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28話:老臣の五日間
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城門が開かれた時、私は自分の目を疑った。
霧深い夜明けの光の中、帰還した軍勢の姿は異様だった。
傷だらけの鎧。見たこともない歴戦の老兵たち。
そして——馬車の荷台に横たわる、若き主君。
右肩から先が、ない。
杖が手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音が、やけに大きく響いた。
「殿下……いえ、陛下……」
その呟きは、風に消えた。
焼灼された傷跡。虚しく揺れる袖。死人のように蒼白な顔色。
だが、胸は確かに上下している。
生きている。この地獄を、生き延びて帰ってきたのだ。
私は杖を拾い上げ、背筋を伸ばした。
感傷に浸っている暇はない。この国の宰相として、やるべきことがある。
◇◇◇
カイルが動いたのは、その直後だった。
私とリオラを秘密の会議室へ集め、泥だらけの帳簿をテーブルに叩きつける。
「驚いている暇はない。状況は最悪で、最高だ」
冷徹な声だった。
帝都の崩壊。黒い塔の出現。帝国の機能不全。
そして——この帳簿に記された、国内の裏切り者たちの名前。
「ヴァイン殿」
カイルが私を見た。
「近隣諸国へ送る外交文書を執筆してもらいたい。内容は『公国の正当性』と『帝国の暴走による被害』を記したものだ」
私は深く息を吸い込んだ。
「……承知した」
この老骨に残された時間を、すべて陛下のために使おう。
それが、長く仕えてきた者の務めだ。
◇◇◇
それからの五日間は、嵐のようだった。
私は執務室に籠もり、羽ペンを走らせ続けた。
近隣諸国への書簡。同情を誘う言葉、恐怖を煽る表現、そして公国の正当性を訴える論理。
使えるものは何でも使った。嘘も真実も、この際関係ない。
二日目の夜。
リオラが執務室を訪れた。
「終わりました」
短い報告。
帳簿に記された三家の貴族——帝国と通じていた裏切り者たち。
彼らが今夜、どうなったか。聞くまでもなかった。
「ご苦労だった」
私はそれだけ言った。
リオラは無言で頷き、影のように去っていった。
汚れ仕事は、彼女たちに任せるしかない。
私にできるのは、その上に正当性という化粧を施すことだけだ。
◇◇◇
三日目。
城の地下から、不気味な音が響いてきた。
ドン。ドンドン。
何かが内側から叩いているような音。
衛兵たちが怯えた顔で廊下を歩いているのを見た。
メフィスト。あの仮面の錬金術師が、陛下の切り落とされた右腕を使って何かをしている。
詳細は聞いていない。聞きたくもなかった。
だが、あの音を聞くたびに、背筋が凍る。
あれは人の所業ではない。
私は書簡に目を戻した。
考えても仕方のないことだ。今は、自分の仕事に集中するしかない。
◇◇◇
四日目。
練兵場を窓から眺めた。
アラリックが、見慣れぬ老兵たちと共に訓練を指揮している。
ベリサリウス大将軍。ヴォルカス千人長。帝国から連れ帰った精鋭たち。
彼らの動きは、公国軍とは明らかに異質だった。
無駄のない足運び。連携の取れた陣形変化。実戦で磨かれた技術。
だが、不思議なことに、彼らと公国軍の間に壁は見えなかった。
むしろ、奇妙な連帯感が生まれつつある。
「地獄を見てきた者同士」——そんな言葉が、兵たちの間で囁かれているという。
陛下が右腕を切り落としてまで、彼らを連れ帰った意味。
それを、兵たちは本能で理解しているのだろう。
◇◇◇
五日目の昼過ぎ。
私は陛下の寝室の前で、カイルとアラリックと共に待っていた。
扉が開いた。
侍医が、疲れ切った顔で出てきた。
「……お目覚めです」
その言葉に、私は目を閉じた。
生きている。陛下は、生きて目を覚ました。
部屋に入ると、陛下は寝台の上で体を起こそうとしていた。
バランスを崩す。右肩が、そこにあるはずの腕を探している。
その姿を見て、胸が締め付けられた。
「……どれくらい眠っていた」
掠れた声。だが、意識は明瞭だ。
「五日です」
カイルが答えた。
陛下は頷き、私たちを見渡した。
その目に、王の光が宿っている。腕を失っても、この方は折れていない。
「状況を聞きたい」
◇◇◇
カイルが帝国の崩壊と軍の再編について報告した後、私が口を開いた。
「国内の情勢について、ご報告いたします」
陛下の目が、私を捉えた。
「帝都崩壊の報を受け、民の間には当初、筆舌に尽くしがたい絶望が広がりました」
