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お見合いとお付き合い篇
10、初めてのキス【1】
しおりを挟むパノラマ館は確かにすごかった……と思う。一階は海の景色で、螺旋階段を上った二階は砂漠だった……ように思う。
「きれいな宮殿でしたね」
外に出たところで、フランカに話しかけられた。
「宮殿?」
「ええ、砂漠の中にまるで夢のように建っていました。砂漠では馬でなく、駱駝という動物に乗るんですね」
はて、そんな景観はあっただろうか? と考えて、俺ははっとした。
フランカが、俺よりも半歩、いや一歩遅れた位置にいるからだ。
いつからだ? 覚えていない。
まさか俺は、二人で愉しむべきパノラマをろくに見もせずに、先を歩いていたというのか。
湿った風が吹いて、フランカのドレスの裾が揺れる。瞳の色に合わせた美しいすみれ色のリボンは、湿気を含んだせいだろうか。少し重そうに見えた。
「フランカ……」
「今日は楽しかったです、ありがとうございました」
え?
伸ばしかけた俺の手が、宙で止まった。
俺が一歩踏み出すと、フランカがさらに一歩退いたからだ。伏せた睫毛。うつむいたその顔。
彼女の表情が翳っている。
もしかして俺が彼女に、こんな寂しい顔をさせているのか?
「まだ明るいですし、送ってくださらなくても大丈夫です」
ぺこりと頭を下げて、フランカが立ち去ろうとする。
胸の前で合わせた彼女の手には、パノラマ館のチケットの半券がしっかりと握られていた。
「いや、危ないから送ろう。君を一人で帰すことなんてできない」
「外歩きは、慣れているんですよ。ご存じでしょう? でも、今後は外歩きは控えます」
「ごきげんよう」と言い置いて、フランカは俺に背を向けて歩き出した。
待て、俺は何をした? これは完全にフランカに呆れられたか、嫌われたか、呆れられて嫌われたか、だ。
「待ってくれ、フランカ」
足の速い俺は、すぐにフランカに追いついた。だがそれでも、彼女は走ろうとする。
ドレスの裾をつまんで、踵の高いブーツでは石畳の道は走りにくいだろうに。なおも、俺から逃げようとする。
駄目だ、逃がさない。
たとえ君が、殿下に心を寄せていたとしても。優しさや同情から俺に付き合ってくれているのだとしても。君を誰にも譲るつもりはない。
「……あっ」
「危ない、フランカ」
石畳につまずいて、今にも倒れそうになるフランカを背後から抱きかかえる。
「離してください」
「嫌だ」
華奢な腕を掴み、なかなか振り返ってくれない彼女を自分の方へ向かせる。
フランカは、唇を噛みしめて涙をこらえていた。
「済まない、相手が俺で。こんな風に触れることも、追いかけることも迷惑なのだと思う。求婚を受け入れてくれたのも、君の優しさなのだろう。殿下を忘れられない気持ちは、その……理解したくはないが、君の心を縛ることなどできないのだから」
ああ、何を言ってるんだ。俺は。
「とにかく、唇を噛みしめるのはやめてくれ。愛らしい君の体に、傷がつくのは耐えられない。噛むなら、俺の指をいくらでも噛んでいいから」
「ヴィレムさま?」
俺は、はっとした。指を噛め、だと? 本当に俺は何を口走っているんだ。
「わたしのこと、重くないんですか?」
「は? 重い? どこが」
俺はフランカの腰に右腕をまわして、そのままひょいと抱き上げた。まるで大人が子どもを抱っこするかのように。
「片腕でも平気だが。しかし軽いな、フランカは。ちゃんと食べているか?」
俺を見下ろすフランカは、子どもの頃の薔薇の棘に捕まっていた面影そのままだった。恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、涙目になって。
やはりまた唇を噛みしめている。
「ほら、口を開いて」
左手の指で、彼女の唇に触れる。まるでそこにある見えないボタンを外しでもしたかのように、薄紅の唇が微かに開いた。
ああ、なんと愛らしいのだろう。
俺は、少し腕を下ろしてフランカの唇にくちづけた。
想像通り、彼女の唇は柔らかく、甘やかで。薔薇の花びらに触れているように思えた。
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