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四巻未掲載部分 財政破綻編

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信用不安が起こった結果、どういう事態になるかというと-
「くそっ!金が足りねえ!」
「手元に金がないと、大きな取引ができない!金も借りられないし、どうすればいいんだ!」
資力の弱い商会は、取引の度に多額の現金を求められて困り果てていた。
もともと商取引において、現金での即時取引というのはほんの一部である。多くは売り上げの金額はすぐに回収されるのではなくて、後払いとなる。相手から月末に未回収代金=売掛金を回収して、自分の未払い代金=買掛金を支払うという『信用』を基づいた取引により、その場で現金が必要な取引より何倍も大きな取引をしているのだ。
しかし、その『信用』の源である国が『武力』を濫用してそれを守らなかったことにより、人々は現金以外の何者も信じられなくなってしまった。
必然的に大きな取引ができなくなり、経済の規模が縮小して不景気になっていく。
「どうすればいいんだ!今月は一件も契約が成立しないなんて!」
絵画や美術品、不動産などの大きな金額が必要になる商売はどんどん潰れていった。
街には徳政令による経済的混乱により破綻した工房や商店の失業者が溢れ、中産階級である彼らの購買力が失われたことによりどんどん不景気が加速していく。さらに金貸しがいなくなったことで資金が借りられなくなり、ばたばたと商店が倒産してまた失業者が増えるという悪循環である。
こんな状態にもかかわらず物価は高くなり、一般庶民・貴族かかわらず生活を苦しめる。
ロスタニカ王国は、生産が停滞し,失業率が増大するなど景気停滞にもかかわらず,物価は引続き高騰するという、経済学でいう「スタグフレーション」に陥るのだった
「やむをえん。貨幣を改鋳して、硬貨の数を増やす」
「宰相閣下……それは……それだけはやめてください。そんなことをすると、どうなるか……」
財務官僚は必死になって止めるが、セイジツは首を振る。
「……欲深い民や諸侯どもは、現金が欲しいのだろう。だからくれてやるまでだ。何の問題がある」
「ですが、貨幣の質を落としたことはすぐに民たちに知れ渡りますぞ!貨幣価値は何も信じられなくなった民たちにとって、最後の拠り所になるものです。それがなくなっては……」
「うるさい!このままでは、どの道終わりだ!心配するな。これで問題は一気に解決するだろう。それに、中部地域に手をだしたドラゴニア王国はもっと苦しい状況におかれているはずだ。これで資金を確保して、秋になって攻め込み、一気に領土を取り返してやる」
セイジツは血走った目で怒鳴りあげる。
こうして、国中から旧貨幣が回収され、新しい硬貨が発行されるのだった。

