13年ぶりに再会したら、元幼馴染に抱かれ、異国の王子に狙われています

雑草

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第1章 青春期

崩壊の夜

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 学園の懇親会は、華やかな宴のはずだった。

貴族の子女たちが夜会服に身を包み、上品に微笑みながら社交の場を楽しむ。
カトリーナ・エーレンベルクもまた、いつも通り完璧な令嬢を演じていた。

冷静で、優雅で、知的で、誰とも深く関わらない孤高の存在。
それが彼女の仮面だった。

しかし、その仮面が崩れ去る瞬間が訪れるとは、彼女自身すら予想していなかった。

——そして、全ては音を立てて崩壊した。

歓談が広がる会場の扉が、突然乱暴に開かれた。

「カトリーナ!」

聞き慣れた怒声に、全身が凍りつく。

そこに立っていたのは、血走った目をした父と、唇を歪めた母だった。

「……どうして」

声にならない声が、カトリーナの喉奥から零れ落ちる。

どうしてここにいる?
どうして学園の懇親会にまで……?

一瞬で理解した。

屋敷で隠していた招待状を、見つけられたのだ。
公衆の場で醜態を晒されては困るから敢えて隠していたもの。

「お前はいつから親に無断でこんな場に出席するようになった!」

父の怒声が会場中に響き渡る。

カトリーナは咄嗟に周囲を見渡した。

貴族たちが驚き、訝しむようにこちらを見ている。
ざわめきが広がる。

何とかしなければ——
平然と、何事もないように振る舞わなければ——

「お父様、お母様……ここは学園の催しです。大声を出すのは——」

「言い訳をするな!」

鋭い声とともに、乾いた音が響いた。

——頬を殴られた。

一瞬、何が起こったのかわからなかった。

視界が揺れる。

「家の恥をさらしおって……! そのような厚顔無恥な娘に育てた覚えはない!」

父の罵声が突き刺さる。

「お前が招待状を隠してまでこんなところに来たのは、きっと親の金で贅沢をしようとしたからでしょう!」

母のヒステリックな叫びが追い打ちをかける。

「恥知らずめ! 誰のおかげでここに通えていると思っているの!?」

母の手が振り上げられた。
次の瞬間、頬に鋭い痛みが走る。

平手打ち——二度目。

思わずよろけた。
頭が痛む。

それ以上に、周囲の視線が、耐えられなかった。

貴族たちは、誰もが沈黙していた。
驚き、戸惑い、好奇心に満ちた目で、カトリーナを見つめていた。

彼らは見ている。
冷静で完璧な令嬢の仮面が砕け散る瞬間を、目の当たりにしている。

拳を握りしめる。

焦燥なのか、羞恥なのか、悲しみなのか。
もう何が何だかわからない。

ただ、ここから消えたかった。

「お前のせいで我が家は——!」

父の拳が再び振り上げられる。

その時——

「もういい」

低く冷たい声が響いた。

そして、次の瞬間、
父の拳が止まる。

いや、止められたのだ。

ヴィクトル・フォン・ヴァイスハウゼンの手によって。

会場が、一瞬にして静寂に包まれる。

ヴィクトルの手が、父の手首を掴んでいた。
力強く、容赦のない力で。

「……なにをする」

父が低く唸るように言うが、ヴィクトルは微動だにしない。

金色の瞳が冷たく輝き、ゆっくりと父を見下ろした。

「貴族が公の場で娘に手を上げるなど、実に下劣だな。」

会場がざわめく。

父の顔が怒りで真っ赤に染まるが、ヴィクトルは淡々と続ける。

「こんな場で恥を晒したくないなら、大人しく引き下がることだ」

その声は、冷徹で威圧感に満ちていた。

父が押し黙る。

「それとも、続けるか?」

ヴィクトルが僅かに手首を捻ると、父の表情が歪んだ。

痛みを感じたのだろう。

「……貴様……!」

父の呻きが漏れたが、ヴィクトルは構わず、カトリーナの腕を引いた。

「お前も、こんな茶番に付き合う必要はない」

「……え?」

