【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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埋もれた祈りを秘める雪の章

幕間 辺境伯閣下はご多忙につき

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 ――王都。
 公爵家の応接間。
 昼下がりの光が厚い絨毯を照らす中、エドムンド・シェリフォード公爵は肘掛け椅子に深く腰掛けていた。

「……ふん」
 鼻で小さく笑う。
「まさか、あの男がここまで律儀とはな」
 同席していた側近が、慎重に相槌を打つ。
「ヴァルト辺境伯でしょうか?」
「聞けば……ルーチェ様を随分と大切にしておられるようで」
「家臣団にも紹介をしていたようです」
 その言葉に、公爵は片眉を上げた。
「大切? 違うな」
 即座に切り捨てる声音だった。
「利だよ。あの男は実利家で……身なりも気にせず金の無心ができるような男だ。ルーチェに添えた金がさぞ気に入ったのだろう」
 公爵は、指で書類を軽く叩く。
 周囲は追従するように、「そうでしたな」「以前見た時は確かに金の話ばかりして」と笑う。

 エドムンドにとって、ダリウス・ヴァルトという男は一貫して「取るにに足らない存在」だった。
 感情を表に出さず、愛想もなく、着飾りもしない。
 必要以上の言葉を使わない。
 そもそも、滅多に社交の場に姿を現さない。
 社交界で評価される要素を、ことごとく欠いている男。
 まわらない領地の運営に必死になって、周りが見えていないのだろう。
 老練な貴族はそれが分かったから、かつて援助を求めるダリウスが嘲笑の声を聞くたびに殊更気負って背筋を伸ばしていた姿を、黙って見ていた。――忍び笑いを漏らしながら。

「烙印持ちとはいえ、形式上は我が公爵家の血が入った娘だ。表向き丁重に扱っておけば、いずれ交渉の札にもなる。そう踏んでいるのだろう」
 ダリウスはルーチェを、公の場では、確かに妻として隣に立たせていると聞いた。
 だがそれは「体裁」の範囲だ。
 人目のある場で妻をぞんざいに扱えば、ダリウス自身の評価が下がる。それを理解しない男ではない。
 むしろ、必要以上に距離を詰めない点が、エドムンドには「らしく」映っていた。
「しかも離縁すれば持参金は返済する約束だ。それが支払えないのだろうな」
 エドムンドは嗤った。

「それに……あの娘が、どんな顔で生きてきたか、お前たちは知っているのか?」
 ルーチェもまた、警戒するに値しない存在だ。
「常に俯き、声を殺し、目立たぬように息をしていた。仮にも公爵令嬢が、だ。私に対して自分が何者かを主張したことなど、一度もない。相手にしても何の面白味もない女だろう」
 エドムンドの記憶にあるルーチェは、いつも萎縮して俯いていた。
 伏し目がちで、声も小さく、こちらの顔色ばかりを窺っていた娘だ。
 身を隠そうと青白い顔で猫背になって、魅力も感じられない。
 少し声を大きくして問い詰めれば怯え、命じれば逆らわず、警戒する必要もない――そういう存在。

 エドムンドは「公爵」の椅子に深く腰掛け直す。
 かつてはこの家の会計係に過ぎなかった自分が、ここまで上り詰められるとは思わなかった。
 夫を失った女の――シェリフォード公爵家の跡取り娘に、財産の管理者が必要だろう子供達の親が必要だろうと主張して、後添えの婿に収まって……その女が死んだ時、「機会」が訪れたのだ。
 公爵家の実権を押さえ、正当な後継者であるリヒトとルーチェを押さえ込んだ。
 こちらに抵抗してきた兄のリヒトを片づけるのには少々骨が折れたが、ルーチェの方は何度か「厄災の烙印」を理由に皆の前で吊し上げて痛めつけたら、簡単におとなしくなった。
 ルーチェを人質することで、リヒトの動きも制御し、寧ろ利用できるようになった。
(扱いやすいという意味では、非常に「良い娘」ではあったな)
 エドムンドは笑いながら思う。

 幼い頃は随分、兄と共に評価されていたらしい。
 兄のリヒトは優秀で賢く、妹のルーチェは思慮深く聡明だ、素晴らしいご令息とご令嬢に恵まれた家だ、などと――
 しかし、邸に閉じ込めるうちに、ルーチェのことをそんな風に評価する者はいなくなった。
 使用人たちもすぐに、ルーチェは軽く扱って良いと判断した。
 ――いつもびくびくして鈍臭い、不幸を呼び込むことしかできない名ばかりのご令嬢。
 ――俯いて小声で謝ってばかりの、自分の意見も碌に持てないお嬢様。

