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第一話「すすすすみません、あの、ちょっ、とま……げふ! 舌噛んだ! 舌痛い!」 本文編集
しおりを挟む花とガラス細工に彩られた、煌びやかな王都。
その王都に広がる石畳の上を、ガタガタと小刻みなに揺れながら、豪奢な馬車が一台走っていた。馬車にはこの国の紋章が彫られている。
馬車の乗客は十代半ばの少女と、二十代後半くらいの男の二人だ。二人は馬車の座席に、向かい合って座っていた。
「シュネー、城ではあまり、そのような顔をするものではありませんよ」
男がそう言うと、少女は口をへの字に曲げる。
見れば、少女の鼻は赤く、夕焼けのように橙色をした目も、泣いたあとのように充血して潤んでいた。
シュネーと呼ばれたこの少女。
歳は十六歳で、雪のようにふわふわとした白いボブカットが特徴的だ。
顔立ちは可愛らしいが言ってしまえば地味で、体格も痩せっぽちだ。
着ているのはコートに上品なブラウス、そして淡いライムグリーンのロングスカートと、落ち着いたものだ。
「してませんもの」
男の言葉に、シュネーはずずっと鼻をすすると、ぷい、と顔を逸らしす。
逸らした先、馬車の窓からは、濃い青に染まる海原が見える。
夏特有の鮮やかな青空には入道雲が浮かび、その合間を海鳥が、独特の声を響かせて飛んでいた。
それを眺めながら、シュネーは不満そうに言い返した。
「コールマン兄さんだって、不機嫌そうな顔をする事があるじゃないですか」
「公の場以外ならね。そうでなければ、私は最後まで、隠し通しますよ」
コールマンと呼ばれた男は肩をすくめてそう言った。
こちらは歳は二十九。サラサラとした長い赤毛を、首筋で一つにまとめている。
眼鏡を掛けたその顔は整っているが、どうにも目つきが悪く、几帳面そうな雰囲気も感じられる。体格は長身痩躯で、学者のような服装を纏っていた。
「うー……」
「唸っても駄目です。……やれやれ、私の妹弟子は魔法使いになって大分経つのに、まだ慣れないのですか?」
呆れた顔で言うコールマンに、シュネーは目を伏せ、
「……慣れるものじゃないですもの」
と呟いた。
シュネーは魔法使いだ。兄弟子であるコールマンもそうだが、魔法使いとは人の傷や病を癒したり、何もない所から炎を呼び出したり、この世界で今もおとぎ話に伝えられるような不思議な力を持った者たちのことである。
それだけ聞けば、夢のような力だろうと思うだろう。
だが、そうではない。便利なものには、必ず代償が存在するのだ。
そして、シュネーたちが使う魔法の代償は『記憶』であった。
「シュネー……」
コールマンが気遣わしげな視線を向けるのを感じながら、シュネーはしょんぼりと肩をすくめた。
魔法使いが魔法を使うために必要なのは、使用する魔法に対応した植物や鉱石などの媒介と、呪文。そして人の記憶だ。
人の記憶、いわゆる魔法使いにとってのエネルギーのようなもの。魔法使いは、他者の内にあるそんな『魔法使い自信に関する記憶』を糧に魔法を使う。
その量はまちまちで、使う量が大きければ、それに比例して大量の記憶が必要となった。
そのため、魔法使いには社交性が求められた。
魔法を使う相手の中に、自分の記憶を貯め込む必要があるからである。
簡単に言えば、相手と仲良くなること、だ。一緒に遊んだり、話をしたり、喧嘩をしたり。そうやって思い出を積み重ねていけばいくほどに、大きな魔法を使えるという事である。
――――だが。
だが、魔法を使用するために記憶を糧にすれば、その相手からは自分に関する記憶は消える。
一切、何一つ残らずに。
そこに例外はない。相手の中に欠片一つ残ることなく、必ず消滅するのだ。
シュネーは今し方王城で、そんな魔法を行使してきたばかりだった。
「だって、だって、仲良かったんですものぉぉぉぉぉうえぇぇぇぇぇえぇええ!」
「だ、大丈夫です、大丈夫ですよ、シュネー! 私は覚えていますからね!」
再び泣き出したシュネーに、コールマンは慌てて手を伸ばし、彼女の頭を撫でた。
今回、シュネーが魔法を使った相手は、彼女と同い年の王女だった。
王女は生まれた時から心臓が弱く、長くは生きられないだろう、と言われていた。
そこへ白羽の矢が立ったのがシュネーだ。王城勤めの兄弟子であるコールマンの推薦で、シュネーが彼女の病を治すことになったのである。
最初はおっかなびっくりではあったが、シュネーと王女は、同じ読書好きという趣味もあってか、直ぐに仲良くなった。
短い時間ではあった。だがそれでも、とても楽しい時間だった。シュネーは王女が大好きになったのだ。そして王女もシュネーを親友だと言ってくれた。
だが、いかに仲の良い相手であっても、魔法を行使すれば記憶は消える。
在る時、熱でうなされた王女に、シュネーは魔法を使った。大きな力を持った魔法だった。
王女の中のシュネーの記憶が、どれほどの存在であったのか、はっきりと分かるほどに。
シュネーは王女を助けたかった。忘れられたとしても、大好きな親友を助けたかったのだ。
そして、魔法は成功し、王女の病は消えた。
容体が落ち着き、目を覚ました王女は、覗き込むシュネーを見て不思議そうに「どなた……ですか?」と尋ねたのだ。
