、護符(光が常に携帯しているもの)で厳重に包まれ、封がされている。素人目に見ても、中身が普通の代物ではないと判断できるはずだ。
「先ほど言った通り、美守ちゃんを苦しめている元凶。分かりやすく言えば、『呪物』です。呪いの根源が、この包みの中に入っています」
光が説明すると、佐々村家全員の表情が強張った。
美守を異形の怪物へと変えた原因――それが目の前に置かれているのだから、恐怖と緊張を抱くのは当然だ。
「安心してください。確かに強力な呪物ですが、今は護符の力と私の霊力で呪力を抑えています。皆さんに危険はありません」
光の言葉で張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「これから、この呪物にまつわる話をしたいと思います。でも、その前に、宗介君が調べたオワラ様の伝説に隠された秘密を聞いてください」
そこで光は、宗介にお寺で聞かされた話を、佐々村家の人たちにも聞かせた。オワラ様が自分たちと同じ霊力を持つ人間だったこと。細入村にかつて存在していた悪習。宗介に起こった異変や彼が見た夢のことなど全て。
「細入村でかつてそんなことが……」
光が話し終えると、俄かには信じがたいといった表情で源一郎が呟く。
「じゃ、じゃあ、今の話が本当だとすると、その机の上に置かれているものが、オワラ様の残した呪術だっていうのかい?」
怯えた声で尋ねてくる涼子に、光は無言で頷く。
「宗介君の考えは間違っていませんでした。でも、彼は倒れる前に『まだ何か見落としている気がする』とも言っていたんです」
「見落としていること、ですか? でも、先ほどの推察のうえで、こうして実際に呪術も見つかったのですから、黒宮様の考えは正しかったのではありませんか?」
不思議そうに尋ねてくる乃恵。確かに、宗介の語った大筋は正しかった。だが、実際に呪物を目にした者にしか分からない真実もある。
「うん、そうね。だから、この先の話は、とりあえずこの『呪物』を皆さんに見てもらってからにしましょう」
光は幾重にも包まれた護符を一枚一枚慎重に剥がしていく。
中から現れたのは、片手で持てる大きさの木箱。
大小無数の釘が打ち付けてあることを除けば、黒く薄汚れたただの木箱である。
だが、その箱を見た瞬間、キヨはわなわなと震えだし、みるみるうちに顔から血の気が失せていった。
「お、お、おぬし、それをどこで見つけよった……?」
「その様子ですと、やはりキヨさんは御存じだったようですね。立ち入りを禁止された山の中――洞穴の奥に建てられた祠で見つけてきました」
「こ、こ、このバチあたりが! なんということをするんじゃ! ああ……お許し下さい……何卒お許しください、オワラ様……」
木箱に向かって手を合わせ、一心不乱に拝み始めるキヨ。宗介の言った通り、村の限られた年長者はこの箱の存在を知っていたようだ。
オワラ様の死後、残された呪物の処分に村人たちは頭を悩ませたのだろう。放っておくわけにもいかず、かといって捨ててしまうのも恐ろしい。だから、人目につかぬ場所に封印しごく少数の人間のみで秘密を守ってきた、と予想できる。
「そ、その黒い箱は何なんですか? 祖母は何か知っているようですが、僕は何も知らない」
いつも穏やかな猛の表情にも、今ははっきりと緊張の色が浮かんでいる。
「あまり気分の良い話ではないですが、説明させてもらいます。この木箱に刺さっている釘は全部で四十四本ありました。そして、黒ずんで見えるのは、木箱の中に入っているものが原因だと思います。さすがに私も中を覗く勇気はありませんが……ほぼ間違いなく、中身は人間の身体の一部でしょう。このサイズに入るくらいですから、指か耳か目玉か、あるいは心臓の一部か……」
聞いていた全員の顔が青ざめるが、光は更に続ける。
「仕組みは、呪印を刻んだ木片で死者の怨念を閉じ込め、釘で永続的な苦痛を与えることで、その怨念を増幅させる、といったものです。上納品などに紛れ込ませておけば、厄介な地主や領主を没落させることも容易だったでしょう。この箱が近くにあるだけで、普通の人間ならばたちまち生命力を奪われてしまうでしょうから」
