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今は昔、周防の国の海にほど近いところに桐《きり》という若者がおりました。
桐は生まれつき目が見えず身よりもいなかったので、村はずれの古寺の和尚が幼い頃から世話をしていました。
寺には誰が奉納したのかわからない古い琵琶がありました。
表には太陽と月と星、裏には西方の珍しい花が光る貝の細工ではめられていました。
桐は誰から教わることもなく幼い頃から琵琶を弾き始め、すぐに上手になりました。
特に平家の繁栄から滅亡を奏でる「源平合戦」を見事に演奏すると評判になりました。
ある夜のこと。
和尚は村の寄合に出ることになりました。
夕方、寺を出るときに和尚は桐に言いました。
「桐や。
わしは出かけるが、決して寺から出てはならぬ。
よいな」
「へい」
桐が返事をすると、和尚は出かけていきました。
しばらくして和尚が用意してくれた夕餉の粥をさらさらと食べました。
いつもは話の伽にしてくれる和尚が不在のため、桐は手持無沙汰になりました。
そこで手慰みに琵琶を引き寄せ、ざらりとかき鳴らし始めました。
するとざわりざわりと庭の松の葉が揺れる音がしました。
「もうし、どなたかいらっしゃいますか?」
桐はばちを持つ手を止め、どこから音がするのか首をあちらに振りこちらに振りしながら問いました。
すると今度はがしゃんがしゃんと鎧が鳴る音が聞こえました。
「お侍様ですか?」
鎧の鳴る音は次第に桐に近づき、桐の真正面で止まりました。
桐は恐ろしくて不格好に床に平伏し、額をこすりつけていました。
「先程の琵琶はお前か?」
大きくしゃがれた声が桐の頭の上からしました。
「は、はい。
わたくしでございます。
お耳障りでありましたら、申し訳ありませんでした」
桐は小さくなりながら、しゃがれ声の男に平謝りしました。
「わしはさる貴い方に仕えておる。
これからその方のところに参り、琵琶を弾いて慰めて差し上げてほしい」
男の申し出に桐はますます這いつくばって答えました。
「申し訳ありません。
わたくしはこの寺の和尚の言いつけで、ここから出ることは禁じられております」
「わしの申すことが聞けぬと言うのか」
「まことに申し訳ございません。
なにとぞ、なにとぞお許しください」
桐はただただ謝るだけだった。
「和尚が帰る前に必ずここへ連れて帰る。
おまえが黙っていれば誰も知る者はおらぬ」
「しかしながら…」
「あの方は大層気落ちしていらして、ずっと床に臥せったままなのだ。
少しでもお心をお慰めしたいと思うのだが、それでも断るというのか」
しゃがれた声に悲しさが交じったのを、耳がいい桐が聞き逃すはずはありませんでした。
桐は貴い方が少し気の毒になってきました。
「本当に和尚が戻る前に、わたくしをここに帰してくださいますか?」
「約束しよう」
「わかりました」
桐がそう答えるや否や、男はぐっと桐の手を引き立ち上がらせました。
「あっ、琵琶が」
「琵琶とばちをわしに貸せ」
男は大きな手で琵琶とばちを掴み、反対の手で桐の手を握ると大股で歩き始めました。
がしゃんがしゃんという鎧の鳴る音をすぐそばで聞くと恐ろしくてたまらなくなり、そして男の足の速いのに驚き、転びそうになりながらも桐は必死に男について歩いていきました。
とても恐ろしいのに、ただ男の大きな手は熱く桐の手を包んでいました。
桐にふれるのは和尚だけだったので、桐は初めて他の男にふれられました。
和尚は他の男にふれられることはとても恐ろしい罪を犯すことだと桐に教えていましたが、桐は男の手の熱さを心地よく感じていました。
男は寺を出て、草に囲まれた道をどんどん歩いているようでしたが、やがて桐にも自分が一体どこにいるのかわからなくなっていきました。
ただただ必死に男の手を頼りに小走りについていき、しばらくすると素晴らしい香のかおりが漂ってきました。
それはとても高貴なかおりで、桐は初めてかぎました。
大きな門がぎぎーっと音を立てて開けられ、そこにはたくさんの人の気配を感じました。
大きな建物に入り、大きな部屋に通された様子でした。
男がようやく立ち止まり、桐に座って頭を下げるように言いました。
桐は頭を床にこすりつけ礼をしていました。
ほどなくして、高貴なかおりが部屋中に立ち込め、御簾が揺れる小さな音と衣擦れ音がしました。
「そなたが今宵、わたしを慰めてくれるというのか?」
玉のような声がしました。
桐は緊張して返事ができませんでした。
代わりにしゃがれた声の男が言いました。
「この男は桐といい、琵琶をよく弾きます。
御屋形様を少しでもお慰めできればと思い参上いたしました」
「ほお。
琵琶とはこれまた面白い。
早速聞かせておくれ」
貴いお方がせがみましたが、桐は動くことができません。
しゃがれた声の男が「いつまでもなにをしている」と桐の身体を引き起こし、手に琵琶とばちを握らせました。
すると驚くほど、桐は安心し、自分で一礼し、琵琶を構えました。
「今宵はわたくしの琵琶でささやかながらでもお楽しみいただければ幸いです。
して、なにをお弾きしたらよろしいでしょうか」
「ならば桐、源平合戦は弾けるか?」
「はい、わたくしの得意としているものです」
桐は胸を張って言いました。
「おお、聞いたか皆の者。
立っているものは今すぐ座って聞くがよい。
桐の得意の源平合戦を」
ざわりとして、たくさんの鎧が鳴る音がしました。
どうやら鎧の男が大勢いるようです。
それらが座り、辺りがしんとすると桐はばちを握りなおし、琵琶の弦の上に滑らせ演奏を始めました。
冒頭の演奏と桐が歌う声が始まると、「おおおおお」と低い唸り声がしました。
桐は生まれつき目が見えず身よりもいなかったので、村はずれの古寺の和尚が幼い頃から世話をしていました。
寺には誰が奉納したのかわからない古い琵琶がありました。
表には太陽と月と星、裏には西方の珍しい花が光る貝の細工ではめられていました。
桐は誰から教わることもなく幼い頃から琵琶を弾き始め、すぐに上手になりました。
特に平家の繁栄から滅亡を奏でる「源平合戦」を見事に演奏すると評判になりました。
ある夜のこと。
和尚は村の寄合に出ることになりました。
夕方、寺を出るときに和尚は桐に言いました。
「桐や。
わしは出かけるが、決して寺から出てはならぬ。
よいな」
「へい」
桐が返事をすると、和尚は出かけていきました。
しばらくして和尚が用意してくれた夕餉の粥をさらさらと食べました。
いつもは話の伽にしてくれる和尚が不在のため、桐は手持無沙汰になりました。
そこで手慰みに琵琶を引き寄せ、ざらりとかき鳴らし始めました。
するとざわりざわりと庭の松の葉が揺れる音がしました。
「もうし、どなたかいらっしゃいますか?」
桐はばちを持つ手を止め、どこから音がするのか首をあちらに振りこちらに振りしながら問いました。
すると今度はがしゃんがしゃんと鎧が鳴る音が聞こえました。
「お侍様ですか?」
鎧の鳴る音は次第に桐に近づき、桐の真正面で止まりました。
桐は恐ろしくて不格好に床に平伏し、額をこすりつけていました。
「先程の琵琶はお前か?」
大きくしゃがれた声が桐の頭の上からしました。
「は、はい。
わたくしでございます。
お耳障りでありましたら、申し訳ありませんでした」
桐は小さくなりながら、しゃがれ声の男に平謝りしました。
「わしはさる貴い方に仕えておる。
これからその方のところに参り、琵琶を弾いて慰めて差し上げてほしい」