しばらく後、ロスタニカ王国全土に布告が出される。
王都インディアから北に数日行ったところにある農村、ファーシャル鉄爵領では、領主が領民を集めて国からきた布告を説明していた。
「勇者アベル様の即位記念として、新硬貨が発行されるんだって?」
「今後ロスタニカ王国においての通貨は、この新アル金貨と新ギル銀貨になる。お前たち、持っている硬貨は新しい通貨と交換するのだ」
どこか暗い顔をした領主、ファーシャル鉄爵は、新しい硬貨をみせる。ピカピカに輝いている金貨にはアベルの顔が、銀貨にはカエデの顔が刻印されていた。
「へえ……綺麗なものだなぁ……」
領民たちは手にとって見る。たしかに新しくて美しかった。
「ご領主様。それにしても、なんでわざわざ交換しないといけないんで?」
純真そうな顔をしている彼らに、鉄爵は説明を始めた。
「何でも、ドラゴニア王国から偽硬貨が入ってきているらしい。だからこの際すべて新しい硬貨に換えよとのおおせだ。旧硬貨は一ヶ月ほどで使えなくなる」
その説明を受けて、領民たちは慌てる。
「そ、それは大変だ!すぐ交換してください!」
殺到してくる民たちに、ファーシャル鉄爵は大きな箱を取り出して開けてみせた。
「慌てるな。新しい硬貨は十分に用意されている。交換してやるからもってこい」
目の前で金貨・銀貨の山を見せられて、ひとまず領民たちはほっとする。
「わかりました」
彼らはなけなしの貯金を全部差し出して、新硬貨と交換するのだった。
こうして集められた旧硬貨は王都インディアに送られ、そこで溶かされて金・銀の含有量を落とした新硬貨に改鋳される。そのおかげで、大量に金貨銀貨を作ることができた。
「ははは。どうだ。これで問題解決だ」
再び財貨室に溢れかえった金貨・銀貨を見て、セイジツは悦に入るのだった。
そのとき、財務官僚の役人たちから封筒を差し出される。
「なに?辞職したいだと?」
「はっ……宰相閣下の斬新な政策により、財務危機は回避されました。我々が全員で考えても打開策を思いつけないのに、閣下はいともたやすく問題を解決してみせました。我々全員が無能さを思い知り、職を続けていく自信がなくなったのです」
何人もの財務官僚から煽てられ、セイジツはいい気分になった。
「そうであろう。所詮頭でっかちのお前たちより、大貴族である私が現実の実務については有能なのだ。よかろう。好きにするがいい」
セイジツにとっても、何のかのと理屈をつけて反抗してくる財務官僚たちはうるさい存在だった。彼ら官僚の中でももっとも精鋭で頭もよかったので、口だけは達者で説得も難しい。このさい退職を認めて、自分にしたがう官僚に換えたほうがいいと判断した。
セイジツから退職の許可をもらった官僚たちは、退職金を受け取りに財貨室にいく。
「えっ?旧硬貨で欲しいのですか?」
「ああ。我々は今まで取り扱ってきた金貨・銀貨に思い入れがあるのでな」
そう適当な理由をつけた彼らは、まんまと地方から集まってきた旧硬貨で退職金を受け取り、それぞれの故郷に戻っていく。彼らの思いは皆同じだった。
「今のうちに一族を連れて、ドラゴニア王国に亡命しよう、幸い国王陛下は元我々の上司だったイーグル様だ。きっと我々財務官僚にも活躍の場を与えてくれる」
