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第5話 ひまりとの思い出
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「ありがとうございます」
おれは脳内で入福に返信すると、去りゆくスターシップに向かって、敬礼をした。おれが、重力のあるマリン・スペースへとつながる通路へ向かう途中、向こうから金髪の若い白人女性……いや、女性型パースノイドが飛んできた。
パースノイドは人そっくりに作られたロボットの呼称である。当然呼吸もしないので、コスモ・スーツは着ていない。引力はないが、呼吸可能な空気はあるので、おれはヘルメットを脱いだ。
「はじめまして。江間さんですね」
パースノイドは、咲きほころんだ薔薇のように華やかな笑みを浮かべながら、アナウンサーのごとく、耳にここちよい綺麗な発音で話した。言語はイングリッシュだが、耳にはめた翻訳機が、ジャパニーズに変換した。
「わたしは、ソフィアと申します。7月29日まで、わたしが『エデン』のガイドをつとめます」
「よろしくね」
ウィンクしながら日本語で答えたが、耳にはめた翻訳機が、英語に訳して相手にぶつけた。おれは通路の右にあるフックをつかみ、フックについたボタンを押す。すると通路の溝に沿ってフックとおれが移動を始める。ソフィアは通路の左にあるフックをつかんで、やはり同じ様に移動した。
「久々の長期オフなんで、海を観るのが楽しみだよ。誰もいない渚なんて、歌謡曲の歌詞みたいで最高だぜ」だんだんテンションの上がってきたおれは、自分の左を移動するソフィアに向かって声を投げた。「ま、パースノイドの君にはわからないだろうけど」
「そうですね。わかりませんわ」
気持ちのいい笑みを湛えて、ソフィアが答えた。人間そっくりとは言っても、やはりパースノイドは、どこかおれ達とは違う。気持ちが高まるにつれ、ひまりを連れてこられなかったのが、本当に残念だと、改めて思った。
ひまりのやわらかな笑みと、よく通る声が、おれの脳に再生される。今彼女は、どこでどうしているだろう。おれは、かけがえのない宝石を失ってしまったのだ。
「こちらが緊急用の無線機です。なので時刻表示や他の機能はありません」重力ゾーンに辿りつくと、ソフィアが腕時計型の機械をこちらによこした。
「ありがとさん」
渡された無線機を、おれは左腕にはめた。車でもナノフォンでも、ゴテゴテと様々な機能のついた機械に慣れてるので、無線のみの機械なんて、変な感じだ。
「防水なので、そのまま海水浴しても問題ありません」
「おお! それは、ありがたいわ」
重力ゾーンの自動ドアが開くと、目に鮮やかな純白のビーチに、フェルメール・ブルーの澄んだ海が広がっていた。思わずおれは子供のようにバカみたいな歓声を上げながら、そのまま砂浜を走りはじめる。
太陽のない青空から、巨大なミラーが反射させた灼熱の日光が矢のように降りそそぐ。
おれは思わず着ている衣服を全部脱ぎすて、左腕の通信機以外全裸になって、海の中に飛びこんだ。地球の海と違ってクラゲやサメのような、危険な生物は存在しない。
まさに宇宙の楽園(エデン)である。人が作りだした、人間のための、都合のいい『自然』。頭でそうとわかっていても、おれはそいつを堪能した。最初の十二日間、おれはこの海で考えうる、全ての娯楽に興じてみる。
ヨット、サーフィン、スキューバ・ダイビング、水泳、浜辺でのひなたぼっこ、釣り……夜は夜で、満点の星空と、地球でよりも大きく見える月の光景を堪能しながら、心地よい孤独に浸る。
時折おれは持ってきたイメージ・ギターを弾きながら、新曲を作ったりもした。ギターから伸びたコードは、おれのかぶるトロード・メットとつながっており、楽器の弦をつまびきながら歌を歌い、同時に脳でコンテンツの映像をイメージする。
おれの想像したホロ動画は、イメージ・ギターに組みこまれたメモリー・チップに保存された。そんな時でも思いだすのは、やはり、ひまりの顔だった。彼女は同じスラム街の出身で、幼なじみだ。
2人共外壁のひび割れた低所得者向けのアパートに住んでいたのだ。窓が割れても金がないのでガムテープで補修するような地区だった。治安は悪く、ストリート・ギャングが出没するような、ゴミ貯めのような街だったのだ。
