6 / 68
第6話
しおりを挟む
次の日のお昼は定時に食べずに、伯爵様のおかえりを待っていた。
伯爵様は先に食べていていいよ、とおっしゃったが、気が引ける。
他の人たちはそれぞれの仕事があるために、交代にいつもの時間に食べていたので、いい匂いを嗅ぐと腹が鳴ったが、我慢した。
これまで昼飯をくいっぱぐれることはよくあったし。
黒塗りの自動車が戻ってきた、と言われ、俺は玄関に伯爵様を出迎えにいった。
しかし伯爵様はいつものはぐときすをしなかった。
やっと俺のことを赤ん坊じゃない、とわかってくれたのかと思ったがひどいお顔をされていた。
「身体が重く、頭が痛い」
そうおっしゃると中川さんに支えられるようにして、ご自分のお部屋に向かってしまわれた。
俺は渡された伯爵様の重い革の鞄を抱えて、その後姿を見送った。
そのあと、俺は厨房で昼食を温め直してもらい、隅で食べた。
川崎さんが作ってくれた豚汁はとてもうまかった。
そこへ中川さんがやってきた。
「ご主人様はいかがですか」
俺が聞くと中川さんは静かに答えた。
「どうやらお風邪を召していらっしゃるようです。
熱も高くないようですので、ゆっくりとおやすみになればお元気になられますよ」
「もしかして、俺のせいでしょうかっ」
俺は今朝のことを思い出して、中川さんに聞いた。
久しぶりに熟睡し起きてみると、一緒の布団に入って寝ていたはずの伯爵様は、俺に布団をしっかりかけ、ご自分は半分くらい布団がないまま寝ていらっしゃった。
俺は慌てて布団から出ると伯爵様にかけた。
そして音を立てないように和室から出て身支度を整えるために、俺の部屋になっている部屋に行った。
「なんとも言えませんね。
旦那様はいつも仕事熱心であまりお休みを取られないのですよ。
これまでのお疲れが出たのかもしれません」
「でも」
「旦那様はキヨノさんがいらして久しぶりにお休みの日にゆっくりと過ごされるとお決めになりました。
屋敷の者は嬉しかったです、もちろん私もね」
中川さんの言葉に厨房にいた他の人たちもうんうんとうなずいている。
「川崎さん、なにか温かいものを旦那様に飲んでいただこうと思うのですが」
「しょうが湯はいかがでしょうか」
「いいですね、お願いします」
そう言うと、中川さんは厨房から出ていかれた。
川崎さんは俺に言った。
「キヨノさん、手伝いますか」
「はい!」
上等の葛粉を使い、少しとろみのついたしょうが湯ができると俺は無理を言って伯爵様のところへ運ばせてもらった。
「旦那様からはキヨノさんにうつってはいけないので、決して旦那様のお部屋には入れないようにときつく言われているのですが」
と中川さんは言っていたが、丸い小さなお盆に載せた湯呑を運ぶ俺を止めはしなかった。
「失礼します」
俺は中川さんにドアを開けてもらい、そっとそっと歩いた。
「キヨノさん?!」
伯爵様の声はかすれていた。
「川崎さんがしょうが湯を作ってくれました。
お飲みになりますか」
「どうしてここへ。
来てはいけないと聞いていませんか」
「はい、すぐに出ていきます」
伯爵様は赤いお顔をしていらした。
俺はベッドのそばの小さな机にお盆を置いた。
「お熱がありますか」
「だからここに来てはいけないと言ったのに。
うつったら大変です」
「なりあきさま」
しんどそうだ。
効けばいいけど。
俺は掛布団から出ていた伯爵様の手を取り、ぎゅっと掴むと唇を押し付けた。
「!」
「アイシテルトイウアラワレ」
「!!!」
「おまじないを唱えましたから、きっとお元気になります。
失礼します」
俺は頭を下げると足早に部屋から出ていった。
はぐときすはあれで合っていただろうか。
俺は困っていたつもりだったけど、伯爵様と一緒に過ごすのを楽しみにしていたのかもしれない。
ちょっとがっかりした気分でいる。
しかし、伯爵様が早く元気になるほうが大事だ。
さわったとき、そこまでは熱くなかったので、寝ていたら熱も引くかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は今日も掃除をしたり荷物を運んだり薪を割ったりした。
川崎さんが伯爵様のためにお粥を炊いた。
食欲はあるそうなので、卵粥だった。
今度は中川さんがお部屋に運び、そして戻ってこられた。
器は空っぽだった。
みんなでほっとした。
夜になり、藤代さんに聞かれたので俺はまた和室で寝ることに決めた。
もう場所もわかっているので、挨拶をすると一人で和室に行き、布団を敷いて寝た。
明け方、目が覚めた。
今日は寒さのせいではない。
藤代さんに言ったら、ふかふかの毛布を貸してくれた。
俺はそっと布団から抜け出した。
音を立てないように爪先立ちでそっと歩く。
ふれる床はひどく冷たい。
伯爵様はこの冷たい床を歩いてこられたのか、と思いながらそっと歩く。
そして、いつもならこんこんと鳴らすドアを黙って開けた。
音がしないように素早く閉じると、また息をひそめてベッドに近づいた。
「……キヨノさん?」
え、ばれた?