今までどうにか傾きかけたロスタニカ王国を財政面で支えてきた優秀な官僚達は、とうとう国を見捨てて逃げ出すのだった。
グレシャムの法則-金や銀を通貨としている社会における経済学の法則のひとつで、貨幣の額面価値と実質価値に乖離が生じた場合、より実質価値の高い貨幣が流通過程から駆逐され、より実質価値の低い貨幣が流通するという法則にしたがい、賢い商人は旧貨幣を貯蔵していく。
しばらくすると新硬貨は質を落としているという噂が広まって、敬遠されるようになるのだった。
「貴様!なぜ新硬貨が使えないのだ!」
「すいませんね。もうみんなその硬貨は質が悪いってわかっているんですよ。どうしてもというなら引きとりますが……その場合、旧硬貨の1.5倍の金額を支払ってもらいます」
日を追うごとにそんなやり取りが広まっていき、国が決めた旧硬貨使用禁止と新貨幣を同じ価値で使えという布告は完全に無視されるようになる。むしろ日に日に質を落としていく新硬貨は毛嫌いされ、それで支払おうとすると今までより多くの金額を求められるようになっていった。
それでも国は新しい硬貨の発行をやめない。すると、どうなるかー
「なんで小麦が一袋5ギルなのよ!一週間前までは3ギルだったじゃない!」
「新硬貨の価値はそんなもんなんだよ。嫌なら買わなくてもいい!」
街のあちこちでそんな争いが繰り返され、新硬貨はどんどん信用を落としていく。それにしたがって、物価はどんどん上がっていった。
通貨の価値が際限なく下落していく。言い換えると、モノの価値が際限なくあがっていくことになる「ハイパーインフレーション」の到来であった。
商人は値上がりを意識して売り惜しみをし、商品をどんどん蔵に溜め込んで市中に販売しない。もともと失業率が跳ね上がっていて購買力をなくしていた市民たちの生活は、際限なく物価が上がっていくことで完全に破綻した。
「宰相閣下!どうすればいいでしょうか?街にはモノがありません」
「多くの浮浪者たちがあちこちで暴動を起こし、貴族の屋敷を襲っています!」
部下の官僚たちから次々と好ましくない報告を受けて、またまたセイジツの胃がキリキリと痛む。
「ええい!何が起こっているのだ!誰か説明しろ!」
そう部下を怒鳴り上げても、彼らは困惑した顔をするだけで無言である。新しく財務官僚に任命された彼らは、上級貴族のおぼっちゃんというだけで経済知識は皆無に近かった。
「説明と申されましても……欲深い商人たちが、国が定めた布告を守らず、新硬貨の価値をみとめないせいで……」
結局、考え付くことは責任転嫁である。彼らはひたすら商人たちが悪いと口を揃えた。
「うぐぐ……奴らのせいか!わかった!すべての貴族に命令しろ!」
セイジツは大きく息を吸い込んで、後世に長く悪名を残すことになる言葉を口からだす。
「商人たちを捕らえろ!不当に金やモノを溜め込む金持ちたちもだ!全財産没収の上に奴隷に落とせ。これからはすべての産業を国が取り扱うことにする。『収財令』だ」
こうして、女神ベルダンティーの予言した破滅的未来が東部において実現するのだった。