おれの父親は酔っては妻子をなぐるようなクズ野郎で、母親はアル中だった。家庭におれの安らぎはなく、外でひまりと会えるのだけが、おれにとっての数少ない癒しだったのだ。彼女の家も、家庭に問題があったので、互いの、傷をなめあうような関係だった。
最初は遊び友達だったが、やがて男女の関係になったのだ。特に約束をかわしたわけではないのだが、そのうちいつか、結婚するつもりでいた。やがて『ゼムリャー』に所属してメジャーデビューしたおれのコンテンツが売れ出すと、ライブには、それまで以上に大勢のファンが集まりはじめる。
会場も小さな場所から武道館とか、横浜アリーナとか、東京ドームとか、スペース・コロニーをまるごと一基コンサート会場にしたミュージック・コロニーとか、大きな箱でやるようになったのだ。若い女性ファンも増え、そのうちの何人かと寝るようになった。
無論ひまりには秘密にしてたが、今思えば、そのうち浮気がばれるのは時間の問題だったのだ。おれの感覚では、ファンと寝るのはお遊びで、あくまで本命はひまりだったが、当然ながら彼女の方は、そんなふうには考えない。
思いだしたくない、それでいて思いださずにはいられない醜悪な大喧嘩が、2人の間で果てしなく繰り返された。ある時おれは、酒に酔った勢いもあり、思わずひまりを殴ってしまう。
それまで親父のようなDV野郎を嫌っていたので、男同士の喧嘩はともかく、女は殴らないのがポリシーだった。なので自分の行為に対して、おれ自身が驚いた。その時の、彼女の顔を、おれは今でも忘れられない。汚い物でも、見るかのような目つきだった。
それからまもなく彼女は合鍵と捨て台詞を叩きつけて、2人で住んでたマンションから出ていったのだ。本当ならひまりと、ここに来たかった。別の女と来る気にもなれず、おれは1人でここに来たのだ。
入福から、なるべく1人でお願いしたいと要請されたというのもある。両親はすでに死んでいた。おれの父親は酒場で自分からからんだ相手に返り討ちにあい、打ちどころが悪くてそのまま死んだのだ。
母親の方もアル中がひどくなり、後を追うように亡くなった。記憶の中にいるお袋は、いつも酒を飲んでいた。家事もまともにやらないので、おれは自分が食うメシは、自分で作るようになっていたのだ。
おれは脳内で入福に返信すると、去りゆくスターシップに向かって、敬礼をした。おれが、重力のあるマリン・スペースへとつながる通路へ向かう途中、向こうから金髪の若い白人女性……いや、女性型パースノイドが飛んできた。
パースノイドは人そっくりに作られたロボットの呼称である。当然呼吸もしないので、コスモ・スーツは着ていない。引力はないが、呼吸可能な空気はあるので、おれはヘルメットを脱いだ。
「はじめまして。江間さんですね」
パースノイドは、咲きほころんだ薔薇のように華やかな笑みを浮かべながら、アナウンサーのごとく、耳にここちよい綺麗な発音で話した。言語はイングリッシュだが、耳にはめた翻訳機が、ジャパニーズに変換した。
「わたしは、ソフィアと申します。7月29日まで、わたしが『エデン』のガイドをつとめます」
「よろしくね」
ウィンクしながら日本語で答えたが、耳にはめた翻訳機が、英語に訳して相手にぶつけた。おれは通路の右にあるフックをつかみ、フックについたボタンを押す。すると通路の溝に沿ってフックとおれが移動を始める。ソフィアは通路の左にあるフックをつかんで、やはり同じ様に移動した。
「久々の長期オフなんで、海を観るのが楽しみだよ。誰もいない渚なんて、歌謡曲の歌詞みたいで最高だぜ」だんだんテンションの上がってきたおれは、自分の左を移動するソフィアに向かって声を投げた。「ま、パースノイドの君にはわからないだろうけど」
「そうですね。わかりませんわ」
気持ちのいい笑みを湛えて、ソフィアが答えた。人間そっくりとは言っても、やはりパースノイドは、どこかおれ達とは違う。気持ちが高まるにつれ、ひまりを連れてこられなかったのが、本当に残念だと、改めて思った。
ひまりのやわらかな笑みと、よく通る声が、おれの脳に再生される。今彼女は、どこでどうしているだろう。おれは、かけがえのない宝石を失ってしまったのだ。
「こちらが緊急用の無線機です。なので時刻表示や他の機能はありません」重力ゾーンに辿りつくと、ソフィアが腕時計型の機械をこちらによこした。
