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放課後、行きつけのペットショップで冷凍マウスを受け取ってから朔の家へ向かった。
朔の家はペットショップからそう遠くない。海沿いの観光客も多いかなり立地条件のいい場所で、歴史がありそうな木造三階建ての建物だ。一階部分が店舗で二階が工房、三階が住居になっている。近所に硝子工房やら観光客向けのお洒落な店がたくさんあるからかなりの頻度で観光客が覗きに来る。
店内に入れば、朔のじいちゃんが出迎えてくれた。他に客の姿はない。
「よくきたね。きよしくん」
「お、お久しぶりです」
思わず背筋が伸びる。
じいちゃんは白髪こそ減って肌の色が目立つようになってきたけれど相変わらず姿勢が綺麗で、動きのひとつひとつに気品がある。
彼はカウンターの下からチョコレートカラーのトランクみたいな箱形の楽器ケースをひとつ取り出して、朔に渡した。
「これ、僕が作ったんだけど、きよしに持ってて欲しいんだ」
朔はじいちゃんから受け取ったケースを俺に差し出す。
「は?」
なんの話だ。
俺は楽器なんて興味ないし、そういったお上品な趣味はないのに。
朔が楽しそうに話すから話くらいは聞いてやるが、自分がそういった楽器に触れたいなんて想うことすらなかった。
「中々よく鳴る素直な楽器だから上達してからもずっと使えるよ」
じいちゃんの保証付き。
こうなったらせめて見るくらいはしてやらないと。
そう思ってケースを開けば、朔がいつも持ち歩いているものよりも少し小さいからヴァイオリンだろうと思った。チョコレートみたいな艶のある色のそれはとても美しく見える。
「ケイって名付けたけど、気に入らなかったら好きな名前をつけていいよ」
朔はそう言って、じっと僕の反応を見る。どこか不安そうに感じられた。
「……貰えない」
高級品だ。雑誌に載っていた初心者セットの金額を見たって手の届かない金額だ。それにじいちゃんが保証してくれるようないい出来の楽器ならもっと高額なものに決まっている。
「僕が作った楽器だよ。きよしに持ってて欲しい。弾き方は僕が教えるから」
珍しく朔が引かない。こいつはこんなに頑固だっただろうか。
「どうして?」
俺の趣味は爬虫類飼育だと知っている朔が、普段であれば他人に自分の趣味を押しつけたりしない朔がどうして急にこんなことを言い出すのか。
驚いて訊ねれば朔は少し寂しそうに笑う。
「きよしに持ってて欲しいから、じゃだめ?」
ずるい。
好きな相手にそんな風に言われて断れるかよ。
本当は俺の気持ちを知っていて試しているんじゃないかとさえ思ってしまう。そのくらい、今日の朔は強引だ。
「そのうち世界中で有名な弦楽器マイスターになる僕の作品だよ? 持ってて損はしないと思うけど」
「だから、なんで俺に」
そんな価値が出る物だったらその時に自分で売ればいいのに。そう思って朔を見れば寂しそうな目をしている。
そして、朔の艶やかな唇が紡いだ言葉に耳を疑う。
「……留学するんだ」
「え?」
「夏休みが終わったら、ドイツに行くんだ」
突然のことでなにを言われたのか脳が理解を拒絶した。
だって朔はそんな話、全くしていなかった。
「なんで急に」
ドイツってあのドイツ?
工業ヴァイオリンがどうだとか、前に朔が話していたような気もする。
「だって、弦楽器マイスターの資格を取りたいから。あれ、結構大変なんだよ。何年も向こうで勉強しないといけないから」
だからと、朔は言う。
「向こうに行ったらしばらく会えなくなっちゃうからきよしに持ってて欲しい」
朔は自分の夢に向かっている。
一本軸のブレない夢に真っ直ぐ。
ちっとも同類なんかじゃなかった。朔のはただの趣味じゃなくて、将来の職に繋がるものだ。
でも俺は?