旧王都ロイヤルホープ
そこに王太子府を設置して中部地域の内政に勤めていたリトネは、諜報活動を担当しているサブロウから東部の経済状況を詳しく聞いていた。
「なるほど。やっぱりそうなったか……」
ロスタニカ王国の経済が滅茶苦茶になっていると聞いて、リトネはため息をつく。
報告したサブロウは、不思議そうな顔をして聞いた。
「わがドラゴニア王国でも、硬貨の代わりに紙幣を発行しております。それなのに、どうして物価が安定しており、好景気が続いているのでしょう。やっていることはほとんど同じなのに」
ドラゴニア王国とロスタニカ王国、方法は違えどおなじように貨幣を改鋳したのに、その効果は正反対になってしまっている。前者は紙幣を発行することで景気が刺激され、仕事量が増えて生産高が急増して皆が豊かになっている。それに対して後者はどんどん景気が停滞し、工房や商会の倒産があいついで生産量が落ちていた。
首をかしげるサブロウに、リトネは苦笑して説明する。
「それはですね。わが国では紙幣を発行する前に、じっくりと準備をしていたからです。まず農作物を品種改良して生産高を上げ、次に工業を発展させてモノの生産を拡大させた。流通を整備して効率よく物を行き渡らせることができるようになり、食料の長期保存をできるようにして無駄をなくした。そうやって、ちゃんと『通貨』の対価になる物を充分用意していたから、通貨の流通量が増えても物価があがることはなく、貨幣価値という信用が守られていたんですよ」
これは、信用を守ることの大切さを理解していたかどうかの差である。いくら紙幣を発行しても、それで買えるモノが少なければ価値は認められない。子供でもわかる理屈である。
貨幣の裏打ちとなる農作物・畜産・魔石・新技術などを地道に開発し、実際の『価値』を積んできたおかげで、貨幣の供給量を増やしてもその信用は失われなかった。むしろ新たな領土となった中部地帯の再興が景気に好影響を与えている状態に持っていけたのである。
「リトネ様はやっぱり勇者であらせられる……」
尊敬の目で見てくるサブロウに、リトネは次の手を命じる。
「破滅的未来の次の段階『貴族や役人たちが粛清され、社会のシステムが完全に崩壊する』に進むかどうかはわからない。今より社会に混乱をもたらさないために、なんとかして食い止めなければ。ということで、頼みます。私も知り合いの貴族に働きかけましょう」
「かしこまりました!」
サブロウ率いるアンデス諜報部隊は、ロスタニカ王国に対して工作を仕掛けるのだった。

