厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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幕間 その頃、公爵家にて

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 王都の中心に構える公爵家の広間は、冬の陽光を受けて白く輝いていた。
 客人を迎えるための大理石の床も、壁に並んだ名工の肖像画も、少しの曇りもない。
 令嬢は真新しい流行の衣装に身を包み、宝石の指輪を嵌めている。
 国中が憧れる格式と富──
 その表面は確かに今も揺らぎを見せていなかった。

 だが、分厚い扉の奥、執務室の空気は重かった。
「……この利息で、次の支払いに間に合う目途は立っているんでしょうか、公爵様」
 古参の家臣が声を潜める。
 公爵エドムンドは書類を静かに置き、深く息を吐いた。
「間に合わせる。議会に私の判断を疑う者はいない。信用はまだ揺るがぬ。商務局にも働きかけている。時間を稼げれば、立て直せる」
 その声音には力があった。
 威信を保つ者の矜持があった。
 それでも、指先にわずかな震えが混じっていた。
 本来なら、厄災の烙印持ちであるルーチェの保護のために送られていたはずの支度金。
 それが流用できなくなってから、家の歯車は少しずつ噛み合わなくなっている。
 
 監査が入って横領が露見した場合のリスクを考えて、ルーチェを切る判断をした。
 辺境伯領の領民は「厄災」の烙印持ちをいつまでも許してはおかないだろう。
 それに、ダリウス・ヴァルトは実利家で有名だ。
 ルーチェのようにいつも怯えておどおどと下を向いている女で満足できるとは思えない。
 少しでも離婚の気配が見えれば、持参金は綺麗な状態になって戻ってくる。
 まだ余裕はある。

「魔晶石の高騰さえなければ……!」
「北西のシルリエ鉱山枯渇の噂が本当だったとは……」

 公爵家も出資している大鉱山から、魔晶石が枯渇しつつある。
 その情報は水面下で静かに広がっていた。
 優先的に搬入されていた魔晶石が足りなくなれば、資金繰りはますます覚束ない。
 
「……どうして、こう上手くいかないのでしょうね」
 部屋の隅で刺繍をいじっていたリリアーナが、無邪気に呟いた。
 ふわりと揺れる美しい金色の髪。ピンクダイアモンドのように煌めく瞳。
 その声音は幼く、残酷なほど無理解だった。

 シェリフォード公爵家には三人の子供がいる。
 リヒト。
 ルーチェ。
 リリアーナ。
 
 亡き公爵家の一人娘フローラ・シェリフォードと、その最初の夫との間に生まれた男児。リヒト・シェリフォード。
 母亡き後、現公爵エドムンドの意向で、修行のためだと留学に送られた。
 留学という名の放逐だ。その件は随分と世間を騒がせた。
 それでも、妹のルーチェのための金が必要だと言えば、リヒトは外国からでも金を工面して送ってきた。まさしく「便利な」長男だ。その金はリリアーナのドレス代に消えた。
 留学先で優秀な成績を収めた後に国に戻り、現在は家を離れて、王宮官吏として辣腕をふるっている。
 ルーチェと会わせてくれ、という要望には答えていない。お前の知らぬ間に婚約させたと言ったら、さぞや驚くだろう。
  
 そして、ルーチェ・シェリフォード。
 ゆたかなブルネットの髪と翠の瞳は、母親譲りの美しさを誇っていた。
 十四歳の洗礼式までは、公爵家の長女ということもあって、王家をはじめとして気の早い縁談が殺到していた。
 「厄災」の烙印を見出されて以来、蜘蛛の子を散らすように破談になったが。
 兄から引き離し、十年閉じ込めて飼い殺しにしておいたら、幼い頃に見せていた聡明さはなりをひそめ、俯いて周囲の様子を窺う女になっていた。
 悪いことの原因を「お前のせいだ」と言っても、萎縮して無抵抗に青い顔で黙っている。
 こちらが少し強く出るだけで、涙を堪え怯えて謝る。
 扱いやすい、というのが、この家の人々の一致した印象だ。
 
 そして……フローラの二番目の夫であった男――現公爵となったエドムンドとの間に生まれたとされる妹、リリアーナ・シェリフォード。
 ルーチェの控えめさとは全く異なる、一目見た途端に惹きつけられるような華やかな少女だった。
 光を放つ金色の髪は優雅な曲線を描き、桃色色の瞳は宝石を思わせる。
 縁談はひきもきらず、相手を見定めている最中だ。
 猫のように可愛らしい笑顔も周囲を虜にした。
 ──亡き母親とも、異父姉とも、まるで似ていない。

 リリアーナは可愛らしく小首を傾げた。
「お姉さまがいなくなったのに。「厄災」もいないのに、変ですよね」
 家臣が眉をひそめる。
 公爵は返事をせず、ただ書類に視線を落とした。
 噛み合わない事態が続いている。
 投資先の不調、商談の中断、予想外の支出。
 どれも偶然の範囲にある出来事ばかりだ。
 だが、偶然が重なると、不穏な形になる。
「お兄様を頼ればいいじゃないですか」
 リリアーナが続けた。
「今や王宮でも優秀な役人として評判なんでしょう?お金のことなんてすぐにどうにかしてくださいますわ」
 公爵は手を止めた。
 あの青年──ルーチェの兄は、もう家に寄りつかない。
 公爵家の力を奪われてから、死に物狂いで努力したのだろう。今では王宮官吏として名を馳せている。
 
 それでも、使えるならば使うべきだ。
 家の威信を守るためには、情など必要ない。膠着状態となったまま、なし崩し的にエドムンドが手にしている公爵位か――
 あるいは、また以前のようにルーチェのことを餌にすれば、動かせるだろう。
「……考えておこう」
 短く答えると、リリアーナは微笑んだ。
 彼女は何も知らない。
 ただ光の下で、何の苦労もなく大切に育てられた花だった。

「……いっそ、辺境伯領のルーチェ様に、支度金を以前のように回してくれと言う手もございますが」
 家臣のひとりが、おそるおそる口を開いた。
 広間の空気が、凍りついたように静まった。
 公爵はゆっくりと顔を上げる。
 その瞳は、侮蔑とも怒りともつかぬ冷たい光を帯びていた。
「冗談が過ぎるぞ」
 低く、押し殺した声が響いた。
「この公爵家が、寒風と獣の中で辛うじて首をつないでいるような、あの辺境居住区の住人に頭を下げるとでも?」
 家臣は頭を深く下げ、言葉を失った。
 沈黙の中、リリアーナが小首を傾げて口を挟んだ。
「でも、お姉さまはあちらにいるのでしょ?……お金が足りないなら、返していただくとか。持参金をいっぱい支払ったって聞いたわ。辺境伯様も、利子をつけて恩返しをしたって良いのではなくて?」
 無邪気な声が、さらに空気を重くした。
「辺境伯は吝嗇で有名な、自領を守るので精一杯の男だ。返す余力など、あるはずがない」
「そうなの?けちな人だなんて、お姉様も大変ね」
 公爵の口調は静かだった。
 だがその裏に、激しい焦燥が潜んでいた。
 公爵は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「頼る価値もない。それに──あれは“厄災の烙印持ち”だ。皆が忌避する存在を引き取った時点で、あの男も、辺境も、いずれ破綻させられるだろう」
 異父妹は目を丸くし、それから安堵したようにほほえんだ。
「そうなのですね。確かに、お姉さまがいるのですもの。本当に助けが必要になるのは向こうの方なのね」
 父の言葉をそのまま信じ笑うリリアーナの声が、豪奢な部屋に軽く響いた。
 その裏で、公爵の指先は再び書類の端を強く握りしめた。

 まだ崩れてはいない。
 だが──
 確かに、ひびは生まれ始めていた。
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