【完結】隻腕の代理王 ~帝国と教皇国に挟まれた詰み盤面。俺は「ハッタリ」と「覚悟」だけで、二つの敵軍を撤退させる~

Lihito

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26話:帰還の代償

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 城門の上から、南の街道を見つめ続けていた。

 もう何日になるだろう。
 殿下たちが帝都へ向かってから、あたしはずっとここにいる。

 留守を預かるヴァイン様は「心配しても仕方がない」と言うけれど、そんなの無理だ。
 殿下の右腕に何が起きているか、あたしは知っている。
 あの黒い蔓が、どれほど恐ろしいものか。

 北の砦で見た、変異した兵士たちの姿が、まだ目に焼き付いている。

「……早く帰ってきて」

 誰にも聞こえないように、小さく呟いた。

         ◇◇◇

 砂塵が見えたのは、その日の夕刻だった。

「軍勢だ! 南から軍勢が来る!」

 見張りの兵が叫んだ。

 あたしは身を乗り出して、街道の彼方を凝視した。

 確かに、大軍が近づいてくる。
 だが——何かがおかしい。

 見慣れた公国軍の旗に混じって、見知らぬ軍旗が翻っている。
 鎧の形も、隊列の組み方も、公国のものではない。

 そして、その数。
 出発した時よりも、明らかに多い。

「……何が起きたの」

 あたしの声が、震えていた。

         ◇◇◇

 城門が開かれた。

 先頭を行くのは、アラリック様だった。
 だが、その表情がおかしい。
 いつもの厳格さの奥に、疲労と、そして——悲痛な何かが滲んでいる。

 あたしは、殿下の姿を探した。

 いない。
 先頭にも、その後ろにも。

 まさか——

 心臓が、凍りついた。

 その時、アラリック様の馬の後ろに、もう一つの影があることに気づいた。

 アラリック様が、誰かを支えている。
 意識のない、ぐったりとした体を。

 蒼白な顔。
 乱れた黒髪。
 そして——

 右腕が、ない。

「……殿下」

 あたしの声が、掠れた。

 殿下だ。
 間違いない。
 だが、あの右腕が——あの呪われた右腕が、肩から先がない。

 包帯に包まれた断端から、微かに血が滲んでいる。

 あたしは、城壁から駆け下りた。

         ◇◇◇

 城門の前に、軍勢が整列していた。

 見知らぬ老兵たち。
 継ぎ接ぎだらけの古い鎧。傷だらけの顔。
 だが、その目には、鉄のような意志が宿っている。

 そして、その中央に。

 白髪混じりの髭を蓄えた巨漢が、身の丈ほどもある戦斧を携えて立っていた。

 あたしは、その男を知らない。
 だが、纏う気配だけで分かる。
 この男は、ただ者ではない。

 アラリック様が、殿下を馬から降ろした。
 カイル様が、その体を支える。

 殿下は、まだ意識がない。
 蒼白な顔。荒い呼吸。
 右肩の断端から滲む血。

 あたしは、医術士として駆け寄ろうとした。

 だが、それより先に——

 あの巨漢が、動いた。

         ◇◇◇

 巨漢は、意識のない殿下の前に歩み出た。

 そして、その場に片膝をついた。

 あたしは、息を呑んだ。
 周囲の兵たちも、動きを止めた。

「……俺はベリサリウス」

 低く、腹の底に響く声。

「かつて帝国の盾と呼ばれた男だ」

 老将軍は、戦斧を地面に突き立てた。

「この老骨、腐った帝都で朽ち果てるつもりだった。だが——」

 ベリサリウスの目が、意識のない殿下を見つめた。

「この若き王は、自らの腕を切り落としてでも、部下を、民を、守ることを選んだ」

 老将軍の声が、城門に響き渡った。

「俺は、この目で見た。この王が、何を捨て、何を背負い、ここまで辿り着いたかを」

 ベリサリウスは、深く頭を垂れた。

「ベリサリウス、ならびに我が五百の老兵。この命、レムリア公王に捧げる」

 その言葉に呼応するように、老兵たちが一斉に膝をついた。

 ドォンッ!!

 五百の盾が、地面を打つ音が響いた。

 あたしは、その光景を呆然と見つめていた。

 帝国の大将軍が、膝をついている。
 五百の歴戦の老兵が、頭を垂れている。
 意識のない、隻腕の若き王の前で。

 何が起きたのか、まだ理解が追いつかない。
 だが、一つだけ分かることがあった。

 殿下は、生きて帰ってきた。
 右腕を失っても。
 意識を失っても。
 それでも、帰ってきた。

         ◇◇◇

「リオラ!」

 カイル様の声が、あたしを現実に引き戻した。

「殿下を診てくれ。出血は止めたが、熱が出ている」

 あたしは、頷いた。
 今は、感傷に浸っている場合ではない。

 殿下の傍に駆け寄り、額に手を当てた。
 高い熱。荒い呼吸。脈は速いが、弱い。

 右肩の包帯を、慎重に解いた。

 息を呑んだ。

 切断面は、焼灼で塞がれていた。
 戦場での応急処置。カイル様の仕事だろう。
 だが、その周囲に——

 黒い痣のようなものが、蜘蛛の巣のように広がっている。

 呪いの痕跡だ。
 右腕は切り落とされたが、その影響は完全には消えていない。

「……これは」

 あたしの声が、震えた。

「腕は切った」

 カイル様が、低い声で言った。

「だが、呪いの根は残っている。メフィストが言うには、時間をかけて浄化するしかないと」

 あたしは、唇を噛んだ。

 殿下は、右腕を切り落とすことで、命を繋いだ。
 だが、戦いはまだ終わっていない。
 この黒い痣が消えるまで、殿下の体は蝕まれ続ける。

「……分かりました」

 あたしは、顔を上げた。

「殿下を寝室へ。あたしが、できる限りのことをします」

 カイル様が、微かに頷いた。

 アラリック様が、殿下を抱え上げた。
 隻腕の、意識のない王を。

 あたしは、その後に続いた。

 城門の向こうで、ベリサリウスと老兵たちが、まだ膝をついたままだった。
 意識のない王が、城内に消えるまで。

 その姿を見て、あたしは思った。

 殿下は、何を見せたのだろう。
 あの老将軍に、あの歴戦の兵士たちに。
 彼らがここまで心を動かされるほどの、何かを。

 あたしは、それを知らない。
 だが、いつか——殿下が目を覚ましたら、聞いてみたいと思った。

 帝都で、何があったのかを。
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