ロスタニカ王国
東部地域の北方、ファーシャル鉄爵領に、王都から使者が来る。
「我が村の備蓄の麦を送れと……?」
「そうだ。私が受け取りを担当することになった」
中部から来て最近役人として仕えることになったその貴族は、偉そうに命令する。
「お断りします。昨年の戦争にも我が家は多量の麦を献上しました。この上さらに求められるとなると……領民が飢え死にしてしまいます」
小太りの貴族、ファーシャル鉄爵はきっぱりと断った。
「王国に逆らう気か?金ならちゃんと支払ってやる!」
使者は応接室のテーブルに金貨の入った袋を投げ出す。その中身を確認して、鉄爵はため息をついた。
「……これは、新金貨ですな」
「それがどうした」
「……我々を田舎ものと馬鹿にされているのですか?この金貨は質を相当落としたまがい物だということは、ここファーシャル領にも広まっているのですよ。行商人からそのことを聞いた村の者は、だまされたと連日私を責める始末。このような偽金貨、受け取れません」
鉄爵は怒りの表情を浮かべて、袋をつき返した。
「偽金貨だと!!これは国が正式に発行した金貨だ!」
使者は激怒するが、鉄爵は恐れ入らない。
「それを決めるのは国ではなく、国民すべてです。この金貨は今では旧硬貨の半分程度しか価値がありません。あなた方が何を言おうが、商人たちにその価値でしか引き取ってもらえないのなら、そうなるのです」
鉄爵はため息をつきながら言った。
正論を言われて、ますます使者の顔が赤くなる。
「……なら、強制的に取り立てるまでだ。この領地を没収し、貴様も家族も奴隷に落としてから糧食を徴収すればよい」
使者は爬虫類めいた顔をして薄笑いをうかべる。
「そのような無法なことなど……」
「残念だが、今のロスタニカ王国には反逆者を擁護する法など無い。勇者であらせられる国王アベル様の意思がすべて優先されるのだ」
使者は勇者の権威を持ち出して、鉄爵に迫った。
(なにが勇者だ!これでは強盗も同じではないか。どうしてロスタニカ王国はここまで荒んでしまったのだ。もう法も秩序もあったものではない)
内心で憤慨しながら、逆らうと家族まで危害が及ぶと脅されて鉄爵はしぶしぶ従う。
「……ご命令に従います」
「ふん。最初からそういえばよいものを。ならばこの偽金貨はいらぬな。無料で徴収だ」
使者は金貨の入った袋を取り上げて、さっさと出て行く。
残された鉄爵が頭を抱えて悩んでいると、12歳くらいの娘がお茶を持ってきた。
「お父様……その……我が家は大丈夫なのでしょうか?」
入ってきたのは鉄爵の愛娘である。美しくは無いが優しい娘で、鉄爵にとっては目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
「大丈夫だよ。何も心配することはないよ」
ファーシャル鉄爵は、最愛の娘を抱きしめて慰める。
「でも……最近では仲良くしてくれた領民の子まで、私を見たら石を投げてくるのです。だましてお金を召し上げた詐欺師だと。このままでは……」
娘は不安そうに見上げてくる。鉄爵は娘まで領民から憎まれていることを知り、絶望的な気分になった。
(くそっ!我が家が西部にあったなら、今頃何の問題もなくドラゴニア王国に仕えることができていたのに。王子であるリトネ様は『金』の天才だ。愚かな偽勇者アベルや経済のことを何も知らないセイジツ宰相など、たばになってかかってもかなう相手ではないというのに……)
無駄と知りつつ、何度もそんなことを思ってしまう。鉄爵は以前シャイロック家から借金をしており、返済できなくて困り果てていた。そこをリトネが提案した『衣服の販売代理店になり、その収益で借金を返す』というビジネスモデルに乗ることで、順調に借金を減らし、わずかながら収益まで得ることができていたのである。
それ以降、これからの時代は領民からの徴収する税だけではだめだと気がついた彼は、自分なりに経済のことを勉強していたのであった。
(徳政令など出しおって!国が自ら『信用』を裏切ることで、何も信じられなくなってしまった。しかもどんどん無理難題を押し付けてくる。このままでは我が家は破滅だ!)
シャイロック家からの借金は徳政令でチャラになったが、軍備の負担や糧食の提供を押し付けられて、ファーシャル家の財政はかえって悪化してしまった。その上詐欺同然に財貨を奪うように強制させられたことで、領民からの信頼まで失った。
(こうなったら……一刻もはやくドラゴニア王国に勝利してもらうしかない。だが、それまで我が家が耐えられるかどうか)
ファーシャル鉄爵の顔には、たまたま東部に領地を持っていたせいで破滅に巻き込まれそうになっている悲哀が浮かんでいた。

