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しおりを挟む朔が戻ってきたのは、俺が大学を卒業して少し経ってからだった。
意外なことに公務員になった俺は、終業後や休日にじいちゃんの指導を受ける。
新米公務員のくせにそんな趣味だなんて嫌味な上司に知られたらねちねち言われるかもしれないが、慣れない業務の鬱憤晴らしにも丁度よかった。
練習室で、レパートリーのひとつを弾いていた。
切ない曲調の、たぶんこれも失恋の曲だったと思う。作曲家名や背景をじいちゃんに教わった気もしたが、単純にメロディが気に入っただけだったからよく覚えていない。
そこに、突然扉が開いて、目をまん丸くした朔が居た。
何年も会っていなかったはずなのに、高校の頃と全く変わっていないように見える。
相変わらず美人で、ほわほわとした空気で……背も変わっていない。
シンプルな白シャツと、黒いパンツが余計に制服との差を感じさせなかった。
演奏を終えると、拍手が響いた。
「こんなに弾き込んでくれて嬉しいな」
再会の挨拶すらしないで、すごくいい音だったと朔は言う。
「楽器がいいから」
「ううん。きーちゃんが頑張ってたくさん練習したからだよ」
「その呼び方嫌い」
「ごめんなさい」
すごく久々に会ったはずなのに、あの頃となにも変わらない気がする。
まるで放課後ふらりと練習室に寄ったような感覚だ。
「ケイ、見せてくれる?」
「勿論」
朔はちゃんとマイスターになって帰ってきた。
線の細い美形で、社交性があって……夢を叶えた。
やっぱり俺とは何もかも違う。
妥協に妥協を重ねて『普通』になれなかった俺とは違う。
「すごく大事に使ってくれてるんだね」
嬉しそうな朔の言葉にどきどきした。
「きよしならいい演奏家になると思ってたよ」
「別に……ケイがいい楽器なだけだよ」
そう。あの日うっかり感動してしまったから。
朔とじいちゃんがあまりにも熱心だったから。
どうしようもない初恋の感情をなんとか吐き出す方法が欲しかったから。
演奏家になりたいわけじゃない。
人前で演奏するつもりだってない。
けれども感情を吐き出す方法になってくれた。
ガラスケースの中の友達が去ってしまった心の隙間を埋めてくれた。
だから、ケイは特別な楽器だったと思う。
「今度僕と合奏してよ」
「は?」
唐突な言葉に頭がついていかない。
「ヴィオラはヴァイオリンの最高のパートナーなんだよ」
ふわりと柔らかい笑顔。
相変わらず考えが読めない朔は、俺の心を揺さぶって舞い上がらせるのが本当に上手い。
勘違いしてしまいそうになる。
「楽譜はそっちが用意しろよ」
「うん」
まるで俺をパートナーにするために楽器を渡したと言っているみたいじゃないか。
顔に熱が集まる感触。
うぬぼれてしまいそうだ。
今はただ。
演奏を褒められた照れということにしておこう。
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