37 / 93
八章
5、アランのバカ
しおりを挟む
「アランのバカ。わたしが家に帰ったとか嘘の情報なのに、確かめもせずに信じるなんて。きっと将来、詐欺にあうよ。わたしが目の前にいるのに『ソフィが馬車で事故を起こして、示談金が必要だ』なんて詐欺師に言われたら、すぐに現金を用意しそう」
「だよねぇ。馬鹿だよね、アランは。けど、それだけソフィのことが心配なんだろうさ」
ハンナがしゃがみこんで、ソフィの頭を撫でてくれる。座るとお腹が邪魔なのか、なかなかに苦しそうだ。
「ハンナ、わたしね……知っちゃいけない秘密を知っちゃったの」
「アランが守り通していた秘密かい?」
ソフィがうなずくと、ハンナはゆったりと微笑んだ。化粧っ気のない顔なのに、その表情はとても温厚で美しく見えた。
ハンナがどこまで気付いているのかは、分からない。でも明らかに容姿の違う伯父と姪を、詮索することもなく受け入れてくれた。
テオドルが貼りまくったエルヴェーラの紙も、目にしているはずなのに。
「アランの件は、知らないふりをしておあげ。今はまだ真実を口にできる時じゃないんだろうさ。アランは図体はでかいけどね、あたしから見りゃ、まだまだ子どもだからね」
「ハンナとアランは、そんなに年齢違わないよね」
「男なんて、いくつになっても子どもさ。ソフィが大人になってあげな。真実を掘り返すことで、傷つく人もいるのさ」
これを持ってお行き、とハンナはかごに卵を入れて渡してくれた。
「ありがとう、ハンナ」
ソフィはかごを片手で持ち、露店のテントを支える柱に手をかけて、ひらりと陳列台を飛び越えた。
赤に緑のリンゴ、夏の間に干したベリーやジャム、川で捕った魚に杏色の茸、細いニンジンを束ねた鮮やかな橙色。市場には色と匂いが溢れていた。
(そうだ。ハーブのお茶を淹れるんだった。この卵でオムレツも作ろう)
グンネルのことも、エルヴェーラの件も、いつかアランが話してくれる日が来るかもしれない。
その時を待とう。
(わたしはいい女になるんだから)
市場から家に向かう道は下り坂なので速い。前方に小さくアランの後ろ姿が見えた。
「アランーっ!」
卵の入ったかごを両手で抱えているから、手は振れないけど。ソフィは大事な人の名を呼んだ。
伯父と姪でもいい。伯父と姪でなくてもいい。アランと一緒にいられるのなら、それだけで満足だもの。
アランが立ち止まるのが分かった。ふり返る顔は遠くてよく分からないけど。多分、呆れてる。
なのにアランは両腕を広げてくれた。ソフィを迎えるために。
わたしだけが飛び込んでいい場所。わたしのためだけに、いつだって広げられる腕。
それだけで充分だよ。
そうだ。特大のオムレツを作ったら、アランは喜んでくれるかな。潰したカニを入れたら、コクが出てもっとおいしくなるけど。新鮮な卵だから、シンプルな調理の方がいいかな。
アランはどっちがいいって言うだろう。
「おや、これは素晴らしい卵ですね。エルヴェーラさまがお持ちになると、普通の卵すらもオパールであるが如く尊く見えます。卵は誕生の象徴と祝福。我らの希望であるお嬢さまに相応しい」
「ひっ」と短い悲鳴をソフィは上げた。
目の前に飛び出してきたのは、辺境伯の騎士であるレイフだ。右腕に包帯を巻き、顔色は青白い。
なんでこいつが……。
(気持ち悪っ。普通に「止まれ」とか言われた方が、よっぽどマシよ)
坂道を駆け降りるソフィは、そう簡単には止まれない。しかも早朝に霧がかかっていたらしく、石畳の道はよく滑る。
「避けてー」と叫びながら、腰を落として滑りつつ、ついでにレイフに足払いをかける。
レイフは体を退けることもなく、ソフィの足をまともに受けた。よろけはするが、何とか転びはしなかった。
ちぇっ。スピードが足りなかったか。
「光栄でございます。エルヴェーラさまが直々にこの身を蹴ってくださるとは。お望みとあらば、何度でもあなたさまの蹴りを受けましょう」
「蹴ってないし、蹴りたくないから」
「エルヴェーラさまが、我が身に印を刻んでくださる。何と素晴らしいことか」
「変な言い方しないでよ。ただの青痣でしょ」
こんな奴の相手をしてる暇はない。ソフィは再び走りだしたが、腕をレイフに掴まれた。
「どうぞ、このレイフにお慈悲を」
「ひぃぃぃー!」
やだやだ。嫌いなのよ、変態って!
「だよねぇ。馬鹿だよね、アランは。けど、それだけソフィのことが心配なんだろうさ」
ハンナがしゃがみこんで、ソフィの頭を撫でてくれる。座るとお腹が邪魔なのか、なかなかに苦しそうだ。
「ハンナ、わたしね……知っちゃいけない秘密を知っちゃったの」
「アランが守り通していた秘密かい?」
ソフィがうなずくと、ハンナはゆったりと微笑んだ。化粧っ気のない顔なのに、その表情はとても温厚で美しく見えた。
ハンナがどこまで気付いているのかは、分からない。でも明らかに容姿の違う伯父と姪を、詮索することもなく受け入れてくれた。
テオドルが貼りまくったエルヴェーラの紙も、目にしているはずなのに。
「アランの件は、知らないふりをしておあげ。今はまだ真実を口にできる時じゃないんだろうさ。アランは図体はでかいけどね、あたしから見りゃ、まだまだ子どもだからね」
「ハンナとアランは、そんなに年齢違わないよね」
「男なんて、いくつになっても子どもさ。ソフィが大人になってあげな。真実を掘り返すことで、傷つく人もいるのさ」
これを持ってお行き、とハンナはかごに卵を入れて渡してくれた。
「ありがとう、ハンナ」
ソフィはかごを片手で持ち、露店のテントを支える柱に手をかけて、ひらりと陳列台を飛び越えた。
赤に緑のリンゴ、夏の間に干したベリーやジャム、川で捕った魚に杏色の茸、細いニンジンを束ねた鮮やかな橙色。市場には色と匂いが溢れていた。
(そうだ。ハーブのお茶を淹れるんだった。この卵でオムレツも作ろう)
グンネルのことも、エルヴェーラの件も、いつかアランが話してくれる日が来るかもしれない。
その時を待とう。
(わたしはいい女になるんだから)
市場から家に向かう道は下り坂なので速い。前方に小さくアランの後ろ姿が見えた。
「アランーっ!」
卵の入ったかごを両手で抱えているから、手は振れないけど。ソフィは大事な人の名を呼んだ。
伯父と姪でもいい。伯父と姪でなくてもいい。アランと一緒にいられるのなら、それだけで満足だもの。
アランが立ち止まるのが分かった。ふり返る顔は遠くてよく分からないけど。多分、呆れてる。
なのにアランは両腕を広げてくれた。ソフィを迎えるために。
わたしだけが飛び込んでいい場所。わたしのためだけに、いつだって広げられる腕。
それだけで充分だよ。
そうだ。特大のオムレツを作ったら、アランは喜んでくれるかな。潰したカニを入れたら、コクが出てもっとおいしくなるけど。新鮮な卵だから、シンプルな調理の方がいいかな。
アランはどっちがいいって言うだろう。
「おや、これは素晴らしい卵ですね。エルヴェーラさまがお持ちになると、普通の卵すらもオパールであるが如く尊く見えます。卵は誕生の象徴と祝福。我らの希望であるお嬢さまに相応しい」
「ひっ」と短い悲鳴をソフィは上げた。
目の前に飛び出してきたのは、辺境伯の騎士であるレイフだ。右腕に包帯を巻き、顔色は青白い。
なんでこいつが……。
(気持ち悪っ。普通に「止まれ」とか言われた方が、よっぽどマシよ)
坂道を駆け降りるソフィは、そう簡単には止まれない。しかも早朝に霧がかかっていたらしく、石畳の道はよく滑る。
「避けてー」と叫びながら、腰を落として滑りつつ、ついでにレイフに足払いをかける。
レイフは体を退けることもなく、ソフィの足をまともに受けた。よろけはするが、何とか転びはしなかった。
ちぇっ。スピードが足りなかったか。
「光栄でございます。エルヴェーラさまが直々にこの身を蹴ってくださるとは。お望みとあらば、何度でもあなたさまの蹴りを受けましょう」
「蹴ってないし、蹴りたくないから」
「エルヴェーラさまが、我が身に印を刻んでくださる。何と素晴らしいことか」
「変な言い方しないでよ。ただの青痣でしょ」
こんな奴の相手をしてる暇はない。ソフィは再び走りだしたが、腕をレイフに掴まれた。
「どうぞ、このレイフにお慈悲を」
「ひぃぃぃー!」
やだやだ。嫌いなのよ、変態って!
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
784
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる