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三話
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「文化祭委員。全員揃いましたね。私は三年一組の高村彩乃といいます。
去年の流れを汲んで、委員長に指名されました。
文化祭は十月だからまだ早いと思っている人がほとんどでしょうが、動き始めたら早いものです。学業に支障の出ないよう、少しずつ確実に進めていきましょう」
教壇の上で、高村さんは滑らかにそう告げた。姿勢よく堂々としている姿は同性の目から見ても格好良く、高い位置で結んだポニーテールが似合っている。
周囲の状況を窺いながら、私は心の中で拍手を送った。
委員を押し付けられた時にはどうしたものかと思ったが、この人が引っ張ってくれるならなんとかなるかもしれない。
「じゃあ、前の席の人から自己紹介をお願いします。学年・クラス・名前と、趣味か好きなもの。あと抱負ね」
ほっとしたところでこの死刑宣告のような言葉。私の背筋は凍った。
規則正しく並んだ机を、右端の方から数える。一クラス二名、合計三十人が集められた教室で、私の順番は六番目だ。
並び順に法則はない。「来た順に前から詰めて座って」そう言われた時から嫌な予感はしていた。高村さんには、まず三年生が手本を見せるべきという考えはないらしい。
「一年×組の××です」
運の悪いことに、トップバッターは一年生だった。
促されて立ち上がる。彼は高村さんの真っ直ぐな瞳に射抜かれて、かわいそうなくらい委縮していた。
勝手に親近感を抱き、同情する。名前さえ聞き取れないほど、彼の声は小さくくぐもっていた。好きなものはなんて言ったっけ。肝心なことが何一つ聴き取れない。
「ありがとうございます。じゃあ、次の人お願いします」
高村さんは相手が誰であろうと気にせずに、次へ次へと話を進めていく。
私は右隣に座る男子の後頭部に視線を向けた。纐纈君、同じクラスの彼は自ら文化祭委員に手を挙げた。やる気に満ち溢れている人は抱負を語るのに苦労などしないだろうが、押し付けられた私はどうしたらいいのだろう。
それに、私にはこういう時どうしても選択しなければならないことがある。
救いを求める気持ちが滲んでいたのか、彼は私の視線に気付いて振り向いた。
「大丈夫? 聞こえてる? ごめん。こっち聞こえない方だったよな」
「え?」
私は彼の、思いもしなかった発言に眼を瞬かせた。
「あれ? 違った?」
「あってるけど……、どうして知ってるの?」
「クラスの自己紹介の時に言ってただろ」
「言ったけど、とっくにみんな忘れてるでしょ。普通に話す分にはほとんど支障ないし」
そう。毎日話している紗耶香でさえ忘れてしまえる。
片耳が聞こえないことなんて、他人からすれば軽微でどうでもいいことなんだ。
だって、表向きの会話は成立するから。
だから、私は今悩んでいる。
今この場で耳のことを説明するかどうか。
自己紹介というイベントは、この問題を毎回私に叩きつける。
言えば、“少し”くらい配慮して貰えるかもしれない。聞き返しても、“少し”くらいなら嫌な顔をされないかもしれない。だけど、その効果は本当に“少し”で、時間も短いのだ。
そもそも、「だから私に配慮してください」とお願いするようなものなので、私のことを「偉そう」だとか「特別扱いされようとしている」だとか、ズルい人間だと受け取る人も中にはいる。
それなのに、纐纈君は私が片耳聞こえないことも、それが左右どちらの耳なのかも正確に覚えていて、気にかけてくれるんだ。
「纐纈君、すごい記憶力……」
思わずこぼれた言葉に、纐纈君は声を出さずに笑った。
「暗記は苗木の方が強いだろ。成績良いんだから」
「私は一夜漬けタイプだからすぐ忘れるよ。人の顔と名前覚えるのも苦手」
「俺の名前、言えてるじゃん」
「それは――」
今のクラスになって一か月。実のところ、私はまだクラス全員の顔と名前が一致していない。特に、用がない限り話す機会のない男子は、名前以前に同じクラスかどうか思い出すところから始めないといけないレベルで、名札を見ずに話しかけることはまずもって不可能だ。そんな中、纐纈君の名前を言えるのは奇跡に近い。
だけど、その理由はいたって単純なもので。
「纐纈君って、名前のインパクト強いし」
「そこ?」
纐纈君は「そりゃ、めずらしい苗字ではあるけど」と、少しつまらなさそうにつぶやいた。
ただ、付け加えるなら、彼の声は他の男子に比べて穏やかで聴き取りやすい。顔立ちはハッキリしたタイプじゃないけれど、右目の下に泣きぼくろがあるおかげで区別がつく。この二つも大きな要素ではあった。
そんなことを言われても、うれしくもなんともないだろうけど。
「次の人、お願いします」
妙に会話が続いたせいで、いつのまにか恐怖の瞬間はすぐそばに迫っていた。
纐纈君の隣の男子が立ち上がり、威勢よく話し始める。
二年二組、私には顔を見かけた記憶さえないが、隣のクラスの人らしい。ただ自己紹介をしているだけなのに、笑いを誘っている。どうやらクラスの人気者ポジションのようだ。
この人の次の次とか、ちょっと勘弁してほしい。
「大事なこと言ってなかった。何年何組、名前、趣味、抱負な」
隣の人を見上げていたかと思ったら、纐纈君は唐突に振り返ってそう告げた。返事をする間もなく、視線を元に戻す。その後頭部は、頷くようにかすかに揺れた。
