【完結】隻腕の代理王 ~帝国と教皇国に挟まれた詰み盤面。俺は「ハッタリ」と「覚悟」だけで、二つの敵軍を撤退させる~

Lihito

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27話:新たな誓い

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 軍勢が城門に現れた時、僕はリオラ先輩の傍にいた。

 諜報の訓練中だった。
 城壁の上から街道を監視する任務。退屈な仕事だと思っていた。

 だが、砂塵が見えた瞬間、リオラ先輩の顔色が変わった。

「……帰ってきた」

 先輩の声が、震えていた。
 あのリオラ先輩が。僕を散々しごいて、泣かせて、「甘い」「弱い」「才能だけで生きてきた」と罵倒し続けたあの人が。

 僕は、街道の彼方を凝視した。

 確かに、公国軍の旗が見える。
 だが、見慣れない軍旗も翻っている。そして、その数が——出発した時よりも明らかに多い。

「先輩、あれは……」

「分からない。でも、殿下が帰ってきた」

 リオラ先輩は、城壁から駆け下りた。
 僕も後に続いた。

         ◇◇◇

 城門が開かれた。

 先頭を行くのは、アラリック団長だった。
 だが、その表情がおかしい。いつもの厳格さの奥に、疲労と、そして——悲痛な何かが滲んでいる。

 僕は、殿下の姿を探した。

 北の山脈で、あの人を見た。
 自分の右腕に呪いを受け入れて、レオンを救おうとしたあの人を。
 「約束だ」と言って、僕を送り出したあの人を。

 いない。
 先頭にも、その後ろにも。

 まさか——

 心臓が、凍りついた。

 その時、アラリック団長の馬の後ろに、もう一つの影があることに気づいた。

 団長が、誰かを支えている。
 意識のない、ぐったりとした体を。

 蒼白な顔。
 乱れた黒髪。
 そして——

 右腕が、ない。

「……殿下」

 僕の声が、掠れた。

 北で見た、あの右腕。黒い蔓が皮膚の下で脈打っていた、あの呪われた腕。
 それが、肩から先がない。

 切り落としたのだ。
 あの呪いを止めるために、自分の腕を。

         ◇◇◇

 城内は騒然としていた。

 僕は廊下の隅に立ち尽くしたまま、行き交う人々を見ていた。

 殿下が運び込まれた部屋の前には、アラリック団長とカイル様が立っている。
 二人とも、疲労の色が濃い。だが、その目は鋭いままだ。

 足音が聞こえた。

 振り返ると、ヴァイン様が廊下を歩いてくるところだった。

 執事長の顔は、いつもの穏やかな仮面を被っている。
 だが、その歩調が速い。あの老人が、こんなに急いで歩くのを見たのは初めてだ。

 ヴァイン様は、殿下の部屋の前で足を止めた。

「状況を」

 短い言葉。

 カイル様が、低い声で答えた。

「右腕を切断しました。呪いの侵食を止めるために」

 ヴァイン様の肩が、微かに震えた。
 だが、すぐに背筋を伸ばす。

「……殿下のご判断で」

「ああ。殿下ご自身が命じた。躊躇いなく」

 沈黙が落ちた。

 ヴァイン様は、長い間動かなかった。
 その背中が、老いて見えた。この人にも、限界があるのだと初めて気づいた。

「……あの御方らしい」

 ようやく絞り出された声は、いつもより低く、震えていた。

「ご自身の体よりも、民と部下を。いつも、そうだ」

 ヴァイン様は、深く息を吸い込んだ。

「私にできることは」

「城内の統制を。外の老兵たちの受け入れも」

「老兵?」

「ベリサリウス大将軍。帝国から五百の兵を連れてきた。殿下が『盗んだ』」

 カイル様の言葉に、ヴァイン様の目が見開かれた。
 だが、すぐに表情を引き締める。

「……承知しました。殿下がお目覚めになったら、すぐに」

 ヴァイン様は踵を返し、廊下を去っていった。
 その足取りは、来た時よりもしっかりしていた。やるべきことがある方が、この人は強いのだろう。

         ◇◇◇

 夜が更けても、リオラ先輩は殿下の部屋から出てこなかった。

 僕は、廊下の壁にもたれて待っていた。

 リオラ先輩に散々しごかれた。
 「殿下の『影』になれ」と言われて、毎日泣きそうになりながら訓練を受けた。
 正直、何度も逃げ出したいと思った。

 でも、逃げなかった。
 殿下との約束があったから。

 「使い捨ての駒ではない。帰ってこい」
 「約束だ」

 あの言葉が、本当かどうか確かめたかった。
 だから、歯を食いしばって耐えた。

 そして今——殿下は帰ってきた。
 右腕を失って。意識を失って。それでも、生きて。

 約束は、守られた。
 僕を「使い捨て」にしなかった。帰ってきてくれた。

         ◇◇◇

 扉が開いたのは、夜明け前だった。

 リオラ先輩が、疲れ切った顔で出てきた。

「……ルーク。ずっとここにいたの」

