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最終話
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「行ってくるね、アオ」
太陽の光が差し込むダイニングで、私はアオに話しかけた。
今日の天気予報は晴天。絶好の文化祭日和だ。
うちのクラスは動画上映だから雨でも支障はないけれど、やっぱりせっかくならこんな気持ちのいい日に封切したい。だって、本当に明るくて楽しい、ハッピーエンドの物語なのだから。
「母さんは何時ごろ見に来る?」
「どうしようかなぁ。萌々香は出てないんでしょ?」
「そうだけど……できれば見て欲しいよ」
「冗談だよ。ちゃんと見に行くから。楽しみにしてるよ」
玄関に向かう途中、洗面台で前髪を確認する。
今日の私はいつもよりもほんの少しだけ、いい顔をしている気がする。
「そういえば、最近、アオは朝からごねなくなったよね。萌々香ちゃん、行かないでって」
「あ……、うん。そうだね」
母はその事実に、いつ気付いただろうか。
ローファーのつま先をトンと鳴らし、扉を開ける。
「学校、楽しい?」
「楽しい時も辛い時もあるよ」
振り返ると、母がにっこりと笑っていた。
「もう、アオがごねなくても、母さんが引き留めてくるじゃない」
「ごめんごめん」
「いってくるからね」
「いってらっしゃい」
今日もイヤフォンを左側にだけ嵌めて、私は歩き出した。
文化祭は好評のうちに幕を閉じた。
シナリオは少々フザけている部分があったものの、字幕付きという部分が堅物で有名な校長先生に刺さったらしい。バリアフリーの精神だとかSDGsだとかのお題目の下、私たちのクラスは特別賞を獲得した。
そのお陰もあって、身内だけの上映会兼打ち上げは大盛り上がりし、解散する頃には時刻は午後七時を回っていた。
「本当に、終わっちゃったね」
職員室に鍵を返し、纐纈君と私は文化祭の残り香が漂う校舎を出た。
お化け屋敷や立体迷路を催したクラスだろうか、段ボールを抱えゴミ捨て場に向かう人影が見える。
「纐纈君、あのさ」
「ん?」
遅くなったことを言い訳に、今日も私はバスで帰ろうと思う。
少しでも長く、纐纈君と話していたいから。
「文化祭委員になってくれてありがとう」
「改まって言われると照れるな」
「照れさせようと思って、改まって言いました」
はじめは、こんな他愛のないやりとりをできるようになるなんて思わなかった。
ただ、やさしい人が一緒に文化祭委員をやってくれることになってよかったなって、それだけで。
「この前、纐纈君がバス停で言ったことなんだけど」
スカートのポケットに手を突っ込み、アンケート用紙を握り締める。
左側を歩く纐纈君は、私の言葉に足を止めた。
「あの時、好きだって言ってくれた?」
「聞こえてたのか」
「ううん。言葉は聴き取れなかったけど、状況的にそうかなって」
纐纈君は右手で顔を覆ってしまい、その表情はほとんど見えない。
ただ、耳が真っ赤になっているのだけはわかった。
きっと、私も同じだろう。
「今までの私だったらね、もし聴こえてたとしても気のせいだったかもしれないって自分の耳を疑っただろうし、そうだったらいいなって気持ちが理解を歪めたかもって、信じられなかったと思うんだけど」
だけど、纐纈君と一緒に頑張ってきた時間があるから、怖くても信じてみようって思ったんだ。
もしそれが思い違いだったとしても、この半年間が私にとって宝物であることは変わらない。
「そうだったらいいなって……」
纐纈君は掠れた声で私の言葉を繰り返した。
「あ……、はは。つまり、そういうことです」
もうほとんど答えを言っているようなものだけれど、約束したから。
「纐纈君、何度聞き返してもいいって言ってくれたでしょ?