「行くぞ」

カトリーナは呆然としながらも、彼に引かれるまま、会場を後にした。

背後で、母の叫び声が響いていた。

「どこへ行くの! 戻りなさい!」
「この親不孝者!」

その声を振り払うように、カトリーナはヴィクトルに手を引かれ、夜の廊下へと消えていった。

冷たい夜風が、頬にひりつく痛みを残した。

ヴィクトルに手を引かれるまま、カトリーナは懇親会の会場から遠ざかっていった。
廊下を抜け、扉を開け放たれたバルコニーへと出る。

静寂。

先ほどの喧騒が嘘のように、ここには誰もいなかった。
遠くに煌めく街の灯が、かすかに揺れている。

カトリーナは、やっと息をつくことができた。

しかし、足が止まった瞬間、全身を襲う感覚があった。

羞恥、悔しさ、怒り、絶望——
すべての感情が、一気に押し寄せる。

自分の手を見下ろすと、震えていた。

「……っ」

拳を握る。
けれど、震えは止まらない。

——見られた。

あれほど隠してきたものが、すべて晒された。
父の暴力も、母のヒステリックも、化粧で覆い隠していた痣や傷も——

もう、誰の目にも明らかだった。

貴族の誇り?
完璧な令嬢?

そんなもの、今夜すべて砕け散った。

ヴィクトルは、そんな彼女の様子を黙って見つめていた。
腕を組み、微動だにせず、ただ冷静な瞳で。

その沈黙が、余計に苦しかった。

「……何?」

カトリーナは声を絞り出す。

「同情するなら、結構よ」

挑むような視線を向ける。

ヴィクトルの目が僅かに細められる。

「俺が同情するとでも?」

「違うの?」

「俺はそんな薄っぺらい感情で動いたことはない」

淡々とした口調。
まるで、先ほどの出来事など些細なことだったかのように。

それが、カトリーナの苛立ちをさらに煽った。

「なら、なんなの?」

声が震える。

「私が家で何をされているか、もう分かったでしょう? それで、何を言うつもり? 哀れだって? 不幸だって? それとも、よく耐えているって 褒めるつもり?」

「どれも違う」

ヴィクトルは、言葉を切り捨てた。

「お前は、誰にも頼らず、すべてを一人で解決しようとしていた。今日までずっとな」

「……だから?」

「だから、今日もそうするんだろう?」

彼は少しも優しい言葉をかけなかった。

慰めも、憐れみも、すべて省いた。

ただ、それが当然のことだとでも言うように、冷たく事実を並べる。

カトリーナは息を呑んだ。

この男は、理解している。

彼女が、何を言われようとも、泣き崩れることはないことを。
誰かに助けを求めるくらいなら、一人で耐える道を選ぶことを。

「……馬鹿みたいね」

自嘲するように呟く。

「こんなことになっても、私はまだ——」

一人で戦おうとするのね。

小さく息を吐き、夜空を仰ぐ。

「……ああ、本当に、馬鹿みたい」

それでも、涙は出なかった。

ヴィクトルは静かに彼女を見つめていた。

やがて、低く呟く。

「そう思うなら、俺を利用しろ」

「……は?」

驚きに、カトリーナは彼を振り向いた。

「お前の家がどうなろうと、俺には関係ない。だが、お前が潰れるのは面白くない」

金色の瞳が、静かに揺れる。

「だから、俺を利用しろ」

まるで、当然のことのように、ヴィクトルはそう言った。

カトリーナは息を詰まらせた。

「お前は、俺の唯一のライバルだ」

そう言いながら、ヴィクトルは微かに笑った。

「俺が勝つのは、お前が完璧であってこそだ。だから、お前が折れるのは許さない」

それは、彼なりの執着だった。

戦場に立つものとしての、敬意にも似た何か。

——利用しろ。

その言葉が、カトリーナの心に沈んでいく。

彼に弱さを見せるのは、嫌だった。
同情も、憐れみも、拒絶したい。

それでも。

「……考えておくわ」

そう答えるのが、精一杯だった。

ヴィクトルは、ただ静かに微笑んだ。
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