今の美守ちゃんのように、と続けそうになったが、流石に不謹慎だと思い口をつぐむ。
「でも、どうして美守ちゃんが、その呪いを受けることになったのですか?」
全くもって、当然の疑問。質問した猛だけでなく、源一郎や涼子もここが一番知りたいところだったらしく、目の色が変わった。
「先月、この村を訪れた民俗学専攻の学生がいましたよね。不慮の事故で亡くなってしまった彼は、生前この家にも出入りし美守ちゃんとも親しくしていた、と耳にしました。これは私の予想ですが、美守ちゃんは何らかの事情で、呪いが隠された祠の場所を知っていたのではないでしょうか」
『予想』と言ったのは、乃恵の立場を慮ってのことだ。「乃恵ちゃんから聞きましたが」などと言えば、後で乃恵がいらぬ叱責を受ける可能性がある。
「そして、オワラ様の伝説を調べていた学生に、その場所を教えた。ひょっとすると、二人で肝試し気分だったのかもしれません。そこで二人は祠の封印を解いてしまった。これと同じものが、美守ちゃんの机の引き出しに入っていましたから」
光はそう言って、破れたお札の切れ端を机の上に置く。
「これは祠に貼られていた封呪のお札です。ですから、美守ちゃんが祠へ行ったのは間違いないでしょう。学生がすでに亡くなってしまっていることを考えると、彼が札を破り封印を解いた可能性は高い。でも、一緒にいた美守ちゃんが同じく呪いのターゲットにされたとすれば筋が通ります。こう考えれば、美守ちゃんが呪いをもらった経緯と大学院生の突然の死にも説明がつくと思います」
「くっ……あの若造が……。いや、死者に何を言っても無駄か……」
源一郎は苦々しげに呟くが、すぐに自分の思考を振り払うように頭を振った。源一郎の気持ちも分からなくはない。だが、オワラ様が残した呪術の犠牲者という点では、美守もその大学院生も同じである。
「そうか……。美守様も黒宮様も、呪術研究の生贄とされた子供たちに苦しめられていたってことなんですね……」
美守に黒き怨念を塗りつけ、宗介に呪いの痣を刻み、そして洞穴で光を襲った子供たちの亡霊。乃恵の言う通り、彼らが美守や宗介を苦しめていたことは間違いない。だが……。
「結果だけを見れば、確かにその通り。でも、子供たちの亡霊にしてみれば、苦しめているつもりはなかった。むしろ……その逆」
「逆?」
乃恵だけでなく、その場にいた全員が怪訝な目で光を見た。これが宗介の言っていた『見落としていること』であり、光自身が洞穴での体験で気付いたことでもある。
「順を追って説明します。皆さんは、オワラ様の伝説に『天女』が登場することを御存じですか?」
「天女?」
皆一様に首を傾げる。ただ一人を除いて。
「知っておる。オワラ様をこの細入村へ遣わしてくれたのが天女様じゃ。今では省かれて語られることが多いで、若いモンはよう知らんのじゃ」
キヨは手を合わせたまま、低い声で答える。
「そのようですね。奈雲神社の神主さんも同じことを仰っていました。物語の根幹に関わる部分ではないから、今では省略されることが多いと。だから重要視せずに見落としてしまっていたんです。この呪いにおけるキーはオワラ様でもジゴクマダラでもなく、この『天女』の方だったのに」
「ど、どういうことですか?」
「私たちの世界で『凶巫(まがなぎ)』と呼ばれる存在。それが、この天女だったんです」
光が説明を聞いた佐々村家の面々は、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「すいません。いきなり『凶巫』なんて言われても意味が分からないですよね。本当は、すぐに凶巫の説明をできればいいんですけど、そのためにはどうしても私たち除霊師の世界に伝わる『古の死生観』をお話しなければいけないんです。難しいかもしれませんが、皆さんにとって『死』とはどんなイメージですか?」