もう一度言ってくれないかな?」
「元々言うつもりだったけど、そういう切り出し方はズルいよ」
「あの時、聞こえない方の耳に言った纐纈君の方がズルいって」
ずっと、頭から離れなかったんだから。
纐纈君はやっぱり、ほんの少しだけ意地悪だよね。
「一回しか言わないから、聞き逃すなよ」
「聞こえなかったら、何度だってお願いするよ」
「そのお願いは聞けません」
見上げると、六割欠けた月が輝いていた。
纐纈君は私の左耳に顔を寄せ、その言葉を囁いた。
太陽の光が差し込むダイニングで、私はアオに話しかけた。
今日の天気予報は晴天。絶好の文化祭日和だ。
うちのクラスは動画上映だから雨でも支障はないけれど、やっぱりせっかくならこんな気持ちのいい日に封切したい。だって、本当に明るくて楽しい、ハッピーエンドの物語なのだから。
「母さんは何時ごろ見に来る?」
「どうしようかなぁ。萌々香は出てないんでしょ?」
「そうだけど……できれば見て欲しいよ」
「冗談だよ。ちゃんと見に行くから。楽しみにしてるよ」
玄関に向かう途中、洗面台で前髪を確認する。
今日の私はいつもよりもほんの少しだけ、いい顔をしている気がする。
「そういえば、最近、アオは朝からごねなくなったよね。萌々香ちゃん、行かないでって」
「あ……、うん。そうだね」
母はその事実に、いつ気付いただろうか。
ローファーのつま先をトンと鳴らし、扉を開ける。
「学校、楽しい?」
「楽しい時も辛い時もあるよ」
振り返ると、母がにっこりと笑っていた。
「もう、アオがごねなくても、母さんが引き留めてくるじゃない」
「ごめんごめん」
「いってくるからね」
「いってらっしゃい」
今日もイヤフォンを左側にだけ嵌めて、私は歩き出した。
文化祭は好評のうちに幕を閉じた。
シナリオは少々フザけている部分があったものの、字幕付きという部分が堅物で有名な校長先生に刺さったらしい。バリアフリーの精神だとかSDGsだとかのお題目の下、私たちのクラスは特別賞を獲得した。
そのお陰もあって、身内だけの上映会兼打ち上げは大盛り上がりし、解散する頃には時刻は午後七時を回っていた。
「本当に、終わっちゃったね」
職員室に鍵を返し、纐纈君と私は文化祭の残り香が漂う校舎を出た。
お化け屋敷や立体迷路を催したクラスだろうか、段ボールを抱えゴミ捨て場に向かう人影が見える。
「纐纈君、あのさ」
「ん?」
遅くなったことを言い訳に、今日も私はバスで帰ろうと思う。
少しでも長く、纐纈君と話していたいから。
「文化祭委員になってくれてありがとう」
「改まって言われると照れるな」
「照れさせようと思って、改まって言いました」
はじめは、こんな他愛のないやりとりをできるようになるなんて思わなかった。
ただ、やさしい人が一緒に文化祭委員をやってくれることになってよかったなって、それだけで。
「この前、纐纈君がバス停で言ったことなんだけど」
スカートのポケットに手を突っ込み、アンケート用紙を握り締める。
左側を歩く纐纈君は、私の言葉に足を止めた。
「あの時、好きだって言ってくれた?」
「聞こえてたのか」
「ううん。言葉は聴き取れなかったけど、状況的にそうかなって」
纐纈君は右手で顔を覆ってしまい、その表情はほとんど見えない。
ただ、耳が真っ赤になっているのだけはわかった。
きっと、私も同じだろう。
「今までの私だったらね、もし聴こえてたとしても気のせいだったかもしれないって自分の耳を疑っただろうし、そうだったらいいなって気持ちが理解を歪めたかもって、信じられなかったと思うんだけど」
だけど、纐纈君と一緒に頑張ってきた時間があるから、怖くても信じてみようって思ったんだ。
もしそれが思い違いだったとしても、この半年間が私にとって宝物であることは変わらない。
「そうだったらいいなって……」
纐纈君は掠れた声で私の言葉を繰り返した。
「あ……、はは。つまり、そういうことです」
もうほとんど答えを言っているようなものだけれど、約束したから。
「纐纈君、何度聞き返してもいいって言ってくれたでしょ?
もう一度言ってくれないかな?」
「元々言うつもりだったけど、そういう切り出し方はズルいよ」
「あの時、聞こえない方の耳に言った纐纈君の方がズルいって」
ずっと、頭から離れなかったんだから。
纐纈君はやっぱり、ほんの少しだけ意地悪だよね。
「一回しか言わないから、聞き逃すなよ」
「聞こえなかったら、何度だってお願いするよ」
「そのお願いは聞けません」
見上げると、六割欠けた月が輝いていた。
纐纈君は私の左耳に顔を寄せ、その言葉を囁いた。
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少しずつですが最後まで読ませていただきま
した。胸がいっぱいで上手く言葉に出来るか
分かりませんが、感想を書かせて貰いますね。
片方しか耳が聴こえない人の日常や生きづらさが、これでもかと言うほどリアルに、そして繊細に、巧みな筆致で描かれていました!
