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しおりを挟むあの日からも朔との関係は変わらない。
ただ勝手に俺が気まずいような気がしてしまっているだけで、朔は極めていつも通りだった。
いや、少しだけ変化があった。
以前であれば朔は気まぐれで、女子と昼食をとったり俺を誘ったり、また別のグループに紛れ込んで噂話蒐集を兼ねた昼休みを過ごしていた。が、どうもこの頃は俺とばかり過ごすようになっている。
女子達は不満そうに俺を睨むが、朔本人が勝手に来るのだ。仕方がないだろう。
理不尽に睨まれながら弁当の卵焼きを食べる。
今朝はイグアナのピエールがいつもよりご機嫌そうだったとか、蛇のエイミーが見事に脱皮したななどと考えながら視線を無視していると、朔が雑誌を広げる。
「見て見て! この人ね、うちの常連さんなんだよ」
嬉しそうに見せるページはコンクールの優勝者インタビューだ。そこそこな規模のアマチュアコンクールらしい。
「じいちゃんがメンテナンスした楽器で優勝だって。こういうの嬉しいよね」
「ふーん、すごいな」
楽器のことはよくわからない。
優勝はそいつがものすごく頑張ったから獲得したのだろう。そこに楽器のメンテナンスがどの程度貢献しているかなんて俺には全く理解出来ない。
けれども、じいちゃんの功績を自分のことのように喜んでいる朔を見るのは悪くないなと思った。
「きーちゃん、全力で興味ないって顔してる」
「そうか?」
「ピエールくんの脱皮の話聞いた方がいい?」
「脱皮したのはエイミーだよ」
一応俺のペットについて話は聞こうとしてくれているらしい。が、名前と種類が一致していないことが多い。
別に構わない。爬虫類なんて興味のない人間からすればよくわからない生き物だろう。
自分が話しすぎてしまっているからと気を使う必要もないと思っている。
「朔、また菓子パンばっかり食って……」
仕方ないから弁当箱の蓋にミートボールとブロッコリーを乗せて分けてやる。
「え? いいの? いつもありがとう」
「だったらもっとちゃんとしたもの持って来い」
高校生男子がクリームパン一個で足りるはずがないだろう。女子だってもっと食ってるぞ。
僅かに健康を意識してなのか飲み物が野菜ジュースになっている。けれども食生活に改善が見られない。
「きーちゃんのお弁当おいしいんだもん」
「もう分けてやらないぞ」
毎回狙っているのか?
母さんの料理が好きだとか何度か聞いたことがあるが、弁当を分ければ俺だって腹が減る。
「普段晩飯とかなに食ってるの?」
じいちゃんと二人暮らしだからな。きっと料理はじいちゃんがしているんだろう。
「だいたい鍋かなぁ。じいちゃんなんでも鍋に突っ込むんだ。栄養たっぷりだぞーって」
まあ面倒になればなんでも鍋に突っ込んでとりあえず味噌かなにかで味付けしておけばそれなりに食えるものができるだろうな。けれど、弁当に持ってくるには少し厳しい。
「こないだひっどいんだよ。スーパーの値引きシール貼ったお寿司買ってきてさ、お寿司そのまんま鍋に投入するの。普通にお寿司のまま食べた方が美味しいと思わない?」
「そりゃ大胆だな」
朔のじいちゃんはやっぱり朔のじいちゃんなだけあってズレている。
職人と言うのもあるのだろう。妙なところで妙な拘りを持っている。
つまり彼の中では晩飯は鍋以外認められないのだろう。
少しだけ朔を気の毒に思うが、朔は朔であんなじいちゃんが大好きだ。二人の問題に口を挟むほど野暮ではない。
「じいちゃんのことは大好きだけど、味覚だけは合わないなー」
そう言って朔はクリームパンをもぐもぐする。
「だったら朔が作ればいいだろ」
「指怪我するの怖いもん」
そう言う朔はやはり演奏家の端くれなのかもしれない。
こういう発言を聞くと、生きている世界が違うと思うし、演奏家ってのは面倒だなと思ってしまう。
どちらかというと職人を目指しているはずの朔でさえこうなのだから、演奏一本の人間はもっと気を使って生活しているのだろうなと思うと俺は平凡な生まれでよかったと思う。きっと金持ちのぼんぼんとして生まれたら母さんのことだ。ピアノやらヴァイオリンやら面倒な習い事をたくさんさせようとしただろう。今度はイケメン演奏家の誰だかが素敵だからなんて理由で。