私は、この五日間で集めた情報を整理しながら話した。
「しかし、陛下が自らの腕を切り捨てて帰還されたという報が広まると——民の心に、恐怖を上回る何かが芽生えました」
「何か、とは」
「熱狂、です」
私は言葉を選んだ。
「民衆は、陛下をもはや単なる『次期公王』とは見ておりません。自分たちの身代わりとなって片腕を捧げた『殉教王』として——ある種の、神格化が始まっております」
陛下の表情が、僅かに曇った。
「彼らは信じております。陛下が生きている限り、この国は滅びない、と」
「……重いな」
「ええ。ですが、今はその重さが国を繋ぎ止めております」
私は続けた。
「軍についても同様です。旧公国軍と、帝国からの脱走兵たちの間には、もはや壁がございません」
アラリックが頷いた。
「彼らは自分たちのことを——陛下が切り捨てた右腕に代わる存在と呼び始めています」
「何と」
「『王の千本腕』、と」
陛下は、失われた右腕の方を見た。
幻覚痛に耐えているのか、僅かに眉を寄せている。
「彼らの忠誠は『国』ではなく、明確に『陛下個人』に向けられております」
私は、結論を述べた。
「現在のレムリアは、陛下を中心とした、極めて強力だが危うい共同体です。陛下という楔が抜ければ、即座に瓦解するでしょう。しかし——」
「私が玉座にある限り、彼らは戦い続ける、か」
「左様でございます」
陛下は、しばらく沈黙した。
その目には、重責を受け止める覚悟が見えた。
◇◇◇
その時。
扉が激しく叩かれた。
私は反射的に振り返った。こんな時に何事か。
伝令の兵が、蒼白な顔で飛び込んできた。
「ヴァイン様! 緊急のご報告です!」
私は眉を顰めた。
「何事だ」
「教皇国より、使節が参っております! 先代公王の暗殺未遂への『謝罪』と称して——」
兵の声が震えていた。
「随行しているのは、千人の武装した『免罪修道士』たち。陛下に『ある神聖な儀式』への即時出席を求めております!」
血の気が引いた。
これは謝罪ではない。恫喝だ。事実上の最後通牒。
私は陛下を振り返った。
陛下は、痛み止めも飲まず、ゆっくりと寝台から立ち上がった。
右肩の傷が軋んでいるはずだ。だが、その顔に苦痛の色はない。
その瞳に、王の光が宿る。
「……行くぞ」
静かな、だが揺るぎない声。
「売られた喧嘩だ」
霧深い夜明けの光の中、帰還した軍勢の姿は異様だった。
傷だらけの鎧。見たこともない歴戦の老兵たち。
そして——馬車の荷台に横たわる、若き主君。
右肩から先が、ない。
杖が手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた音が、やけに大きく響いた。
「殿下……いえ、陛下……」
その呟きは、風に消えた。
焼灼された傷跡。虚しく揺れる袖。死人のように蒼白な顔色。
だが、胸は確かに上下している。
生きている。この地獄を、生き延びて帰ってきたのだ。
私は杖を拾い上げ、背筋を伸ばした。
感傷に浸っている暇はない。この国の宰相として、やるべきことがある。
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カイルが動いたのは、その直後だった。
私とリオラを秘密の会議室へ集め、泥だらけの帳簿をテーブルに叩きつける。
「驚いている暇はない。状況は最悪で、最高だ」
冷徹な声だった。
帝都の崩壊。黒い塔の出現。帝国の機能不全。
そして——この帳簿に記された、国内の裏切り者たちの名前。
「ヴァイン殿」
カイルが私を見た。
「近隣諸国へ送る外交文書を執筆してもらいたい。内容は『公国の正当性』と『帝国の暴走による被害』を記したものだ」
私は深く息を吸い込んだ。
「……承知した」
この老骨に残された時間を、すべて陛下のために使おう。
それが、長く仕えてきた者の務めだ。
◇◇◇
それからの五日間は、嵐のようだった。
私は執務室に籠もり、羽ペンを走らせ続けた。
近隣諸国への書簡。同情を誘う言葉、恐怖を煽る表現、そして公国の正当性を訴える論理。
使えるものは何でも使った。嘘も真実も、この際関係ない。
二日目の夜。
リオラが執務室を訪れた。
「終わりました」
短い報告。
帳簿に記された三家の貴族——帝国と通じていた裏切り者たち。
彼らが今夜、どうなったか。聞くまでもなかった。
「ご苦労だった」
私はそれだけ言った。
リオラは無言で頷き、影のように去っていった。
汚れ仕事は、彼女たちに任せるしかない。