「ありがとうございます。次の人」
ありがとうって、簡単な言葉さえ出てこなかった。
私の心臓はいよいよ暴れ出した。
去年の流れを汲んで、委員長に指名されました。
文化祭は十月だからまだ早いと思っている人がほとんどでしょうが、動き始めたら早いものです。学業に支障の出ないよう、少しずつ確実に進めていきましょう」
教壇の上で、高村さんは滑らかにそう告げた。姿勢よく堂々としている姿は同性の目から見ても格好良く、高い位置で結んだポニーテールが似合っている。
周囲の状況を窺いながら、私は心の中で拍手を送った。
委員を押し付けられた時にはどうしたものかと思ったが、この人が引っ張ってくれるならなんとかなるかもしれない。
「じゃあ、前の席の人から自己紹介をお願いします。学年・クラス・名前と、趣味か好きなもの。あと抱負ね」
ほっとしたところでこの死刑宣告のような言葉。私の背筋は凍った。
規則正しく並んだ机を、右端の方から数える。一クラス二名、合計三十人が集められた教室で、私の順番は六番目だ。
並び順に法則はない。「来た順に前から詰めて座って」そう言われた時から嫌な予感はしていた。高村さんには、まず三年生が手本を見せるべきという考えはないらしい。
「一年×組の××です」
運の悪いことに、トップバッターは一年生だった。
促されて立ち上がる。彼は高村さんの真っ直ぐな瞳に射抜かれて、かわいそうなくらい委縮していた。
勝手に親近感を抱き、同情する。名前さえ聞き取れないほど、彼の声は小さくくぐもっていた。好きなものはなんて言ったっけ。肝心なことが何一つ聴き取れない。
「ありがとうございます。じゃあ、次の人お願いします」
高村さんは相手が誰であろうと気にせずに、次へ次へと話を進めていく。
私は右隣に座る男子の後頭部に視線を向けた。纐纈君、同じクラスの彼は自ら文化祭委員に手を挙げた。やる気に満ち溢れている人は抱負を語るのに苦労などしないだろうが、押し付けられた私はどうしたらいいのだろう。
それに、私にはこういう時どうしても選択しなければならないことがある。
救いを求める気持ちが滲んでいたのか、彼は私の視線に気付いて振り向いた。
「大丈夫? 聞こえてる? ごめん。こっち聞こえない方だったよな」
「え?」
私は彼の、思いもしなかった発言に眼を瞬かせた。
「あれ? 違った?」
「あってるけど……、どうして知ってるの?」
「クラスの自己紹介の時に言ってただろ」
「言ったけど、とっくにみんな忘れてるでしょ。普通に話す分にはほとんど支障ないし」
そう。毎日話している紗耶香でさえ忘れてしまえる。
片耳が聞こえないことなんて、他人からすれば軽微でどうでもいいことなんだ。
だって、表向きの会話は成立するから。
だから、私は今悩んでいる。
今この場で耳のことを説明するかどうか。
自己紹介というイベントは、この問題を毎回私に叩きつける。
言えば、“少し”くらい配慮して貰えるかもしれない。聞き返しても、“少し”くらいなら嫌な顔をされないかもしれない。だけど、その効果は本当に“少し”で、時間も短いのだ。
そもそも、「だから私に配慮してください」とお願いするようなものなので、私のことを「偉そう」だとか「特別扱いされようとしている」だとか、ズルい人間だと受け取る人も中にはいる。
それなのに、纐纈君は私が片耳聞こえないことも、それが左右どちらの耳なのかも正確に覚えていて、気にかけてくれるんだ。
「纐纈君、すごい記憶力……」
思わずこぼれた言葉に、纐纈君は声を出さずに笑った。
「暗記は苗木の方が強いだろ。成績良いんだから」
「私は一夜漬けタイプだからすぐ忘れるよ。人の顔と名前覚えるのも苦手」
「俺の名前、言えてるじゃん」
「それは――」
今のクラスになって一か月。実のところ、私はまだクラス全員の顔と名前が一致していない。特に、用がない限り話す機会のない男子は、名前以前に同じクラスかどうか思い出すところから始めないといけないレベルで、名札を見ずに話しかけることはまずもって不可能だ。そんな中、纐纈君の名前を言えるのは奇跡に近い。
だけど、その理由はいたって単純なもので。
「纐纈君って、名前のインパクト強いし」
「そこ?」
纐纈君は「そりゃ、めずらしい苗字ではあるけど」と、少しつまらなさそうにつぶやいた。
ただ、付け加えるなら、彼の声は他の男子に比べて穏やかで聴き取りやすい。顔立ちはハッキリしたタイプじゃないけれど、右目の下に泣きぼくろがあるおかげで区別がつく。この二つも大きな要素ではあった。
そんなことを言われても、うれしくもなんともないだろうけど。
「次の人、お願いします」
妙に会話が続いたせいで、いつのまにか恐怖の瞬間はすぐそばに迫っていた。
纐纈君の隣の男子が立ち上がり、威勢よく話し始める。
二年二組、私には顔を見かけた記憶さえないが、隣のクラスの人らしい。ただ自己紹介をしているだけなのに、笑いを誘っている。どうやらクラスの人気者ポジションのようだ。
この人の次の次とか、ちょっと勘弁してほしい。
「大事なこと言ってなかった。何年何組、名前、趣味、抱負な」
隣の人を見上げていたかと思ったら、纐纈君は唐突に振り返ってそう告げた。返事をする間もなく、視線を元に戻す。その後頭部は、頷くようにかすかに揺れた。
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