母さんは面食いだ。そして朔の顔も大好きだ。もしかすると顔の好みは母さんと似ているのかも。
そう思うと少し複雑な気分になる。
朔は少し世間とはズレている部分があるけれど、それでもじいちゃんが望むような成長をしているはずだ。弦楽器職人の孫が弦楽器好きだなんて理想的だろう。
それに比べて俺はどうだ。
見た目、デブ。成績、生物以外は平均。趣味、最悪。爬虫類飼育なんて一般ウケしない。それに加えてゲイだなんて、母さんを泣かす結果になりそうだ。
そんなことを考えながら、最後に残ったプチトマトを口に放り込む。
少し皮が硬い。
そう言えば、夏休み前に進路調査票を出さないといけなかったなと思う。
「そういえば、朔、もう進路調査票書き終わったの?」
「うん。もう提出してあるよ」
「早っ。なんか意外」
朔は少しどんくさいイメージだった。だから書類なんかはいつもギリギリの提出になっている。
けれど、まあ、進路のヴィジョンははっきりしているのかも。最悪じいちゃんの楽器店を継げばいいんだ。
きっとどこかの音大でも目指すんだろうな。それで食っていけるかは別として。
正直、音楽なんてもんは金持ちの道楽だと思っている。
ただでさえ、ハンデのある朔がわざわざそんな道を選ぶなんてとは思う。けれども本人の決めたことに口出し出来るほど偉い立場でもない。
だいたい、まだ進路を躊躇っている。
「きーちゃんは? やっぱ大学行くの?」
「まあ、無難なところ選ばないと就職も困るだろうしな」
うちは決して裕福な家庭ではない。
地元の鮨屋で週三のパートに出てる母さんと、地域密着型の小さな銀行に勤めている父さん。
学生の俺がバイトをしなくてもほどほどの小遣いが貰えるけれど、私大に通わせて貰えるほどの裕福さはない。
私大に行くなら奨学金。けれども返還義務のない奨学金を得るには結構成績が足りていない。
なんでもほどほどがいいと思っている。
ほどほどに頑張る。無理をしすぎない。目立たないポジションに居る。
「また無難、か」
朔は笑う。
「きーちゃん昔から目立つのあんまり好きじゃないって言ってるもんね」
「そう。目立たないほどほどのポジションがいいんだよ。カーストの最底辺にならない場所が一番いい」
トップになりたいとは思わない。ただ、最底辺を避けたいだけ。
今の俺はギリギリ積極的にいじめられることのない無害なデブだ。卒業までこのポジションをキープ出来ればそれでいい。
今より極端に成績が上がっても下がっても、親の収入が上がっても下がってもきっといじめられる。
幸い同級生に父さんと同じ職場の子は居ない。母さんのパート先の女将の孫は居るけれど、直接会話をするような距離にはいないから今のところ特に問題はない。
朔は顔がいいからいじめられない。だってあの美形をいじめたら女子が黙っていない。
穏やかでそこそこ面白い美形。成績も悪くない。運動が壊滅的なだけで朔の成績は平均以上だ。
「きーちゃんも爬虫類の話になると凄いんだからそういう研究者とか目指せばいいのに」
「それで生きていける人は一握りだよ」
現実を見なければ。
大学だって見た目で学生を選ぶ。同じような成績の受験生がいれば見た目がいい方を合格させる。
最初から不利なポジションに居るのに、一握りの人間しか立てない地位を求めたりしない。
「生き物は趣味でいいんだ。好きな事を仕事にしたら嫌いになるって父さんも言ってた」
「ふぅん。じいちゃんは一生弦楽器が好きだと思うけどなぁ」
そう言って、朔は紙パックのジュースを飲み干す。
好きな事をずっと好きでいることだってひとつの才能だ。きっと朔やじいちゃんはそういう才能に恵まれているのだろう。
ほんの少し、それが羨ましくなる。
けれども俺は現実を受け止めているんだ。
東京の大学を目指すか地元の大学にするか。今の成績を見て無難なところを選ぶ。
俺の進路はその程度の悩みで決めれば十分だ。
夢を見るのは朔に任せよう。
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