その日の夜
「くそ……貯めていた村の食料をほとんど持っていかれてしまった。これからどうすれば……」
自室で酒を飲みながら、ファーシャル鉄爵は思い悩む。昼間きた使者は国の権力を振りかざし、領主の館にあった糧食の八割をつれてきた兵士に運び出させた。それは領主の分だけではなく、村から預かっている分も含まれている。
このことがバレたら、怒り狂った領民に一揆を起こされるかもしれない。
「本当にどうすればいいんだ……」
「お困りなら、相談に乗りましょうか?」
突然そんな声が、頭の中に響いてきた。
「誰だ!」
あわてた鉄爵がベランダに出てみると、空に大きな影が飛んでいる。
「な、なんだ……あの形はドラゴンか?ひっ!」
巨大なドラゴンが降りてきたので、鉄爵は悲鳴を上げる。
黒いドラゴンは空中で人の姿になり、ベランダに降り立った。
「ファーシャル鉄爵様、お久しぶりでございます」
「リトネ様?」
腰を抜かしそうになっていた鉄爵は、その少年を見て驚く。黒い髪をした少年は、確かに自分たちを借金地獄から救ってくれたシャイロック家の御曹司、リトネだった。
「借金を返していただきに来ました」
いい笑顔を浮かべてそう言い放つリトネに、鉄爵は背筋が凍る思いをした。
「リトネ様!申し訳ございません!あの……その……」
何か弁解したいのだが、言葉が見つからない。
「まあ、ゆっくりとお話しましょう」
「は、はい」
ファーシャル鉄爵は、観念してリトネを招き入れるのだった。
応接室で、鉄爵はしきりに頭を下げ続ける。
「借金を返済しないで、本当に申し訳ありません。私自身は徳政令に反対だったのですが、国のやることには逆らえず……その……私たちファーシャル家は、シャイロック家、じゃなくてドラゴニア王国に逆らう気は毛頭ございません。むしろ、早く征服していただきたいとすら思っています」
ファーシャル鉄爵は、涙ながらにロスタニカ王国の無法を訴える。最初は借金を返せない弁解のつもりだったが、途中からどんどん熱がこもっていった。
「無理やり軍備を強制したり、糧食を徴収されたり、金を詐欺同然で巻き上げられたり……」
リトネは優しい顔をして、うんうんと頷きながら彼の愚痴を聞く。
「このままでは、戦争が起きなくても、領民に背かれるか、あるいは領民と一緒に餓死するしかなくなり、どの道滅亡してしまいます。いったい私たちに何の罪があるというのでしょうか。戦いたくも無い争いに巻きこまれて……。いや、私だけならいい。家族をどう救えばいいのやら」
いい年した男が涙まみれになっているので、リトネもさすがに可哀想になった。
「なるほど。あなたの窮状はわかりました。では、私たちに協力していただけませんか?」
「協力とおっしゃいますと……」
鉄爵は首をかしげる。
「私としては、これ以上ロスタニカ王国と血で血を洗うような戦闘は避けたいと思います。元は同じ国民です。無理に戦わなくても、解決できる方法はあるはずです」
「まったくです」
鉄爵は大きく頷く。もともと彼もドラゴニア王国にはまったく恨みが無く、戦争に巻き込まれるのを迷惑だと感じていた。まして、今現在自分たちを追い詰めているのはロスタニカ王国なのである。
もしファーシャル領が西部にあれば、何の問題もなくドラゴニア王国に忠誠を誓って平和に過ごせたのにと常に思っていた。
「そこでですね……ファーシャル家には、ドラゴニア王国に寝返ってもらいたいのです。そうすれば、お貸ししていた借金は帳消しにして、援助もいたしましょう」
リトネは好条件を持ち出して、鉄爵を誘う。
「寝返りですか……正直、私もそうしたいのです。ですが、我が領はロスタニカ王国に囲まれています。もし反旗を翻したら、周りから袋叩きにあってしまいます」
暗い顔をして言う鉄爵に、リトネは笑いかける。
「もちろん、寝返りは密約という形で行います。ファーシャル様は今後も表面上はロスタニカ王国に忠誠を誓い、裏で情報を集めておいてください。そして知人縁者を密かに説得して、こちらに寝返らせるのです。これはそのための資金です」
リトネは持ってきた大きな袋を渡す。中には大量の旧金貨が入っていた。
キラキラと輝く金貨の山を見て、ファーシャル鉄爵の喉がゴクリと鳴る。
「こんな大金を……」
「これは工作費です。また、必要なら食料の援助も行います」
「で、でも、どうやって?ドラゴニア王国との道は軍隊によって封鎖されています」
鉄爵の問いに、リトネは笑って答えた。
「我々には、空の道もあるのですよ。上空をごらんください」
リトネに言われて、ベランダに出てみる。
すると、とてつもない大きな物体が空に浮かんでいた。
「あ、あれは……?」
「いくつかの気球を連結させ、ヘリウムガスで浮かぶようにし、風の魔石で航空を制御する『飛風船』です。これなら夜の闇にまぎれて、こっそりと大量に物資を運べます」
平然と言い放つリトネに、ファーシャル鉄爵はあらためて畏怖する。
(これは……ロスタニカ王国は勝てない。勝てるわけが無い。リトネ様はドラゴンに変身できるという『竜の力』に加え、次々と新しい物を生み出すという『人の知恵』まで極めている。そもそも、私とリトネ様が戦わねばならぬ理由など、どこにもないはずだ)
こうも圧倒的な力を見せ付けられると、かえって滑稽な気分になってくる。ファーシャル鉄爵はリトネの前に跪き、忠誠を誓った。
「このファーシャル。今日からリトネ様の忠実な臣下となり、微力を尽くさせていただきます」
こうして彼はひそかに窮乏した貴族に連絡を取って、ドラゴニア王国に寝返るようにと説得する。シャイロック家から借金をしていた他の貴族たちも同様の行動をとり、ロスタニカ王国内部にどんどんドラゴニア王国のシンパが増えていくのだった。