「イメージってねえ……。そりゃあ、死神が頭上を飛び回っていて、気紛れに鎌を振り下ろすって感じじゃないかい?」
涼子は投げやりに答えるが、それが一般的だと光も思う。『死』はいつだってすぐ傍らにある存在。不可測で不可避で、そして平等な存在だ。
しかしながら、古の除霊師たちは、この『平等』に対して少し違う考えを持っていた。
「そうですね。涼子さんのようなイメージを持っている方が多いように思います。ですが、古代の除霊師たちは『死』を招くのは『穢れ』だと考えていました。この『穢れ』は私たちの頭上に落ちてくる雫のようなものと考えてください。誰の頭上にも、絶えず同じ間隔で、同じ量で降り注ぐ雫だと」
「ふむ。理解できないことはないが、それだと人の寿命がバラバラなことに説明がつかんのではないか? 同じ間隔、同じ量。死は平等だと言いたいのかもしれんが、それだと同じ日に生まれた赤ん坊たちは、みな同じ日に死ぬことになる。だが、現実には、そんなことは決して起こらないのだから」
源一郎の反論はもっともだ。光自身も、除霊師としての修行中、初めてこの話を聞かされた時は同じ疑問を持った。
「仰る通りです。ですから、古代の除霊師たちは、こう考えました。『そもそも人間が生まれ出づる時、神から手渡される死を受ける器が、人それぞれ違うのではないか』と。人間って、一人一人全く違いますよね? 鼻の高さも、走る速さも、歯の形だって人それぞれ違います。それと同じように、神様から受け取る『死を受ける器』も大きさや形が人によって異なるのだと考えたんです。多くの穢れを受け止められる大きな器をもらう人もいれば、すぐに溢れてしまう小さな器をもらう人もいる。あるいは、最初からヒビが入っている器をもらう人も……といった具合です。そして、極々稀に、神様の悪戯でとてつもなく巨大な器をもらう人もいます。前置きが長くなってしまいましたが、そんなある種の突然変異みたいな人間が、特殊な訓練を経て、他者の穢れを癒すことのできる『凶巫』と呼ばれる存在になるんです」
「なるほど。話は概ね理解できました。ですが、名前が解せませんね。死を招く穢れに対して大きな耐性を持っていて、なおかつそれを癒すことができるのに『凶巫』だなんて」
猛の言う通り、役割だけを見れば、『凶』なんて字を当てるのは不適切だろう。だが、それにもちゃんとした理由がある。
「はい。ですが、今言った『特殊な訓練』の内容を聞けば、猛さんも納得すると思います」
「特殊な訓練……一体どんな訓練だったんですか?」
光は言葉に詰まる。この先はあまり話したい内容ではないのだが、ここまで来て説明しないわけにもいかない。
「ワクチンを知っていますよね? 発想的にはあれと同じことを、昔の人は凶巫の身体を使って行おうとしたんです。穢れに耐性があるということは、常人ならば致死量となる穢れを身の内に蓄えることができるということ。つまり、『凶巫に穢れを集め、その身で生成させた抗体を使えば、他者の穢れを祓えるのではないか』と考えたわけです」
「えっ? でも、待ってください。先ほど、穢れは誰にとっても等しく降り注ぐ雫だ、と言いませんでしたか?」
「はい。降り注ぐ穢れは、誰であれ絶えず一定です」
「それじゃあ、どうやって凶巫は多くの穢れを集めたのですか?」
そう、その『凶巫に穢れを集める過程』こそが、特殊な訓練にあたる。
「言いましたよね? 死を招くのは穢れだと。つまり『死』というのは、穢れが極限まで高まり切った状態をさすんです。ここまで言えば、何となく想像がつきませんか?」
「想像……えっ? いや、そんな、まさか……」
嫌な考えに辿り着いたらしく、猛の顔に動揺の色が浮かぶ。
「たぶん、猛さんの想像は正解だと思います。……喰わせていたんです。人間の屍肉を……」
その瞬間、誰もが驚愕の表情を浮かべ、言葉を失った。
それでも、光は話を続ける。
「しかも、ただの屍肉ではありません。蛆が湧くまで磔に縛られた罪人だったり、膿にまみれて死んだ病人だったり、そんな触れることすら憚られる死体の肉を、凶巫はより多くの穢れを蓄えるために食べていたそうです」