ただのデブで、爬虫類オタクで、朔以外と殆ど会話すら出来ない。
自分がすごく惨めになってしまう。
「勝手すぎる」
本当はわかっていたくせに。
最初から朔は同類なんかではなかった。
いつだって自分の夢に、弦楽器に対して真摯だった。
まるで別次元の存在だ。
「ごめんなさい。でも……きよしはすごくいい音を出してくれると思う」
なんだよその勝手な期待は。
ふざけるなと言いたいのに、言えない。
朔の気持ちを踏みにじるなんて俺には出来なかった。
朔の家はペットショップからそう遠くない。海沿いの観光客も多いかなり立地条件のいい場所で、歴史がありそうな木造三階建ての建物だ。一階部分が店舗で二階が工房、三階が住居になっている。近所に硝子工房やら観光客向けのお洒落な店がたくさんあるからかなりの頻度で観光客が覗きに来る。
店内に入れば、朔のじいちゃんが出迎えてくれた。他に客の姿はない。
「よくきたね。きよしくん」
「お、お久しぶりです」
思わず背筋が伸びる。
じいちゃんは白髪こそ減って肌の色が目立つようになってきたけれど相変わらず姿勢が綺麗で、動きのひとつひとつに気品がある。
彼はカウンターの下からチョコレートカラーのトランクみたいな箱形の楽器ケースをひとつ取り出して、朔に渡した。
「これ、僕が作ったんだけど、きよしに持ってて欲しいんだ」
朔はじいちゃんから受け取ったケースを俺に差し出す。
「は?」
なんの話だ。
俺は楽器なんて興味ないし、そういったお上品な趣味はないのに。
朔が楽しそうに話すから話くらいは聞いてやるが、自分がそういった楽器に触れたいなんて想うことすらなかった。
「中々よく鳴る素直な楽器だから上達してからもずっと使えるよ」
じいちゃんの保証付き。
こうなったらせめて見るくらいはしてやらないと。
そう思ってケースを開けば、朔がいつも持ち歩いているものよりも少し小さいからヴァイオリンだろうと思った。チョコレートみたいな艶のある色のそれはとても美しく見える。
「ケイって名付けたけど、気に入らなかったら好きな名前をつけていいよ」
朔はそう言って、じっと僕の反応を見る。どこか不安そうに感じられた。
「……貰えない」
高級品だ。雑誌に載っていた初心者セットの金額を見たって手の届かない金額だ。それにじいちゃんが保証してくれるようないい出来の楽器ならもっと高額なものに決まっている。
「僕が作った楽器だよ。きよしに持ってて欲しい。弾き方は僕が教えるから」
珍しく朔が引かない。こいつはこんなに頑固だっただろうか。
「どうして?」
俺の趣味は爬虫類飼育だと知っている朔が、普段であれば他人に自分の趣味を押しつけたりしない朔がどうして急にこんなことを言い出すのか。
驚いて訊ねれば朔は少し寂しそうに笑う。
「きよしに持ってて欲しいから、じゃだめ?」
ずるい。
好きな相手にそんな風に言われて断れるかよ。
本当は俺の気持ちを知っていて試しているんじゃないかとさえ思ってしまう。そのくらい、今日の朔は強引だ。
「そのうち世界中で有名な弦楽器マイスターになる僕の作品だよ? 持ってて損はしないと思うけど」
「だから、なんで俺に」
そんな価値が出る物だったらその時に自分で売ればいいのに。そう思って朔を見れば寂しそうな目をしている。
そして、朔の艶やかな唇が紡いだ言葉に耳を疑う。
「……留学するんだ」
「え?」
「夏休みが終わったら、ドイツに行くんだ」
突然のことでなにを言われたのか脳が理解を拒絶した。
だって朔はそんな話、全くしていなかった。
「なんで急に」
ドイツってあのドイツ?
工業ヴァイオリンがどうだとか、前に朔が話していたような気もする。
「だって、弦楽器マイスターの資格を取りたいから。あれ、結構大変なんだよ。何年も向こうで勉強しないといけないから」
だからと、朔は言う。
「向こうに行ったらしばらく会えなくなっちゃうからきよしに持ってて欲しい」
朔は自分の夢に向かっている。
一本軸のブレない夢に真っ直ぐ。
ちっとも同類なんかじゃなかった。朔のはただの趣味じゃなくて、将来の職に繋がるものだ。
でも俺は?
ただのデブで、爬虫類オタクで、朔以外と殆ど会話すら出来ない。
自分がすごく惨めになってしまう。
「勝手すぎる」
本当はわかっていたくせに。
最初から朔は同類なんかではなかった。
いつだって自分の夢に、弦楽器に対して真摯だった。
まるで別次元の存在だ。
「ごめんなさい。でも……きよしはすごくいい音を出してくれると思う」
なんだよその勝手な期待は。
ふざけるなと言いたいのに、言えない。
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