王妃は離婚の道を選ぶ

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大騒ぎ大騒ぎ

バザーへ乱入、大騒ぎ

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 アカリスがふさふさしたシッポを振りながら、頬袋いっぱいに詰めたドングリをどこか巣穴に隠しに行く。秋も一段と深まった気配がした。

「実際、シェリル妃殿下の慈善活動家としての功績はかなり大きいようです」

 どこからか、バザーでは売っていないサンドウィッチと、新聞紙に包んだフィッシュ&チップス。そして瓶入りのビールを、噂話とともに仕入れてきたカロムが、主人であるランドルフに話し掛けた。

 シェリルは国王と結婚した五年間──貧しくてまともな教育を受けられない少女でも、無料で通える公立小学校を基礎教育の場として設立したり。女性専門の職業訓練校を作ったりと、売春婦になるしか道がなかった女たちに識字率を広め、手に職を持てる環境を整えた。

「ところがどれだけシェリル妃殿下ががんばっても、咲かせた花はすべてジュリアンナ太皇后か国王陛下が、自分の手柄として刈り取っていってしまう。シェリル妃殿下もあまり強く反論できる性格ではないため、これまで散々苦渋を飲まれてきていたようです」

「妃殿下の父君が、現在の宰相だからな。庶子だからと軽んじられているが、もしも男として生まれていたら、きっと政治家として辣腕を振るっているだろう」

 そう、ランドルフも誰にいうわけでもなく返した。

 だがしかし、その時だった。

──ガランッ、ガランガランッ!

 手で振るタイプの鐘が鳴らされ、バザー会場にたくましい男たちに担がれた輿がやってくる。

 真っ赤に塗られた木材に金色の竜が巻き付いた中華的なデザインの輿を背負っているのは、アグニ亜大陸風にうずたかくターバンを頭に巻き付け、ビーズを沢山縫い付けた服を着た褐色の肌の髭の男たちで、なんともチクハグな雰囲気だ。

 輿の四方のカーテンを広げ、プラチナブロンドの波打つ髪の毛をわざと結い上げていないエルフィンが、この時刻には不釣り合いな夜会用ドレスを纏い、胸の谷間を見せつけるように上半身を乗り出している。

「『聖なる血を引く娘』、エルフィンさまのご来場であーるっ!」

 そう言いながら、輿を先導する背の低い男が──この男は聖職者のような粗末な黒い衣を引きずるように着ていた──ガランガランと、人払いする風に手で振る鐘を鳴らし続ける。

「来る今月の第三木曜日、ここにおわせられるエルフィン姫さまは、サン・レジェ・ヌーヴォー解禁のパーティーの席で、奇跡を起こすっ!」

 鐘を鳴らす男が声を張り上げて言った。その「エルフィン姫」は輿から上半身を乗り出し、赤、青、黄色と沢山の紙吹雪を、呆気にとられている観客の上へ振り撒く。

「皆さまっ! はじめてお目にかかります、あたくしがエルフィン・フィリシア・ブライアン男爵令嬢でしてよ! 奇跡を起こす『聖なる血を引く娘』、このエルフィンの顔をよっく憶えていてくださいな。一年後にはこのエルフィンが王妃さまになっているかもしれなくてよっ!」

 まるで未来を予知するみたいに言い放ち、色とりどりの紙吹雪を撒き散らしながら、エルフィンは得意満面な表情で輿に乗せられ、バザー会場を一周する。

『一年後には王妃さま』という台詞を聞いた貴族や中産階級の者たちは愕然とした。これは不敬罪となって逮捕されてもおかしくはない不遜な態度だ。

「さぁさぁ、次の木曜日のパーティーにお招きされている人たちは、絶対に来てくださいましね。その場で奇跡をみせてあげますからっ!」

 バザー会場に居る衛兵たちが、これはなにかのアトラクションかと思い込んで止めようとしないから、意気揚々とエルフィンは続けた。

「パーティーに来られない人はごめんなさいね。翌日の絵入り新聞を買ってくださいな! では、ごきげんようっ!」

 来た時とおなじように、ガランガランと鐘を鳴らす背の低い黒衣の男を先頭にして、エルフィンを乗せた金色の竜と赤い材木を組んだ輿が、くるりと背を返したターバン姿の肌の浅黒い男たちに担がれて戻っていく。

 茫然としている人々と、色とりどりの紙吹雪だけがその場に残った。

「な、な、なんですの、あの気の狂った不届き者は一体っ!」

 最初にバザー会場へ乱入してきた者をなじったのは、王妃シェリルの侍女・マーサだった。まるで鬼のような表情で、おのれの女主人を侮蔑したどこの馬の骨とも分からない娘の後ろ姿を指差す。

