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勘違い

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 我が家の跡取りを失うのは確かにショックだけど、それ以上でもそれ以下でもないわ。

 ヘクター様のことを政略結婚の相手としか思っていない私は、失恋以前に恋愛すらしていなかった。
『何故、そんな勘違いを?』と疑問に思う中、彼は困惑したように瞬きを繰り返す。

「えっ……?はっ!?何でショックを受けていないんだ……!?お前は俺を愛していたんだろう!?」

「えっと、ヘクター様を恋い慕ったことは一度もありませんが……」

「な、なんだと……!?」

 気まずそうに視線を逸らす私に、ヘクター様は思い切り噛み付く。
どうやら、彼の脳内では私に愛されている設定だったらしい。
全く身に覚えのない事実に困惑する私は、思わず苦笑を浮かべる。
勘違いを自覚したヘクター様は余程恥ずかしかったのか、瞬く間に赤面した。

「お、お前の愛などはなから、どうでもいい!俺には、もう運命の人が居るからな!無愛想なお前と違って、ティナは可憐で愛らしいんだ!」

 鼻息を荒くして、捲し立てるヘクター様は何故かこちらを罵倒し始める。
『運命の人はティナと言うのか』と、ぼんやり考える私は欠伸を噛み殺した。
程よい眠気に襲われる私を他所に、ヘクター様は何故か恋人自慢を始める。

「ティナは外見も綺麗でな、綿あめのようにふんわりした髪を持っているんだ!色もピンクで、とっても愛らしいんだぞ!お前のような白髪とは、大違いだ!」

 いや、白髪って……これは一応、銀髪なのだけど。

 ────とは言わずに、私は小さな溜め息を零した。
腰まである銀髪は風に煽られ、宙を舞う。うねり毛のない真っ直ぐな髪は太陽に反射して、キラキラと輝いた。

「瞳の色も非常に魅力的で、薔薇のような赤なんだ!あの瞳に見つめられたら、誰もがティナの虜になるだろう!おっと、すまない!変な瞳を持つお前には、縁のない話だったな!」

 『わははっ!』と大笑いするヘクター様は、愉快げに目を細める。
完全にこちらを馬鹿にした態度に、私はかぶりを振った。

 変な瞳、ねぇ……確かに虹眼にじがんは珍しいけど、そこまで嫌悪しなくても……。
一部の人達には、大人気なのだけどね。

 ────虹眼とは、オパールのように七色の光を放つ瞳のことだ。
目の機能に支障はないが、世界的に見ても非常に珍しい色だから、かなり目立つ。
周りに不気味がられても、おかしくはなかった。
とはいえ、婚約者に『変な瞳』と呼称されるのは少々気に食わないが……。

「とにかく!ティナは本当に素晴らしい女性なんだ!ただ寝るしか能のないお前とは違う!」

 ビシッとこちらを指さすヘクター様は、暴言と共に話を締め括った。
偉そうに仁王立ちする彼を見上げ、私は『要するに恋に溺れたって訳ね』と結論づける。

「分かりました。丁寧にご説明いただき、ありがとうございます。念のため、お伺いしますが────婚約破棄を撤回するつもりはありませんか?」

 答えなど分かりきっているが、私は最初で最後のチャンスを与える。
『今なら、まだ引き返せるぞ』と匂わせるものの……ヘクター様の決意は固かった。

「今更、婚約破棄を撤回するつもりはない!俺は真実の愛に生きるんだ!」

 グッと拳を握り締めるヘクター様は、改めて決意表明する。
最高のキメ顔を見せる彼に、私は呆れたように溜め息を零した。

「そうですか。分かりました。では────潔く婚約破棄を受け入れます」

 淡々とした物言いでそう述べる私は、早々に説得を諦める。
『もう勝手にしてくれ』と投げやりになる私を他所に、ヘクター様は大きく目を見開いた。
信じられない!とでも言うように、こちらを凝視する。

「なっ……!?引き止めないのか!?婚約を破棄したら、俺達は赤の他人になるんだぞ!?それでも、いいのか!?」

 こちらが食い下がるとでも思っていたのか、ヘクター様は動揺を隠し切れないようだった。
『何故だ!?』と繰り返す彼に、私は一つ息を吐く。

「では、逆にお聞きします。ここで『捨てないで』と縋ったとして、ヘクター様は思い留まってくれますか?」

「それは無理だ!私はもうティナの虜になっているからな!いくら、お前の頼みでもそれだけは受け入れられない!」

 反射的に首を左右に振ったヘクター様は、私に未練など全くないようだった。
迷いのない眼差しを前に、私は『だからですよ』と言いかける。
でも、角の立つ別れ方はしたくなかったので、きちんと言葉を選び直した。

「ヘクター様の心は、既にティナさんのところにあります。ここで『別れたくない』と喚いたところで、貴方の心は戻って来ないでしょう。それなら、大人しく身を引くべきだと思いまして……」

 婚約破棄を突っぱねることは簡単だけど、変に逆恨みされても面倒だし……一生を共にする伴侶ともなれば、尚更。
新しい婚約者を探さなくちゃいけないのは面倒だけど、ヘクター様に一生恨まれて過ごすよりマシだろう。

 『わざわざ怒りを買う必要はない』と結論づけ、私はエメラルドの瞳を真っ直ぐに見据えた。

「婚約破棄に関する諸々の手続きは、そちらで請け負ってください。私は一切手を貸しませんので……これくらいのワガママは聞いてくれますよね?」

 『婚約破棄は貴方の責任なんだから』と遠回しに主張し、ヘクター様の様子を窺う。
黙って、こちらの言い分を聞いていた彼は納得したように頷いた。

「分かった。お前の婚約者として、最後の責任を果たそう」

「ご理解いただき、ありがとうございます。それでは、暗くなる前にお帰り下さい。帰り道はあちらです」

 さっさと話を終わらせたい一心で、私は正門への道を示す。
『早く帰ってくれ』と強く願う私に、ヘクター様はコテリと首を傾げた。

「暗くなる前にって、まだ昼過ぎだぞ?それに見送りは……」

「せっかく早く話がまとまったのですから、ティナさんに会いに行っては如何ですか?きっと寂しがっていますよ」

 ヘクター様の言葉をわざと遮り、私は適当に捲し立てる。
一度も会ったことがないティナさんの心情など、知る由もないが、効果は抜群だった。

「うむ!そうだな!ティナもきっと、寂しがっている筈だ!こうしちゃいられない!早く、ティナの元へ向かわなくては……!」

 パァッと表情を輝かせるヘクター様は、思いのほか簡単にこちらの誘導に応じる。
『チョロい……』とボヤくウィルを他所に、彼は慌てて踵を返した。
『待っていろ、ティナ!』と叫びながら、遠がっていく彼の後ろ姿を見送る。
嵐のような人だと嘆く私は、どこか遠い目をした。

 たった数十分の出来事なのに、どっと疲れたわね……。まるで、一週間分のエネルギーを吸い取られたようだわ。しばらくは屋敷に籠って、療養しましょう。

 勝手にスケジュールを変更する私は、脱力したように肩の力を抜いた。
とにかく休みたい気持ちでいっぱいになる中、ウィルはふと口を開く。

「屋敷内は明日から、縁談話で持ち切りになりますね」

 予言めいた言葉を吐くウィルは、『忙しくなりそうだ』と肩を竦めた。
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