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3 神使
しおりを挟む「また拾って来たんですか、あなた様は」
「俺に捧げられた生贄なんだからいいだろ~? しかもこいつ、拾い物だぞ。ここまでのは、俺が生きている間だって、一人見たか見ないかくらいだ」
「それはまぁ、確かにそう思いますが……。こんなに深い香りを放っている子も珍しいですね。とても心地良いです」
「ほら見ろ。お前だってそう思っているじゃねぇか。ならいいよな?」
「それとこれとは話が別です。拾ってくる頻度のお話ですよ」
――近くで二人の男性の声が聞こえる。
そう思った時、ふっと雪花の意識は浮上した。
「…………?」
雪花は薄っすらと目を開ける。すると真上に龍神の顔が見えた。どうやらまだ抱きかかえられているらしい。
ぼんやりしながら周囲へ目を動かすと、どこかの屋敷の中にいるという事だけは分かった。大きくて、広くて、そして花の良い香りがする。
もしかしたら、ここは天国なのだろうか。そんな事をぼうっと思っていると、
「っと、目が覚めたか」
頭が僅かに動いた事が伝わったようで、龍神が雪花の方を見下ろした。彼と目が合って、雪花はぱちりと、意識が覚醒する。
「――あっ! は、はい! 申し訳ありません」
反射的に雪花が謝ると、
「はは。何謝ってるんだ、お前。まぁ、いいか。下ろすぞ」
龍神は軽く首を傾げて、雪花をそっと下ろしてくれた。
「ありがとうございます、龍神様。お世話をおかけしました」
「いやいや。ま、あんな事になってりゃ、精神的にきつかっただろう。気にすんな気にすんな」
龍神はそう言って笑って、雪花の頭の上で手をポンポンと軽く跳ねさせた。伸びて来た手を見て一瞬、叩かれるかと思ってぎゅっと目を閉じた雪花に、氷月はほんの少し怪訝そうな顔にもなっていた。
「氷月様。人の子をあまり驚かしてはなりません」
そんな龍神に向かって、一緒にいたもう一人の男がそう言った。
龍神より少し若いくらいの見た目の、真面目そうな雰囲気の男性だ。龍神とはほんの少し色合いの違う白い髪をしている。彼は雪花を見てその赤い目を軽く細めた。
「驚かしたつもりはねぇんだけどなぁ。ああ、雪花、紹介しよう。こいつは俺の神使……えーと、まぁ、部下だな。立待と言う」
「立待と申します。初めまして、雪花」
「は、初めまして、立待様。雪花と申します。よろしくお願い致します」
緊張しながら雪花が頭を下げると、立待から「ふむ」と呟く声が聞こえた。
「お、及第点が出たな」
「氷月様」
茶化すような龍神を立待が軽く睨む。神使というものが何なのか雪花には分からないが、龍神にこのくらい気安い態度を取っているところを見ると、だいぶ親しい間柄なのだろう。それよりも気になったのは立待が口にした名前だ。
「あの……龍神様は氷月様と仰るのでしょうか?」
龍神は雪花に「うちで働け」と言ってくれた。ならば主人の名前を知らないのは失礼な気がする。なので尋ねてみると龍神は目を瞬き、立待は怪訝そうな顔をした後で龍神を見る。
「……氷月様。つかぬ事をお伺いしますが……もしかして、名乗ってらっしゃいませんね?」
「そうだったか? ん~……そうだったかもしれんな? まぁ今分かったならいいだろう。俺は氷月だ、よろしくな」
「あなた様は本当に……」
立待がこめかみを手で押え、ハァ、と深くため息を吐く。何やらまずい事を聞いてしまったのだろうかと雪花はゾッとして青褪めた。村にいた頃は父を不快にする事を言うと、躾だと称して何度も叩かれる事があった。お前が悪いのだと憎悪を向けられながら続いたあの痛みを思い出して、雪花はガタガタと震えながら頭を下げる。
「も、申し訳ありません! あの、私が失礼な口を利いたばかりに、ご不快な思いをさせてしまって……!」
「え? いえ、あなたが謝るような事は何も」
「お許しください、申し訳ありません……っ」
「お、おい?」
「ちょ、ちょっと、雪花?」
床にへたり込み、頭を擦りつけながら雪花は謝罪を続ける。それを見て氷月と立待は困ったように顔を見合わせたあと、雪花の周りにひょいとしゃがむ。
