再び大地(フィールド)に立つために 〜中学二年、病との闘いを〜

長岡更紗

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12.拓真兄ちゃんとリナ

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 この清潔室に入って二週間。入院してから今日で丁度一ヶ月だ。まだ生禁真っ只中、加えて俺のカテーテルは現在黄色に染まっている。ヘモグロビンを輸血して貰っているので、その色だ。血小板を輸血した時はトマトジュースみたいな赤さだったけど、ヘモグロビンは何故か薄い黄色だった。
 ああ、でも有難いな。献血してくれてる人に感謝だ。俺も大人になったら献血に行きたいところだけど、輸血したことのある人は献血はダメだって言われてしまった。代わりに父さんと母さんが献血に行くよって笑ってくれたけど。

 風呂の順番でも取りに行こうかと扉の向こうを覗くと、そこには池畑さんがリナの病室から出て来た所だった。同じ清潔室の一角の病室に入っているので、ほぼ毎日顔を合わせている。

「リナ、待っててね。すぐに戻るから」
「はーい」

 リナは現在、清潔区域から出る事はおろか、自分の病室から出ることすら禁止されている。そうなる少し前から人との接触も極力避けるようにと言われていて、リナと話す時はいつも距離をとって話していた。
 俺は部屋を出てリナの病室の扉を見てみると、小窓から俺を見つけて手を振ってくれている。

「おはよう、リナ。ちゃんと食べたか?」
「ん~ん、ちょっと気分悪くて残しちゃった」
「そっか。まぁそんな時もあるよな」

 よしよしと撫でてあげられないのが悲しいな。でも今のリナはとても大事な時だから、俺もしっかりマスクをしてる。つい面倒で忘れちゃって、看護師の園田さんによく怒られるんだけど。扉越しに話しかけてるから大丈夫なはずだけど、念の為、な。
 ふと見ると、清潔室の扉を開けて誰かが入って来た。

「よう、ハヤト」
「拓真兄ちゃん。今日から入院?」
「おう、暇だからリナの顔を見に来た」
「お兄ちゃんっ」
「おう、リナ。気分はどうだ?」
「うん、バッチリだよ!」
「そうか、いよいよだな」

 今しがた、気分が悪くて食事を残したと言っていたのに、拓真兄ちゃんに気を使わせない為かニコニコと笑っている。それとも、拓真兄ちゃんの顔を見たから、元気になったのかな。
 その拓真兄ちゃんは明日、骨髄液を抜く処置をするらしい。もちろん、リナに提供するためだ。
 幸いな事に拓真兄ちゃんとリナのHLAという血液の型が一致フルマッチしていて、拓真兄ちゃんがリナの提供者ドナーとなった。拓真兄ちゃんは自己輸血をするための採血だとかで、平日に学校を休んで何回かこの病院に通っていた。今日ももちろん平日だ。高校は休んだんだろう。

「お兄ちゃん、リナの為に怖い思いさせてごめんね」
「怖くねぇって! リナの為なら何も怖くなんかないから、心配するな!」

 拓真兄ちゃんの言葉に、リナはウルウルしている。小学一年とはいえ、入院して骨髄液を取るっていうのがどんな事か、分かってるんだろうな。
 その時、コンコンという音がどこからか鳴った。

「リナちゃん、リナちゃん!」

 普通の小児病棟と清潔室を遮る透明なガラスの扉がコンコンと叩かれた音だ。こちら側、清潔室の方には俺とリナ、それにリナの家族である拓真兄ちゃんがいる。そして向こう側には……

「さくらちゃん!」
「諏訪部さん、さくら」

 リナと俺が名を呼ぶ。扉の向こう側にはさくらとその母親の諏訪部さんが立っていた。しかし諏訪部さんとさくらは清潔室には入れないし、リナは病室から出てはいけないと言われているため、その距離はやたらと遠い。
 諏訪部さんはどうしてもリナと話したいらしく、近くにいた看護師さんに頼み込んでさくらと共にキッチリと消毒をし、マスクとナイロンのエプロン、それにゴムの手袋をして清潔室に入ってきた。
 そしてようやく諏訪部さんがリナと対面する。といっても、やっぱりリナとの病室の間には一枚の扉があるままだけど。

「リナちゃん、移植は明日だっけ?」
「ううん、明後日だよ~」
「そう、頑張ってね。さくらは今日で退院だからもう中々会えないと思うけど、応援してるから」
「さくらちゃん、退院!? おめでとう~!!」

 リナは本当に嬉しそうに喜んでそう言っていた。さくらの前ではいつもお姉さん風を吹かせて可愛がっていたから、本当は寂しいんじゃないかと思うんだけど。リナは一体何人の子に退院おめでとうって言ってきたのかな。