聴き取れない事が当たり前過ぎて、誤解を受けたり失敗を繰り返したりする萌々香ちゃんの気持ちが痛いほど分かり、「そうそう!そうなのよ!」と思わず口にする自分が。
作者様も私と同じ片耳難聴とのこと。
6割聴こえない世界でというタイトルも素敵
ですが、萌々香ちゃんの葛藤や聴こえない故
のエピソード、そしてそのことに気付いて助けてくれる仲間たち、優しさが溢れていて読んでいて本当に胸がいっぱいになりました。
そして纐纈君!聴こえない側を覚えていてくれるだけでもキュンが止まらないのに何から何まで優しくて( ᵒ̴̶̷̤◦ᵒ̴̶̷̤ )♡
萌々香ちゃんの方から右耳に囁いた言葉を
纐纈君に聞くというラストも素敵でした!
この物語と出会えたことに感謝します。
素晴らしい物語を書いてくださって
ありがとうございました!
完結までお付き合いいただき、ありがとうございます。
聴き取りにくさの表現は小説と相性が良いとは言えず、萌々香の置かれた状況や心情がきちんと伝えられるか不安でした。リアルと評していただけてとてもうれしいです。
片耳難聴ゆえに萌々香は少し拗ねていて、独りよがりなところがあります。そんな萌々香に寄り添って、一緒に物語を体験いただいてありがとうございます。
萌々香が貰ったやさしさとうれしさを、読んでくださった方にも味わっていただけたら最高です。
聴こえない側を覚えていてくれるということ。片耳難聴の人にとってこれ以上にうれしいことって中々ないかなと思っています。
わかってもらうことはできないけれど、覚えていてくれたり、わかろうとしてくれたり。纐纈君はスーパーヒーローですね✨
萌々香の成長が見えるラストシーンは私もお気に入りです。
このお話を書き始めた時は、まさか同じ境遇の方に読んで貰えるとは思ってもいませんでした。
橘さんに読んで貰えてとてもうれしいです。
こちらこそ、ありがとうございました。
片耳難聴。このお話ではじめて知りました。
一見でわからない困り事は、周りに理解してもらうのが大変だし、どこまで伝えるか悩むのはすごくわかりました。(一緒にしていいかわかりませんが、私には精神発達グレーゾーンの娘がいます)
そんな中、纐纈くんはじめ、クラスのみんなが温かくて。人を頼らないようにしてた萌々香が、みんなに頼ったシーンは涙が出ました。
そして纐纈くんの右側囁きからのラストシーンは、青春素敵✨ときめきました。
素敵なお話をありがとうございました(^^)
片耳難聴を知って貰うきっかけになれたこと、とてもうれしく思います。
一目でわからない困りごとは、片耳難聴に限らずたくさんありますよね。同じ悩みを持つ人は自分が思っている以上に多いんだなと、感想を頂いて実感しました。また、そういった大変さを打ち明けてくれる人には、できるだけの配慮をしたいですね。
頑なになっていた萌々香の成長を一緒に見守っていただきありがとうございます。
聞こえない方に囁くシーンは当初から書きたいと思っていたシーンなので、ときめいて貰えて感無量です!
素敵な感想をいただきありがとうございます(*´▽`*)
まだ三話までしか読んでいないのですが、
片耳難聴の苦労や日常がとてもリアルに
描かれていて、読み途中なのに感想を
書かせていただきました。
実は私は主人公の萌々香ちゃんと同じ右耳
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音として聴こえるのに右側から話されるだけ
でほとんど聴こえない。だから、文化祭委員
で腰が引けてしまう萌々香ちゃんの気持ちが
痛いほどわかりました!
最後まで読んだら、また感想を送らせて
いただきますね!
感想頂きありがとうございます。
私自身片耳難聴の身ですが、同じ苦労をされている方にリアルでお会いしたことがありません。
ですので、このお話が独りよがりになっていないか、いつも気になっていました。
同じ境遇の橘さんにこのように感想の言葉をいただけてとても嬉しいです!
このお話を書いていてよかったなぁと、泣きそうな気持になりました。
決して治るものではなく解決方法のない悩みですが、文化祭委員になったことをきっかけに成長していく萌々香を描き切りたいと思います。
とても励みになります。ありがとうございます!