「ありがとさん」
渡された無線機を、おれは左腕にはめた。車でもナノフォンでも、ゴテゴテと様々な機能のついた機械に慣れてるので、無線のみの機械なんて、変な感じだ。
「防水なので、そのまま海水浴しても問題ありません」
「おお! それは、ありがたいわ」
重力ゾーンの自動ドアが開くと、目に鮮やかな純白のビーチに、フェルメール・ブルーの澄んだ海が広がっていた。思わずおれは子供のようにバカみたいな歓声を上げながら、そのまま砂浜を走りはじめる。
太陽のない青空から、巨大なミラーが反射させた灼熱の日光が矢のように降りそそぐ。
おれは思わず着ている衣服を全部脱ぎすて、左腕の通信機以外全裸になって、海の中に飛びこんだ。地球の海と違ってクラゲやサメのような、危険な生物は存在しない。
まさに宇宙の楽園(エデン)である。人が作りだした、人間のための、都合のいい『自然』。頭でそうとわかっていても、おれはそいつを堪能した。最初の十二日間、おれはこの海で考えうる、全ての娯楽に興じてみる。
ヨット、サーフィン、スキューバ・ダイビング、水泳、浜辺でのひなたぼっこ、釣り……夜は夜で、満点の星空と、地球でよりも大きく見える月の光景を堪能しながら、心地よい孤独に浸る。
時折おれは持ってきたイメージ・ギターを弾きながら、新曲を作ったりもした。ギターから伸びたコードは、おれのかぶるトロード・メットとつながっており、楽器の弦をつまびきながら歌を歌い、同時に脳でコンテンツの映像をイメージする。
おれの想像したホロ動画は、イメージ・ギターに組みこまれたメモリー・チップに保存された。そんな時でも思いだすのは、やはり、ひまりの顔だった。彼女は同じスラム街の出身で、幼なじみだ。
2人共外壁のひび割れた低所得者向けのアパートに住んでいたのだ。窓が割れても金がないのでガムテープで補修するような地区だった。治安は悪く、ストリート・ギャングが出没するような、ゴミ貯めのような街だったのだ。
おれの父親は酔っては妻子をなぐるようなクズ野郎で、母親はアル中だった。家庭におれの安らぎはなく、外でひまりと会えるのだけが、おれにとっての数少ない癒しだったのだ。彼女の家も、家庭に問題があったので、互いの、傷をなめあうような関係だった。
最初は遊び友達だったが、やがて男女の関係になったのだ。特に約束をかわしたわけではないのだが、そのうちいつか、結婚するつもりでいた。やがて『ゼムリャー』に所属してメジャーデビューしたおれのコンテンツが売れ出すと、ライブには、それまで以上に大勢のファンが集まりはじめる。
会場も小さな場所から武道館とか、横浜アリーナとか、東京ドームとか、スペース・コロニーをまるごと一基コンサート会場にしたミュージック・コロニーとか、大きな箱でやるようになったのだ。若い女性ファンも増え、そのうちの何人かと寝るようになった。
無論ひまりには秘密にしてたが、今思えば、そのうち浮気がばれるのは時間の問題だったのだ。おれの感覚では、ファンと寝るのはお遊びで、あくまで本命はひまりだったが、当然ながら彼女の方は、そんなふうには考えない。
思いだしたくない、それでいて思いださずにはいられない醜悪な大喧嘩が、2人の間で果てしなく繰り返された。ある時おれは、酒に酔った勢いもあり、思わずひまりを殴ってしまう。
それまで親父のようなDV野郎を嫌っていたので、男同士の喧嘩はともかく、女は殴らないのがポリシーだった。なので自分の行為に対して、おれ自身が驚いた。その時の、彼女の顔を、おれは今でも忘れられない。汚い物でも、見るかのような目つきだった。
それからまもなく彼女は合鍵と捨て台詞を叩きつけて、2人で住んでたマンションから出ていったのだ。本当ならひまりと、ここに来たかった。別の女と来る気にもなれず、おれは1人でここに来たのだ。
入福から、なるべく1人でお願いしたいと要請されたというのもある。両親はすでに死んでいた。おれの父親は酒場で自分からからんだ相手に返り討ちにあい、打ちどころが悪くてそのまま死んだのだ。
母親の方もアル中がひどくなり、後を追うように亡くなった。記憶の中にいるお袋は、いつも酒を飲んでいた。家事もまともにやらないので、おれは自分が食うメシは、自分で作るようになっていたのだ。
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