ドラゴニア王国の工作は、深く静かに進んでいく。
中部と東部を結ぶもっとも大きな街道であるシルクループ街道では、夜の闇にまぎれてひそかに一台の馬車が入っていた。
街道を封鎖しているドラゴニア王国の砦を抜け、一目散に東部へ向かって走る。
ロスタニカ王国の領土内に入り、少し進んだところで警備兵に止められた。
「止まれ!」
警備兵の制止の声に従い、御者は馬を止める。
すると、後ろの荷台からドラゴニア王国の軍装を着た兵士が降りてきた。
「よっ。久しぶりですねぇ」
兵士は親しげにロスタニカ王国警備兵の隊長に話しかける。
「ブツは持ってきたか?」
「ああ。ちゃんとありますぜ」
兵士は笑みを浮かべて馬車の荷台を開ける。そこには酒やタバコ、ジュースやハチミツ、お菓子などの嗜好品が大量に積み込まれていた。
「そっちは本当に豊かなんだな……うらやましい」
隊長は思わずため息をつき、代金を支払う。それは価値の低い新金貨だったが、ドラゴニア側の兵士は文句も言わずに受け取ってくれた。
「アニキのほうはどうですか?」
「あー、こっちはもうダメダメだ。兵士は上から下までみんなやる気をなくしている。戦いたがっているのは、戦場を知らない貴族の馬鹿お坊ちゃんたちだけだ」
隊長の愚痴に、ほかの警備兵もうんうんと頷く。兵士はさりげなくその訳を聞いた。
「なんでまた?」
「アンデスの戦いで、ドラゴニア王国に手痛い目にあわされた7ってこともあるけど……最近インディアから送られてくる物資が少ない上に質が悪いんだよ。なまくらの剣にすぐ壊れる防具、不味くて少ない量の飯……いったいどうなってんだか。こんなんで、まともに戦えるわけねえよ」
隊長はブツブツと不満を漏らす。ふんふんと聞いていた兵士は、酒を取り出してニヤリとした。
「まあまあ。不景気な話はそれくらいで。この酒は本国から送られてきたとっておきですぜ。皆で飲みましょうや!」
兵士と警備兵は、協力して宴会の用意をする。敵対する陣営に属しているとは思えないほど和やかな雰囲気だった。
いいにおいがするおでんや、焼き鳥などのおっさんくさい料理が出来上がる。全員で酒をのみながらつまみを食べるという、敵も味方も一緒になった宴会が始まった。
「しかし、お前は最初に会ったとき、ブザマだったよなぁ」
「アニキ、それを言うなって」
ドラゴニア王国の兵士とロスタニカ王国の警備隊長が肩を組んで笑いあう。彼らがこんな関係になったのは、以前偵察任務をしていた兵士が警備隊によって捕まった所から始まった。
「い、命ばかりはおたすけを!」
土下座する兵士に、警備隊の隊長はさすがにあきれる。
「おいおい……それでも兵士かよ。少しくらい抵抗したらどうだ」
「抵抗って言われても……こっちは一人だし。お願いします。見逃してください。このまま帰してくれたら、うちの物資を横流ししますから!」
そういわれて、警備隊の隊長の心も動く。正直下っ端兵士一人捕まえたぐらいでは大した手柄にならず、本部に引き渡しておしまいである。手間がかかるだけでメリットがなかった。
「本当か?」
「はい。我が軍は豊かなんて、ちょっと横流ししたぐらいじゃバレないんですよ!お願いします」
そう土下座する兵士の持ち物を見ると、確かに質のいい装備たった。財布の中には旧金貨で10枚入っており、下級兵士にしては羽振りがよさそうである。
「……わかった。身包みはいでおいていけ」
持ち物を全部取り上げて解放したのだったが、なんと彼は翌日本当に横流し物資を持ってきたのである。彼らはもともと同じ国民同士で、言葉も価値観も共有している。最前線の兵同士が仲良くなるのに時間はかからなかった。
そうなると、下っ端兵士同士の間で無駄な争いで命を落とすより、密貿易をして利益を共用しようとする協定が結ばれる。
「上の人間は何考えていやがるんでい!こんなんじゃ戦いすらできねえじゃねえか!」
酔った警備兵が持っている剣を地面に叩きつけて愚痴る。その剣は大した力をいれてないのに、地面を叩いただけで曲がってしまった。
「そうだ!貴族の坊ちゃんは威張ってばかりでなにもしやしねえ!俺たちは毎食スープ一杯で我慢しているのに、自分たちだけパンを食いやがって!」
酒に酔うと、最前線の自分たちにもまともな装備をよこさないロスタニカ王国の不満が出る。
「だいたい、俺たちが戦う理由ねえよなぁ。一年前まで同じ国民だったんだから」
「そうだそうだ!」
兵士が調子に乗ってそういうと、警備兵の間からも賛成の意見が起こった。
「アニキ!もし戦場で会っても、俺は殺さないでくださいね」
「ああ。てか、俺はもう戦いたくねえよ。アンデスの戦いでこりごりだ。」
そう呟く隊長の右手には、やけどの跡があった。
「実は、おれっちの方でもそういう意見が多いんでさぁ。そもそも俺たちのリトネ王子からして、本当の敵は偽勇者アベルだけで、一般の兵士とはなるべく戦いたくないってよくいってますぜ」
「リトネ王子か……噂に聞くと、人間からドラゴンになれるみたいだな。俺だってそんな化け物と戦いたくねえよ」
隊長は恐ろしそうに身震いする。
「争うのは上の人間に勝手にやらしておいて、俺たちは仲良くしましょうや。それで、お願いがあるんですがね……」
兵士は隊長にあることをお願いする。それを聞いて、彼は渋い顔になった。
「……さすがにそれは無理だろう?」
「貴族に不満持っている兵士あがりの将校とか、金に困っていそうな将軍とか、話をしてくれるだけでいいんですよ。別に敵と交渉しちゃいけないってことはないんでしょ?これ、工作費です」
兵士は隊長の懐に、こっそりと金貨が入った袋を入れた。懐に入った袋の重さに、思わず隊長もにやけてしまう。
「わかった。話だけだぞ」
隊長はうなずいて、自分と仲のいい上司に話をするのだった。

