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十五章
6、君は俺の婚約者
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夜明け、ソフィはぱちりと目を覚ました。
どうやらベッドにも入らず、寝室にもいかず、そのまま暖炉の前で寝てしまったようだ。
すでに暖炉の火は消え、燃え残りが熾火になっている。
背中から落ちた毛布を手に取り、寒そうに眠っているアランの肩にそっとかける。
昨夜のことを思い出すと、頬が熱くなった。
いや、頬だけではない。アランの唇に触れられた肌が、今も熱を持っている気がする。
身体じゅうにキスされている時は、恥ずかしかったのに……もっとしてほしいと望む自分がいて。あんな甘い声を出して。
あ、駄目。思い出したら、恥ずかしさで耐えられない。
ソフィは腕で顔を隠した。
いや、今は手袋を取りに行くのが先決よ。
気を取り直し、アランを起こさないように、静かに扉を開いて外に出る。
しんと冷えた空気に、一瞬身震いした。けれど甘い花の香りが混じり、春の気配も感じられる。
「あった、あった」
夜露に濡れていないか心配だったけど、ちょうど椅子の陰になっていたから、鞄は湿っていなかった。
まだ薄暗い中、鞄に手を突っ込んで、手袋を確認する。
うん、大丈夫。問題ない。
昨日は渡し損ねたけど、今日こそロマンティックな夕暮れの川岸で、アランに手袋を贈るのよ。
「ソフィ」
突然声を掛けられて、ソフィはあわてて手袋を背中に隠した。いつの間にか、アランが目の前に立っていた。
もしかしたらドアを開けた時の冷気で、起こしてしまったのかもしれない。
「やはりここにいたのか。ゆうべから、外に出たがっていたもんな」
「う、うん」
手袋が出来上がったことは、まだ話していないから。それを持つ右手を背後に回したままだ。
「冷えるから中に入りなさい」
「すぐに行くから、アランは先に戻っていて」
軽い調子で言ったのに、アランは困ったような笑顔を浮かべた。
「本当は、たそがれ時の川辺で散歩でもしながら渡すつもりだったんだが」
「え? なんでそれを」
自分のロマンティック計画が、脳内からだだ洩れだったのだろうかと、ソフィは狼狽えた。
だが、そうではなかった。
アランは胸ポケットから小箱を取りだして、ソフィの目の前で開いた。
中に納まっていたのは、とても美しいすみれ色の宝石だった。
「きれい……」
「お手をどうぞ。お嬢さま」
アランが右手を差し出してくるから、ソフィは彼のてのひらに、自分の左手を重ねた。
華奢で美しい指輪が、薬指にはめられる。
よく見えるように左手を上にかざすと、昇りはじめた朝日にすみれ色の宝石が、きらきらと煌めいた。
「なんて素敵なの」
「ソフィを俺の花嫁にするという証だ。受け取ってくれるか?」
もちろん、と声を張り上げて返事したかったけれど。ソフィは感激のあまり、言葉も出なかった。
宝石ももちろん嬉しいけれど。本当に、アランがお嫁さんにしてくれるんだと実感すると、目の辺りがじんわりと熱くなった。
不安そうに覗き込んでくるアランの顔が、涙で滲んでいく。
ソフィはあわててうなずいた。何度も、何度も。
すると、アランが花開いたような笑顔を見せてくれた。
「あのね……できたの」
「え? さすがに、まだだろ。キスくらいじゃできないぞ」
「でも、この間からずっと」
「いや、本当にソフィが眠っている時も、頬や唇にキスしかしていないから」
しばしの沈黙。
二人とも顔を見合わせて、相手を凝視する。
突然、アランは自分の発した言葉の意味を把握したのか、顔を赤らめた。
ソフィもその意味を察して、空いた左手で顔を隠す。
薬指にはめた指輪が顔に触れて、嬉しいのか恥ずかしいのか分からない感情に混乱した。
だめだ、もう渡してしまおう。
顔を隠したままで、ソフィは手袋を持った右手を突きだした。
勢いあまって、アランの胸を叩くような形になってしまったけれど。全然ロマンティックじゃないし、計画していたようにはいかなかったけど。
手袋を渡されたアランは「ありがとう」と震える声で告げると、手で目元を拭っていた。
「ごめんなさい、痛かった?」
「違う」
「じゃあ、目にゴミでも入ったの?」
「あまり見ないでくれ。ただの……嬉し泣きだ」
アランは丁寧な手つきで手袋をはめてくれた。
何か月もかけただけあって、縫い目も丁寧で緻密だ。
サイズもちょうど良さそうだ。
手袋に包まれたアランの両手が、ソフィの頬をそっと挟む。
素肌の彼とは違う、ひんやりとしたなめらかな革の感触。
ソフィが背伸びをしようとすると、アランが屈みこんでその唇を塞いだ。
「まだちゃんと言葉で返事をもらっていない。この指輪は婚約の証だ。受け取ってくれ」
「……はい」
くちづけとくちづけの間に、ソフィは返事した。