光の話を聞いた涼子は「うぇ……」とえづいて口に手を当てた。
「屍肉を漁る姿が、死体を啄ばむ烏のようだということで『烏巫女(からすみこ)』なんて呼ばれ方もしていたと聞きます。表には出て来ない歴史の暗部です。そんな凶巫の血は、当然危険な劇薬なわけですが、その血を清めることのできる存在――強い霊力を備えた除霊師がいれば、どんな病もたちどころに治す妙薬になったと言われています」
最後は前向きな言葉で締めたつもりだったが、部屋には重くるしい沈黙が碇を下ろしてしまった。しかし、光の話はまだ序の口。この凶巫が美守の呪いとどう関係しているのか――それについては、これからなのだ。
陽はすでに沈み、夏を感じさせる生温い風が頬を撫でる。
どこか心もとない気持ちになるのは、祠の中で見つけたモノのせいだろうか。
佐々村家に到着した光は、台所にいた乃恵に言って塩と半紙を用意してもらった。そして、「しばらくしたら座敷に皆を集めて欲しい」と頼み、自分は一足先に座敷へと向かう。
やがて廊下から足音が聞こえ、座敷牢にいる美守を除いた全員が集合した。
「なんだい? 夕飯時に人を集めて。これで大した話じゃなかったら許さないよ」
相変わらず涼子の口調は厳しい。彼女の信頼は依然として損なわれたまま。いや、彼女に限らず、佐々村の人間は少なからず光に疑念を抱いているはずだ。
だが、光はそんな不信感を一気に払拭するだけの話を用意していた。
「美守ちゃんに掛かっている呪い――その元凶を突きとめました。これから皆さんに、美守ちゃんに起こった異変の真相をお話したいと思います」
そう言った瞬間、全員の顔色が変わる。
「本当か? ならば、美守は元の状態に戻るということか?」
源一郎の問いに、光は「はい」と頷く。
それから、光は乃恵に用意してもらった半紙を机の上に広げ、その四隅に塩を盛る。準備が整ったところで、光は祠の中で見つけてきたモノを半紙の中央に置いた。
「そ、それは何ですか? なんだかすごく不吉な感じがするのですが……」
猛が不安そうに尋ねてきた。彼がそう感じるのも無理はない。
机の上のそれは、護符(光が常に携帯しているもの)で厳重に包まれ、封がされている。素人目に見ても、中身が普通の代物ではないと判断できるはずだ。
「先ほど言った通り、美守ちゃんを苦しめている元凶。分かりやすく言えば、『呪物』です。呪いの根源が、この包みの中に入っています」
光が説明すると、佐々村家全員の表情が強張った。
美守を異形の怪物へと変えた原因――それが目の前に置かれているのだから、恐怖と緊張を抱くのは当然だ。
「安心してください。確かに強力な呪物ですが、今は護符の力と私の霊力で呪力を抑えています。皆さんに危険はありません」
光の言葉で張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「これから、この呪物にまつわる話をしたいと思います。でも、その前に、宗介君が調べたオワラ様の伝説に隠された秘密を聞いてください」
そこで光は、宗介にお寺で聞かされた話を、佐々村家の人たちにも聞かせた。オワラ様が自分たちと同じ霊力を持つ人間だったこと。細入村にかつて存在していた悪習。宗介に起こった異変や彼が見た夢のことなど全て。
「細入村でかつてそんなことが……」
光が話し終えると、俄かには信じがたいといった表情で源一郎が呟く。
「じゃ、じゃあ、今の話が本当だとすると、その机の上に置かれているものが、オワラ様の残した呪術だっていうのかい?」
怯えた声で尋ねてくる涼子に、光は無言で頷く。
「宗介君の考えは間違っていませんでした。でも、彼は倒れる前に『まだ何か見落としている気がする』とも言っていたんです」
「見落としていること、ですか? でも、先ほどの推察のうえで、こうして実際に呪術も見つかったのですから、黒宮様の考えは正しかったのではありませんか?」
不思議そうに尋ねてくる乃恵。確かに、宗介の語った大筋は正しかった。だが、実際に呪物を目にした者にしか分からない真実もある。