数週間後
街道を警備しているロスタニカ軍の陣地に、ひそかに一台の馬車が到着する。
「はじめまして。ドラゴニア砦を預かる騎士です」
「よくぞいらっしゃいました。ロスタニカ街道警備軍の将軍です」
兵士と警備隊の隊長は上司同士を引き合わせ、その上司がさらにそのまた上司を連れてくるということを繰り返した結果、ロスタニカ王国には内緒で前線で睨み合っている部隊のトップ同士の会談が行われることになった。
こんな奇妙な状況になったのは、理由がある。もはやロスタニカ王国からの補給が途絶えがちになり、敵であるはずのドラゴニア王国からの横流しでかろうじて軍の秩序が保たれている状態になってしまったからである。
挨拶が済むと、将軍同士で話し合いが行われる。
「もし戦端が開かれても、我々は無駄な争いは避けましょう」
「おっしゃるとおりです。今まで見て見ぬ振りをしてきたが、あなた方の横流し……いや、援助がなければ我が部隊は自国民から略奪をせねば生きていけなくなるところでした。これというのも、商人を捕まえて生産と流通を破壊した無能宰相のせいです」
警備軍のロスタニカ王国将軍の顔には怒りが浮かんでいた。
どうして最前線の軍に補給物資が途絶えがちになったのか、それはロスタニカ王国の経済政策の失敗に起因する。
度重なる問題に、ついにセイジツ宰相は強権を発動し、商人たちを捕らえて財産を没収した。
「これからは、商人に代わって国が生産・流通・販売を行う」
今まで自由競争を許していた産業を、全部国の管理下におくという、経済学でいう『キャプティブ』という状態である。そうして商人がやっていたことを貴族が代わってすることになったが、すぐに弊害が起こるようになってしまった。
その弊害とは、経済観念のない貴族に産業を任せることで、コスト優位性がなくなることである。自由競争においては利益を上げるために、顧客の情報や製品、産業のトレンド、そして生産・流通コストに気を払わざるを得ないが、管理経済になったことでそれらはすべて考慮されなくなった。
そうなると、すべての産業において生産性が低下する。
「失業した職人はすべて国が雇い、一定の賃金を払う」
その布告に最初は喜んだ職人たちも、すぐに失望することになる。職人については賃金・報酬で細かく各人のランクが決められているが、その価値の違いなど、素人の貴族に分かるわけがない。
必然的に名工も新人もほとんど同じ賃金で強制的に働かされるようになる。これが名工の賃金に合わせるとなれば職人たちのモチベーションも上がるのだが、残念ながら国の財政が厳しい上に貴族たちによる賃金のピンハネが横行して、ただに近い低賃金で無理やり働かされることになった。
そうなると、どんどん製品の質が下がっていく。
「最前線まで補給物資を運べだって?面倒だな……まあ、ゆっくり運べばいいか。どうせ早くついても遅く着いても賃金は同じだし。まてよ?途中で横流しして……」
流通というものは、『利益』がないと絶対にスムーズに行われない。安い賃金で危険な旅をして辺境の地まで物資をまともに運びたがる変人など、いないのである。
流通を担当した貴族は、預かった物資をちょろまかして、最前線に到着するころには半分以下の量になっている。それだけではなく、悪い質の物と交換もしていた。
こうしてロスタニカ王国では深刻な経済麻痺状態に陥り、王都から遠く離れた最前線の部隊にまで補給がいきわたらなくなってしまうのだった。
「それでは、戦端が開かれる前にはそちらにお知らせしますので……」
「はい。ですが、厄介なのは王都から監視に送られてきている貴族のお坊ちゃんたちです。彼らは戦う意気盛んなので、前に出て戦いたがっています」
「それじゃ、その方々を始末しますか?お互いの迷惑になりますしね。最前線に配置してください」
双方の軍はお互いに協力して、講和に邪魔な反対派を排除しようとしていた。
「わかりました。奴らが全滅したら、軍を撤退させてあなた方をお通ししましょう。その後、ドラゴニア王国軍の本隊がきたら降伏しますので、王子によしなにお伝えください」
「かしこまりました」
双方の将軍は密約書を交わし、堅く握手をする。
こうして、無駄な損害を出さずに戦争を終わらせる工作は着々と進んでいった。


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みんなの感想(6件)

you
2019.01.27 you

完結は?

解除
たかのん
2017.08.22 たかのん

4巻刊行されるのを楽しみにしてます
無理せず頑張って下さい

大沢 雅紀
2017.08.22 大沢 雅紀

はい。後もう少しで発売されますので、よろしくお願いします。

解除
limo
2016.09.22 limo

反省と教訓を得て成長していく姿が素敵。
でも冷凍屋という商売のアイデアを軽視したままというか、領主の信用と力の話題に上書きされてしまってスルーなのが残念だ。ある意味、婚約者の肩書きを盾に、アイデアを盗用した形になっていることを意識できていないのは今後の商売に差しつかえるかもね。
悪意のない無邪気な銭ゲバが婚約者である領主代行の信用を落とす展開希望する。
主人公の評判はすでに落ちていて、これ以上落ちても失うものは特にない内容が特に気に入りました。

解除
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