こうしてソフィはアランの婚約者となった。
【次話より番外編となります】
どうやらベッドにも入らず、寝室にもいかず、そのまま暖炉の前で寝てしまったようだ。
すでに暖炉の火は消え、燃え残りが熾火になっている。
背中から落ちた毛布を手に取り、寒そうに眠っているアランの肩にそっとかける。
昨夜のことを思い出すと、頬が熱くなった。
いや、頬だけではない。アランの唇に触れられた肌が、今も熱を持っている気がする。
身体じゅうにキスされている時は、恥ずかしかったのに……もっとしてほしいと望む自分がいて。あんな甘い声を出して。
あ、駄目。思い出したら、恥ずかしさで耐えられない。
ソフィは腕で顔を隠した。
いや、今は手袋を取りに行くのが先決よ。
気を取り直し、アランを起こさないように、静かに扉を開いて外に出る。
しんと冷えた空気に、一瞬身震いした。けれど甘い花の香りが混じり、春の気配も感じられる。
「あった、あった」
夜露に濡れていないか心配だったけど、ちょうど椅子の陰になっていたから、鞄は湿っていなかった。
まだ薄暗い中、鞄に手を突っ込んで、手袋を確認する。
うん、大丈夫。問題ない。
昨日は渡し損ねたけど、今日こそロマンティックな夕暮れの川岸で、アランに手袋を贈るのよ。
「ソフィ」
突然声を掛けられて、ソフィはあわてて手袋を背中に隠した。いつの間にか、アランが目の前に立っていた。
もしかしたらドアを開けた時の冷気で、起こしてしまったのかもしれない。
「やはりここにいたのか。ゆうべから、外に出たがっていたもんな」
「う、うん」
手袋が出来上がったことは、まだ話していないから。それを持つ右手を背後に回したままだ。
「冷えるから中に入りなさい」
「すぐに行くから、アランは先に戻っていて」
軽い調子で言ったのに、アランは困ったような笑顔を浮かべた。
「本当は、たそがれ時の川辺で散歩でもしながら渡すつもりだったんだが」
「え? なんでそれを」
自分のロマンティック計画が、脳内からだだ洩れだったのだろうかと、ソフィは狼狽えた。
だが、そうではなかった。
アランは胸ポケットから小箱を取りだして、ソフィの目の前で開いた。
中に納まっていたのは、とても美しいすみれ色の宝石だった。
「きれい……」
「お手をどうぞ。お嬢さま」
アランが右手を差し出してくるから、ソフィは彼のてのひらに、自分の左手を重ねた。
華奢で美しい指輪が、薬指にはめられる。
よく見えるように左手を上にかざすと、昇りはじめた朝日にすみれ色の宝石が、きらきらと煌めいた。
「なんて素敵なの」
「ソフィを俺の花嫁にするという証だ。受け取ってくれるか?」
もちろん、と声を張り上げて返事したかったけれど。ソフィは感激のあまり、言葉も出なかった。
宝石ももちろん嬉しいけれど。本当に、アランがお嫁さんにしてくれるんだと実感すると、目の辺りがじんわりと熱くなった。
不安そうに覗き込んでくるアランの顔が、涙で滲んでいく。
ソフィはあわててうなずいた。何度も、何度も。
すると、アランが花開いたような笑顔を見せてくれた。
「あのね……できたの」
「え? さすがに、まだだろ。キスくらいじゃできないぞ」
「でも、この間からずっと」
「いや、本当にソフィが眠っている時も、頬や唇にキスしかしていないから」
しばしの沈黙。
二人とも顔を見合わせて、相手を凝視する。
突然、アランは自分の発した言葉の意味を把握したのか、顔を赤らめた。
ソフィもその意味を察して、空いた左手で顔を隠す。
薬指にはめた指輪が顔に触れて、嬉しいのか恥ずかしいのか分からない感情に混乱した。
だめだ、もう渡してしまおう。
顔を隠したままで、ソフィは手袋を持った右手を突きだした。
勢いあまって、アランの胸を叩くような形になってしまったけれど。全然ロマンティックじゃないし、計画していたようにはいかなかったけど。
手袋を渡されたアランは「ありがとう」と震える声で告げると、手で目元を拭っていた。
「ごめんなさい、痛かった?」
「違う」
「じゃあ、目にゴミでも入ったの?」
「あまり見ないでくれ。ただの……嬉し泣きだ」
アランは丁寧な手つきで手袋をはめてくれた。
何か月もかけただけあって、縫い目も丁寧で緻密だ。
サイズもちょうど良さそうだ。
手袋に包まれたアランの両手が、ソフィの頬をそっと挟む。
素肌の彼とは違う、ひんやりとしたなめらかな革の感触。
ソフィが背伸びをしようとすると、アランが屈みこんでその唇を塞いだ。
「まだちゃんと言葉で返事をもらっていない。この指輪は婚約の証だ。受け取ってくれ」
「……はい」
くちづけとくちづけの間に、ソフィは返事した。
こうしてソフィはアランの婚約者となった。
【次話より番外編となります】
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