【完結】隻腕の代理王 ~帝国と教皇国に挟まれた詰み盤面。俺は「ハッタリ」と「覚悟」だけで、二つの敵軍を撤退させる~

Lihito

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23話:武人の咆哮

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 自分は、一歩前へ踏み出した。

 槍を掲げることはしない。
 ただ静かに、しかし練兵場の空気を震わせるほどの、腹の底から響く声で号令を下した。

「レムリアの盾、並びに志を共にする者たちよ」

 その声が、雨の中に厳かに響いた。

「主君の『右腕』を見よ」

 その一言で、レムリアの精鋭、そしてヴォルカスに付き従ってきた帝国兵たちが、一糸乱れぬ動作で盾を打ち鳴らした。

 ガシャンッ!!

 濡れた石床に響く重厚な金属音。
 それは恐怖を捨て、死を覚悟した軍勢だけが放てる、暴力的なまでに純粋な音だった。

 練兵場を囲んでいたカストルの重装歩兵たちが、その音圧に気圧されて足を止めた。

「我らの王は、貴公ら帝国が解き放った地獄を、その身に封じてここへ来られた」

 自分の声が、さらに大きくなった。

「我らがここで泥にまみれるのは、無様な敗北のためではない」

 ドンッ!

 槍の石突きで地面を叩いた。

「この大陸の最前線に立つためだ!」

 その言葉に呼応するように、兵士たちが一斉に、腹の底から絞り出すような低い唱和を始めた。

 それは歌ではなかった。
 地鳴りのような響き。魂の咆哮。

 宮殿の近衛兵たちが持つ「儀礼的な威圧感」を、本物の死線を潜り抜けた者たちの「静かなる狂気」が圧倒していく。

         ◇◇◇

 ベリサリウスの練兵場にいた老兵たちが、その音を聞いて、ハッと目を見開いた。

 彼らは、その音を知っていた。
 何十年も前、自分たちがまだ若く、帝国の栄光のために命を捧げていた頃に聞いた、あの音を。

 本物の「軍隊」の音を。

 自分は兵たちを見渡した。
 恐怖はない。迷いもない。
 あるのは、主君への絶対的な信頼と、武人としての誇りだけだ。

 これが、殿下が育て上げた軍だ。
 自分が鍛え上げた兵たちだ。

         ◇◇◇

 殿下が、隻眼の傭兵ゴルガスに視線を向けた。

「ゴルガス」

「……何だ」

 ゴルガスは、既に大剣の柄に手をかけている。

「ベリサリウスは、お前の腐った上官とは縁遠いはずだ」

 殿下の目が、ゴルガスを真っ直ぐ見つめた。

「短い時間だったかもしれないが、我が国と私についての評価を、率直に伝えるといい」

 殿下は、微かに笑った。

「私もベリサリウスも、嘘は通じない相手だぞ」

 ゴルガスは、フンと鼻で笑った。

「……分かってるよ。口下手な俺に任せるなんざ、いい性格してやがる」

 ゴルガスは、背中に背負った大剣を無造作に地面へ突き立て、泥を跳ね上げながらベリサリウスの前へと歩み寄った。

 彼はかつての上官である大将軍に対し、媚びることもなく、唾を吐き捨てるように語り始めた。

「大将軍、久しぶりだな」

 ゴルガスの声には、皮肉と、それでいて隠しきれない微かな敬意が混じっていた。

「あんたの拳の味はまだ覚えてるぜ。歯が二本ほど減ったがな」

 ベリサリウスの眉が、微かに動いた。

「……ゴルガスか。まだ生きていたか、この問題児め。どこぞで野垂れ死んだと思っていたが」

「ああ、しぶとくてな。地獄からも追い返された」

 ゴルガスは親指で、殿下の背中を指した。

「俺の眼は腐っちまったが、それでも『本物』か『偽物』かくらいは見える」

 ゴルガスの声が、低くなった。

「この若造……陛下はな、カストルの狐野郎に真っ向から『信じない』と言ってのけた。あの蛇の前でだ」

 ベリサリウスの目が、僅かに細くなった。

「それだけじゃない」

 ゴルガスは、殿下の包帯に巻かれた右腕を見やった。

「北の地獄で、部下を救うために自ら呪いを引き受けやがった。……俺が帝都で見捨てた『名誉』とかいうクソみたいなもんを、この小国の王は泥の中から拾い上げて、独りで背負ってやがる」

