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番外編
第39話 番外編 星の欠片
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ブラック・バニーズの営業が終わり、バニーズたちは更衣室でかちかちのバニースーツを脱ぎほっと一息つく頃、事務室ではオーナーの草津とチーフの高橋、そしてバーテンダーの長谷川が売り上げの計算をしていた。
そこに優也が入ってきた。
「オーナー」
「ん?」
プリントアウトされた書類に目を通しながら、優也の呼びかけに返事をする草津。
「ブラック・バニーズを一晩貸し切りにするのに、どれくらいかかりますか?
場所だけお借りしたいんですけど」
「うん?」
ようやく書類から目を離し、優也をちらりと見、草津はまた書類に戻った草津はある金額を言った。
「え、それだけ?
安すぎませんか?」
「そうかい?
うちの最高のバニーを一晩独占する料金としては妥当だとは思うんだけど」
「しかし」
「貸し切りにするなら来月の定休日の前日にしてくれると助かるな。
2日の連休にできるし」
草津が提示した日にちに優也は口を閉ざしてしまったが、「場所だけでいいんだろ?」とさっさと草津はそこに予定を入れてしまった。
それを受け、高橋が事務処理をしてしまう。
優也が口を挟む隙はなかった。
言いたい言葉を飲み込み、草津と高橋の好意を受けることにして優也はただ「ありがとうございます」とだけ言った。
翌月、貸し切りの日の夜、優也は誰もいないブラック・バニーズを訪れた。
更衣室に行き、クリーニングしたてのいつもの黒服に袖を通す。
ただ一つ違うのは、左手の金の指輪。
普段は外して仕事をしているが、今宵は指輪をしたまま。
軽く右手の中指で指輪をなぞり、明かりを消し、フロアに向かった。
真っ暗なフロアだったが、異変に気づき、急いでフロアの電気をつけた。
「!!!」
各テーブルにバニーズと古い常連客が座り、草津と高橋がにやりとして優也を見ていた。
ダークブルーのスーツを着た細身の男がすっと立って、優也に近づいていった。
「え、美崎?!」
「そうですよ、俺です。
さ、クィーン、どうぞこちらへ」
一年前に会ったときよりももっと魅力的に輝く美崎に手を引かれ、優也はわけがわからないままステージに上がった。
そこには緋色の革張りの椅子があり、横にはバニースーツに身を包んだシンシアがにこやかに立っていた。
優也は言われるがままその椅子に座ると、スーツ姿のkeiが優也が写るように姿見を移動させ、シンシアはブラシを取り出した。
優也の柔らかな髪を丹念に梳かす。
奥から黒服を着た早霧が恭しく黒いうさぎの耳を持って現れた。
シンシアはそれを受け取り、優也の頭にセットする。
美崎と早霧がそれに微妙な角度をつける。
かつて、あの男に教わったように。
戴冠式のように拍手が起こり、黒服のバニーが誕生した。
「さあ、バニークィーン、お言葉をお願いします」
草津がマイクを差し出す。
優也は半ば呆れたように、そして腹を据え、マイクを受け取るとステージの真ん中に立った。
客席を見渡すとテーブルには桐谷龍治と佐伯、そして澤御大の姿もあった。
「バレているとは思っていましたが、こんなに盛大にサプライズをされるとは思いませんでした」
優也は大きく息を吸い、そして次の言葉を吐き出した。
「皆様、お忙しい中、私の伴侶・桐谷仁のアニバーサリー・パーティーにご来場くださり、まことにありがとうございます。
早いもので、桐谷が天に還って一年が経ちます。
わたくしは半年前から、このブラック・バニーズに復帰いたしました。
この一年、皆様に支えられここまで来ることができました。
心から感謝いたします。
他にもお話したことはたくさんありますが、長くなりますので割愛させていただきます。
桐谷は湿っぽいことが嫌いでした。
今宵は皆様が楽しい時間を過ごすことを桐谷も私も望んでおります。
どうぞ楽しんでください。
ありがとうございました」
拍手の後、長谷川が白いカクテルを優也に手渡した。
「俺の新作『バニークィーン』ですよ、どうぞ」
「ありがとう」
その場にいる者全員がグラスを高く上げ、桐谷のことを思いながら口をつけた。
「一人で桐谷さんの一周忌を楽しもうとするのがズルいんだよ、優也」
草津ががはがはと笑いながら、バーボンを飲む。
