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九章
5、乳母は裏切り者なんかじゃない
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「ベアタの母は、裏切り者ですよ。エルヴェーラさまをみすみす敵に引き渡したのですからね。あの娘には行くあてがないので、お情けで雇ってやっているのです。おとなしく従順な娘と思っていましたが、エルヴェーラさまに無礼を働くとは。許しがたいことです」
舌打ちをするレイフは、憎悪に顔をしかめていた。
疲れたから休みたいとソフィが申し出ると、レイフは部屋を出ていった。
それは嘘ではないが、考えることが多すぎて眠っている場合じゃない。
「この窓から外に出られそう」
枝を伝って下に降りることはできる。だが積雪のせいで足跡がどうしても残ってしまうだろう。
外が寒いせいで、窓ガラスはうっすらと曇り、すぐにベアタの姿は見えなくなった。
「帰らなくちゃ。アランはきっと心配してるもの」
窓に背を向けた時、ソフィの手が本棚に当たった。中から一冊の布張りの本が落ちる。
ばさりと床に広がった本は、青いインクで文字がしたためられている。
「『エルヴェーラさま、成長日誌』?」
本かと思ったそれは、どちらかといえば日記に近い。
日誌を記したのは母親のイヴォンネではなく、乳母のようだった。名前はないが、文面からそれが分かる。
エルヴェーラの体重の推移や、体調について事細かに記してある。
一見すると事務的に見える内容だが、ふとソフィは頁をめくる手を止めた。
メモが三枚はさんであったからだ。
――エルヴェーラさまがお歩きになられたなら、お城の庭で娘と散歩をさせてあげたいのです。年も同じなのですから、きっと親しくなってくれるでしょう。
エルヴェーラさまは今、奥さまとの肖像画のためにご無理をなさっておいでです。夜中にぐずるのもそのせいでしょう。
城の中は広いけれど、エルヴェーラさまと一緒に遊べるような女の子はおりません。
――奥さまに相談しましたが、出過ぎた真似をしないようにと叱られました。
エルヴェーラが下々の子どもと交わる必要はない、と。それでもお嬢さまをご自由に遊ばせてさしあげたいと願うのは、さしでがましいことなのでしょうか。
ソフィは成長日誌を本棚に戻した。だがそのメモだけは元のように挟むことができなかった。
ここには乳母の思いが詰まっている。それは紛れもなく自分に向けられたものだ。
(どうして軍の介入があったのに、わたしだけ生き延びることができたの? アランが助けてくれたにしても、誰かの手引きがなければ混乱の中で赤ん坊なんて命を落としていたに違いないのに)
三枚目のメモを見たソフィは、目を見開いた。
その時、窓を叩きつけるような音がした。驚いて顔を上げると、ガラスに雪がはりついている。
窓を開くと、雪玉が飛び込んできた。
「きゃっ!」
雪玉が顔にぶつかり痛みを感じた。ぬるりとした感触が額から鼻を伝って流れる。
床には崩れた雪にまじって、石が落ちていた。白い雪の中にぽたりと落ちる鮮血。痺れるような痛みを覚えた。
窓の外から、ベアタがソフィを見上げ睨みつけている。
「嫌われたものね……でも、当然かもしれないわ」
ソフィは持っていたハンカチで傷を押さえながら、ため息交じりに呟いた。
舌打ちをするレイフは、憎悪に顔をしかめていた。
疲れたから休みたいとソフィが申し出ると、レイフは部屋を出ていった。
それは嘘ではないが、考えることが多すぎて眠っている場合じゃない。
「この窓から外に出られそう」
枝を伝って下に降りることはできる。だが積雪のせいで足跡がどうしても残ってしまうだろう。
外が寒いせいで、窓ガラスはうっすらと曇り、すぐにベアタの姿は見えなくなった。
「帰らなくちゃ。アランはきっと心配してるもの」
窓に背を向けた時、ソフィの手が本棚に当たった。中から一冊の布張りの本が落ちる。
ばさりと床に広がった本は、青いインクで文字がしたためられている。
「『エルヴェーラさま、成長日誌』?」
本かと思ったそれは、どちらかといえば日記に近い。
日誌を記したのは母親のイヴォンネではなく、乳母のようだった。名前はないが、文面からそれが分かる。
エルヴェーラの体重の推移や、体調について事細かに記してある。
一見すると事務的に見える内容だが、ふとソフィは頁をめくる手を止めた。
メモが三枚はさんであったからだ。
――エルヴェーラさまがお歩きになられたなら、お城の庭で娘と散歩をさせてあげたいのです。年も同じなのですから、きっと親しくなってくれるでしょう。
エルヴェーラさまは今、奥さまとの肖像画のためにご無理をなさっておいでです。夜中にぐずるのもそのせいでしょう。
城の中は広いけれど、エルヴェーラさまと一緒に遊べるような女の子はおりません。
――奥さまに相談しましたが、出過ぎた真似をしないようにと叱られました。
エルヴェーラが下々の子どもと交わる必要はない、と。それでもお嬢さまをご自由に遊ばせてさしあげたいと願うのは、さしでがましいことなのでしょうか。
ソフィは成長日誌を本棚に戻した。だがそのメモだけは元のように挟むことができなかった。
ここには乳母の思いが詰まっている。それは紛れもなく自分に向けられたものだ。
(どうして軍の介入があったのに、わたしだけ生き延びることができたの? アランが助けてくれたにしても、誰かの手引きがなければ混乱の中で赤ん坊なんて命を落としていたに違いないのに)
三枚目のメモを見たソフィは、目を見開いた。
その時、窓を叩きつけるような音がした。驚いて顔を上げると、ガラスに雪がはりついている。
窓を開くと、雪玉が飛び込んできた。
「きゃっ!」
雪玉が顔にぶつかり痛みを感じた。ぬるりとした感触が額から鼻を伝って流れる。
床には崩れた雪にまじって、石が落ちていた。白い雪の中にぽたりと落ちる鮮血。痺れるような痛みを覚えた。
窓の外から、ベアタがソフィを見上げ睨みつけている。
「嫌われたものね……でも、当然かもしれないわ」
ソフィは持っていたハンカチで傷を押さえながら、ため息交じりに呟いた。
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