「自尊心も才覚もない娘を、辺境伯はどう扱っているのだろうな」
「慰み者にするという使い方もあるのでは?」
「おい、下衆が過ぎるぞ」
「これは失敬――」
 品の無い笑い声が響く。
「確かにな」
 公爵が同意すると、ますます追従の笑いは大きくなった。

「持参金の回収ができないのは惜しいが……魔晶石への投資で回収できるだろう」
 シルリエ鉱山の枯渇の報は、既に広がっている。
 公爵家ではいち早く、魔晶石の買い占めに動いていた。
 これから本格的に枯渇する必需品だ。現在も値段は急騰しているし、大規模な鉱山でも見つからない限りは上がり続ける。無理をしてでも買い占める価値はあった。
 買い占めておけば領民は何も考えず公爵家を評価するし、更に色をつけて転売すればぼろ儲けだ。

「それより……」
 エドムンドは話題を切り替える。
「リリアーナと第二王子殿下の件はどうなっている」
「順調かと。殿下もご満足で、神殿筋からの後押しも強く。既に噂も広まっています」
「望みうる最良の縁を娘に与えられた。ありがたいことだ」
 満足げに頷く。
「王家と神殿、双方に顔が利く。それに比べれば……」


 ――彼らは知らない。
 あの「何もできない怯えた娘」が、すでに誰かと対等に言葉を交わし、自分の意思で笑うようになっていることを。
 そして、その変化を生んだものが、利でも、計算でもなく――積み重ねられた、静かな信頼であることを。





 ダリウスが邸へ戻ると、邸の広間には使用人たちが揃っていた。
 誰かが合図をしたわけでもない。ただ、辺境伯が戻ると知って、自然とそうなったのだろう。
「お帰りなさいませ」
 幾つもの声が重なり、空気がふっと緩む。
 ダリウスは頷きでそれに応えながら、同じように待っていてくれたルーチェへと視線を向けた。

 ルーチェはダリウスを見つけると、そっと翠の瞳を細めて近寄ってくる。
 思慮深さと智慧を秘めた美しい女性。
 あたたかそうな上着を羽織り、頬は薔薇色に色づいている。
 ふわりと揺れた髪とともに、柔らかな笑みがこぼれた。
 控えめで静かな、けれど鈴のように美しい声がダリウスの耳に届く。

「……おかえりなさいませ」
「ああ。……ただいま」

 胸の奥で、静かに何かがほどけた気がした。

 ここへ来たばかりの頃。
 初めて夕食を共にした時のルーチェの表情を、ダリウスははっきり覚えている。
 俯いて伏せられた視線。固く身をすくめるような立ち居振る舞い。
 いつ誰に叱責されるかわからないとでも言うような、怯え切ったまなざし。
 こちらが求めても、なかなか自分の意見を口に出せていなかった。
 少しでも嬉しそうに微笑んだと思ったら、すぐに潮が引くようにそれを押さえこんでは謝っていた……

 今は違う。
 使用人たちに向けられたルーチェの笑顔は、穏やかで、自然なものだ。

 ――良かった。
 それだけで、砦で浴びた冷たい風も、まだ残っている報告書の山も、どうでもよくなる。
「旦那様」
 そこへカイネが来て、ダリウスに小声で耳打ちした。
「なんだ」
「……シェリフォード公爵家より、お手紙が届いております」
 その言葉に、ダリウスの眉がわずかに寄る。
「……ああ」
「いかがなさいますか」
「用件は」
「えーと……ルーチェ様の妹君の婚約報告ですね。どうします?俺、適当に返事しときます?」
「……仕方ない。目は通すか。執務室に……」
 ダリウスは溜め息をついた。
 急ぎではないが、流石に返事をしないわけにもいかないか。
「……あの、この後も、お仕事でしょうか?」

 見れば、心配そうにルーチェがこちらの様子を窺っている。
 本当に周りのことをよく慮ってくれる女性だ。
「いや、すぐにというわけではないが……」
「それでしたら……良ければご一緒に、お茶でも。……いかがでしょう?」
 そっと頬を染めたルーチェを見て、言葉にできない感情が湧く。
「……ああ。ぜひ」
「良かった、でしたら準備をしてきますね」
 ぱたぱたと去っていく背中を見送りながら、ダリウスは思う。
 公爵家の手紙など、返事を急ぐ理由はない。

「カイネ。今の件、返事は待たせておけ」
「よろしいので?」
「構わん。俺は彼女と茶を飲む時間で忙しい」

 カイネはその言葉に、「それはご多忙ですね」と含み笑いを漏らした。
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