「だって、仁は一周忌なんて湿っぽいことを嫌うし、『線香くさいのが嫌だ』っていうから法事もしないし」
「だからと言って、独り占めしなくてもいいじゃないか」
「それは申し訳なかったですが、ねぇ、この耳、恥ずかしいからもう取ってもいいですか?」
「だーめ。
今夜は優也さんがバニークィーンなんだから」
「美崎のほうが似合うのに」
「俺はもうバニーじゃないから」
「じゃあ、早霧が」
「僕は黒服です」
「それより、見せて、その指輪」
「あ、シンシア」
「桐谷様からのプレゼント?」
「ううん…」
優也の周りに人が集まり、桐谷の思い出話をしていく。
星が墜ちて一年が経ったが、まだこうやって愛されているのだと知ると優也は胸がいっぱいになった。
その様子を遠くから澤と高橋が見ていた。
「私より早く逝くとは、最後まで飛んだ若造だ」
「懐かしいですね、桐谷様のお若かった頃」
「この店で一番遊んだ男になるとはな」
「もうあんな遊び方をするお客様はいらっしゃいませんね」
「寂しいことだが、あの時代の遊び方を知る最後の客になったのかもな」
「そうですね」
「優也さんのうさぎ耳姿、すごく色っぽいんですね。
父が隠したがっていたのがわかった気がしますよ」
「龍治さん、止めてください。
恥ずかしいからもう外したいんです」
「だめですよ。
父を虜にしたクィーンのままでいてください。
佐伯、あれを」
「はい」
龍治に言われ、佐伯はアイリスの花束を取り出した。
「優也さんに薔薇の花束を持っていこうとしたら、佐伯がこっちが絶対にいいと言うのでアイリスにしました。
どうぞ」
龍治の指示で佐伯から青紫の花束を受け取った優也は、目に涙を溜めた。
「佐伯さん、覚えていてくださったんですか」
「ええ、もちろんです。
桐谷に言われ、ブラック・バニーズのリニューアルオープンの時に優也さんにアイリスの花束を用意したのは私ですから」
「薔薇も似合うと思いますが、アイリスのすっとした感じがお似合いですよ」
龍治が笑って優也に言った。
「……ありがとうございます」
こらえきれずに優也が涙をこぼした。
そっと白いハンカチで佐伯がそれを拭った。
「泣かないでください。
父が湿っぽいことが嫌いなのは、優也さんのほうがよく知っているでしょう?」
「うれし涙だから、きっと仁も許してくれると思います」
優也は泣きながら笑った。
その夜は静かに、そしてにぎやかに時間が過ぎていった。
そして頃合いを見て潮が引くように客は帰り、新旧のバニーズと従業員が残り後片づけをした。
バーテンダーの穂積が白い箱を持って、草津と優也の前に来た。
「その箱はなに?」
「ああ、ドネーションだよ」
「心付け?」
優也の問いに草津は何もないように言った。
「桐谷さんは香典は受け取らないだろうけど、ブランデーの一杯でもおごりたかった人がたくさんいたんでね」
「今日のドリンク代に」
「それはいただくところからいただいているし、俺も桐谷さんにおごりたかったからね」
「でもそれでは」
「大した額じゃないよ。
穂積、優也にその箱を渡して。
優也、外で佐伯さんが車で待っている。
早く帰り支度をして」
「だけど」
「ね、優也。
俺たちも桐谷さんのことで酒が飲めて嬉しかったんだ。
そのまま受け取って。
使い道はまた考えればいいじゃないか。
桐谷さんのために使えばいいんだよ」
「はい…」
翌日確認してみるとまとまった金額が入っていた。
優也は龍治に相談し、かつて龍治がいた施設に寄付することを提案した。
龍治は喜んだが「あそこには自分もそれなりに寄付しているから、全国的に支援できる団体に寄付するのはどうか」と言われ、そうすることにした。
優也がリビングのソファに座り、幻のようなブラック・バニーズでの夜のことを思い返していた。
隣には遠慮がちに佐伯が座っている。
「すごい時間だった。
みんな忙しいのに、仁のために時間を割いてくださって」
「優也さんのことも気にしていらっしゃっていましたからね」
「俺、きちんと立ててた?」
「はい。
キングにふさわしいクィーンでしたよ。
みなさん、安心されたと思います」
「よかった」
大きな溜息と共に、優也が言葉を吐いた。
「お疲れですか?」
「ん、ちょっとね」
「肩、貸しましょうか」
「どうしようかな」
「遠慮なさらずにどうぞ。
こうするために残された桐谷の犬ですから」
優也は「ふふふ」と笑って、佐伯の肩に頭を預けた。
「もう、その言い方止めない?
