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 二本松藩では、三春方面からの西軍来襲に備えて、松沢・白岩塩之崎・糠沢に番所を設けていた。
 既に、六月下旬から七月上旬にかけて、三番組の番頭である樽井弥五左衛門は、城之内じょうのうち登那木となき次郎左衛門宅を宿営と定め、そこで指揮を取っていた。松沢の八幡台から桜池にかけては一里ごとに胸壁が築かれており、うっすらと黄金色に色づき始めた稲穂の波の合間に、土塊つちくれの壁があるのは、なんとも奇妙な眺めだった。
 登那木家の庭先を覗き込むと、農兵たちが火縄銃を手にして、ああでもないこうでもないと突き回している。猟師を始めとする農兵は、秋冬の狩猟の時期には火縄銃を使って獲物を仕留めることもある。勿論藩の許可を得なければ火縄銃を使用することはできないのだが、それでも、自分らに銃口や刃が向けられるとは、想像できないようだった。
「樽井様、只今戻りました」
 家に上がりこんで居間に足を向けると、暑いのか、両肌を脱いだ逞しい弥五左衛門の体が目に入った。三〇ほどのまだ若い番頭だが、糠沢への着陣以来、落ち着いて指揮を取っている。二本松藩は身分にはそれほどうるさくない方ではあるが、それでも家格毎に就ける役職は決められており、樽井家はときには家老職も務める古参かつ名門の家柄の一つだった。
 また、守備の打ち合わせのためか、そこには留守を頼んでいた栗生や横田の姿もあった。
「ご苦労。して、米沢の首尾は?」
 若々しい張りのある声が、市之進の耳に届いた。
「米沢は参りません」
 淡々と、市之進は答えた。下手に希望的な観測を述べても、却って惨事を招きかねない。
「そうか……」
 答えた弥五左衛門も、あっさりと肯いた。どうやら腹を括ったらしい。
「小野の与兵衛様や須賀川の丹波様方から、連絡は?」
 平城が落ちたため、海岸方面から西軍が西進してくる可能性もある。また、西軍が棚倉から真っ直ぐに石川街道やその周辺の間道を北上すれば、須賀川に駐留する仙台兵や会津兵、そして二本松兵から成る同盟軍を避けて二本松を攻略することが可能だ。そのいずれの道を辿るにしても三春を通ることになり、見張り役として、小野に駐留している与兵衛が絶え間なく探索を行っているはずだった。小野は三春と平方面を結ぶ途中にある小邑であり、ここを東に下れば既に西軍がひしめいている磐城いわきに出る。
「須賀川の丹波様より、伝令が参った。どうも須賀川や守山の辺りできな臭いと。守山には、西軍の陣屋札が立てられているそうだ」
 その動きに、市之進は不安を覚えた。確かに、須賀川には同盟軍の本陣が置かれている。だが、西軍がどのような動きをするかで、同盟軍の二本松の守備に割り当てられる兵の布陣も変わってくる。現在、三春には仙台兵と会津兵が合わせて二〇〇名ほど駐留しているはずだが、これらが西軍への牽制役を果たさなければ、三春に同盟軍を駐留させている意味がないのだった。また、守山は現在は勤皇党が勢力を握っている水戸の御連枝であるから、同盟軍に与しているとは言え、当初から疑いの眼差しを向けられていた。
 だが、所詮下役の自分があれこれ考えても仕方がない。作戦や陣立てを考えるのは上役の役目であり、自分は農兵の訓練及び彼らの指揮を取るのが、役目である。
 そこへ、須賀川からの伝令がやってきた。やはり棚倉から北上してきた西軍の一部が守山に出没しており、それに備えるというのである。聞くところによると、西軍の人数は四百名ほど。そのため同盟軍の本営が郡山に移され、三春に駐留させていた同盟軍も郡山に向かわせるとのことだった。
「御代官様。まさか、あっしらも郡山に行けというわけではないでしょうね」
 白岩しらいわ村の若衆である三浦藤助とうすけが、口元を歪めた。安達地方は間もなく農繁期を迎える頃であり、ぼちぼち白菜や大根などの秋冬用の作物の種蒔きを行わなければならない。胸壁を築くよりもその方が余程大切ではないかと不平を口にする農民たちを宥めすかし、彼らに慣れぬ火縄銃を持たせ、兎や狸を狙わせて射撃訓練を施してきたのは、他ならぬ市之進であった。
「藤助。口の利き方に気をつけよ」
 市之進は、はらはらしながら窘めた。苗字帯刀を許されているとは言え、上役に逆らえば手討ちにされても文句は言えない。いつ西軍が攻めてくるかもしれないご時世の中で、つまらぬことで領内の者を手討ちにしたくはなかった。
「いや。我々まで腰を上げたら二本松に残るは老人と子供ばかりだ。いくら何でもそれはまずい」
 弥五左衛門は余裕を見せつけたいのか、鷹揚に藤助に笑いかけてみせたが、市之進は気が気でなかった。それこそ、かなりまずい状況ではないか。できれば須賀川にいる本隊に二本松へ戻ってきてもらいたいが、それはそれで同盟軍の間に「二本松背反」の疑いを招くに違いなかった。
 市之進は、栗生と顔を見合わせた。もっとも、弥五右衛門も何もしなかったわけではない。郡山組との境に当たる石堂邑いしどうむらに銃士の半数を向かわせ、残り半数を城之内の守備に当たらせているのだった。
 登那木が気を利かせて持ってきた濁り酒の甘さも、どこか苦々しさが残る。これくらいの酒量で酔う市之進ではないが、積極的に飲む気にもならなかった。
 取り敢えず、松沢・白岩塩之崎・城之内・二ツ橋の各地に番所を置いている。いずれも、三春との国境に近い要所であった。だが、番所を守っているのは俄仕立ての農兵であり、伝令役くらいしか務まりそうになかった。また、これらの番所はこの地方最大の街道である奥州街道筋からは外れているが、三春から糠沢組へ抜ける間道はいくつもある。油断はならない。
 自分が死ぬのは怖くないが、当地が西国の見知らぬ者たちに蹂躙されるところを想像すると、我慢がならなかった。例えるならば、目の前で妻が賊に犯されるのをぼんやりと見ているようなものか。
「これを頂いたら、塩之崎へ戻ります」
 市之進は、盃を置いて弥五左衛門に頭を下げた。塩之崎では、名主である根本紋四郎宅が番所と定められていた。紋四郎は市之進とも旧知の中であるが、今回ばかりは申し訳無さで身が竦む思いがする。根本家の別宅なども借り受け、現在、塩之崎には百名ほどが国境警備に当たっているはずだった。
「私も、一緒に参ります」
 栗生も頭を下げた。さらに、横田も席を立った。横田は、二ツ橋の番所の指揮を担当している。
「そうか」
 弥五右衛門が、眉を上げた。その目の奥には、微かに恐怖の色が見えた気がした。城之内から塩之崎までは半里強。大人の足ならば四半刻ほどで行ける距離だが、今の市之進にとっては、その距離が果てしないように感じた。振り返ってみれば、弥五左衛門は常州騒乱の遠征に加わっていない。これが実質的に初陣なのだった。初陣の恐怖を部下に気取られないように、無理を装っているのだろう。
「紋四郎殿には、予め話をつけてある。万が一の場合は、馬も貸してくれるそうだ」
 根本紋四郎は名主を務めるくらいだから、馬も持っている。ある意味、下級藩士の市之進よりも裕福な生活を送っている。
「かたじけない」
 市之進は栗生と肯き合うと、残っていた酒を一口で飲み干し、立ち上がった。所詮弱い酒であるから、足元はしっかりしたものである。それは、栗生も同じようだった。
「与兵衛殿や須賀川から変事が伝えられたら、直ちに伝令を送る。ゆめゆめ、ご油断召されるな」
 そう述べた弥五左衛門の声は、しっかりしたものだった。やはり、番頭となる家柄の者は生まれつき肚が据わっているのか。そう言えば、常州騒乱の折の大谷おおや鳴海なるみも、顔色一つ変えずに実戦の指揮を取っていたと思い出す。だとすれば、先程見えた恐怖の色は、市之進の気の所為だったのだろうか。
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