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29話:偽物の使者
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謁見の間に漂う空気が、肌を刺すように冷たい。
俺は陛下の傍らに立ち、目の前の「使節」とやらを観察していた。
顔を血のように赤い頭巾で隠した男。「免罪修道士」の頭領だという。
全身から漂う、血と香油の混じった独特の臭気。坊主どもの中でも、こいつは特別にイカれた部類だ。
その背後、中庭を埋め尽くすように、抜身の処刑鎌を背負った千人の修道士が整列している。
千人。なるほど、威圧としては悪くない数だ。
だが、俺の目は別のものを捉えていた。
城壁の上に、音もなく配置されつつある弓兵たち。ベリサリウス率いる「黒騎士大隊」の気配。
アラリックが既に手を打っている。さすがだ。
使節が口を開いた。
「レムリアの新王よ。教皇猊下は、貴殿の身に起きた『悲劇』を慈しんでおられる」
慈しむ、ね。
俺は内心で鼻を鳴らした。その言葉の裏に滲む傲慢さを、隠す気すらないらしい。
「帝都の崩壊は、神の沈黙を無視した者たちへの当然の天罰である。だが、その呪いの一部をこの地に持ち帰った貴殿もまた、浄化の対象であることに変わりはない」
使節は懐から一通の書簡を取り出した。漆黒の蝋で封じられている。
「猊下は仰せだ。貴殿がその身に宿した呪いを『聖なる儀式』によって教皇国へ奉納し、公国すべてが教皇領として神の絶対的な庇護下に入るのであれば、この地の民は『聖戦』の業火から救われるであろう、と」
要するに、陛下を差し出せ、国を明け渡せ、さもなくば皆殺しだ。
外交官時代に腐るほど聞いた、典型的な恫喝だ。ただし、こいつらは本気でやる。
使節の声が、脅しを帯びて低くなった。
「さもなくば、この千人の修道士が、今この場で『慈悲の浄化』を開始することになる」
俺は音もなく短剣に手をかけた。
アラリックも動いている。使節の背後へ回り込み、殺気を放っている。
だが、陛下は動じなかった。
静かに、しかしよく通る声で口を開く。
「教皇猊下の名を語った獣に騙されると思うか?」
使節の肩が、僅かに強張った。
「私は確かに以前、教皇国へ伝えたはずだ。『こちらから教皇国に向かう、しかるべき立場の人間の予定を空けておけ』と」
陛下の声が、謁見の間に朗々と響いた。
「まさか教皇国ともあろう礼節ある大国が、言葉を理解できないわけもなく、誠実に対応しないなどありえない」
なるほど。そう来たか。
俺は内心で感心した。「偽物」と断じることで、相手の出方を封じる。本物だろうが偽物だろうが関係ない。交渉のテーブルを一度ひっくり返すわけだ。
「即刻この場から立ち去れ、偽物めが! 貴様の戯言を聞く耳は持たぬ!」
使節の肩が、怒りで震えた。
「光神の使徒たる我らを、偽物と呼ぶか」
「もし強硬手段に打って出るなら」
陛下が、玉座から立ち上がった。
隻腕の姿が、巨大な影となって使節を威圧する。
「我が国の誇る軍と、たった千人で戦う覚悟はあるか? ここは既に、貴様らの神の庭ではない。私の国だ」
合図だ。
窓の外、城壁の上に、弓兵と「黒騎士大隊」が姿を現した。
千人の修道士に対し、三千の精鋭が殺気を向けている。
重苦しい沈黙が落ちた。
赤頭巾の使節は、忌々しげに舌打ちをした。
「……偽物、ですか。クク……よろしい」
その声には、底知れない不気味な笑いが滲んでいた。
「その不遜な言葉、光神の記録に永遠に刻んでおきましょう」
使節は踵を返し、捨て台詞を残した。
「陛下、貴殿が次に教皇国を訪れる時、そこは『交渉の場』ではなく、貴殿の穢れた魂を焼く『処刑の祭壇』となるでしょう」
千人の修道士たちが、音もなく一斉に背を向け、朝霧の向こうへと去っていった。
一時の勝利。
だが、これで「聖戦」は確定した。猶予がどれだけあるかは分からんが、長くはないだろう。
◇◇◇
使節が去った後、陛下はただちに俺たちを招集した。
謁見の間には、俺、ヴァイン、アラリックが集まっている。
「全土で狂信的な演説が行われているなら、偽物でも何でもなく、奴らは真っ黒だと思うが」
陛下が玉座から身を乗り出し、俺とヴァインを見据えた。