仁は佐伯さんにずっと犬でいてほしいとは思っていないと思いますよ」
「じゃあ、私の我儘でもう少し犬でいさせてください」
「仕方ないなぁ」
優也はまた小さく笑うと、軽く目を閉じ、もう少しだけ力を抜いて佐伯の肩にもたれかかった。
あなたが残してくれたものに支えられて、私は生きていますよ、仁。
<了>
そこに優也が入ってきた。
「オーナー」
「ん?」
プリントアウトされた書類に目を通しながら、優也の呼びかけに返事をする草津。
「ブラック・バニーズを一晩貸し切りにするのに、どれくらいかかりますか?
場所だけお借りしたいんですけど」
「うん?」
ようやく書類から目を離し、優也をちらりと見、草津はまた書類に戻った草津はある金額を言った。
「え、それだけ?
安すぎませんか?」
「そうかい?
うちの最高のバニーを一晩独占する料金としては妥当だとは思うんだけど」
「しかし」
「貸し切りにするなら来月の定休日の前日にしてくれると助かるな。
2日の連休にできるし」
草津が提示した日にちに優也は口を閉ざしてしまったが、「場所だけでいいんだろ?」とさっさと草津はそこに予定を入れてしまった。
それを受け、高橋が事務処理をしてしまう。
優也が口を挟む隙はなかった。
言いたい言葉を飲み込み、草津と高橋の好意を受けることにして優也はただ「ありがとうございます」とだけ言った。
翌月、貸し切りの日の夜、優也は誰もいないブラック・バニーズを訪れた。
更衣室に行き、クリーニングしたてのいつもの黒服に袖を通す。
ただ一つ違うのは、左手の金の指輪。
普段は外して仕事をしているが、今宵は指輪をしたまま。
軽く右手の中指で指輪をなぞり、明かりを消し、フロアに向かった。
真っ暗なフロアだったが、異変に気づき、急いでフロアの電気をつけた。
「!!!」
各テーブルにバニーズと古い常連客が座り、草津と高橋がにやりとして優也を見ていた。
ダークブルーのスーツを着た細身の男がすっと立って、優也に近づいていった。
「え、美崎?!」
「そうですよ、俺です。
さ、クィーン、どうぞこちらへ」
一年前に会ったときよりももっと魅力的に輝く美崎に手を引かれ、優也はわけがわからないままステージに上がった。
そこには緋色の革張りの椅子があり、横にはバニースーツに身を包んだシンシアがにこやかに立っていた。
優也は言われるがままその椅子に座ると、スーツ姿のkeiが優也が写るように姿見を移動させ、シンシアはブラシを取り出した。
優也の柔らかな髪を丹念に梳かす。
奥から黒服を着た早霧が恭しく黒いうさぎの耳を持って現れた。
シンシアはそれを受け取り、優也の頭にセットする。
美崎と早霧がそれに微妙な角度をつける。
かつて、あの男に教わったように。
戴冠式のように拍手が起こり、黒服のバニーが誕生した。
「さあ、バニークィーン、お言葉をお願いします」
草津がマイクを差し出す。
優也は半ば呆れたように、そして腹を据え、マイクを受け取るとステージの真ん中に立った。
客席を見渡すとテーブルには桐谷龍治と佐伯、そして澤御大の姿もあった。
「バレているとは思っていましたが、こんなに盛大にサプライズをされるとは思いませんでした」
優也は大きく息を吸い、そして次の言葉を吐き出した。
「皆様、お忙しい中、私の伴侶・桐谷仁のアニバーサリー・パーティーにご来場くださり、まことにありがとうございます。
早いもので、桐谷が天に還って一年が経ちます。
わたくしは半年前から、このブラック・バニーズに復帰いたしました。
この一年、皆様に支えられここまで来ることができました。
心から感謝いたします。
他にもお話したことはたくさんありますが、長くなりますので割愛させていただきます。
桐谷は湿っぽいことが嫌いでした。
今宵は皆様が楽しい時間を過ごすことを桐谷も私も望んでおります。
どうぞ楽しんでください。
ありがとうございました」
拍手の後、長谷川が白いカクテルを優也に手渡した。
「俺の新作『バニークィーン』ですよ、どうぞ」
「ありがとう」
その場にいる者全員がグラスを高く上げ、桐谷のことを思いながら口をつけた。
「一人で桐谷さんの一周忌を楽しもうとするのがズルいんだよ、優也」
草津ががはがはと笑いながら、バーボンを飲む。
「だって、仁は一周忌なんて湿っぽいことを嫌うし、『線香くさいのが嫌だ』っていうから法事もしないし」
「だからと言って、独り占めしなくてもいいじゃないか」
「それは申し訳なかったですが、ねぇ、この耳、恥ずかしいからもう取ってもいいですか?」
「だーめ。
今夜は優也さんがバニークィーンなんだから」
