5人の勇者を「500人」と報告したら、魔王様が和平の準備を始めました

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漆黒のジョブチェンジ。――地平線の彼方から帰還した「元」軍団長。

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 アルカディア王宮の広大な敷地内、南側に位置する魔法研究所。そこは王宮内でもっとも日当たりの良い場所に建てられた、白亜の美しい円塔であった。石造りの重厚な王宮本館とは対照的に、ここは常に暖かな光に満ち、空気中には魔力を帯びた微細な粒子が金粉のようにキラキラと舞っている。

 だが、そこを歩くボルゴフ大臣の心は、射し込む日差しとは正反対に、どす黒い焦燥の雲に覆われていた。彼は苛立ちを隠さずに、軍靴の音を響かせて回廊を横切った。

「それで、どうなんだ? 禁呪は発動できるのか!」

 大臣の怒声が、光溢れるアトリエのような研究室に響いた。室内には、日光を浴びて青々と茂る魔導植物や、虹色の液体が踊るフラスコが並び、どこかのどかな空気が漂っている。その中央で、ふかふかの椅子に深く腰掛け、茶をすすっていた魔法研究所の長官が、瓶の底のような分厚い眼鏡を指で押し上げた。

 彼は眩しそうに目を細め、気の抜けた、しかしどこか人を食ったような声を返した。

「さあ、どうでしょうねぇ……。なにぶん、数百年ぶりの発動となりますし、ましてや今回連れてこられたのは、前例のない、実に興味深い『検体』ですから。まあ、多分いけるんじゃないですかね」
「いや、『多分』じゃ困るんだよ! これは一度きりの儀式だ。失敗したからじゃあ次がんばりましょう……ってわけにはいかないんだぞ!」

 大臣が机を激しく叩き、身を乗り出す。その背中が、窓からの明るい光を遮って不気味な影を落とした。しかし長官は、机の上に広げられた複雑な魔方陣の計算式に視線を落としたまま、ゆったりと肩をすくめた。

「大臣、魔導の本質というのはね、肉体的な構造や戸籍上の性別にあるのではないのですよ。それは『清らかな心』、すなわち純粋な魂の振動に宿るものなのです。あの少年……いえ、あの少女のような少年は、実に素晴らしい。魂が透き通っています。それさえ保証されていれば、男女の別とか、経験の有無とか、そんな些細なことは『誤差の範囲』だと思うんですよ」
「だから、『思う』んじゃ困るんだと言っている! 確証が欲しいのだ!」

 大臣の必死の形相に対し、長官は窓から差し込む一筋の光を指先で弄んだ。

「そうまでおっしゃるなら、もうしばらく時間をいただくほかありません。多分大丈夫だと思うんですけどねえ……」

 大臣は吐き捨てるように「頼むぞ!」と告げ、逃げるように研究所を後にした。確証のない希望に、国家の命運を賭けねばならない。背中に受ける暖かい陽光が、彼には死神の冷たい指先のように感じられた。

 執務室に戻る道すがら、ボルゴフは重いため息をついた。王はすでに、正気とは思えない行動に走っている。勇者が戻り次第、国を挙げての婿入り儀式を行い、なんなら即座に王位を譲ろうとまで画策しているのだ。すべては「王のおじいちゃん」として美味しいお菓子を食べ、孫を膝に乗せるという妄執のために。

 昨日などは、その狂気が頂点に達していた。

「見てくれ、大臣。これは、心の美しい者にしか見えない不思議な生地でできている子供服だ。生まれてくるわしの初孫のために、仕立て屋に特注したのだよ。少々値は張ったが、これこそが王族にふさわしい至高の逸品だ」

 王が愛おしそうに広げてみせたのは、誰の目にも「何も無い空間」にしか見えなかった。そんな、あまりにも古典的な詐欺に引っかかり、まだ存在しない孫のために高額な国費を投じている王。その老いさらばえた姿を見て、大臣は真に絶望した。

(……もうダメだ、あいつは。王としての誇りも、国を守る気概も失い、ただの『おじいちゃん』になり下がろうとしている)

 執務室に帰った大臣の胸の内に、黒く濁った野望が鎌首をもたげる。

(真に国を憂いているのは、私だけだ。王が王として機能しないのであれば、国を一番に考えている者がその座に座るべきではないのか。そう、もしこの私が――)

 その危険な思考を遮るように、室内の空気が一瞬で凍りついた。

 視線を上げると、そこにはいつの間にか、頭からつま先まで深いローブで隠した男が立っていた。背後には、彼に従うように二人の少女が立っている。

(……何奴だ! 衛兵!)

