鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

江戸の火種(2)

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 彦十郎家の屋敷は一之町の城のすぐ下に位置する。その彦十郎家の屋敷の前を通って荷車が何台も通り過ぎ、御城蔵に年貢米が運び入れられる様は、なかなか壮観だった。身分を問わず暮渡の切米が支給されたばかりということもあり、広間に詰める藩士らの表情も明るい。
 だがそれにも関わらず、小書院に集められた重臣らの顔は一様に強張っていた。
 まず切り出したのは、羽木権蔵だった。
「江戸にいらっしゃる丹波様から、三浦権太夫がまた騒ぎを起こしたとの早馬が届きましてございます」
「またあの者か」
 大書院に集った者たちの間に次々とため息が伝染した。どの重臣の頭にも、二月に権太夫が長国公の領内漫遊に対して諫言した、あの騒動が過ぎったに違いない。
「三浦は、此度は何を申してきたのです」
 羽木はにこりともしないで、丹波からの書面を一同に回した。鳴海のところへ回ってくると、鳴海もうんざりとしながら読み終えた。
 三浦曰く、丹波一人で三千石もの家禄を食んでいる。それにも関わらず、老臣としての責務を十分に果たしていない。それだけでなく、他の家臣を軽んじており、自身は飽食し、絢爛豪華な衣裳を好んでまとっている。他の二本松家臣はそのような振る舞いをした試しがない。さらにこの時勢を見る限り、必ずや数年以内に変事が起こるであろう。そのときに備えて丹波の家禄を半分割いて、それを以て有志の士を養うべきである。藩を挙げて、励文勤武を以て有事に備えよ、云々。
 中でも数年以内に変事が起こるなどの下りは、頭がどうにかしたのではないかと思えるほどだった。
「これは……。で、丹波殿は何と?」
 呆れたように、浅尾が羽木を詰問した。
「丹波様は、始終温和顔でにこやかに対抗されたそうです。ですが丹波様の場合、そうしたときの方が危のうござる。此度は、本気でお怒りでしょうな」
 丹波の腰巾着とも揶揄される羽木の言葉は、妙に説得力があった。言われてみれば、普段の丹波であれば感情を顕にして、真っ向から反論するはずだった。そうではないところに、丹波の怒りの深さがうかがい知れる。
「まったく、三浦も余計なことをしてくれる」
 そう述べた一学の顔も、苦々しげだった。
「で、丹波殿はどうされたと?」
「さしあたり、江戸の三浦の寓居に人を遣り、五十日の閉門としたそうです」
「大人げないのう」
 江口の言葉は、丹波と三浦のどちらを指したものか。鳴海には判別しかねた。だが、二月に藩主へ献言したことで、三浦が若干調子づいているのは、否めない。
「それがですね。三浦が閉門させられたのは献言だけが理由ではないようだと」
 羽木の視線が、ちらりとこちらへ向けられた。鳴海自身は、三浦権太夫とは全く関係がない。それだけに、戸惑った。
「どうも、三浦が小石川に出入りしていたのが、丹波様のご勘気に触れたようです」
 一同は、顔を見合わせた。小石川には水戸藩邸や守山藩邸がある。二本松藩の江戸公邸のある永田からは一里強ほどの距離だが、確かに三浦の身分で訪れる必要があるとは、思わなかった。
「江戸はあちこちの藩邸が集まっております。そこで他藩の知己と邂逅を果たすのも、珍しい話ではあるまいに」
 鳴海の前ではよく笑う志摩だが、公式な場ということもあってか、今日の志摩は真面目そのものである。 
「水戸の英才だという藤田小四郎や猿田愿蔵と積極的に関わりがあり、共謀して変事を起こそうとしたのではないか。だからこそ、数年以内に変事が起こると漏らした。それが、丹波様のお見立てでございます」
「待て」
 鳴海は、思わず羽木の言葉を遮った。猿田愿蔵の名前には、聞き覚えがあった。
「その猿田という者、野口村で時雍館という郷校の代表をしている男ではないか」
 鳴海の方へ、一斉に視線が注がれた。
「さすが鳴海殿」
 羽木が肯いた。
「まだ若いですが、人を惹きつける魅力が備わっているようで、野口郷では多くの者に慕われているのだとか。なかなかの美男子との噂もありますよ」
 猿田の容姿はどうでも良いが、鳴海も先日、郡山で守山藩の三浦平八郎や藤田芳之助と対峙してきたばかりである。羽木の言葉を聞いた源太左衛門はしばし考え込んでいたが、鳴海に視線を向けた。
「確か、鳴海殿が芳之助の脱藩の折り、守山藩の三浦殿から預け先として紹介された方でしたな」
 その言葉に鳴海は肯いてみせ、先日の郡山での助郷減免騒動の折りに起こった出来事を、改めて皆に報告した。
 今になって、ひやりとする。確かに、芳之助はそう述べていた。郡山での騒動は数日前のことだったが、芳之助は本来秘すべき江戸での水戸天狗党の動きをうっかり漏らして、三浦平八郎に叱責されたに違いなかった。
 鳴海が改めて事の次第を一同に伝えると、源太左衛門と羽木、そして浅尾は顔を見合わせて肯き合った。
「そこまで守山が関わってきているのであれば、ある程度皆にも事の次第をお伝えしたほうが良かろう」
 源太左衛門は一つ咳払いをして、羽木に視線を投げかけた。それを受けて、羽木は丹波の懸念を掻い摘んで説明し始めた。
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