なんで?
音、立てなかったつもりなのに、うるさかった?
「どうされたのです、キヨノさん」
「………なりあきさまがきちんと眠れているかどうか、確かめにきました」
「?」
「一人では眠れないとおっしゃっていたから」
「ああ、キヨノさん!」
伯爵様は思わぬ強い力でぐっと俺の腕を引っ張った。
「早くベッドに入ってください。
今度は貴方が風邪をひいてしまう」
「これくらいならひきません」
「私が貴方の倍以上生きているからおじさんだと言いたいんですか」
「いえ、それは違います」
そんなことを言いながら、ぐいぐい引っ張られるので俺はベッドに上がった。
「こんなに冷えてしまって」
伯爵様に抱き込まれ、背中をさすられ、爪先は伯爵様の足に挟まれ、温められた。
「心配して来てくださったんですね」
「眠れましたか」
「ええ、寝ていました。
寝すぎて目が覚めてしまいましたが。
でも、寂しかった。
貴方が来てくれて嬉しいです。
ありがとう、キヨノさん」
「いえ」
伯爵様はぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。
まだちょっと熱いな。
熱、少しあるな。
「寝ましょう、なりあきさま。
きっとまだお熱が少しありますよ」
「そうですか。
貴方と一緒ならまた眠れそうです」
「早く治しましょう」
「ええ、貴方がおまじないをしてくれましたからね」
「おまじない、効きますように」
思っていたより、伯爵様は元気そうだ。
もう一日寝ていれば治るだろう。
よかった。
俺はほっとして、本格的に寝ようと目を閉じた。
伯爵様は先に食べていていいよ、とおっしゃったが、気が引ける。
他の人たちはそれぞれの仕事があるために、交代にいつもの時間に食べていたので、いい匂いを嗅ぐと腹が鳴ったが、我慢した。
これまで昼飯をくいっぱぐれることはよくあったし。
黒塗りの自動車が戻ってきた、と言われ、俺は玄関に伯爵様を出迎えにいった。
しかし伯爵様はいつものはぐときすをしなかった。
やっと俺のことを赤ん坊じゃない、とわかってくれたのかと思ったがひどいお顔をされていた。
「身体が重く、頭が痛い」
そうおっしゃると中川さんに支えられるようにして、ご自分のお部屋に向かってしまわれた。
俺は渡された伯爵様の重い革の鞄を抱えて、その後姿を見送った。
そのあと、俺は厨房で昼食を温め直してもらい、隅で食べた。
川崎さんが作ってくれた豚汁はとてもうまかった。
そこへ中川さんがやってきた。
「ご主人様はいかがですか」
俺が聞くと中川さんは静かに答えた。
「どうやらお風邪を召していらっしゃるようです。
熱も高くないようですので、ゆっくりとおやすみになればお元気になられますよ」
「もしかして、俺のせいでしょうかっ」
俺は今朝のことを思い出して、中川さんに聞いた。
久しぶりに熟睡し起きてみると、一緒の布団に入って寝ていたはずの伯爵様は、俺に布団をしっかりかけ、ご自分は半分くらい布団がないまま寝ていらっしゃった。
俺は慌てて布団から出ると伯爵様にかけた。
そして音を立てないように和室から出て身支度を整えるために、俺の部屋になっている部屋に行った。
「なんとも言えませんね。
旦那様はいつも仕事熱心であまりお休みを取られないのですよ。
これまでのお疲れが出たのかもしれません」
「でも」
「旦那様はキヨノさんがいらして久しぶりにお休みの日にゆっくりと過ごされるとお決めになりました。
屋敷の者は嬉しかったです、もちろん私もね」
中川さんの言葉に厨房にいた他の人たちもうんうんとうなずいている。
「川崎さん、なにか温かいものを旦那様に飲んでいただこうと思うのですが」
「しょうが湯はいかがでしょうか」
「いいですね、お願いします」
そう言うと、中川さんは厨房から出ていかれた。
川崎さんは俺に言った。
「キヨノさん、手伝いますか」
「はい!」
上等の葛粉を使い、少しとろみのついたしょうが湯ができると俺は無理を言って伯爵様のところへ運ばせてもらった。
「旦那様からはキヨノさんにうつってはいけないので、決して旦那様のお部屋には入れないようにときつく言われているのですが」
