【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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埋もれた祈りを秘める雪の章

21.誓い

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部屋へ戻ると、窓の外には細かな雪が降り始めていた。

しばらくして。
戻ってきた辺境伯様は、扉を閉めたあともしばらく動かなかった。
背を向けたまま、大きな手が取っ手の上で固まっている。
心の奥で揺れているものが、見なくても伝わった。
やがて、こちらへ向き直る。
その表情は、どこか戦場に出る前のような決意を宿していた。

「先ほどは醜態を見せた」
「そんな!……私は、嬉しかったです」
「手放すべきなのかと、迷った。あなたが望むなら、その方が幸せなのかもしれないと……そう思った」
 低く押し出すような声。
 沈黙の重みが胸へ落ちる。
 私は首を振ろうとした。
 けれど、その前に一歩だけ、辺境伯様が近づいた。
 迷いを振り切るように、深く息を吸い込む。
「だが、……あれが、本心だ」
 雪明かりを映すような蒼の瞳が、真正面から私を射抜いた。
「離れたくない。……傍にいてほしい」
 その言葉は、強くも弱くもなく、ただ真実だけでできていた。
 自分でも驚くほど、胸が熱くなる。
 
「俺は……あなたに惹かれている」
 
 息が止まる。
 心臓が雪の世界で一つだけ燃えているようだった。
 私は一歩近づいた。震える手を胸元で押さえながら、それでも目を逸らさなかった。
「……私も。お傍にいたいです。お慕いしています」
 互いの言葉が重なり、落ちて、静かに積もっていく。
 雪のように、けれど雪よりずっと温かく。
 
「……私は、守られるだけの人間ではいたくないのです。辺境伯様に頼られるほど強くはないってことくらい、わかっています。でも」
 一度まぶたを閉じ、ゆっくりとひらく。
 光の粒のように、雪が降り続けている。
「あなたを守って差し上げたいと思ったのです。……それがきっと、私の気持ちでした」
 言った瞬間、足元がふわりと浮いたように心臓が跳ねた。
 烏滸がましいと笑われるかもしれない。
 でも、もう後戻りはできなかった。
 沈黙が落ちた。
 雪が降る音まで聞こえそうなほどの静寂。
 やがて、苦しげな息が漏れた。
「……ルーチェ嬢」
「はい」
「……ふれても、いいだろうか」
 かすかに掠れた声。
 その響きは、ひどく切実だった。
 誠実な問いに、私は頷いてそっと寄り添った。
 回された腕があたたかい。
「傍にいてほしい」
 世界が、止まったように思えた。
 胸の奥がじんと熱くなる。
 涙は落ちなかった。泣いてしまったら、この思いが曇りそうで。
 私は微笑んだ。
「私も。……お傍にいたいのです」
 呼吸と、心音が重なる。
 ふっと、今にも崩れそうなほど優しい顔になった。
 互いの顔がわずかに近づいたその瞬間――

 ――静かなノックの音が、空気を切り裂いた。

「旦那様、ジークです。先程の……」
「……」
「……」

 暗闇に紛れるような姿のジークは、私たちの様子を見て、ぴたりと足を止めた。

「……」
「……ジーク」
「ひゃい。申しわけ」
 声が裏返っている。
「報告は、確かに俺が頼んだ。故に謝罪の必要はない。だが」
 辺境伯様は一度、咳払いをした。
「数分待ってくれ。それと、この件は他言無用にしてくれ」
「ひゃい」
「特にカイネには言うな」
「絶対言いません。誓います」
「よし」
 私はそっと離れようとしたけれど、思いの外強く抱き止められていて動けない。
 やがて扉の閉まる音がして、辺境伯様が息をついた。

「……すまない。せわしない家で」
「いえ……とても、好きですもの」
 北国にあるのにあたたかくて。
 私は今度こそ、その腕から軽く逃れた。
「私はかまいませんから、ジークを待たせないでやってくださいませ」
「……すまない」
 


 一週間後。
 王宮に戻った兄が働きかけてくれた結果、ようやく神官の手配がついたと知らせが届いた。
 妹をいつまでも居候にするな、という言伝を添えて。
(ありがとう、兄様……)
 
 書類上の婚姻を成立させる儀式は簡素なものだった。
 式も祝宴もない。ただ、公印と署名だけ。
 それでも、宣言の代わりに重い静寂が流れた。
 神官が淡々と書類を読み上げ、署名の箇所にペンをそっと置いた。
 辺境伯様が無言でそれを取り、筆跡の力強い名を記す。
 次は私の順番だった。
 筆跡が震えていたのは、手のせいか、心のせいか分からない。
 辺境伯様が、わずかに目を伏せた。
 かすれるような、けれど深い声。

「……これで、正式に夫婦だ」

 唇が震えた。
 言葉が出なかった。

 婚姻手続きが終わり、書類を抱えた神官が邸を出ていった途端。
 控えの間で待っていた使用人の皆が一斉にわあっと声を上げた。

「やっとですね!おめでとうございます!」
「本当に良かった……!」
「祝杯を上げる準備を――いや、今日は控えるべきでしょうか!?」

 思わず笑みがこぼれた。
 祝われるのは久しぶりだった。
 誰かが自分のことを心から喜んでくれるという、その素朴なあたたかさが胸に沁みた。
 遠巻きに見守るカイネとイリアも、目尻を緩めて笑っている。
「本当に……よかったですね、ルーチェ様」
「長かったですねえ」
 その言葉に、胸がいっぱいになった。
 嬉しくて、少し泣きそうで、それでも泣きたくなくて。
 私はそっと首を振った。
「ありがとう。……皆のおかげよ」
 笑い声が広がり、温かい空気が満ちていく。
 けれど、その中心には私はいなかった。
 輪の隙間から眺めるだけで十分だった。
 ああ、こんなふうに祝福される日が、私にも来るなんて。
 ――幸せだな、と思った。
 ふと、視線の先に辺境伯様がいた。
 使用人たちに囲まれて、表面上は普段どおりの無表情を保とうとしていたが、耳の先がほんのり赤い。
 その不器用さが愛しいと思った。

 彼と目が合う。
 その瞬間、喧噪が遠のいた。
 わいわい喜び合っている使用人たちの輪を抜けて、私はそっと部屋の片隅に寄った。
 部屋の隅に置かれた、本棚の影。
 辺境伯様がそこへやってくる。何食わぬ顔をして、私はその横顔を見つめた。
「……賑やかですね」
「ああ。……何よりだ」
 短い言葉だったのに、胸が締めつけられた。
 嬉しさと照れが綯い交ぜになり、視線を上げることができなかった。

 けれど、次の瞬間、そっと指先に触れる手があった。
 驚いて見上げると、深い蒼の瞳がまっすぐに私を見つめていた。
「ルーチェ嬢」
 名前だけで、胸が震えた。
「……ありがとう」
 触れられたところから、幸福のような熱がじんわりと広がる。
「俺のような者のところに来てくれて。傍にいることを選んでくれて。……そのことへの感謝を、伝えたかったんだ」
 その声音は、誰にも聞かせないような弱さを帯びていた。
 けれど、その弱ささえも守りたいと思う。
 
 頷いて、――そっと、唇が重なる。

 離れたあと、二人とも赤くなって言葉を失った。
 ただ、静かに笑い合った。
 それだけで、世界が満ち足りていた。
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