「美崎のほうが似合うのに」
「俺はもうバニーじゃないから」
「じゃあ、早霧が」
「僕は黒服です」
「それより、見せて、その指輪」
「あ、シンシア」
「桐谷様からのプレゼント?」
「ううん…」
優也の周りに人が集まり、桐谷の思い出話をしていく。
星が墜ちて一年が経ったが、まだこうやって愛されているのだと知ると優也は胸がいっぱいになった。
その様子を遠くから澤と高橋が見ていた。
「私より早く逝くとは、最後まで飛んだ若造だ」
「懐かしいですね、桐谷様のお若かった頃」
「この店で一番遊んだ男になるとはな」
「もうあんな遊び方をするお客様はいらっしゃいませんね」
「寂しいことだが、あの時代の遊び方を知る最後の客になったのかもな」
「そうですね」
「優也さんのうさぎ耳姿、すごく色っぽいんですね。
父が隠したがっていたのがわかった気がしますよ」
「龍治さん、止めてください。
恥ずかしいからもう外したいんです」
「だめですよ。
父を虜にしたクィーンのままでいてください。
佐伯、あれを」
「はい」
龍治に言われ、佐伯はアイリスの花束を取り出した。
「優也さんに薔薇の花束を持っていこうとしたら、佐伯がこっちが絶対にいいと言うのでアイリスにしました。
どうぞ」
龍治の指示で佐伯から青紫の花束を受け取った優也は、目に涙を溜めた。
「佐伯さん、覚えていてくださったんですか」
「ええ、もちろんです。
桐谷に言われ、ブラック・バニーズのリニューアルオープンの時に優也さんにアイリスの花束を用意したのは私ですから」
「薔薇も似合うと思いますが、アイリスのすっとした感じがお似合いですよ」
龍治が笑って優也に言った。
「……ありがとうございます」
こらえきれずに優也が涙をこぼした。
そっと白いハンカチで佐伯がそれを拭った。
「泣かないでください。
父が湿っぽいことが嫌いなのは、優也さんのほうがよく知っているでしょう?」
「うれし涙だから、きっと仁も許してくれると思います」
優也は泣きながら笑った。
その夜は静かに、そしてにぎやかに時間が過ぎていった。
そして頃合いを見て潮が引くように客は帰り、新旧のバニーズと従業員が残り後片づけをした。
バーテンダーの穂積が白い箱を持って、草津と優也の前に来た。
「その箱はなに?」
「ああ、ドネーションだよ」
「心付け?」
優也の問いに草津は何もないように言った。
「桐谷さんは香典は受け取らないだろうけど、ブランデーの一杯でもおごりたかった人がたくさんいたんでね」
「今日のドリンク代に」
「それはいただくところからいただいているし、俺も桐谷さんにおごりたかったからね」
「でもそれでは」
「大した額じゃないよ。
穂積、優也にその箱を渡して。
優也、外で佐伯さんが車で待っている。
早く帰り支度をして」
「だけど」
「ね、優也。
俺たちも桐谷さんのことで酒が飲めて嬉しかったんだ。
そのまま受け取って。
使い道はまた考えればいいじゃないか。
桐谷さんのために使えばいいんだよ」
「はい…」
翌日確認してみるとまとまった金額が入っていた。
優也は龍治に相談し、かつて龍治がいた施設に寄付することを提案した。
龍治は喜んだが「あそこには自分もそれなりに寄付しているから、全国的に支援できる団体に寄付するのはどうか」と言われ、そうすることにした。
優也がリビングのソファに座り、幻のようなブラック・バニーズでの夜のことを思い返していた。
隣には遠慮がちに佐伯が座っている。
「すごい時間だった。
みんな忙しいのに、仁のために時間を割いてくださって」
「優也さんのことも気にしていらっしゃっていましたからね」
「俺、きちんと立ててた?」
「はい。
キングにふさわしいクィーンでしたよ。
みなさん、安心されたと思います」
「よかった」
大きな溜息と共に、優也が言葉を吐いた。
「お疲れですか?」
「ん、ちょっとね」
「肩、貸しましょうか」
「どうしようかな」
「遠慮なさらずにどうぞ。
こうするために残された桐谷の犬ですから」
優也は「ふふふ」と笑って、佐伯の肩に頭を預けた。
「もう、その言い方止めない?
仁は佐伯さんにずっと犬でいてほしいとは思っていないと思いますよ」
「じゃあ、私の我儘でもう少し犬でいさせてください」
「仕方ないなぁ」
優也はまた小さく笑うと、軽く目を閉じ、もう少しだけ力を抜いて佐伯の肩にもたれかかった。
あなたが残してくれたものに支えられて、私は生きていますよ、仁。
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