男の申し出に桐はますます這いつくばって答えました。
「申し訳ありません。
わたくしはこの寺の和尚の言いつけで、ここから出ることは禁じられております」
「わしの申すことが聞けぬと言うのか」
「まことに申し訳ございません。
なにとぞ、なにとぞお許しください」
桐はただただ謝るだけだった。
「和尚が帰る前に必ずここへ連れて帰る。
おまえが黙っていれば誰も知る者はおらぬ」
「しかしながら…」
「あの方は大層気落ちしていらして、ずっと床に臥せったままなのだ。
少しでもお心をお慰めしたいと思うのだが、それでも断るというのか」
しゃがれた声に悲しさが交じったのを、耳がいい桐が聞き逃すはずはありませんでした。
桐は貴い方が少し気の毒になってきました。
「本当に和尚が戻る前に、わたくしをここに帰してくださいますか?」
「約束しよう」
「わかりました」
桐がそう答えるや否や、男はぐっと桐の手を引き立ち上がらせました。
「あっ、琵琶が」
「琵琶とばちをわしに貸せ」
男は大きな手で琵琶とばちを掴み、反対の手で桐の手を握ると大股で歩き始めました。
がしゃんがしゃんという鎧の鳴る音をすぐそばで聞くと恐ろしくてたまらなくなり、そして男の足の速いのに驚き、転びそうになりながらも桐は必死に男について歩いていきました。
とても恐ろしいのに、ただ男の大きな手は熱く桐の手を包んでいました。
桐にふれるのは和尚だけだったので、桐は初めて他の男にふれられました。
和尚は他の男にふれられることはとても恐ろしい罪を犯すことだと桐に教えていましたが、桐は男の手の熱さを心地よく感じていました。
男は寺を出て、草に囲まれた道をどんどん歩いているようでしたが、やがて桐にも自分が一体どこにいるのかわからなくなっていきました。
ただただ必死に男の手を頼りに小走りについていき、しばらくすると素晴らしい香のかおりが漂ってきました。
それはとても高貴なかおりで、桐は初めてかぎました。
大きな門がぎぎーっと音を立てて開けられ、そこにはたくさんの人の気配を感じました。
大きな建物に入り、大きな部屋に通された様子でした。
男がようやく立ち止まり、桐に座って頭を下げるように言いました。
桐は頭を床にこすりつけ礼をしていました。
ほどなくして、高貴なかおりが部屋中に立ち込め、御簾が揺れる小さな音と衣擦れ音がしました。
「そなたが今宵、わたしを慰めてくれるというのか?」
玉のような声がしました。
桐は緊張して返事ができませんでした。
代わりにしゃがれた声の男が言いました。
「この男は桐といい、琵琶をよく弾きます。
御屋形様を少しでもお慰めできればと思い参上いたしました」
「ほお。
琵琶とはこれまた面白い。
早速聞かせておくれ」
貴いお方がせがみましたが、桐は動くことができません。
しゃがれた声の男が「いつまでもなにをしている」と桐の身体を引き起こし、手に琵琶とばちを握らせました。
すると驚くほど、桐は安心し、自分で一礼し、琵琶を構えました。
「今宵はわたくしの琵琶でささやかながらでもお楽しみいただければ幸いです。
して、なにをお弾きしたらよろしいでしょうか」
「ならば桐、源平合戦は弾けるか?」
「はい、わたくしの得意としているものです」
桐は胸を張って言いました。
「おお、聞いたか皆の者。
立っているものは今すぐ座って聞くがよい。
桐の得意の源平合戦を」
ざわりとして、たくさんの鎧が鳴る音がしました。
どうやら鎧の男が大勢いるようです。
それらが座り、辺りがしんとすると桐はばちを握りなおし、琵琶の弦の上に滑らせ演奏を始めました。
冒頭の演奏と桐が歌う声が始まると、「おおおおお」と低い唸り声がしました。
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