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シャロン 8 さらけ出す 3
しおりを挟むあれから数日、殿下が王宮に戻る気配が全くない。
毎日朝早く誰かしらが彼の仕事、つまり書類の束を届けに来るが、彼が戻る気配は全くない。
そのことを訊ねればカラミティー一族が王宮の殆ど全てを壊してしまって修繕作業中だから部屋を借りることにしたと言われてしまう。
実際、彼は客室で書類仕事を片付けている。が、毎晩しっかりシャロンの寝室に足を運んでいるのだからただの言い訳ではないだろうかと疑いたくもなってしまう。
一緒に過ごすことができるのは嬉しい。仕事自体はこなしているようだ。
けれども公的には婚約者であるシャロンの実家に何日も居座るのは問題ではないだろうか。
外聞が悪い。
いや、カラミティー侯爵家の評判はすっかり地に落ちているだろうけれど、殿下の立場が悪くなってしまう。
シャロンは溜息を吐きながらパイ生地をのばす。
朝食の席でミートパイが食べたいとごねられた。
「シャロン手製のミートパイが食べられないなら今日は仕事しない」
「……殿下、それは……よくないことだと思います」
「やる気が起きないときに仕事をする方が効率が悪い」
ただごねているだけ。
けれどもシャロンが折れるしかない。
「殿下は……本来であれば我が家での食事も控えるべきかと」
「毒のことを言っているのか? 安心しろ。少なくとも我が国で発見されている種類の毒は俺には効かない」
シャロンの手料理なら毒でも全部食べる。と言い切られてしまってはなにも言い返せない。
それどころか上品な量の食事では食べ足りないとまで添えられてしまった。
溜息が出る。
使用人がうんざりする量のパイを焼いてしまってもいいものか。
オーブンに入れたパイの様子をちらちら気にしながら新しい型に生地を敷いていく。
「シェリー、よく飽きないね」
ジョバンニがひょいと顔を出す。
「兄さん、殿下の様子はどうでしょう?」
「んー、仕事はしてるけど、部下を怒鳴りつける癖があるみたいだね」
今日もしっかり化粧をしている兄を見ると不思議な気分になる。
なんというか、鏡の中にいるめかし込んだ自分を見ているような気分になるのだ。
「あのエイミーって子、じっと私を見つめるんだ。なんだか落ち着かなくて、シェリーの手伝いをしようかなと」
そうは言っても味見専門だけれどと茶目っ気たっぷりな表情で口にする兄は、やはり表情の作り方が別人だ。
「……エイミーも来ているのですか?」
「うん。『シャロン様のたわわなもちふにを揉みたい』とか言ってジャスティンが資料で殴っていたよ」
「たわわなもちふに?」
一体何の話をしているのだろう。
それにしても殿下はあのエイミーには暴力的に振る舞うのかと少し驚く。
焼き上がったパイをオーブンから取り出し、先に焼き上がっていたパイの隣に並べ、新しいパイをオーブンに入れる。
「いや、何個作る気?」
「さあ? 材料がなくなるまで?」
分量を考えると二〇個くらいは作れそうだと思う。
少し冷ましたパイを皿に移し、木のワゴンに乗せる。
「切り分けようか?」
「お願いします」
「ついでに味見も」
慣れた手つきでパイを切り分け、一切れを口にする。
「んーっ、懐かしい味だ」
美味しいともまずいとも言わないジョバンニは他の皿も切り分けていく。
ワゴンに乗るのは六皿分だ。談話室に一皿、殿下と護衛や部下の方々に残りを持っていくつもりだが、残りはきっとシャロンの夕食か使用人達の食事になるのだろう。
焼くだけの状態にしたパイを料理人に任せ、ワゴンを押す。
「兄さん、これ、談話室でアレクシス兄さんとジェフリー兄さんと一緒に食べてください」
「もう一個貰っていい?」
「オーブンからどうぞ」
「私も資料を読みながらおやつにするよ」
張り切ってもう一つパイを持っていこうとするジョバンニには悪いが、他の兄たちはいい加減ミートパイにうんざりしているだろう。きっと喜んで食べるのは彼だけだ。
客室をノックする前に、スティーブンが扉を開ける。
一応護衛のはずなのに、こんなにあっさり通していいのだろうかと不安になってしまう。
「シャロン、美味そうな匂いだな」
書類を整えながら笑みを見せる殿下は上機嫌だ。
「すべてミートパイです。ずっと同じ味だと飽きてしまうと思ったので、料理人に他のお菓子を用意させています」
「気にするな。ミートパイは大好物だ。おい、休憩にするぞ」
てきぱきと机の上を片付け、それから長椅子に移動する。
「リンゴのパイがないのは残念ですわ」
エイミーは口ではそう言うくせに、視線がパイに向いている。
「文句があるならお前は食うな」
「食べないとは言っていません。シャロン様のパイ生地、とっても美味しいですもの」
エイミーは図々しくもワゴンの一番上に載った皿を独占した。
「おいっ、シャロンが俺の為に焼いたパイをどうしてお前が先に取る」
殿下は一気に不機嫌になる。
「あの、まだ、焼いていないパイもありますので……その、足りなければ焼きます」
「ああ、全部焼いてくれ」
スティーブンが下の段から皿を取りながら言う。
「え?」
「……殿下の食べる量を考えればこの三倍あっても足りない」
一体どんな冗談だろう。
シャロンは瞬きを繰り返す。一つの四分の一だってシャロンはお腹いっぱいになってしまう大きさのパイなのに、そんなに食べられるものだろうか。
そういえば、殿下はシャロンがお菓子を断るとすぐに二人分以上の量を食べ尽くしてしまっていた。
「……その、シャロンの前では……あまり大食らいなところは見せないようにしていたが……つまり、お前の口と同じ程度のささやかな悩みだ」
ばつの悪そうに口にする殿下に驚く。
つまり、彼は彼なりに大食いを気にしているらしい。
「それは深刻な……」
「いや、だから、ささやか、だろう? お前にはもう見せられる」
その口と同じだと彼の親指が唇を撫でた。
それだけでぞくりとする。
毎日ジョバンニがくれたキャンディを食べているというのに、どうしても殿下に触れられると敏感な口は暴走してしまう。
それをジョバンニに話すと、単に精神的な物だと一蹴されてしまった。
「シェリーはちょっとジャスティンのことが好き過ぎるんだよ」
そう笑った兄の顔が忘れられない。
「あの、私……残りのパイを焼いてきますね」
逃げるように部屋を出て厨房へ向かう。
その間も顔が熱い。
本当にこの量を全て食べてくれるのだろうかだとか、同じ部屋に居た他の人達にだらしない顔を見られていないかだとか考えてしまうことはたくさんある。
これは、新しいパイを作らなくてはいけないかもしれない。
シャロンは早すぎる鼓動と戦いながら、先に食料庫に寄ることにした。
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