 大臣が叫ぼうとしたが、声が出ない。男の周囲に渦巻く圧倒的な魔圧が、大臣の喉を物理的に締め付けていた。

 男がゆっくりと、重厚なフードを外した。そこに現れたのは、ガートルードやリリスとの戦いで敗れ、地平線の彼方まで吹き飛ばされたはずの男、エリアスだった。しかし、その顔の半分はひび割れた黒い仮面のように不自然に再生されており、その奥で光る瞳には、死の淵から這い上がってきた者特有の、どす黒い怨念が宿っている。

「初めまして、ボルゴフ大臣閣下。わたしは、魔王軍元第六軍団長、エリアスと申します」

(ま、魔王軍の第六軍団長だと……!?)

ですがね」

 大臣の内心を見透かしたように、エリアスが口角を歪めた。

「実質的な追放と言いますか、あるいはリストラと言いますか。表現は難しいのですが、いずれにしても、わたしは魔王軍を離れましてね。現在、再就職先を探しているところなのですが、いかがでしょう。こちらで、わたしを雇っていただくことはできませんか?」

(できるわけないだろ! まさにお前たちのような魔族と戦うために、わしは禁呪だの生贄だのに必死こいているというのに!)

「わたしは魔王軍の内情を熟知しています。今のあなた方にとって、わたしを雇い入れる価値は十二分にあると思いますが」

 大臣は必死に自分の喉を指さした。「しゃべらせてくれ」というサインだ。 エリアスが指先を軽く鳴らすと、喉への圧迫が魔法のように緩み、大臣は激しく咳き込みながら酸素を吸い込んだ。

「……ふうっ、はぁ……。魔族など、信用できるわけがなかろう……!」
「結構」
「なに?」
「信用する必要はありません。利用してもらえればそれでいい。わたしもあなたを利用する。それだけのことです」
「断ったら……わしをここで殺す気か?」

 エリアスは首を軽く横に振った。

「断られたら大人しく帰りますよ。そうして、別の方に自分を売り込みに行くだけです。あなたのところに最初に来たのは、あなたが、この国でわたしを最も『高く買ってくれそう』な気がしたからです」

 エリアスは、不自然に再生された顔で余裕の笑みを浮かべた。その背後に控える二人の少女、ニナとセーラは、人形のように静止したままである。

「な、なぜ、わしなのだ? わしの魔族嫌いを知らんのか?」
「いえいえ、知っていますよ。それに、大臣閣下が、妻子も持たず、私財も築かず、ただただアルカディアを想い、三代の王に仕えてきた忠臣中の忠臣ということもね」

(あまり褒められている気もせんが……)

 ボルゴフが眉をひそめる。

「そこまでこの王国の存続を想っているのなら、敵の実情を知る者をあだやおろそかにすることはない。そう思い来ましたが……見込み違いでしたかな?」

 エリアスは立ち去る素振りを見せなかった。

「……わしに断られたら別の人間の元に行くと言ったな。誰に売り込みに行くつもりだ。まさか、王のところか?」

 エリアスはくっくっと喉を鳴らして笑った。

「あんな、王冠を頭に載せる能しかないような、くだらん男に自分を売る気はありませんよ。実を言えば、断られた時のことはあまり考えていません。あなたなら、必ずわたしを雇い入れてくれる。そう確信していましたから」

 ボルゴフは、沈黙した。目の前の男は、その気になれば自分を瞬時に殺すことができる。彼の条件を受け入れなければ殺される可能性がある状況で、しかし、自分は今死ぬわけにはいかないわけだから、この男の言うことを受け入れなければならないことは考えるまでもない。それに、確かに、魔王軍の実情を知ることは有益に違いない。

(……救世の生贄が男の娘で、王は裸の王様。もはや、この国を救うには、毒を喰らうしか道はないのか)

「……あまり、給金は出せんぞ」

 エリアスは満足げに、そしてどこか冷酷に目を細めた。

「寝泊まりできる場所と一日二食、それをまかなえる分だけいただければ文句はありませんよ」
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