恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗

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10.ストロベリー侯爵は、意地悪な王子様。②

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 エミリオは当然のようにスッと立ち去って言って、私はようやく大きな息を吐いた。

「……助かった。なんだかもう、心がもたないわ」
「そんなに疲れたか?」

 微笑するイシドール様のお顔が……甘い。

「はい……もう、体が熱くなってしまって」

 私が苦笑すると、イシドール様が、ゆっくりとこちらに歩み寄る。

「レディア。今、シャロットはいない」
「はい、だから少し休憩を……」

 言いかけた私の言葉が、イシドール様の声にかき消される。

「……続きをしても、問題はない」
「……っ」

 どういう意味ですか……っ

 イシドール様が近づいてくる。逃げようと腰を引くと、後ろにはソファの肘掛け。
 逃げ場なんて、最初からなかった……!?

「ほんの少し触れただけで、震えていた。……かわいかった」
「そ、それはっ……っ」
「もう少し寄ったら、どんな声を出すのか──確かめたくなってしまう」

 低い声が、耳のすぐそばで囁かれる。
 息がかかるほど近くて、私の鼓動が速くなるのが伝わってしまいそう……っ。

「レディア……口づけは、演技の範囲に入るのではないか?」
「……っ、な……に、を……」

 演技なら、口付けしてもいいって思ってらっしゃる!?
 そりゃ、私は昨日、拒んでしまったけど……
 え、演技ならオッケー? 結婚式ごっこをあのまま続けてたら……確かに、してたかもしれないけど……
 で、でも、ええぇぇぇええ?

「君が逃げないなら、俺は、今すぐ答えをもらいにいこう」

 イシドール様の指が、私の顎にそっと触れる。
 目を逸らそうとしても、捕まえられて、熱い視線から逃げられない。

「……今だけでもいい。妃のすべてを、知りたい」

 妃……そうだ、私は妃で、イシドール様は王子様……
 “レディア”としてのキスじゃなければ……それも、アリ?

 その言葉の熱が、肌のすぐそばに触れていた。

 手は添えられているだけ。
 だけど、逃げるには距離が近すぎる。

 迫ってくる、“王子様”。

 こんなの、拒めるわけ……ない。
 イシドール様の情熱が、私の肌を焦しそうなほど熱くて。

「イ、イシドール様……」

 情けないくらい弱くて、かすれた声で名前を呼ぶと、彼の指先がそっと動いた。
 けれどその瞬間、ふいにドアの向こうから声が──

「パパー! おねえちゃーん! シャル、クッキーたべていーい!?」
「……っ!」

 私はびくっと肩を震わせ、彼の腕からすり抜けるように立ち上がる。
 まるで悪いことをしていたみたいに、慌てて距離を取った。

「食べていいわよ、シャル! ちゃんとミルクも飲んでね!」

 声が裏返ってる。顔はたぶん、めちゃくちゃ赤い。

 後ろを振り向けないまま、胸に手を当てて、乱れた息を整えようとした。
 ……だけど、無理。

 心臓が、ばくばくと跳ねてるんだもの。
 さっきまでの空気が、まだ体に残っていて。
 イシドール様の言葉が、指が、熱が、全部消えてくれない。

 何もなかったのに。
 私の体は、恋をした少女のように、ふわふわと浮いていて。

 ああ、どうしよう……これは、きっと、夢にも出ちゃうやつだわ……っ

 そんなふうに思った瞬間、背中からふわりと、彼の低い声が追いかけてくる。

「……残念」

 残念って、残念ってなんですか。

 振り向いた先のイシドール様は、まるで何事もなかったように微笑んでる。
 人をこんなにドキドキさせておいて、涼しそうに。

「仕事に戻る。シャルを頼む」

 それだけ言うと、いつもの背中で部屋を出ていった。
 ドアが、静かに閉まる。

 部屋に残されたのは、クッションとお人形と、ぬくもりの余韻。
 そして、私。

 あの距離、あの声音、あの手の熱。
 ひとつずつ思い出すたびに、肌の奥から何かがじわりとこみ上げてくる。
 火照りなのか、恥ずかしさなのか、それとも……もっと別の、どうしようもない想いなのか。

 ずるいわよ、あんなのー!

 何事もなかったみたいに振る舞って、あんな目で笑って。
 私だけ、ひとり置いてけぼりみたいに、まだぐらぐらしてるのに。

 そのくせ、あの言葉が耳から離れない。

『……残念』

 まるで、続きを望むように。
 まるで、私の中の期待に、気づいていたかのように。

 ……やだ、もう。
 本当に、ちょっと意地悪な王子様だった。

 頬に手を当てると、指先よりも熱くなっていて。
 誰も見ていないのに、いたたまれない気持ちになって、私は両手で顔を隠した。

 胸が、熱い。
 でも──甘い……。

 私がまだ立ち尽くしている部屋に、雨の音が静かに降っていた。

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