5人の勇者を「500人」と報告したら、魔王様が和平の準備を始めました

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魔王の災難。――姉の鉄拳と、娘たちの名演技。

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 魔王城の心臓部、玉座の間。数刻前までここを支配していた、世界がひっくり返るような殺伐とした緊張感は、今や跡形もなく霧散していた。代わりにその場を満たしていたのは、「ちょっと怖い姉に徹底的に詰められる、うだつの上がらない弟」という、あまりにも世俗的で、どこか家庭の居間を彷彿とさせる光景だった。

 トゲだらけの禍々しい漆黒の甲冑をまとっているはずの魔王ゼノンは、その鎧の重厚さに反して、今は小さく縮こまって見える。額からは滝のような冷汗が流れ、口元は情けなく震えていた。対する第七軍団長ガートルードは、戦場を氷つかせる銀髪をなびかせ、手にした扇子をバサリと鋭い音を立てて閉じた。

「ど、どうも、姉上。……お久しぶりですな。相変わらず、その……お元気そうで何よりです」

 ゼノンが震える手で顔を拭いながら、消え入るような声で挨拶をした。しかし、ガートルードはその言葉を完全に無視し、扇子の先端を弟の鼻先に突きつけた。

「あんたって弟は! 一体どういうつもりよ! 自分の可愛い娘たちを、猿みたいな人間に差し出すですって!? 魔王としてのプライドはどこへ捨ててきたのよ!」

 ガートルードの叱責が、高い天井に反響する。その怒りに呼応するように、彼女の周囲の空気がパキパキと音を立てて凍りついていく。

「これには色々、ですね。……のっぴきならない訳がありましてな。私も魔王として、大局的な判断を……」
「訳なんてないでしょ! どうせ勇者たちに力負けしたからでしょーが! 本当に情けないわね!」
「し、しかしですな! 向こうは五百人もいるのですよ!」

 ガートルードは、突然に出された数字に、一瞬だけきょとんとした。

「は? 何が? 歩兵部隊の数?」
「いえ違います。勇者が、です。五百人の勇者が、それぞれ聖剣を持って、一斉に束になって襲ってきたのですよ! それはもう、大地が白く染まるほどの光り輝く軍勢で……」

――ガコンッ!!

 重厚な打撃音が玉座の間に響き渡った。ガートルードの拳が、ゼノンの脳天を的確、かつ無慈悲に捉えた音だ。

「んなわけあるか! 寝言は寝てから言いなさい!」
「いや、本当なんですよ! 嘘じゃありません! ね、お前たちからも言ってくれ。この子たちも現場で、その凄まじい光景を確認しているんですから!」

 ゼノンは涙目で、救いを求めるように傍らの三姉妹に視線を送った。リリス、エルゼ、ミーナの三人は、事前に打ち合わせていた通り、神妙な面持ちで、同時に深く、そして重々しく頷いた。

 ガートルードは眉をひそめ、「なるほど、なるほど……」と数回頷いた。

 少しだけ安心した表情を見せたゼノンだったが、その安堵は一瞬で打ち砕かれた。

――メキッ!!

 二発目の拳が、一発目と同じ箇所に着弾した。

「余計に性質たちが悪いのよ! 負けそうだからって娘を差し出すなんて、そんな腰抜けな魔王がどこにいるのよ! 恥を知りなさい!」
「お、おっしゃる通りですが……。しかし、戦略的撤退という言葉もありましてな……」
「ガートルード伯母様!」

 ここでリリスが、絶好のタイミングで会話に割り込んだ。彼女は伏し目がちに一歩前に出ると、潤んだ瞳でガートルードを見上げた。

「わたくしたちのことなら、いいのです。お父様がそこまでお困りなら、この身を捧げることくらい娘として本望ですわ」

 次女エルゼが遠く、空虚な一点を見つめながら、悟りを開いた修行僧のような声で付け加える。

「そう……。それが、魔王の娘に生まれた宿命さだめですもの。このエルゼにも異存はありませんわ」

 ミーナに至っては、

「お父様をそれ以上叱らないで! えーん、えーん! ミーナたちなら大丈夫だからぁ!」

 ガートルードの豪華な軍服の裾にしがみついて泣きじゃくるという、徹底した熱演ぶりだ。

「なんて、なんて健気な子たちなの……! 若い頃のわたしにそっくりだわ!」

 ガートルードは感動に打ち震え、三人を力一杯抱きしめた。

 その様子を、傍らに控えていた第五軍団長アルフォンスが、くすりと小さく笑いながら眺めていた。その笑みに気づいたガートルードは、三姉妹を抱きしめたままジト目で彼を睨みつけた。

「何がおかしいのよ、アル?」
「いえ。失礼しました。確かに、お三方ともあなたの若い頃にそっくりだと思いましてな」

 アルフォンスは微笑みを収めると、真面目な口ぶりで続けた。

「お三方とも、それぞれ賢明な方々です。状況に迫られたとはいえ、最終的にはご自身方で決断されたこと。彼女たちのその決意を尊重して差し上げるのも、親心というものではありませんか?」
「……うー。あなたがそこまで言うなら……。でも、せめてその『勇者たち』とやらを、このわたしの目で見ないことには気が済まないわ。本当に、この子たちにふさわしい男たちなのかをね!」

(来た……!)

 リリスは心の内でガッツポーズを作った。 彼女は好機を逃さず、ガートルードの白く細い、しかし岩をも砕く剛腕の手を強く握った。

「そこで、この前のお願いに戻るのです、伯母様! お願いいたします! 第七軍団の出撃を! 人間の王都を『攻める振り』をして、勇者様たちをこちらへ引きずり出しましょう。そうすれば、伯母様もその目で彼らを吟味できますわ!」

 ゼノンが呆れたように口を差しはさんだ。

「おいおい、なんでわたしに無断で軍団を動かそうとしてるんだ。そもそも、ここに第七軍団が来たこと自体、事前連絡なしの軍機違反――ぐほっ!」

 みたびゼノンの頭にガートルードの拳が沈み、魔王はついに床に四つん這いになった。

 リリスの言葉に、ガートルードはうなずくと、

「分かったわ。話は決まりね。明日にでもここを出ましょう。……あ、そうだわ、ゼノン」

 四つん這いになって痙攣している弟を見下ろし、思い出したように告げた。

「わたくしの部下たちが、長旅でお腹を空かせているの。最高のご馳走を届けてちょうだいね。第七軍団、全・員・分・よ」

「えっ……。第七軍団全員……?  また出費が………」

 ゼノンの顔が絶望に青ざめる。ガートルードは、もはや床に伏した弟のことなど視界に入っていないようだった。彼女はくるりと背を向けると、再びアルフォンスに向き直った。その仕草には、先ほどまでの荒々しさは消え、どこか艶っぽさが混じっている。

「アル。たまには付き合いなさい。積もる話があるんだから」
「……お供しましょう。たまには昔の話も悪くありません」

 アルフォンスが優雅に頷くと、ガートルードは満足げにうなずいたあと、

「ほら、あなたたちも」

 三人の姪に声をかけて、玉座の間を出た。

 嵐が去り、静かになった玉座の間、ただ一人残された魔王ゼノンは、自分でゆっくりと立ち上がった。

 彼に手を差し伸べてくれる者は誰もいなかった。
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