「うん、そうね。だから、この先の話は、とりあえずこの『呪物』を皆さんに見てもらってからにしましょう」
光は幾重にも包まれた護符を一枚一枚慎重に剥がしていく。
中から現れたのは、片手で持てる大きさの木箱。
大小無数の釘が打ち付けてあることを除けば、黒く薄汚れたただの木箱である。
だが、その箱を見た瞬間、キヨはわなわなと震えだし、みるみるうちに顔から血の気が失せていった。
「お、お、おぬし、それをどこで見つけよった……?」
「その様子ですと、やはりキヨさんは御存じだったようですね。立ち入りを禁止された山の中――洞穴の奥に建てられた祠で見つけてきました」
「こ、こ、このバチあたりが! なんということをするんじゃ! ああ……お許し下さい……何卒お許しください、オワラ様……」
木箱に向かって手を合わせ、一心不乱に拝み始めるキヨ。宗介の言った通り、村の限られた年長者はこの箱の存在を知っていたようだ。
オワラ様の死後、残された呪物の処分に村人たちは頭を悩ませたのだろう。放っておくわけにもいかず、かといって捨ててしまうのも恐ろしい。だから、人目につかぬ場所に封印しごく少数の人間のみで秘密を守ってきた、と予想できる。
「そ、その黒い箱は何なんですか? 祖母は何か知っているようですが、僕は何も知らない」
いつも穏やかな猛の表情にも、今ははっきりと緊張の色が浮かんでいる。
「あまり気分の良い話ではないですが、説明させてもらいます。この木箱に刺さっている釘は全部で四十四本ありました。そして、黒ずんで見えるのは、木箱の中に入っているものが原因だと思います。さすがに私も中を覗く勇気はありませんが……ほぼ間違いなく、中身は人間の身体の一部でしょう。このサイズに入るくらいですから、指か耳か目玉か、あるいは心臓の一部か……」
聞いていた全員の顔が青ざめるが、光は更に続ける。
「仕組みは、呪印を刻んだ木片で死者の怨念を閉じ込め、釘で永続的な苦痛を与えることで、その怨念を増幅させる、といったものです。上納品などに紛れ込ませておけば、厄介な地主や領主を没落させることも容易だったでしょう。この箱が近くにあるだけで、普通の人間ならばたちまち生命力を奪われてしまうでしょうから」
今の美守ちゃんのように、と続けそうになったが、流石に不謹慎だと思い口をつぐむ。
「でも、どうして美守ちゃんが、その呪いを受けることになったのですか?」
全くもって、当然の疑問。質問した猛だけでなく、源一郎や涼子もここが一番知りたいところだったらしく、目の色が変わった。
「先月、この村を訪れた民俗学専攻の学生がいましたよね。不慮の事故で亡くなってしまった彼は、生前この家にも出入りし美守ちゃんとも親しくしていた、と耳にしました。これは私の予想ですが、美守ちゃんは何らかの事情で、呪いが隠された祠の場所を知っていたのではないでしょうか」
『予想』と言ったのは、乃恵の立場を慮ってのことだ。「乃恵ちゃんから聞きましたが」などと言えば、後で乃恵がいらぬ叱責を受ける可能性がある。
「そして、オワラ様の伝説を調べていた学生に、その場所を教えた。ひょっとすると、二人で肝試し気分だったのかもしれません。そこで二人は祠の封印を解いてしまった。これと同じものが、美守ちゃんの机の引き出しに入っていましたから」
光はそう言って、破れたお札の切れ端を机の上に置く。
「これは祠に貼られていた封呪のお札です。ですから、美守ちゃんが祠へ行ったのは間違いないでしょう。学生がすでに亡くなってしまっていることを考えると、彼が札を破り封印を解いた可能性は高い。でも、一緒にいた美守ちゃんが同じく呪いのターゲットにされたとすれば筋が通ります。こう考えれば、美守ちゃんが呪いをもらった経緯と大学院生の突然の死にも説明がつくと思います」
「くっ……あの若造が……。いや、死者に何を言っても無駄か……」
源一郎は苦々しげに呟くが、すぐに自分の思考を振り払うように頭を振った。源一郎の気持ちも分からなくはない。だが、オワラ様が残した呪術の犠牲者という点では、美守もその大学院生も同じである。