と中川さんは言っていたが、丸い小さなお盆に載せた湯呑を運ぶ俺を止めはしなかった。
「失礼します」
俺は中川さんにドアを開けてもらい、そっとそっと歩いた。
「キヨノさん?!」
伯爵様の声はかすれていた。
「川崎さんがしょうが湯を作ってくれました。
お飲みになりますか」
「どうしてここへ。
来てはいけないと聞いていませんか」
「はい、すぐに出ていきます」
伯爵様は赤いお顔をしていらした。
俺はベッドのそばの小さな机にお盆を置いた。
「お熱がありますか」
「だからここに来てはいけないと言ったのに。
うつったら大変です」
「なりあきさま」
しんどそうだ。
効けばいいけど。
俺は掛布団から出ていた伯爵様の手を取り、ぎゅっと掴むと唇を押し付けた。
「!」
「アイシテルトイウアラワレ」
「!!!」
「おまじないを唱えましたから、きっとお元気になります。
失礼します」
俺は頭を下げると足早に部屋から出ていった。
はぐときすはあれで合っていただろうか。
俺は困っていたつもりだったけど、伯爵様と一緒に過ごすのを楽しみにしていたのかもしれない。
ちょっとがっかりした気分でいる。
しかし、伯爵様が早く元気になるほうが大事だ。
さわったとき、そこまでは熱くなかったので、寝ていたら熱も引くかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は今日も掃除をしたり荷物を運んだり薪を割ったりした。
川崎さんが伯爵様のためにお粥を炊いた。
食欲はあるそうなので、卵粥だった。
今度は中川さんがお部屋に運び、そして戻ってこられた。
器は空っぽだった。
みんなでほっとした。
夜になり、藤代さんに聞かれたので俺はまた和室で寝ることに決めた。
もう場所もわかっているので、挨拶をすると一人で和室に行き、布団を敷いて寝た。
明け方、目が覚めた。
今日は寒さのせいではない。
藤代さんに言ったら、ふかふかの毛布を貸してくれた。
俺はそっと布団から抜け出した。
音を立てないように爪先立ちでそっと歩く。
ふれる床はひどく冷たい。
伯爵様はこの冷たい床を歩いてこられたのか、と思いながらそっと歩く。
そして、いつもならこんこんと鳴らすドアを黙って開けた。
音がしないように素早く閉じると、また息をひそめてベッドに近づいた。
「……キヨノさん?」
え、ばれた?
なんで?
音、立てなかったつもりなのに、うるさかった?
「どうされたのです、キヨノさん」
「………なりあきさまがきちんと眠れているかどうか、確かめにきました」
「?」
「一人では眠れないとおっしゃっていたから」
「ああ、キヨノさん!」
伯爵様は思わぬ強い力でぐっと俺の腕を引っ張った。
「早くベッドに入ってください。
今度は貴方が風邪をひいてしまう」
「これくらいならひきません」
「私が貴方の倍以上生きているからおじさんだと言いたいんですか」
「いえ、それは違います」
そんなことを言いながら、ぐいぐい引っ張られるので俺はベッドに上がった。
「こんなに冷えてしまって」
伯爵様に抱き込まれ、背中をさすられ、爪先は伯爵様の足に挟まれ、温められた。
「心配して来てくださったんですね」
「眠れましたか」
「ええ、寝ていました。
寝すぎて目が覚めてしまいましたが。
でも、寂しかった。
貴方が来てくれて嬉しいです。
ありがとう、キヨノさん」
「いえ」
伯爵様はぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。
まだちょっと熱いな。
熱、少しあるな。
「寝ましょう、なりあきさま。
きっとまだお熱が少しありますよ」
「そうですか。
貴方と一緒ならまた眠れそうです」
「早く治しましょう」
「ええ、貴方がおまじないをしてくれましたからね」
「おまじない、効きますように」
思っていたより、伯爵様は元気そうだ。
もう一日寝ていれば治るだろう。
よかった。
俺はほっとして、本格的に寝ようと目を閉じた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる