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三章
2、エルヴェーラを隠して
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「うわっ」
家の扉を開けた途端、何かに体当たりされてアランは思わず声を上げた。
もちろん、よろけることはないが。
暖炉の明かりを頼りに、布団を見るとソフィの姿がない。というか、今アランにしがみついているのだから、おとなしく寝ているはずもない。
「どうしたんだ? 寝ていなきゃダメだろうが」
「だって……アランがいないんだもん」
「俺は水を汲みに行ってただけだ。ほら……」
差しだしたカップの水はほとんど零れ、床を濡らしていた。これじゃあ、何のために井戸に行ったのか分からない。
「もう一度汲んでくるから、横になっていろ」
「いや。わたしも一緒に行く」
「あのな、ソフィ。我儘を言うもんじゃない。すぐに戻るから、ちゃんと飲むんだぞ」
アランは伸び掛けた前髪をかきあげながら、ため息を洩らした。
自分の育て方が悪かったのか、このお嬢さんはすぐに「離れたくない」とか「一緒にいたい」と甘えたことを言う。
中でももっともアランを悩ませている我儘がある。それは……。
「口移ししてくれたら、飲む」
ほら、きた。
ソフィが抱きついているから、身動きが取れないが。心の中ではアランは頭を抱えてしゃがみこんでいる。
恋愛経験もないくせに、なんでそういうことだけ、ませてるんだ。お前は。
どこで覚えてくるんだ。学校か?
ソフィが元気な状態なら、こんこんと説教をするところだが。たぶん今、言い聞かせるともっと熱が上がる。
「じゃあ選べ。水を自分で飲むか、苦い薬を口移しで飲むか」
「うっ」
ソフィがひるんだ。
よしよし、ソフィは薬湯が大の苦手なんだ。
なにしろ薬湯を飲むと寒気がして、全身に鳥肌が立って、よけいに気分が悪くなるらしい。むしろ睡眠をとって治すという動物のような方法が、彼女的には一番なのだそうだ。
「さーて、俺は薬湯の用意でもするかな。風邪は引きはじめが肝心だ。かなり濃く煮出した方がいいだろうな」
木の皮と草の根の甘苦い味を思い出したのか、そうーっとソフィがアランから手を離す。
「水、自分で飲む」
「じゃあ、もう一度汲んでくるからな。追いかけてくるなよ。ちゃんと待ってろよ」
念を押すと、おとなしく「うん」とうなずいた。普段から、これくらい素直だと助かるんだが。
ソフィを暖炉の前に座らせて、水を飲ませる。細くて白い喉元が、こくりと動く。
疲れたのか、ソフィはアランの膝を枕代わりに眠ってしまった。服を通して、彼女の熱が肌に伝わってくる。
高熱というほどではなさそうだし、呼吸も荒くない。
彼女の額に滲む汗を、アランは布でぬぐってやった。
静かな夜。ただ眠気を誘うような、薪の爆ぜる音だけが聞こえる。
いつまでこんな風に二人でいられるのだろう。
自分はあくまでもソフィの保護者だ。いつかは彼女は結婚して、この家を出ていく。
そうすれば保護者としての役目も終わりだ。
他の町に移り住んでもいいし、仕事を変えてもいい。
恋人をつくっても何の問題もない。
「自由になれるんだよな」
ぽつりと呟いた言葉に、ソフィが「う……ん」と反応する。それがまるで「アランは自由だよ。わたしも自由。お互い、恋人を作ろうよ」と背中を押されたように思えた。
ソフィがアランに抱きついたり、キスをせがむのは、ただ恋に恋しているからだ。相手がアランでなければならないという理由はない。
「少し寒いな」
隙間風が入っているのだろうか。アランは布団を自分とソフィにかけた。
それでも、体の内側がやはり寒い気がした。
十三年かけて伸びた木々から、フクロウの寂しい鳴き声が聞こえた。
木々がもっと育って深い森になればいい。そうすればこの家とソフィを隠してくれるから。
家の扉を開けた途端、何かに体当たりされてアランは思わず声を上げた。
もちろん、よろけることはないが。
暖炉の明かりを頼りに、布団を見るとソフィの姿がない。というか、今アランにしがみついているのだから、おとなしく寝ているはずもない。
「どうしたんだ? 寝ていなきゃダメだろうが」
「だって……アランがいないんだもん」
「俺は水を汲みに行ってただけだ。ほら……」
差しだしたカップの水はほとんど零れ、床を濡らしていた。これじゃあ、何のために井戸に行ったのか分からない。
「もう一度汲んでくるから、横になっていろ」
「いや。わたしも一緒に行く」
「あのな、ソフィ。我儘を言うもんじゃない。すぐに戻るから、ちゃんと飲むんだぞ」
アランは伸び掛けた前髪をかきあげながら、ため息を洩らした。
自分の育て方が悪かったのか、このお嬢さんはすぐに「離れたくない」とか「一緒にいたい」と甘えたことを言う。
中でももっともアランを悩ませている我儘がある。それは……。
「口移ししてくれたら、飲む」
ほら、きた。
ソフィが抱きついているから、身動きが取れないが。心の中ではアランは頭を抱えてしゃがみこんでいる。
恋愛経験もないくせに、なんでそういうことだけ、ませてるんだ。お前は。
どこで覚えてくるんだ。学校か?
ソフィが元気な状態なら、こんこんと説教をするところだが。たぶん今、言い聞かせるともっと熱が上がる。
「じゃあ選べ。水を自分で飲むか、苦い薬を口移しで飲むか」
「うっ」
ソフィがひるんだ。
よしよし、ソフィは薬湯が大の苦手なんだ。
なにしろ薬湯を飲むと寒気がして、全身に鳥肌が立って、よけいに気分が悪くなるらしい。むしろ睡眠をとって治すという動物のような方法が、彼女的には一番なのだそうだ。
「さーて、俺は薬湯の用意でもするかな。風邪は引きはじめが肝心だ。かなり濃く煮出した方がいいだろうな」
木の皮と草の根の甘苦い味を思い出したのか、そうーっとソフィがアランから手を離す。
「水、自分で飲む」
「じゃあ、もう一度汲んでくるからな。追いかけてくるなよ。ちゃんと待ってろよ」
念を押すと、おとなしく「うん」とうなずいた。普段から、これくらい素直だと助かるんだが。
ソフィを暖炉の前に座らせて、水を飲ませる。細くて白い喉元が、こくりと動く。
疲れたのか、ソフィはアランの膝を枕代わりに眠ってしまった。服を通して、彼女の熱が肌に伝わってくる。
高熱というほどではなさそうだし、呼吸も荒くない。
彼女の額に滲む汗を、アランは布でぬぐってやった。
静かな夜。ただ眠気を誘うような、薪の爆ぜる音だけが聞こえる。
いつまでこんな風に二人でいられるのだろう。
自分はあくまでもソフィの保護者だ。いつかは彼女は結婚して、この家を出ていく。
そうすれば保護者としての役目も終わりだ。
他の町に移り住んでもいいし、仕事を変えてもいい。
恋人をつくっても何の問題もない。
「自由になれるんだよな」
ぽつりと呟いた言葉に、ソフィが「う……ん」と反応する。それがまるで「アランは自由だよ。わたしも自由。お互い、恋人を作ろうよ」と背中を押されたように思えた。
ソフィがアランに抱きついたり、キスをせがむのは、ただ恋に恋しているからだ。相手がアランでなければならないという理由はない。
「少し寒いな」
隙間風が入っているのだろうか。アランは布団を自分とソフィにかけた。
それでも、体の内側がやはり寒い気がした。
十三年かけて伸びた木々から、フクロウの寂しい鳴き声が聞こえた。
木々がもっと育って深い森になればいい。そうすればこの家とソフィを隠してくれるから。
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