「そうか……。美守様も黒宮様も、呪術研究の生贄とされた子供たちに苦しめられていたってことなんですね……」
美守に黒き怨念を塗りつけ、宗介に呪いの痣を刻み、そして洞穴で光を襲った子供たちの亡霊。乃恵の言う通り、彼らが美守や宗介を苦しめていたことは間違いない。だが……。
「結果だけを見れば、確かにその通り。でも、子供たちの亡霊にしてみれば、苦しめているつもりはなかった。むしろ……その逆」
「逆?」
乃恵だけでなく、その場にいた全員が怪訝な目で光を見た。これが宗介の言っていた『見落としていること』であり、光自身が洞穴での体験で気付いたことでもある。
「順を追って説明します。皆さんは、オワラ様の伝説に『天女』が登場することを御存じですか?」
「天女?」
皆一様に首を傾げる。ただ一人を除いて。
「知っておる。オワラ様をこの細入村へ遣わしてくれたのが天女様じゃ。今では省かれて語られることが多いで、若いモンはよう知らんのじゃ」
キヨは手を合わせたまま、低い声で答える。
「そのようですね。奈雲神社の神主さんも同じことを仰っていました。物語の根幹に関わる部分ではないから、今では省略されることが多いと。だから重要視せずに見落としてしまっていたんです。この呪いにおけるキーはオワラ様でもジゴクマダラでもなく、この『天女』の方だったのに」
「ど、どういうことですか?」
「私たちの世界で『凶巫(まがなぎ)』と呼ばれる存在。それが、この天女だったんです」
光が説明を聞いた佐々村家の面々は、頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「すいません。いきなり『凶巫』なんて言われても意味が分からないですよね。本当は、すぐに凶巫の説明をできればいいんですけど、そのためにはどうしても私たち除霊師の世界に伝わる『古の死生観』をお話しなければいけないんです。難しいかもしれませんが、皆さんにとって『死』とはどんなイメージですか?」
「イメージってねえ……。そりゃあ、死神が頭上を飛び回っていて、気紛れに鎌を振り下ろすって感じじゃないかい?」
涼子は投げやりに答えるが、それが一般的だと光も思う。『死』はいつだってすぐ傍らにある存在。不可測で不可避で、そして平等な存在だ。
しかしながら、古の除霊師たちは、この『平等』に対して少し違う考えを持っていた。
「そうですね。涼子さんのようなイメージを持っている方が多いように思います。ですが、古代の除霊師たちは『死』を招くのは『穢れ』だと考えていました。この『穢れ』は私たちの頭上に落ちてくる雫のようなものと考えてください。誰の頭上にも、絶えず同じ間隔で、同じ量で降り注ぐ雫だと」
「ふむ。理解できないことはないが、それだと人の寿命がバラバラなことに説明がつかんのではないか? 同じ間隔、同じ量。死は平等だと言いたいのかもしれんが、それだと同じ日に生まれた赤ん坊たちは、みな同じ日に死ぬことになる。だが、現実には、そんなことは決して起こらないのだから」
源一郎の反論はもっともだ。光自身も、除霊師としての修行中、初めてこの話を聞かされた時は同じ疑問を持った。
「仰る通りです。ですから、古代の除霊師たちは、こう考えました。『そもそも人間が生まれ出づる時、神から手渡される死を受ける器が、人それぞれ違うのではないか』と。人間って、一人一人全く違いますよね? 鼻の高さも、走る速さも、歯の形だって人それぞれ違います。それと同じように、神様から受け取る『死を受ける器』も大きさや形が人によって異なるのだと考えたんです。多くの穢れを受け止められる大きな器をもらう人もいれば、すぐに溢れてしまう小さな器をもらう人もいる。あるいは、最初からヒビが入っている器をもらう人も……といった具合です。そして、極々稀に、神様の悪戯でとてつもなく巨大な器をもらう人もいます。前置きが長くなってしまいましたが、そんなある種の突然変異みたいな人間が、特殊な訓練を経て、他者の穢れを癒すことのできる『凶巫』と呼ばれる存在になるんです」