「ありがとう、リナちゃん。ほら、さくらもリナちゃんにありがと言って」
「リナちゃ、あっと!」

 さくらはそう言いながら目の前の扉にトンと手を置いた。リナが逆側からそれに触れるように手を置く。二人は間にガラス一枚を挟んで、手を重ね合わせた。

「さくらちゃん、良かったね! 元気でね!」
「本当にありがとう、リナちゃん。ハヤトくんも」
「俺は何も……退院おめでとうございます」
「ありがとう。ハヤトくんも頑張ってね!」

 そう言って諏訪部さんとさくらは去って行った。二人をいつまでも見送ろうとしているリナがいじらしくて、俺は思わず目を逸らす。ふとそのまま視線を上げると、拓真兄ちゃんも少し辛そうな顔をしていた。
 けれど、二人を見送って俺達の方向いたリナの顔は。

「さくらちゃん、外に出られて良かったねー!」

 満面の笑みだった。その笑顔にほっとして泣きそうになったのは、多分俺だけじゃないはずだ。

「おう、良かったな」
「うんっ!」

 拓真兄ちゃんの言葉に、やっぱり嬉しそうに答えるリナ。俺の心配は……不要だったかな?

「リナも俺の骨髄ですぐに元気になるからな!」
「お兄ちゃんの骨髄貰ったら、リナもムキムキになれるかな!?」
「いや、ムキムキはならなくていいからっ!」

 リナのムキムキ姿を想像して、俺は思わず吹き出す。それはそれで面白いけど、拓真兄ちゃんにとってはムキムキのリナなんてたまったもんじゃないだろう。本人はちょっとムキムキに憧れてるみたいだけど。
 拓真兄ちゃんが「でも不思議だよな」と言って腕を組む。

「何が?」
「骨髄移植したら、遺伝子情報は全部提供者ドナー側になるんだろ?」
「全部っていうか、確か血液情報だけだった気がする。髪の毛とか、骨髄と関係ないところは本人のままだって小林先生が言ってた」
「それでも移植後に作られる血液は俺のものって事だろ? 女の子なのに遺伝子情報は男だとか……ちょっとなぁ……」
「え? リナ平気だよ。本当に男の子になるわけじゃなくって、体の中の説明書が男っていう字に変わるだけってって先生言ってたもん」
「うーん、けどなぁ……俺が女だったら良かったのにな」
「えー、お兄ちゃんは男じゃないとやだよーっ」

 リナは全く気にしていないようだけど、兄心は複雑なようだ。まぁ分からなくはないけど、見た目が変化するわけでもないんだから良いんじゃないのかと思う。出会った人にいちいち血液検査結果を見せる奴もいないしな。

「拓真兄ちゃん、明日はリナのためにも頑張ってくれよ!」
「おう。まぁ全身麻酔だから眠ってる間に終わるらしいけどな。その前後の絶飲食と動いちゃダメっていうのが俺には厳しそうだ……」
「お兄ちゃん、ごめんねっ」
「あ、だから大丈夫だって! 気にすんな!」

 リナには弱い拓真兄ちゃん。まぁ俺も人の事言えないけど。

「それよりハヤト、お前は骨髄移植はどうなってるんだ?」
「今、コーディネーターの人が駆け回ってくれてるみたい。HLAが一致する人は居たけど、承諾してくれるかはその人次第だから」
「そっか……」

 一応父さんと母さんも調べたけど、当然の事ながら一致しなかった。兄弟間でなら四分の一の確率で一致するらしいけど、妹の香苗はまだ七歳だ。
 通常、骨髄のドナーとなれるのは十八歳以上五十四歳以下で、血縁関係にあれば十歳から十七歳、五十五歳から六十五歳でも可能らしい。
 まぁどっちにしても香苗は十歳に満たないので駄目だって事だった。

「でも臍帯血移植とかもあるらしいし、最悪提供者ドナーが見つからなくても何とかなるから心配しなくて良いって小林先生が言ってた」
「だったら最初っから臍帯血移植でいいのにな」
「俺の白血病の型とか状態で言うと、やっぱり骨髄移植の方が結果が出やすいんだって。まぁ見つからなくても他に方法があるんだから気は楽だけどね」

 これが臍帯血移植とかない時代だったら気が気じゃなかったのかもしれないけど、医学の進歩に大感謝だ。まぁ勿論、提供者ドナーが見つかって最善の治療をする事が出来れば一番だけど。HLAが一致した人、引き受けてくれるといいなぁ。でも期待し過ぎるのはやめとこう。

「見つかるといいな、提供者ドナー
「うん」

 拓真兄ちゃんはそれだけ言うと、明日に備えて自分の病室に帰って行った。
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