「帝国みたいに、教皇国にも希望はあるか? 話の通じる相手は」
俺は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「教皇国に希望があるか、という問いですが……あそこは帝国以上に厄介です」
俺の声が、自然と低くなる。
「帝国は『欲』で動きますが、教皇国は『正義』で動く。欲は交渉できますが、狂信的な正義は殺し合うしかありません」
陛下は黙って聞いていた。
「ですが、陛下。どんなに純白な布にも裏地はあります」
俺は続けた。
「現在、狂信派に弾圧されている『古儀式派』……神との対話を静寂の中に求める古い司祭たちがいます。彼らは今の教皇庁の暴走と、異端審問の嵐に絶望している」
「内部に味方を作れる、と」
「ええ。彼らと接触できれば、内部からの崩壊、あるいは情報のリークが狙えるでしょう」
俺は、一つの名前を出した。
「リラがその『歌』のルートを持っています。彼女の歌は、国境を越えて届く暗号になります」
陛下は小さく頷いた。「敵の敵」を利用する。基本中の基本だ。
続いて、ヴァインが口を開いた。
「周辺諸国との外交について申し上げます」
老宰相の声は、いつも通り冷静だった。
「北のドワーフとの交易路を失った今、戦力の均衡を保つための鍵は南の『自由都市連合』です」
ヴァインはテーブルの上の地図を指差した。
「彼らは商人の集まり。帝国が崩壊し、大陸の物流が死んだ今、彼らは新しい『物流の心臓』を喉から手が出るほど求めている」
「我々の土地か」
「はい。レムリアが持つ『鉄門の峡谷』の通行権をチップに、彼らの私兵と最新の火器を借り受ける交渉が可能です」
なるほど。金で買える武力は、今の俺たちには貴重だ。
自由都市連合か。あそこの商人どもは強欲だが、その分話が早い。神に祈るより金貨を数える連中だ。
「分かった。後で詳しく詰める。人選を用意しておけ」
陛下が即断した。
俺は、懐のスキットルに手を伸ばしかけて、やめた。
まだ仕事中だ。酒は後でいい。
だが、正直なところ——久しぶりに血が騒いでいた。
帝国との泥沼。教皇国との全面戦争。南の商人どもとの腹の探り合い。
面倒な仕事が山積みだ。
だが、この若造——いや、この隻腕の王は、それを全部ひっくり返す気でいる。
……面白い。
これだから、この賭けはやめられない。
俺は陛下の傍らに立ち、目の前の「使節」とやらを観察していた。
顔を血のように赤い頭巾で隠した男。「免罪修道士」の頭領だという。
全身から漂う、血と香油の混じった独特の臭気。坊主どもの中でも、こいつは特別にイカれた部類だ。
その背後、中庭を埋め尽くすように、抜身の処刑鎌を背負った千人の修道士が整列している。
千人。なるほど、威圧としては悪くない数だ。
だが、俺の目は別のものを捉えていた。
城壁の上に、音もなく配置されつつある弓兵たち。ベリサリウス率いる「黒騎士大隊」の気配。
アラリックが既に手を打っている。さすがだ。
使節が口を開いた。
「レムリアの新王よ。教皇猊下は、貴殿の身に起きた『悲劇』を慈しんでおられる」
慈しむ、ね。
俺は内心で鼻を鳴らした。その言葉の裏に滲む傲慢さを、隠す気すらないらしい。
「帝都の崩壊は、神の沈黙を無視した者たちへの当然の天罰である。だが、その呪いの一部をこの地に持ち帰った貴殿もまた、浄化の対象であることに変わりはない」
使節は懐から一通の書簡を取り出した。漆黒の蝋で封じられている。
「猊下は仰せだ。貴殿がその身に宿した呪いを『聖なる儀式』によって教皇国へ奉納し、公国すべてが教皇領として神の絶対的な庇護下に入るのであれば、この地の民は『聖戦』の業火から救われるであろう、と」
要するに、陛下を差し出せ、国を明け渡せ、さもなくば皆殺しだ。
外交官時代に腐るほど聞いた、典型的な恫喝だ。ただし、こいつらは本気でやる。
使節の声が、脅しを帯びて低くなった。
「さもなくば、この千人の修道士が、今この場で『慈悲の浄化』を開始することになる」
俺は音もなく短剣に手をかけた。
アラリックも動いている。使節の背後へ回り込み、殺気を放っている。
だが、陛下は動じなかった。
静かに、しかしよく通る声で口を開く。
「教皇猊下の名を語った獣に騙されると思うか?」
使節の肩が、僅かに強張った。