「なるほど。話は概ね理解できました。ですが、名前が解せませんね。死を招く穢れに対して大きな耐性を持っていて、なおかつそれを癒すことができるのに『凶巫』だなんて」
猛の言う通り、役割だけを見れば、『凶』なんて字を当てるのは不適切だろう。だが、それにもちゃんとした理由がある。
「はい。ですが、今言った『特殊な訓練』の内容を聞けば、猛さんも納得すると思います」
「特殊な訓練……一体どんな訓練だったんですか?」
光は言葉に詰まる。この先はあまり話したい内容ではないのだが、ここまで来て説明しないわけにもいかない。
「ワクチンを知っていますよね? 発想的にはあれと同じことを、昔の人は凶巫の身体を使って行おうとしたんです。穢れに耐性があるということは、常人ならば致死量となる穢れを身の内に蓄えることができるということ。つまり、『凶巫に穢れを集め、その身で生成させた抗体を使えば、他者の穢れを祓えるのではないか』と考えたわけです」
「えっ? でも、待ってください。先ほど、穢れは誰にとっても等しく降り注ぐ雫だ、と言いませんでしたか?」
「はい。降り注ぐ穢れは、誰であれ絶えず一定です」
「それじゃあ、どうやって凶巫は多くの穢れを集めたのですか?」
そう、その『凶巫に穢れを集める過程』こそが、特殊な訓練にあたる。
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「想像……えっ? いや、そんな、まさか……」
嫌な考えに辿り着いたらしく、猛の顔に動揺の色が浮かぶ。
「たぶん、猛さんの想像は正解だと思います。……喰わせていたんです。人間の屍肉を……」
その瞬間、誰もが驚愕の表情を浮かべ、言葉を失った。
それでも、光は話を続ける。
「しかも、ただの屍肉ではありません。蛆が湧くまで磔に縛られた罪人だったり、膿にまみれて死んだ病人だったり、そんな触れることすら憚られる死体の肉を、凶巫はより多くの穢れを蓄えるために食べていたそうです」
光の話を聞いた涼子は「うぇ……」とえづいて口に手を当てた。
「屍肉を漁る姿が、死体を啄ばむ烏のようだということで『烏巫女(からすみこ)』なんて呼ばれ方もしていたと聞きます。表には出て来ない歴史の暗部です。そんな凶巫の血は、当然危険な劇薬なわけですが、その血を清めることのできる存在――強い霊力を備えた除霊師がいれば、どんな病もたちどころに治す妙薬になったと言われています」
最後は前向きな言葉で締めたつもりだったが、部屋には重くるしい沈黙が碇を下ろしてしまった。しかし、光の話はまだ序の口。この凶巫が美守の呪いとどう関係しているのか――それについては、これからなのだ。
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不定期に章を追加していきます。
2025/12/9:『ひかるかお』の章を追加。2025/12/16の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/8:『そうちょう』の章を追加。2025/12/15の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/7:『どろのあしあと』の章を追加。2025/12/14の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/4:『こうしゅうといれ』の章を追加。2025/12/11の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/3:『かがみのむこう』の章を追加。2025/12/10の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
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