 ゴルガスはベリサリウスの目を、濁った片目で射抜いた。

「あんたが守ってきた帝国は、今や地下から黒い蔓に食い荒らされている。……このまま腐った上層部と一緒に心中するか、それともこの『狂った王』の博打に乗って、武人の意地を通すか」

 ゴルガスは、唇の端を吊り上げ、凶悪な笑みを浮かべた。

「……あんたなら、答えはもう出てるはずだろ?」

         ◇◇◇

 重い沈黙が落ちた。
 雨が、練兵場の泥を叩く音だけが響いている。

 ベリサリウスは、殿下を見つめていた。
 その右腕に刻まれた黒い蔓を。
 その背後で整然と並び、命を懸ける覚悟を決めた兵士たちを。
 そして、その目に宿る、狂気にも似た、しかし純粋な決意を。

 自分は息を殺して、その瞬間を待った。

 やがて。

「……フン」

 ベリサリウスが、鼻を鳴らした。

「言葉はいらぬと言いながら、部下には随分と饒舌な奴を揃えたものだ」

 ベリサリウスは大斧を軽々と振り上げた。
 そして、それを地面に叩きつけた。

 ドォォォン!!

 雷鳴を上回る衝撃波が走り、練兵場の泥水が爆発したように弾け飛ぶ。
 包囲していたカストルの黒装束たちが、その覇気に圧倒されて思わず数歩後退した。

「よかろう、新王よ!」

 ベリサリウスの咆哮が、練兵場に轟いた。

「貴殿の『軍』の目、そしてその右腕に秘めた覚悟、このベリサリウス、確かに受け取った!」

 ベリサリウスは斧を高く掲げ、天を突くように示した。

「これよりこの練兵場は、レムリア公王の陣所であると宣言する!」

 その声が、雨の中に、そして帝都の闘に響き渡った。

「これに異を唱える者は、このベリサリウスの斧を越えてゆけッ!」

 練兵場にいた五百の老兵たちが、地を這うような野太い歓声を上げた。
 彼らは即座にカストルの軍勢に向き直り、年季の入った盾を構える。

 その動きには、一分の無駄もなかった。
 何十年もの戦場を生き延びてきた者たちだけが持つ、本能的な連携。
 鉄壁の防陣が一瞬にして完成した。

 自分は、胸の奥で熱いものが込み上げるのを感じた。

 これで、戦える。
 この老兵たちと共に。

         ◇◇◇

 だが、その歓喜は長くは続かなかった。

 練兵場の入り口で、その様子を見ていた大蔵卿カストルは微かに眉を寄せた。
 だが、彼は慌ててはいなかった。

 むしろ、すべてが「予定通り」であるかのように、懐から一振りの小さな銀の鐘を取り出した。

 チリン、と。

 その不気味なほど澄んだ音色が、激しい雨音を切り裂いて響いた。

 その瞬間。

 ドクン!!

 殿下の体が、電流に打たれたように強張った。

 宮殿の方角から、あの不気味な「合唱」が風に乗って響いてきた。
 何千人もの声が重なり合った、人間のものとは思えない不協和音の旋律。

 レオンが歌っていた、あの狂った韻律。
 それが、帝都の地下全域から反響するように響いてくる。

 同時に、練兵場を囲んでいた帝国兵たちの一部が、不自然なほど静かに動き始めた。

 カクカクとした、油の切れた人形のような動作で武器を構え直す。
 兜の隙間から覗く瞳は既に白濁して濁り、皮膚の下で黒い蔓が蠢き始めている。

「シュルルルル……」

 あの生理的嫌悪を催す音が、あちこちから聞こえてくる。

 自分は槍を構え直した。
 敵は、人間だけではなかった。
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