「私は確かに以前、教皇国へ伝えたはずだ。『こちらから教皇国に向かう、しかるべき立場の人間の予定を空けておけ』と」
陛下の声が、謁見の間に朗々と響いた。
「まさか教皇国ともあろう礼節ある大国が、言葉を理解できないわけもなく、誠実に対応しないなどありえない」
なるほど。そう来たか。
俺は内心で感心した。「偽物」と断じることで、相手の出方を封じる。本物だろうが偽物だろうが関係ない。交渉のテーブルを一度ひっくり返すわけだ。
「即刻この場から立ち去れ、偽物めが! 貴様の戯言を聞く耳は持たぬ!」
使節の肩が、怒りで震えた。
「光神の使徒たる我らを、偽物と呼ぶか」
「もし強硬手段に打って出るなら」
陛下が、玉座から立ち上がった。
隻腕の姿が、巨大な影となって使節を威圧する。
「我が国の誇る軍と、たった千人で戦う覚悟はあるか? ここは既に、貴様らの神の庭ではない。私の国だ」
合図だ。
窓の外、城壁の上に、弓兵と「黒騎士大隊」が姿を現した。
千人の修道士に対し、三千の精鋭が殺気を向けている。
重苦しい沈黙が落ちた。
赤頭巾の使節は、忌々しげに舌打ちをした。
「……偽物、ですか。クク……よろしい」
その声には、底知れない不気味な笑いが滲んでいた。
「その不遜な言葉、光神の記録に永遠に刻んでおきましょう」
使節は踵を返し、捨て台詞を残した。
「陛下、貴殿が次に教皇国を訪れる時、そこは『交渉の場』ではなく、貴殿の穢れた魂を焼く『処刑の祭壇』となるでしょう」
千人の修道士たちが、音もなく一斉に背を向け、朝霧の向こうへと去っていった。
一時の勝利。
だが、これで「聖戦」は確定した。猶予がどれだけあるかは分からんが、長くはないだろう。
◇◇◇
使節が去った後、陛下はただちに俺たちを招集した。
謁見の間には、俺、ヴァイン、アラリックが集まっている。
「全土で狂信的な演説が行われているなら、偽物でも何でもなく、奴らは真っ黒だと思うが」
陛下が玉座から身を乗り出し、俺とヴァインを見据えた。
「帝国みたいに、教皇国にも希望はあるか? 話の通じる相手は」
俺は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「教皇国に希望があるか、という問いですが……あそこは帝国以上に厄介です」
俺の声が、自然と低くなる。
「帝国は『欲』で動きますが、教皇国は『正義』で動く。欲は交渉できますが、狂信的な正義は殺し合うしかありません」
陛下は黙って聞いていた。
「ですが、陛下。どんなに純白な布にも裏地はあります」
俺は続けた。
「現在、狂信派に弾圧されている『古儀式派』……神との対話を静寂の中に求める古い司祭たちがいます。彼らは今の教皇庁の暴走と、異端審問の嵐に絶望している」
「内部に味方を作れる、と」
「ええ。彼らと接触できれば、内部からの崩壊、あるいは情報のリークが狙えるでしょう」
俺は、一つの名前を出した。
「リラがその『歌』のルートを持っています。彼女の歌は、国境を越えて届く暗号になります」
陛下は小さく頷いた。「敵の敵」を利用する。基本中の基本だ。
続いて、ヴァインが口を開いた。
「周辺諸国との外交について申し上げます」
老宰相の声は、いつも通り冷静だった。
「北のドワーフとの交易路を失った今、戦力の均衡を保つための鍵は南の『自由都市連合』です」
ヴァインはテーブルの上の地図を指差した。
「彼らは商人の集まり。帝国が崩壊し、大陸の物流が死んだ今、彼らは新しい『物流の心臓』を喉から手が出るほど求めている」
「我々の土地か」
「はい。レムリアが持つ『鉄門の峡谷』の通行権をチップに、彼らの私兵と最新の火器を借り受ける交渉が可能です」
なるほど。金で買える武力は、今の俺たちには貴重だ。
自由都市連合か。あそこの商人どもは強欲だが、その分話が早い。神に祈るより金貨を数える連中だ。
「分かった。後で詳しく詰める。人選を用意しておけ」
陛下が即断した。
俺は、懐のスキットルに手を伸ばしかけて、やめた。
まだ仕事中だ。酒は後でいい。
だが、正直なところ——久しぶりに血が騒いでいた。
帝国との泥沼。教皇国との全面戦争。南の商人どもとの腹の探り合い。
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