「はい」

「殿下は」

「峠は越えた。熱も下がってきてる」

 リオラ先輩の声が、微かに震えた。

「でも、右腕は……もう、戻らない」

 僕は、何も言えなかった。

 北で見た、あの腕を思い出していた。
 黒い蔓が脈打っていた腕。レオンを救うために、自ら呪いを引き受けた証。

 それを、切り落とした。

「……あの腕」

 僕は、小さく呟いた。

「北で見ました。殿下が、あの腕で何をしたか」

 リオラ先輩が、僕を見た。

「レオンを助けるために、自分から呪いを受け入れた。僕は、見てました」

 先輩は、しばらく黙っていた。

「……そう。あんたは、見てたのね」

「はい」

「なら、分かるでしょ。殿下が、どういう人か」

 僕は、頷いた。

 部下を守るために、自分の体を削る人。
 未来を、腕を、命を賭けて、民と兵を守ろうとする人。

 最初は信じなかった。
 でも、もう疑う余地はない。

         ◇◇◇

 殿下が目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。

 僕は、廊下で待っていた。
 リオラ先輩に薬草を届けに来たところだった。

 部屋の中から、声が聞こえた。

「……ここは」

 掠れた、だが確かな声。

「公国です、陛下。無事にお戻りになられました」

 リオラ先輩の声。

「……そうか」

 殿下の声が、静かに響いた。

「皆は」

 その一言に、僕は息を呑んだ。

 目覚めて最初に口にしたのが、自分の体のことではない。
 右腕を失ったばかりなのに、最初に聞いたのは「皆は」。

 北で見た時と、同じだ。
 あの時も、殿下は自分の命より、レオンを、僕たちを、優先した。

 この人は、変わらない。
 どれだけ体を削っても、変わらない。

         ◇◇◇

 扉が開いた。

 リオラ先輩が、僕を見た。

「ルーク、殿下がお呼びよ」

 心臓が跳ねた。

 僕は、部屋の中に入った。

 殿下は、寝台の上で上体を起こしていた。
 蒼白な顔。だが、その目は澄んでいる。

 右肩には、包帯が巻かれている。
 その先に、腕はない。

 北で見た、あの腕。
 呪いを受け入れた証だった腕。

 もう、ない。

「ルーク」

 殿下の声が、僕を呼んだ。

「はい」

「リオラの下で、よくやっているそうだな」

 僕は、驚いた。
 こんな状況で、僕のことを気にかけている。

「……はい。先輩に、しごかれてます」

「そうか」

 殿下が、微かに笑った。

「辛いか」

「……正直、辛いです」

 嘘はつけなかった。

「でも、逃げません」

「なぜだ」

「殿下との約束があるから」

 僕は、殿下の目を見た。

「『帰ってこい』と言われました。『使い捨ての駒ではない』と」

 殿下の目が、僅かに見開かれた。

「殿下は、約束を守ってくれました。帰ってきてくれた。だから、僕も約束を守ります。殿下の『影』になるって」

 僕は、膝をついた。

 自然と、そうなっていた。

「僕は見ました。北で、殿下が何をしたか。そして今、殿下が何を捨てたか」

 言葉が、喉から溢れ出た。

「だから——もう、迷いません。殿下の『影』になります。死ぬ気で」

 沈黙が落ちた。

 殿下は、僕を見下ろしていた。
 その目に、何かが宿っていた。

「……そうか」

 殿下の声が、静かに響いた。

「ならば、約束しよう」

 殿下が、残された左手を僕の肩に置いた。

「お前を、使い捨てにはしない。最後まで、共に戦う」

 その言葉が、胸に響いた。

 北で聞いた時は、信じなかった。
 でも、今は違う。

 この人は、本当にそうする人だ。
 右腕を切り落としてでも、部下を守る人だ。

「……はい」

 僕の声が、震えた。

「僕も、最後までついていきます」

         ◇◇◇

 部屋を出た時、廊下にアラリック団長がいた。

 団長は、僕を見た。

「殿下と話したか」

「はい」

「どうだった」

 僕は、言葉を探した。

「……僕、北で見たんです。殿下が、あの腕に呪いを受け入れたところを」

 団長の目が、僕を捉えた。

「あの時は、信じられなかった。王族が、部下のために自分の体を犠牲にするなんて」

 僕は、顔を上げた。

「でも、今は分かります。殿下は、本当にそういう人だって」

 団長は、無言で僕を見つめていた。

 そして、微かに頷いた。

「……ならば、お前も我らの一員だ」

 その言葉が、不思議と嬉しかった。

 僕は、もう一度殿下の部屋を振り返った。

 隻腕の王。
 右腕を失っても、部下を気遣う王。
 約束を守る王。

 この人のために、僕は「影」になる。
 リオラ先輩に何を言われても、もう逃げない。

 それが、僕の答えだ。
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