「衛兵たちっ、妃殿下の御前ですよっ。あの無礼な娘を輿から引きずり下ろし、滅多打ちにしなさいっ!」

 早速に、マーサは混乱している衛兵たちに命じた。

 しかし、相手の方も負けてはいない。エルフィンの乗った輿を守るがごとく、国王直属の近衛兵たちが、手に百八十センチばかりの仗を持ち、ずらり待ち構える。

 どちらが先に仕掛けたのかはさだかではない。けれども宮殿衛兵と国王近衛兵との乱戦という前代未聞の事態が、平和であらねばならないバザー会場で起こってしまった。

 こんな混乱でみっともなくバザーを終わらせることはできない。

 シェリルはまず、身近な騎馬衛兵の手から馬の手綱を取り上げた。

 そして衛兵に手伝ってもらい、その鞍に横座りに乗馬すると、国王近衛兵と宮殿衛兵の双方が、仗を振り回している真っ只中へと馬を駆る。

「静まりなさいっ、静まりなさいっ! これ以上の暴力は不要ですっ!」

 凛とした声をシェリルが上げた。馬の脚で蹴られた衛兵や近衛兵が、瞬時的に鞍に横座りしているのが王妃シェリルというのを認めると、全員、仗を地面に横にして置いた。中には敵意がないことを示すため、両手を上げ「降参」のポーズを取っている者もいる。

「本日は王家主催のバザーです。この場を暴力で荒すことは許しません。宮殿衛兵も近衛兵も、元の場所にお戻りなさいっ!」

 きつい眼差しを衛士たちに向けると、シェリルは覇気ある声で命じた。衛士たちがバツの悪そうな顔をして、仗の先を地面に向けて戦意がないことを示し、ぞろぞろと各自の詰め所へ戻っていく。

 幸い、乱闘に巻き込まれた露店や出店者はいないようで、そのことにシェリルは安心した。

 ところが──シェリルが手綱を強く持っていなかったせいか。ト、ト、ト……と、騎馬が勝手に厩舎へ戻っていこうとする。シェリルが手綱を引いて止まらせようとすると、逆に興奮して後ろ脚で立ち上がってしまった。

 恐怖のため、シェリルは馬の首にしがみついているのが精一杯だ。

 それに気付いて騎馬の口元のあぶみを捕まえ、馬を静かに立ち止まらせたのは、カロムだった。

「お怪我などありませんか?」

 甘く、優しい声で尋ねてくれたのはランドルフだ。しかも彼は、蔵に横座りになって降りるに降りられないシェリルを見かね、馬の脚元で背をかがめた。

「どうぞ、私の肩か背中を踏み台にして下馬してください」

「そ、そんな失礼なことをしたら……。ランドルフさまのお洋服が汚れてしまいますわ」

「しかし、貴女がいつまでも鞍から降りられないというのも考え物です」

 ランドルフの美しい青い瞳が真っ直ぐにシェリルの眼へと差し込み、王妃の心臓の鼓動を早めた。

「あ、あの……。それでは失礼して……」

 他国の王太子の背中を踏み台にするだなんて、はしたないとは分かっているが、今は申し出てくれたランドルフの好意に甘えるだけだ。

できるだけそっと、シェリルはランドルフの背中を踏み台にして鞍から下りた。

「ありがとうございます。なんとお礼をすればよいのやら……」

 勢いで馬の背に上がったものの、降りれなくなってしまったシェリルが礼を言う。

「構いません。貴女のようなか細い人が争いを止めたのです。止められなかった意気地なしは我々の方。せめて、騎馬から降りることくらいは手伝わせてください」

 ランドルフの青い宝石のような瞳が、じっと、シェリルの両眼をみつめる。シェリルの頬はただただ熱く火照っていった。

                      *

 やがて午後二時となり、シェリルが王宮の前庭に出されたグランドピアノの方へと向かった。

「聖なる血を引く娘」エルフィンの乱入があったので少し時刻がずれ込んだが。シェリルはピアノの前に立つと、演奏の前に、今日一日協力してくれた貴族たちや、来客として訪れてくれた者たちに礼をいった。

 そしてこのバザーで集められた寄付金は、孤児院や公立救済病院の入院棟の暖房費に使われると説明した──本来は国王であるアルフォードの役目だというのに、あの浮かれ男は輿に乗ったエルフィンにくっついて行ってしまって、バザー会場にはすでに居ない。

「では、来場してくださった皆様に一曲、捧げたいと思います。『東方風幻想曲 イスメライソナタ』より、一部を編曲してお届けします」

 流麗なピアノの音色がバザー会場に流れ始めた。

 この曲を作った作曲家本人も超絶技巧のピアニストであったので、少し耳の肥えている音楽好きならば、シェリルが難しいフレーズを弾いてゆくのを、何とも言えず、感心して聞いていた。

 メロディとメロディを繋げるフレーズ──それも音の間を上へ下へと行き来する、複雑な音符群が続く。

 やがて二十分ほどに編曲された「東方風幻想曲」をまとめ上げたものを弾き終わったシェリルには、賞賛の拍手が贈られた。

 侍女のマーサが持って回る箱の中に、中流階級の者たちが銀貨を入れてくれる。

 そして不意に、シェリルのまなざしが最前列で演奏を聴いていてくれたランドルフのものと絡み合う。

 その時、シェリルは心の中では、ランドルフひとりにだけ向けて一礼したのだった。

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