シュネーは分かっていた。何度も繰り返してきたことだ。
こういう結末になるのは分かっていた。だが、それでもやはり悲しかった。
期待、してしまったのだ。分かっていたのに、シュネーは「もしかしたら」と期待してしまったのだ。
王女が元気になったら一緒に、外を歩きたかった。一緒に買い物をして、遊びたかった。
そういう思いが熱となり、目から零れ落ちる。
もちろんシュネーだって、王女を助けられたことは嬉しいと思っている。
そもそも、最初からそう言う依頼だったのだ。
それに王女の事だけではない。魔法とはそういうものだ。
どれだけ仲良くなろうとも、友達になれとたとしても、その交流はあくまで魔法のためである。魔法を行使するために行っていたことである。
けれど、それでも。
仲良くなった相手から向けられる、魔法を行使したあとの「この人は誰だろう?」という不思議そうに自分を見る表情が、シュネーは嫌だった。悲しくて、嫌だった。
相手の中で自分が消える感覚が、たまらなく苦しい。
魔法を使った時に、いっそ自分の中の記憶も消えてくれれば良いのにと、シュネーは何度も思った。
だが、シュネーの記憶はずっと、消えずに残り続けていた。
◇ ◇ ◇
シュネーが泣きやむ頃。
馬車は大きな屋敷の前で停まった。
三階建の落ち着きのあるその建物は、コールマンの屋敷。
「シュネー、もし良かったら、今日はこちらで泊まって行っても良いのですよ?」
シュネーの顔を心配そうに覗き込みながら、コールマンはそう言った。
ずっと昔、シュネーとコールマンは、王都から離れた場所にある家で一緒に暮らしていた。二人の師匠の家だ。
二人の師匠が亡くなったあとも、長い事一緒に暮らしていたが、コールマンは王城に勤め初める際に王都に住むようになったため、今は別々に暮らしている。
その時に、シュネーはコールマンに「王都で一緒に暮らさないか」と言われたが、断っていた。
師匠の家を放置する事も気になったし、何よりもいずれコールマンが結婚する際に、妹がいては――しかも血の繋がりもない――上手く行くものも行かないだろうと思ったからである。
「だ、大丈夫ですよ、兄さん。それに、今日の夕飯用に仕込んだ食材もありますから、帰ります」
「でも……」
「大丈夫です。ほら、御者のおじさまも忙しいですし、あまり時間が掛かっては申し訳ないですよ」
「……そうですか。でも、気を付けるのですよ?」
シュネーの言葉に、コールマンは不安そうに眉尻を下げた。
そして何度も何度もシュネーを振り返りながら、馬車を降りる。
心配性だなぁと思いながら、シュネーは手を振った。
そうしている内に馬車が動き出した。自分に手を振るコールマンを見ながら、シュネーは先ほどの兄弟子の言葉を思い出す。
『だ、大丈夫です、大丈夫ですよ、シュネー! 私は覚えていますからね!』
魔法は魔法を使う相手の中にある、自分の記憶を使うものだ。
だからこそ、自分に対して魔法を使わせなければ、記憶は消えない。
コールマンが言っている『覚えている』とはそういう事だ。
でも、とシュネーは思う。
「使わないなんて、保証はない……ですもの」
そしてぽつりと呟いた。
コールマンはシュネーの唯一の兄弟だ。
そこに血の繋がりはなくとも、小さい頃からずっと一緒に育った、今ではたった一人の家族なのだ。
もしもコールマンが苦しんでいたら、悩んでいたら、シュネーは躊躇わずに魔法を使うだろう。
例えその結果、コールマンがシュネーの事を忘れても。
そんな事を考えながら、シュネーは窓の外を見ていた。
その時、シュネーの目に、ボサボサ頭でボロボロの服を着た大柄な男が映る。
歳は良く分からないが、身なりのせいというのも合わせて三十はとうに越えているように見えた。
気になってシュネーが見つめていると、男と目が合った。
正確には目が合った気がする、だが。
何故ならば、男の目元は、長く伸びた前髪で隠れているからだ。
だが目が合った気がしたので、シュネーは思わず頭を下げた。すると男もシュネーに気付いたのか、にこりと笑った。
笑い返してくれた。その事にシュネーがほっこりした気持ちになっていると、その男に通行人がぶつかった。
「あ」
シュネーは思わず口を開いた。
通行人とぶつかってよろけた男は、体制を崩してふらふらと、近くに詰んである果物の入った木箱の方へと向かう。
そして、そのまま。
「え、あの、ちょっ」
男は運悪く石畳の隙間に躓くと、そのまま勢いよく木箱の中へと倒れ込んだ。
男が重かったのか、それとも木箱がそういう素材だったのか。馬車の中でもはっきりと聞こえる大きな音に、馬がびくりと身体を震わせ、馬車が揺れる。
だがシュネーは構わず、大慌てで窓に張り付き、男の様子を見た。
男は動かない。
シュネーはサーッと青ざめた。
もしかしたら、自分が挨拶をしたせいかと思ったのだ。
シュネーは馬車の窓を開け、身を乗り出した。そして御者に向けて、
「すすすすみません、あの、ちょっ、とま……げふ! 舌噛んだ! 舌痛い! じゃなくて、停まって、停まってくださーい!」
と、御者に向かって叫んだ。
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