私にできるのは、その上に正当性という化粧を施すことだけだ。
◇◇◇
三日目。
城の地下から、不気味な音が響いてきた。
ドン。ドンドン。
何かが内側から叩いているような音。
衛兵たちが怯えた顔で廊下を歩いているのを見た。
メフィスト。あの仮面の錬金術師が、陛下の切り落とされた右腕を使って何かをしている。
詳細は聞いていない。聞きたくもなかった。
だが、あの音を聞くたびに、背筋が凍る。
あれは人の所業ではない。
私は書簡に目を戻した。
考えても仕方のないことだ。今は、自分の仕事に集中するしかない。
◇◇◇
四日目。
練兵場を窓から眺めた。
アラリックが、見慣れぬ老兵たちと共に訓練を指揮している。
ベリサリウス大将軍。ヴォルカス千人長。帝国から連れ帰った精鋭たち。
彼らの動きは、公国軍とは明らかに異質だった。
無駄のない足運び。連携の取れた陣形変化。実戦で磨かれた技術。
だが、不思議なことに、彼らと公国軍の間に壁は見えなかった。
むしろ、奇妙な連帯感が生まれつつある。
「地獄を見てきた者同士」——そんな言葉が、兵たちの間で囁かれているという。
陛下が右腕を切り落としてまで、彼らを連れ帰った意味。
それを、兵たちは本能で理解しているのだろう。
◇◇◇
五日目の昼過ぎ。
私は陛下の寝室の前で、カイルとアラリックと共に待っていた。
扉が開いた。
侍医が、疲れ切った顔で出てきた。
「……お目覚めです」
その言葉に、私は目を閉じた。
生きている。陛下は、生きて目を覚ました。
部屋に入ると、陛下は寝台の上で体を起こそうとしていた。
バランスを崩す。右肩が、そこにあるはずの腕を探している。
その姿を見て、胸が締め付けられた。
「……どれくらい眠っていた」
掠れた声。だが、意識は明瞭だ。
「五日です」
カイルが答えた。
陛下は頷き、私たちを見渡した。
その目に、王の光が宿っている。腕を失っても、この方は折れていない。
「状況を聞きたい」
◇◇◇
カイルが帝国の崩壊と軍の再編について報告した後、私が口を開いた。
「国内の情勢について、ご報告いたします」
陛下の目が、私を捉えた。
「帝都崩壊の報を受け、民の間には当初、筆舌に尽くしがたい絶望が広がりました」
私は、この五日間で集めた情報を整理しながら話した。
「しかし、陛下が自らの腕を切り捨てて帰還されたという報が広まると——民の心に、恐怖を上回る何かが芽生えました」
「何か、とは」
「熱狂、です」
私は言葉を選んだ。
「民衆は、陛下をもはや単なる『次期公王』とは見ておりません。自分たちの身代わりとなって片腕を捧げた『殉教王』として——ある種の、神格化が始まっております」
陛下の表情が、僅かに曇った。
「彼らは信じております。陛下が生きている限り、この国は滅びない、と」
「……重いな」
「ええ。ですが、今はその重さが国を繋ぎ止めております」
私は続けた。
「軍についても同様です。旧公国軍と、帝国からの脱走兵たちの間には、もはや壁がございません」
アラリックが頷いた。
「彼らは自分たちのことを——陛下が切り捨てた右腕に代わる存在と呼び始めています」
「何と」
「『王の千本腕』、と」
陛下は、失われた右腕の方を見た。
幻覚痛に耐えているのか、僅かに眉を寄せている。
「彼らの忠誠は『国』ではなく、明確に『陛下個人』に向けられております」
私は、結論を述べた。
「現在のレムリアは、陛下を中心とした、極めて強力だが危うい共同体です。陛下という楔が抜ければ、即座に瓦解するでしょう。しかし——」
「私が玉座にある限り、彼らは戦い続ける、か」
「左様でございます」
陛下は、しばらく沈黙した。
その目には、重責を受け止める覚悟が見えた。
◇◇◇
その時。
扉が激しく叩かれた。
私は反射的に振り返った。こんな時に何事か。
伝令の兵が、蒼白な顔で飛び込んできた。
「ヴァイン様! 緊急のご報告です!」
私は眉を顰めた。
「何事だ」
「教皇国より、使節が参っております! 先代公王の暗殺未遂への『謝罪』と称して——」
兵の声が震えていた。
「随行しているのは、千人の武装した『免罪修道士』たち。陛下に『ある神聖な儀式』への即時出席を求めております!」
血の気が引いた。
これは謝罪ではない。恫喝だ。事実上の最後通牒。
私は陛下を振り返った。
陛下は、痛み止めも飲まず、ゆっくりと寝台から立ち上がった。
右肩の傷が軋んでいるはずだ。だが、その顔に苦痛の色はない。
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