「なぁ、おい、雪花。別によう、お前には誰も怒っちゃいねぇぞ」
「そうです。ですので、そのように怯えなくてもよろしいでしょう?」
「……っ」
優しく声を掛けてくれるが、雪花の震えは止まらない。氷月は少し考えて、
「……立待。とりあえず風呂にでも入れてやってくれ。身体が温かくなりゃ、少しは落ち着くだろ」
と言った。立待は「そうですね」と頷くと、雪花の身体に手を回し、そっと立ち上がらせる。恐怖で頭がいっぱいになってしまった雪花はされるがままだ。そのまま立待に支えられながら、ふらふらと足を動かした。
「…………どうも、だいぶ訳アリっぽいなぁ」
二人の背中を見ながら氷月はそう言って腕を組むと、
「とりあえず飯でも作って待つか」
そしてそんな事を呟いて台所に向かって行った。
◇
氷月の言う風呂というのは露天風呂だった。
立待に支えられ脱衣所まで辿り着いた雪花は、ようやく少し落ち着いて来た。お湯の香りがするとぼんやりと思っていると、立待の手が雪花の着物の帯に掛る。それに気付いた雪花は一歩後ずさった。
「あ、あの、立待様。じ、自分で……自分で出来ます」
「まだ手が震えているでしょう。あなたに任せていたら時間が掛かるだけです。良いから大人しくしていなさい」
「ですが、こんな忌み子のために、お手を煩わせるわけには……!」
「忌み子? 何を言っているのです? それに先ほども言ったでしょう。あなたに任せた方が手間だと。……ああ、なるほど、そちらではないか」
すると立待は何かに気付いたように、最後の方は小さく呟く。
「……?」
「安心してください。あいにくと私は大抵の人間には欲情しませんので、あなたの裸体を見ても何とも……」
そう言いながら慣れた手つきで雪花の着物を脱がせてしまう。そして露になった身体を見て、彼は一瞬ポカンとした表情を浮かべ、
「あなた、男性だったのですか?」
と言った。どうやら雪花の事を女性だと思っていたようだ。
「そうです……申し訳ありません……」
雪花は身体を縮こまらせながら頷いた。十七年間、屋敷の奥に閉じ込められていたせいで、肌は透き通る様に白く、筋肉もほとんどついていないため華奢な身体になっている。それに加えて顔も母親に似ているため、知らない人間が見れば女性と間違われやすい容姿となってしまっていた。
しかし、それでも雪花は生物学上では男性である。何だか色々と情けなくなってきて、勘違いさせてしまった事が申し訳なくなって雪花は俯いた。
「……失礼、見た目で判断するべきではありませんでしたね。ですが、そうであれば、恥ずかしがる必要もないでしょう。ほら、タオルを持ってそちらに」
しかし立待はさらりとそう言うと、雪花に手ぬぐいを押し付けた。怒られるだろうか、呆れられるだろうかと身構えていたので、雪花は目を丸くする。
「あの、立待様」
「ほら、行きなさい」
そのまま立待は露天風呂のある扉の方へ雪花の背中を押す。雪花は困惑しつつ足を動かしそちらへ向かう。
洒落たすりガラスの引き戸をカラカラと開けると、そこには雪花が閉じ込められていた部屋の倍以上に大きい露天風呂が広がっていた。
「わ、あ……」
屋敷にいた頃は父から「不快になるから入れ」と言われ冷めた風呂に入れられていたので、こんなに湯気が立っているの風呂を見るのは初めてである。驚いて思わず足を止めていると「何をしているのです?」と立待に言われてしまった。
「あっ、申し訳、ありません……!」
振り返って謝ると、腰にタオルを巻いただけの立待が怪訝そうな顔で立っている
「……あの、立待様も、一緒に入るのですか?」
「あなたを風呂に入れるよう、氷月様から命じられておりますからね。ほら、来なさい。身体を洗いますよ」
立待はそう言うと、立ちすくむ雪花の腕を掴んで歩き出す。雪花はあわあわと慌てていたが、それでもどうしたら良いかも分からないのでそれに従う。ぺたぺたと素足で歩きながら雪花は目の前の立待の背中を見て、
(……私も、立待様くらい、しっかりした体格なら)
女性と間違われる事もないだろうか――そんな事を思いながら。
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