苗木萌々香は6割聴こえない世界で生きてる

一月ににか

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十三話

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 九月五日。最終撮影日の前日。
 余裕をもって作業できていたお陰で、放課後の教室内は和やかな雰囲気だった。
 午後五時、ほとんどやることがなくなった係の人達も、この時間を惜しむように教室に残っていた。

「大丈夫? 明日までに間に合いそう? 何か手伝えることある?」
 そんな中、黙々とヴェールにレースを縫い付けている衣装係のかなちゃんに声を掛けると、一瞬で顔色が変わった。

「え? 九日までに完成したらよかったんじゃないの? 下川君が撮影日は十日って言ってたから、元々の予定が変更になったんだと」
「予定は変わってないよ。バスケ部とバレー部の部活動に影響が出るから調整難しいし……」
「ウソ。どうしよう。余裕があるからって、下川君は部活に行っちゃったし、今日は二人しか残ってないよ」
 
 もう一人残っていた衣装係の井森さんも、驚いた様子で首を振った。
 背中を冷たい汗が伝う。踏みしめているはずの床の感覚がない。

「どうしたの?」
 不穏な空気を察した紗耶香に話しかけられ、私たちは泣きそうな目で彼女を見た。
 事情を話すと、紗耶香は記憶を辿るように目を閉じた。数秒で思い至ったらしく、ぱっと目を開ける。

「それって、先週のやり取りだよね。萌々香、ちゃんと六日って言ってたと思うけど」
「うん、でも……私が悪い。ちゃんと聞こえてなかったのに、うんって言ったから。
 多分、私は下川君のって言葉を聞き逃した。同じように、下川君にも私が言ったがしっかり聞こえてなかったんだ。
 それに、誰が悪いかよりも、今の状況をなんとかしなきゃ」
 感情を整理できないまま、言葉だけが私の口からこぼれていく。

「ごめんなさい。私のせいですです。後は私が全部やるよ。残らなくて大丈夫。作り方だけ教えて」
 だって、どうにかしなきゃ。私のミスなんだから。私が責任を取らなきゃ。みんなに迷惑はかけられない。
 どうにもならなくても、どうにかしなきゃいけないんだ。

「萌々香!」
「何言ってんだよ、苗木。そんなことしなくても大丈夫だよ。オレも手伝う」
 紗耶香に肩を揺さぶられ、ふと我に返る。
 顔を上げると、いつのまにか紗耶香の後ろには纐纈君が立っていた。クラスのみんなが、私たちの様子を窺っている。

「そうだよ。萌々香。私も手伝えるから。みんなでやれば、すぐに終わるよ。
 ねぇ、今日まだ残れる人いる? 衣装づくり手伝って欲しいの」
 芯のある紗耶香の声に、教室中の音が消えた。

「紗耶香……」
「いいんだよ。これはお願いだから、命令してるんじゃないの。萌々香は一人で全部背負おうとし過ぎだよ」
「はい! 私やるよ。だって、自分のために作ってくれてる衣装だもん。何をすればいい?」
「陽菜乃!」
 明るい声が教室の空気が変えた。
 窓際で台本読みをしていた陽菜乃が駆け寄り、ヴェールの近くに置かれていた花飾りに目を輝かせる。
「すごい。これをくっ付けるの? 可愛い! 完成するの、楽しみ」

「萌々香。私、今日は塾があるから帰らないといけないの。ごめん」
 申し訳なさそうに、帰り支度をしていたリコが視線を落とす。私は慌てて両手を振った。
「ううん。気にしないで。ありがとう。リコ。みんなも気に病まないで。無理のない範囲で手伝って貰えたらうれしい」

「なあ、オレ裁縫は苦手だけど、手伝えることある?」
「私も六時までなら手伝えるよ」



 紗耶香の声がけのお陰で、五人が手伝ってくれた。小道具の人達は飾り付けに使ったらいいとグルーガンを貸してくれて、作業時間をかなり短縮できた。
 途中、部活が終わって様子を見に来た下川君も加わって、衣装づくりはどんどん加速した。

 最後の一針を結び、かなちゃんが笑顔浮かべる。
「できた!」
 安堵がその場にいた全員に伝播する。
 レースで縁取られ小さな花が散りばめられたヴェールは煌びやかで、手作りとは思えないほどの仕上がりになった。
 一度目の急場しのぎの結婚式とは違う、改変されたハッピーエンドを迎える二人に相応しいヴェールだ。

「ねぇ、ねぇ。ちょっと試着してみていい?」
 そわそわする陽菜乃に応えて、かなちゃんがふんわりとヴェールを被せる。
「いい! これめっちゃいいよ!」
「ふふ、最後まで残った人の特権だよ。可愛い私をとくとご覧あれ」
 紗耶香の歓声に、調子に乗った陽菜乃が立ち上がりくるりとターンする。

「よかったぁ……。ありがとう」
 みんなが盛り上がる中、私はひとり今にも溢れてしまいそうな涙をこらえていた。
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